受付嬢の獣耳少女
「ふわぁーあ……」
少し長い犬歯をむき出しにしながら、ミッシェルは一つ大きな欠伸を漏らした。
暇だ。眠い。
何故受付というのはこんなにも退屈な仕事なのか。
忙しい時はアホみたいに混むくせに、ピークを過ぎてしまえばほとんど誰も来なくなる。
そもそも、コソコソと隠れるように立地しているアルカンシエルは、新規の客なんてゼロに等しい。というか、来れるわけがない。あんな迷彩が普通の奴に見破れるか。
だから受付には、どっかの国から案内された大使か、場所がわからない新人、何度教えても覚えない頭の悪い種族くらいしかやってこないのだ。
ミッシェルは、四十番隊の隊員だった。全員が亜人で構成された部隊であり、戦闘力もかなり高い。
そんな戦闘部隊に所属しているのにも関わらず、ミッシェルは事務的な仕事を任されている。
何故か。
理由は二つある。
一つは、人間に比べ動物的な能力が備わっている亜人の中で、ミッシェルの種族はとりわけ五感が発達しているからである。さらにミッシェルは、種族内でも図抜けた感覚を備えていた。
ミッシェルは、ロビーの全てを見渡せる位置に座るだけで、何十何百と行き交っている一人一人の行動や言動を把握できるのだ。
様々な種族が行き交い、大切な来客もが歩く広いロビーの受付として、これほど適した力も無いだろう。
(でも、やっぱり私は暴れまわりたいなぁ)
ミッシェルは、腕にはそこそこ自信があった。彼女の研ぎ澄まされた五感は、敵の行動を予測し、確実に回避できる性能を持つ。
腕力は人間と大して変わらないが、そんなもの鍛錬次第でどうとでもなる。
だからこそ、こんな座ってるだけで一日が終わるような仕事ではなく、前線で縦横無尽に走り回って経験を積みたかった。
しかし、二つ目の理由のせいで、ミッシェルはこの席に座っているのだ。
その理由。それは。
獣耳を持っているから。
可愛らしい耳を持った、亜人の少女。それは、多種多様な種族を擁するアルカンシエルの顔としてうってつけなのである。
外交的なアピールも兼ね、あえて絶対多数な種族である『人間』ではなく、『亜人』であるミッシェルが抜擢されているのだ。
そしてそれは、ミッシェルが亜人の中でも美人な部類に属していることを示している。
とある女性にそう諭されたミッシェルは、嬉しさのあまり二つ返事で引き受けてしまったのだ。
「おはようミッシェル。眠そうね。寝不足はお肌の大敵よ?」
目尻に涙を浮かべ、ぼーっと人の波を眺めているだけのミッシェルに、声がかかった。ハグミだ。極端に長い銀色の美しい髪を揺らしながら、その女性はやってきた。
ちなみに、ミッシェルを美人だからと受付嬢になるよう諭したのは、ハグミである。
「あ、ハグミさん、ちゃーっす! いやいや昨日は快眠でしたよ。眠いのは、暇だからっす」
ミッシェルは、その一件以降ハグミに懐いていた。尊敬していると言っても良い。
そんなハグミが自分を信じてくれている限り、ミッシェルは受付の仕事を全うする。彼女の期待を、裏切りたくないから。ちょっとサボったりもするけど。
「あらそう? なら良いんだけど。暇なのは困ったわね。ちょっとお姉さんとお話でもする?」
「しますします! ハグミさんは――」
ミッシェルは、そこまで言ったところで、気づいた。
来客がいる。おそらく、あと数十秒でここにたどり着くだろう。ジャラジャラした装飾品が擦れる音に、鼻につく甘ったるい香水の匂い。
まだその姿は人ごみに隠れて確認できないが、見たくてもわかる。アイツだ。
ミッシェルは、露骨に嫌そうな顔をする。
「……ハグミさん、リオストの大使が来ます」
「あら、暇が紛れてよかったじゃない?」
「いや、なんつーか……あのオッさん苦手なんすよ。偉そうだし、こう、グイグイ来るというか……」
ミッシェルはため息をこぼす。
だが、来た以上は仕方ない。憧れの人が近くにいる事だし、最上級の笑顔で迎えてやるか。
ミッシェルの予測通り、間も無く一人の男が現れた。
「おぅー、ミッシェルぅ。元気にしてたかぇ?」
壮年の男だ。装飾品や匂いは言わずもがな、その風貌もミッシェルに不快感を与えていた。
脂ぎった肌に、小さい目。丸々と肥えた顔と体。その醜い姿はミッシェルに不潔なイメージを存分に押し付けてくる。
その後ろには、アルカンシエルの人間が二人付いていた。外からの来客を誘導する、案内係である。
「はい、おかげさまで。ようこそアルカンシエルへ。いつもありがとうございます」
ミッシェルは、負の感情を一切見せずに太った男へ満面の笑みで対応する。男は気を良くしたのか、息を荒くして一つの封筒を手渡してきた。
「良いんだよぅ。これが今回のリオスト国の依頼の一覧だぁ。上の人に通しておいて貰えるぅ?」
「かしこまりました。受理次第、リオスト国へウチの者を派遣します」
ミッシェルは、男の肉付きの良すぎる手から、大きな封筒を受け取る。
