7-11 トップの一角 ★
雑貨屋を出て、ラウィとサッチの二人は薄暗くなり始めたクルードストリートを歩いていた。
陽が落ちかけているというのに、人の数は減るどころか増える一方であった。このクルードストリートはもしかしたら、夜になってからが本当の姿を現わすのかもしれない。
所々で黄色のイールドが道を照らし、昼とはまた違った顔でラウィとサッチの目を楽しませてくれる。
すれ違う人々もだんだんと変化してきた。子供の気配は消え去り、男女の二人組が多くなってきた気がする。
かくいうラウィたちも、二人で並んで歩く男女のウチに入っているのだが。
「なんだ。夜になっても店はやってんのか。慌てて損した」
サッチが、先ほど買ったばかりの藁で編まれた籠をもてあそぶ。露店に飾られた色とりどりの光によって、その籠も次々と表情を変える。
相変わらずの活気であった。
肌寒い夕暮れ時にも関わらず、その喧騒はとどまるところを知らないようにクルードストリートという場所を盛り立てていた。
「な、なぁ、ラウィ」
「うん?」
ラウィは、ふと名前を呼ばれてサッチの方を見る。サッチは何やら視線を泳がせていた。
唇をもごもごと動かしている。何かを言い淀んでいるようだ。少しして意を決したのか、ゆっくりとその口を開く。
「せっかくだから、さ。どっか入ろうぜ。ほら、少し寒いし。こんなに色んな店があんのに素通りすんのももったいねえだろ?」
「え? でも、アルカンシエルと違ってお金がいるんじゃないの?」
「……えっと、少しくらいならアタシが出してやるよ。な、行こうぜ」
サッチは周辺を軽く見渡す。そして、気に入った店があったのか、一つの建物を指差す。
「あそこがいいな。他と違って室内みたいだし。紅茶も飲めるらしいぞ」
ラウィはその店を見る。サッチが指さしたのは、年季の入った木造の喫茶店らしき店だった。
地面に直接商品を並べたり、屋根があっても布で覆っているだけの簡易的な露店が立ち並ぶ中、そのしっかりとした建造物は一際目立っていた。
紅茶の専門店のようで、色んな種類の茶葉が大きな瓶に詰められ、外から見えるように大量に並べられていた。
確かに、あそこなら暖が取れそうだ。
ラウィはサッチの提案を了承した。少しだけ表情が明るくなったサッチとともに足早にその店へ向かっていく。
しかし、二人は紅茶の専門店に入ることは叶わなかった。
なぜなら。
「やっと見つけたでやんすよ。まったく、苦労させるんじゃないでやんす。何様でやんすか」
なんか変な生き物が行く手を遮ってきたからだ。
「……なんだこいつ?」
サッチが、目の前の不思議で若干気味の悪い物体を見て声を漏らす。
無理もなかった。
突然二人の目の前に立ち塞がったその珍妙な生き物は、全身真っ青であり、やたらひょろ長い体躯をしていた。
服は着ていない。なんというか、手足が生えた蛇が二足歩行で歩いている様に見えた。色はおかしいが。
反面、頭部はその細い体に似合わないほど大きく、酷くアンバランスな印象を受けた。
「獣人……なの?」
ラウィは、蛇の獣人など聞いたことも無かった。
そもそも、獣人とは、「獣の形をした人」である。蛇は獣ではない。一体このつやつやした青い生き物は何なのだ。
「何言ってるでやんすか。どっからどう見てもステキなジャンス様でやんす! 獣人とかそういうくくりには収まらない無限の可能性を秘めた超常な存在なのでやんすよ。失礼でやんす。しょうかないでやんすね。ハチミツを奢ってくれたら許してやってもいいでやんすよ?」
「そうか」
サッチはそれだけいうと、気持ち悪い生物を素通りする。その鬱陶しい行動と台詞に、構っているだけ時間の無駄だと判断したようだ。
ところが。
「待て待て、でやんす。人の話はしっかり最後まで聞くものでやんすよ」
