7-7 親娘
――
レーナは、ラウィたちと別れてすぐ総司令官室へとやって来ていた。
父親であるナダスに聞きたい事があったからだ。
総司令官室の大きな木製の扉を四回ノックし、ギィッ……と重い音を奏でながら押し開けた。
「失礼します」
抑揚の無い、事務的な声で入室の挨拶をする。そのまま、ナダスが腰掛ける総司令官席まで、紅い絨毯の上をスタスタと歩いていく。
「総司令官、お聞きしたい事があります」
「なんだ? レーナ隊長」
ナダスは、コーヒーを片手に書類に何かを書き込んでいた。そして、レーナと全く目を合わすことなく淡々と聞き返してくる。
およそ親娘とは思えない、堅苦しい上下関係に縛られた会話。
ナダスとレーナは実の親娘であったが、それ以前に、この場では総司令官と一部隊の隊長なのだ。
二人は、真面目であった。職務である以上、立場をわきまえて行動をする。
そこには、父親だからだとか、娘だからだとか、そういう感情が全くと言っていいほど入り込んでいなかった。
「本日より自分の隊に配属された二人のことで、少し」
「何か不都合なことでもあったか?」
「いえ、不都合とまではいかないのですが……二人が自分の隊に配属された理由をお聞かせくださいますか?」
レーナの言葉に、ナダスは書類を書く手を止める。芳しい香りのコーヒーをすずっとすすり、レーナをチラと見やった。
「何も特別な理由など無いよ。レーナ班は、現状二人しか所属していなかったろう? 当然の采配だと思うが」
「……そうですね。失礼しました」
レーナは、頭を軽く下げる。そして、そのすぐあと、矢継ぎ早に言葉を紡いだ。
「じゃあ、お父さん。今度は娘として聞きますね。何で二人をウチに入れたんですか? 前に言ったと思うんですけど、私は……」
「隊長なんてできない。辞めさせて欲しい、か?」
ナダスが、その黄色い瞳でレーナを射抜く。その眼差しは、決して怒っている訳ではなかったが、レーナは思わず謝罪してしまいそうな威圧感を感じた。
「……そう、です。私には、隊を率いる自信がありません。怖いん、です……」
消え入りそうな声で、そう呟く。
アレス以外の、全ての仲間を失くしてしまった。その余りにも残酷な事実は、年端のいかない少女の心を縛り付けているのだ。
一つの間違った判断で、全部壊れる。
隊長ともなれば、その責任の大きさは比べものにならない。
隊員全員の、命を預かるのだ。
そんな大層な役目、自分にはできない。そうレーナは思っていた。
ラウィとサッチの前では気丈に振る舞っていたが、レーナは内心怖くて仕方がなかったのだ。
自分の隊に入ってしまったせいで、不幸な目に遭ってしまうのではないか、と。
「怖い、か。そうだろうな。そうでないと困る」
「……え?」
ナダスの言葉に、純粋に疑問の声を漏らすレーナ。
「隊長という位。その責任の重さ。それをしっかりわかってる奴じゃないと、隊長なんて任せられない。レーナ。お前なら大丈夫だ。きっとできる」
ナダスは、レーナのその柔らかい髪を撫でる。愛おしそうに。心の底から愛でるように。
レーナは、自分の頬を覆うその大きな手を握った。そして、おずおずと、叱られるのが怖い子犬のような目で、ナダスに聞き返す。
「お母さんや隊のみんなが死んでから、ずっといじけてて、ほとんど任務もしなかった私でも……?」
「ああ。それはお前が命の尊さをしっかりと理解していたってことだろう? 何も責めるような事じゃない。ただ、そろそろ乗り越えてもらわないとな」
目を細めて、レーナを見つめてくる。
レーナは、そんなナダスに何も言えなかった。
ナダスも、最愛の妻を亡くしているのだ。それにもかかわらず、総司令官としての職務を休む事なく続けていた。
自分とは違って。
アレスにも、大きな迷惑をかけてしまった。仲間を失った悲しみは、同じはずなのに。
立ち直っていなかったのは、自分だけ。
全く、嫌になる。どうして、こうも自分は弱いのか。
「わかり、ました……自信は無いですけど、できる限りやってみます」
「頼んだぞ。頑張って乗り越えてくれ。あいつらの死を、母さんの死を、お前から元気を奪う要因にしないでやってくれ」
「……はい。しかし……」
レーナは、ナダスの手を握ったまま、彼の言葉を一つだけ訂正した。
「私は、みんなの死を乗り越えられるほど強くありません。背負っていきます。引きずりながら、それでもしっかり前へ進んでいきますよ」
そのレーナの答えに、ナダスは、フッと笑う。
「それでこそ、レーナだ。優しいな。母さんそっくりだ」
レーナも、ナダスに笑い返す。
その手を、握ったまま。
潰れてしまうほど、全身全霊の握力で。
締め上げるように。
「レ、レーナ? あの、ちょっと痛いんですけど」
ナダスは、自分の手を握りつぶさんと締め付けてくるレーナに、苦痛を滲ませた声で問いかける。
レーナは、相変わらずの、もはや貼り付けたような笑みで口を開いた。
「それはそうと、サッチがお父さんのことをエロオヤジって言ってたんですけど、何か言い訳はありますか?」
ナダスは、ぶっ! と思わず吹き出した。万力のようにギリギリと引き締めてくるレーナの小さな手のひらから逃げようと暴れるも、レーナは決して離さなかった。
単純な戦闘力だけを見た場合、娘であるはずのレーナの方が圧倒的に上なのである。
その華奢な体のどこからそんな力が湧いてくるのか、レーナの手は、ナダスの骨をミシミシと嫌な音を立てて軋ませる。
「い、いだだだだ! ま、待てレーナ。それはだな、その、何も覚えてなくて……」
バシッ! と、気持ちいいほど快活な音が司令官室に響き渡る。レーナのもう片方の手が、ナダスの頬を張り倒した音だった。
「何も覚えてない!? 非礼にもほどがありますよ!」
「ひ、ひどいよレーちゃん……さっきまでのしおらしい感じは一体どこへ……?」
ナダスは、娘に張られた頬を涙を浮かべて撫でる。その姿には、もはや威厳など欠片も見当たらない。
ナダスは、重度の親バカなのであった。
「うるさいです! 娘と同年代の子になにをしたんですか!」
レーナは、父親を尊敬している。先ほどのやりとりも、父親をより敬う事となった。
しかし、それとこれとは話が別である。
「レーちゃん、勘弁してくれ! 本当に覚えていないんだよ!」
「だから、それならなおさら問題なんですよ! しかも、サッチすごく可愛くて大人びてる子でしたよ!? お母さんがいなくなったばかりだっていうのに、なにをしてるんですか! 全て白状して、お母さんとサッチに謝罪してください!」
「違うんだぁーっ!! 誰か説明してくれぇーっ! アレス! アレスーーーーッ!!!」
ナダスの悲痛な叫びは、総司令官室から全く漏れることはなかった。