「そんなに堅くならないでおくれよぉ。もう何度も会ってるじゃないかぁ。そうだぁ。東の方に、とても素晴らしい景色が見える食事処があるんだぁ。君さえ良ければ、ご一緒させてあげるよぉ?」
「申し訳ありません。国の大使様に、失礼をするわけにはいかないのです。お食事の件ですが、検討させていただきます」
行くわけないだろふざけんなデブ、と思いながらもミッシェルは無難な回答をこなす。
こんな男でも、お得意先の国の大使だ。無下にするわけにはいかないため、波風を立たせないようにするにはこう答えるしかないのだ。
しかし、それに気づかないリオストと呼ばれる国の大使は、上機嫌でしつこく迫ってくる。
「検討なんかじゃなくてさぁ、次の休みはいつだぁい? 僕が迎えに来てあげるよぉ?」
「え、えっと……」
「わざわざ大使が遠方から送迎のために来るって言うんだよぉ? 嬉しいよねぇ?」
脂ぎった男は、下卑た笑みを浮かべながらミッシェルに迫る。目の前の、獣耳を持つ可愛らしい少女に劣情を抱いているのは明白であった。
(今日はいつにも増してめんどくさいよこいつ。どうしよう……)
ミッシェルが返答に詰まっていると、横に立っていた銀髪の女性ハグミが、会話に入ってきた。
「リオスト国の大使様。ご無沙汰しております」
「ん? おぉ。ハグミではないかぁ。奇遇だのぉ」
太った男は、ミッシェルの傍に立っていたハグミに気づいていなかった様子だ。獣耳少女に集中しすぎである。
「ええ。そうですね。遠方より遥々ようこそいらっしゃいました。長旅お疲れでしょう?」
「良いんだよぉ。ウチはアルカンシエルには本当にお世話になってるからねぇ。少し国費はかさむけど、これも国の為さぁ」
(よく言うよ、絶対に目的は別のくせに)
ミッシェルは、醜男の発言に心の中で反論する。
すぐあとハグミが、ミッシェルでは言えなかった事を全て言ってくれた。
「それなんですけれども、やはり依頼の度にこちらに出向いて貰うのも面倒だと思うので、これから依頼の際は橙のイールドでの通信を用いてみてはいかかでしょうか?」
「……え?」
「リオスト国の移動費の削減にも繋がりますし、私どもといたしましても色々と手間が省けます。悪くない提案だと思うのですが、どうでしょうか?」
ミッシェルは、『すげえ』と思った。
橙のイールド。音を発するイールドでの、遠距離通話。それで仕事の依頼をしろと言っているのだ。
通信自体は、既に行っている。だからこそ、アルカンシエル内部までの案内係を派遣できるのだ。しかし、通信での依頼は行っていなかった。
理由は単純。書面での依頼の方が確実であり、ミスも減るからだ。それでも、ハグミはミッシェルのためにこの方法を提示した。
国費の削減。大使である以上、自国の利益となる提案を示された場合、他の理由がない限りそれを受けなければならない。
受けなければ、無能な大使であるとアピールするようなものだからだ。
そんな事をすれば、当然自国での立場も危うくなるだろう。
太った大使が口を滑らせた、『少し国費はかさむ』という言葉。それを使って、以後アルカンシエルを直接来訪する事を、ハグミは体良く禁じたのだ。
アルカンシエルが、特定の国としか行わない方法。つまり、リオスト国を特別扱いしたのだ。大使として来ている男に、もはや選択肢は無かった。
「よ、良い提案だぁ。そうするよぉ……」
「ありがとうございます。では、上の者にそう伝えておきますね」
「あぁ、よろしく頼むよぉ……それでは」
リオスト国の大使は、がっくりと肩を落としながら、案内係に誘導され人ごみの中へ消えていった。
ミッシェルは、キラキラした瞳でハグミに感謝の意を述べた。
「ハグミさんまじ最高っす! あざした!」
「うふふ。可愛い可愛いミッシェルが困ってるんだもの。捨て置けないわ」
「ハグミさぁん!!」
ミッシェルは、思わずハグミに抱きついた。大きい毛玉のような尻尾をフリフリと揺らし、包容力の塊のような女性に甘える。
「あらあら。子供みたいね」
ハグミはクスリと微笑むと、ミッシェルの髪を優しく撫でる。
「それにしても、ハグミさんくらいの地位になると、顔が広いんすねー。あのオッさんにも会ったことあるなんて」
「そんな事ないわ、たまたまよ。さて、私は今の件を総司令官に伝えに行くわ。外交でしでかしたことだからね」
「え、ハグミさんしてくれるんすか!? まじ感謝っす! 総司令官も、なんか、エロいこと言ったりするんで……」
「……あの人の寝ぼすけ具合にも、困ったものね。注意しておくわ」
ハグミは、最後にミッシェルの髪をひと撫ですると、優しい笑顔で手を振りながら去っていった。
「ハグミさん、やっぱすげえなー。よし、私も頑張るか!」
ミッシェルは、気合いを入れ直す。いつか自分も、あんな素敵な女性になってみせるのだ。
そうして今日もミッシェルは、退屈で重要な業務をこなして行く。