音も無く。その手足の生えた蛇はサッチの目の前に回り込んでいた。
「ッ!?」
サッチは、突然の事態に思わず後ろへ下がる。
ラウィも、その生き物の動きに驚愕を隠せなかった。
(まったく見えなかった。速すぎて目が追いつかないとか、そんな次元じゃない。完全に、見えなかった)
ラウィとサッチは、肩を並べてその青い蛇を睨む。籠を肩にかけ腰を落とすと、警戒態勢に入った。
それに対しその不恰好な生き物は、努めて小馬鹿にする様に言葉をまくしたてる。
「お、ジャンス様とやり合うつもりでやんすか? 勇気は讃えてやるでやんすが、それは無謀ってやつでやんすよ。まったく。ジャンス様が大空の様に広い心を持っているから許してやったものの、普通の奴だったらブチ切れてるでやんすよ。感謝してほしいでやんすねー」
「何なんだよこいつは。クソうぜえな」
サッチが悪態をつく。ラウィも、この気持ち悪くでかい変な蛇に対し、いい感情は持ち得なかった。
「せっかく探してやったのに、その言い草は無いでやんす。あ、もしかしてあれでやんすか? せっかく二人きりのデートを楽しんでたのに、ジャンス様がお邪魔――」
そこまでだった。
ドンッ! と、地面が爆ぜる音がした。
サッチが、目にも留まらぬ速度で気持ち悪い生物に飛びかかったのだ。
しかし、それでは圧倒的に遅い。
ラウィの目で飛びかかった事がわかってしまう程度の速さでは、その変な蛇には届かない。
サッチの拳は、一瞬前まで蛇の大きな頭があった空間を突き抜ける。しかし、既にそこには何も存在していなかった。
「舐めるなでやんす。お前なんかの攻撃がこのジャンス様に当たるわけが無いのでやんす。よっぽど二人きりの時間を邪魔されたのに怒って――」
ボン! と空気を叩く音がした。サッチの攻撃を避けた珍妙な生き物を狙ったサッチの拳が唸る音である。
しかしその連撃も、空中を虚しく通り抜けた。
サッチは、次から次へと攻撃をかわす蛇を追って拳や足を降り回し続ける。しかし、一撃たりとも当たらない。かすりもしない。
あのベクターでさえ全てを避けることは不可能で、剣や鞭で捌いていたサッチの攻撃が、だ。
「やややややややややややややややややややややややややんすでやんす!!!」
「あああああああああああッッ!!! うぜぇぇぇぇぇッッッ!!!!」
ラウィは、暴れ回るそんな二人(?)の様子を眺めることしか出来なかった。サッチの速度ですら、ラウィは全くついていけないのだ。神術膜を足に展開させようとも、あそこまでの速度はラウィにはまだ出せない。
呆然とその風景を眺めるラウィの耳に、誰かの声が届いた。騒がしい光景に集まってきた野次馬のものである。
「お、ジャンスさんじゃねーか。相手の女の子は誰だ? 新入りかね?」
「ははは。やれやれー!」
「さあさあ賭けた賭けた!! どっちが勝つか、自分の直感を信じろ!」
ラウィは、その光景に疑問を持つ。どうやら、あのジャンスと名乗った気色悪い生物は、クルードストリートでは友好的に扱われているようなのだ。
ラウィは、近くにいた人に尋ねてみた。
「ねえ。あのジャンスって生き物は何者なの?」
「ん? 君も新入りの神術師かい。ジャンスさんはね、アルカンシエルの五番隊の隊長らしいぞ」
「ご、五番!? 五番隊だって!?」
ラウィは思わず声を大にする。
アルカンシエルの五番隊。七百を超えるという部隊を有するアルカンシエルの、五本の指に入る最上位の部隊を率いる隊長だ。
有り体に言ってしまえば、めちゃくちゃ強いのである。
アレスが言っていた『最上位の隊長たちはほとんど化け物』という言葉の意味を、ラウィは少しだけ理解した。
そして同時に、愕然とした。
(あんな変な生き物がアルカンシエルのトップの一角なのか……)
ラウィはジャンスという珍妙な蛇を呆れた眼差しで眺める。不気味なほど長い手足でぴょんぴょんはね回りながら、サッチの猛攻を全て避け切っていた。
「やんすっ、やんすっ、ほーれやんすぅーーっ」
「ちょこまかすんじゃねぇぇぇぇッッ!!」
(……大丈夫なのかな、この組織)
ラウィは、少しだけ不安に陥った。
――
「はぁ……はぁ……」
結局、サッチとうざい生き物ジャンスの私闘は、サッチが疲れ果てて諦めるまで続いた。
最終的に、サッチは一度たりともジャンスに攻撃を当てられなかった。地面にへたり込んでしまっている。
「ちく、しょう……何なんだよ、こいつ……」
肩で息をするサッチとは対照的に、ジャンスは元気一杯の様子である。手足をパタパタ降り、体をクネクネと揺らしながらサッチを煽り続ける。
「だーかーらー。ジャンス様がお前程度に遅れを取るわけがないのでやんす。もっと現実をしっかりと認識しろでやんす。天才のジャンス様は天才だから天才と呼ばれてるのでやんすよ。ハチミツ持って出直してこいでやんす。まったく、デートなんてしてる暇があったらジャンス様に贈る貢ぎ物の一つでも選んでおくでやんすよ。ハチミツじゃなくても、紳士のジャンス様は受け取るでやんすよ。それがジャンス様のジャンス様たる所以でやんすからね。いやー流石でやんすね。自分で自分が恐ろしいでやんす」
(だめだこの生き物。やばい)
ラウィは、思わず唖然とする。次々と言葉をまくしたてる目の前の珍妙な生き物に、驚きと呆れを隠しきれない。
一方サッチは、本気の殺意を込めた瞳でジャンスを睨んでいた。心の底から鬱陶しいジャンスの動作に破壊的な衝動がなおも掻き立てられているようだ。
しかし当のジャンスは、思わず震えがってしまうようなサッチの眼差しを受けてなお、おちゃらけた様子で話しを続ける。
「おー怖い怖いでやんす。あ、そうでやんす。ジャンス様がここに来た理由を思い出したでやんす。お前らに伝えることがあったのでやんす。帰りが遅いってアレスの奴が心配してたのでやんすよ」
「え?」
「じゃ、それだけでやんす。ジャンス様は帰るでやんすよ」
その青い蛇は、本当にそのまま姿を一瞬で消す。ヒュオッと、風を感じた。完全に視認不可な速度で走り出したのだろう。
「……あんの蛇もどき……いつかぶっ殺してやる……どいつもこいつもアタシをおちょくりやがって……」
サッチが、どこか遠くを睨みながら呻くように呟く。その顔は、怒りとともに明らかな疲労の色が見て取れた。
ラウィは藁で編まれた籠をその手から提げながら、不機嫌な様子のサッチに声をかける。
「そういえばアレスは、これから僕達が過ごす部屋の掃除をしてくれてるんだっけ。なんか悪いし、もう帰ろっか?」
ラウィは、タイナ村でサッチに体を張って村人の報復から守ってもらってから、誰かが自分のために行動を起こすということに、感謝や申し訳なさを感じるようになっていた。
ラウィという人間は、とにかく純粋であり、染まりやすいのだ。良いことも、そうでないことも。
「……あのクソ蛇が……何処までもアタシの邪魔しやがって……」
サッチは、本当に忌々しそうに言葉を吐き捨てる。よっぽど紅茶が飲みたかったのだろう。陽が落ちてより冷え込んできたし、当然だ。
少し不憫に思えたラウィは、サッチを励まそうと一つ提案をする。
「まあ、紅茶は一人でも、なんなら持って帰ればアルカンシエルでも飲めるじゃんか。買っていけば?」
「それじゃ意味ねえだろクソが。死ね!」
「!?」
思いがけず突然罵声を浴びせられ、硬直したラウィに背を向け、元来た方向へさっさと歩き始めるサッチ。
「あ、ジャンス様のハチミツ忘れるなでやんす!」
そんな彼女の前に、再び青い生物が瞬間で姿を現す。
「帰れ!」
サッチの怒声は、橙の空に響きわたった。




