7-3 少年の期待と少女の不安 ★
「まったく……神術膜使ってるなら初めから言ってよ!!」
ラウィは、歩きながらサッチに不満をぶちまける。その息は荒く、体力を消耗していたことが伺える。
三人は七階に辿り着いていた。
そこで、ラウィがサッチとアレスに、その謎の体力について問いただしたところ、二人とも神術膜を使用していたことが発覚したのだ。
「いや……アタシは無意識だよ。っていうか神術膜なんて名前も初めて知ったし」
サッチが、怒り心頭のラウィに向けて弁解する。
「そもそもさ、ラウィ。こんな変な力持っておいて、それを日常で利用しようとか考えなかったのかよ?」
「使ってたよ! 雨が降ったときは操作してたし、川から魚を捕ったりもしてた!」
「……発想力が貧困なんだよ」
サッチはため息を漏らす。
確かに、サッチに比べると、ラウィは神術というものを駆使していなかったように思う。
サッチは、日常的に神術を使って人助けをしていたらしいし、人の危機を嗅ぎつけたりしていた。
今思えば、サッチの人間離れした脚力は神術膜を使用していたからなのだとラウィは気づいた。
「まぁまぁ。アルカンシエルには玄人の神術師がたくさんおる。その人たちに教えを乞うて、これから成長していけばええんや」
アレスが、言い合いをしている二人をなだめるように話に割って入る。
「……頑張るよ」
ラウィがぶすっとしたように返答する。それに対しアレスが、ニカッと笑みを浮かべる。
「その意気や。さて、着いたで。ウチの隊長、レーナが、ここにおるはずや。紹介するで」
アレスが、一つの扉に手をかける。その扉の上には、『書庫』と書かれた簡素な表札が貼り付けられていた。
ギィッ……と重そうな音を上げながらアレスは扉を開いた。三人は、書庫の中へと入っていく。
中は、程よく暖かかった。暖炉が見える。そこでは、パチパチと、薪が燃えていた。本が集まるところなのに、火を使って良いのだろうか。
少しカビくさい。また、古い紙が発する特有の匂いもラウィの鼻に届いたが、ラウィはこの匂いが別に嫌いではなかった。
薄暗いとまでは行かないまでも、外に比べたら、やはりその明るさは幾分か劣る。しかし、本を読むのなら、これくらいがちょうど良いのだろう。
「いつ来ても辛気臭いところやで。レーナは、大体いつも同じ席で読んどる。ついでに覚えとき」
アレスはそう言うと、奥の方に見える暖炉の近くへと歩いていく。ラウィとサッチも彼について行く。
暖炉の周辺では、机や椅子が円形に並べられ、そこで読むことが出来るようになっていた。数人が、それぞれの本を静かに読んでいる。
その一番暖炉に近い、暖炉のすぐ右側。そこでは、一人の少女が椅子に腰掛け、頬杖をついてやたら分厚い本を読んでいた。暖炉の炎に照らされ、その顔はちらちらと瞬いている。
ラウィはその少女を見て思わず、綺麗だ、と感じた。同時に、今にも消えてしまいそうな陽炎のような印象も受ける。
アレスは、その儚げな少女に声をかけた。
「レーナ」
声をかけられた少女は、本に落としていた視線を持ち上げ、振り向いてくる。
その少女は、まだあどけなさの残る顔に、薄い黄色の瞳が暖炉に照らされ輝いていた。クリーム色の腰のあたりまで伸びた髪を耳にかけると、透き通るような声で口を開く。
「あれ、アレスじゃないですか。どうしたんですか? こんなところで。珍しいですね?」
「やかましいわ。それよりちょっとええか? 紹介したい奴らがおる」
レーナと呼ばれたその少女は、アレスから目を離すと、その後ろに立っている二人の少年少女を覗き込む。
「新入りの方ですか? よろしくお願いしますね。レーナと言います」
「ラウィだよ。よろしく」
「サッチだ」
簡潔に自己紹介を済ますラウィとサッチ。そこで、アレスが口を挟んでくる。
「お? サッチ、何で自分から自己紹介したんや?」
「あ? アタシらの隊長なんだろ? 礼儀を通しただけだよ。何かおかしいことあるか?」
「俺の時は何も言わへんかったのに!」
「まだ同じ隊になるとは決まってなかっただろ。うるせえな。書庫では静かにしろよ」
サッチの言葉にレーナがピクッと反応する。眉をひそめ、訝しげに口を開いた。
「同じ隊……?」
「あ、そうやで。この二人は、ウチに入ってもらう事になったんや」
アレスの返答に、レーナは少し考え込むような仕草をすると、すっと立ち上がった。読みかけだったであろう分厚い本を閉じ、ラウィとサッチに語りかける。
「なるほど、わかりました。書庫では他の皆さんのご迷惑ですね。ちょうどいい時間ですし、食堂に行きましょうか。詳しい話は、そこでさせてもらいますね」
レーナが閉じた古びた書籍を、ラウィは一瞥する。かすれてはいたが、それにはタイトルが書かれていた。
『寒冷な地方に生息する薬用・食用植物の恒久的栽培方法とその応用に関する多角的研究と報告 著・ノースレビー=リドル=グレンリヴェット』
ラウィは、その意味を全くもって理解できなかったが、不思議とラウィを惹きつけた。
知らないことを知れる。ラウィは、知識欲が旺盛なのである。
十四年の人生の中で、ラウィはあまり何かを学ぶという機会に恵まれなかった。これは、その反動なのだろうか。
ラウィ、サッチ、アレスに加え、隊長のレーナを含む四人は、ほの暗い書庫から、陽光と寒気が差し込むロビーへと出る。
(これから、この場所にはお世話になりそうだ)
ラウィは、『書庫』と書かれた表札を見上げて、そんなことを思った。
アルカンシエルでの生活スタイルはまだわからないが、暇さえあれば書庫へ通おうと、ラウィは決めた。
レーナが、明るい場所に来たことによってより色が鮮明になった、黄色より更に白っぽい柔らかそうな髪を風に揺らし、他の三人に声をかけた。
「私は、この本を自室に置いてきます。アレス。申し訳ないですが、二人を食堂へ案内してあげてくれますか?」
「わかったで」
レーナは、例のやたら分厚い本が重いのだろう、その細身な身体を後ろに傾けながらどこかへ歩いて行った。
「じゃ、俺らは先に行っとくか。待ちに待った飯やで!」
「やった! ご飯が食べれる!」
アレスとラウィは上機嫌で、食堂と思われる方向へ歩みを進めた。
「……あのラウィの腹を満足させられるのか? ここは」
サッチは、不安そうに呟いた。
――
レーナは、二日ほど前から読み始めていた、植物に関する文献をベッドの上にどさっと置いた。
重たかった。まったく、書庫と自室が近くて本当に助かる。
ここは、レーナが長を務める隊のためだけの部屋。そのさらに奥に存在する、レーナの自室である。
とはいえ、ベッドと簡単な鏡台、小さな本棚があるだけの小さなスペースである。
レーナは、ベッドに置いた分厚い本の横に腰掛ける。その柔らかい素材は、レーナの軽い体重を優しく支えた。
「お父さんは、何を考えているの……?」
何故今更になって、自分の隊に新しく人員を補充したのだ?
しかし、決まってしまったことは仕方がない。ここまで来て他の隊への入隊を勧めるのは失礼だ。
(待たせているし、すぐに行かないと)
レーナは、座ったばかりのベッドから立ち上がる。自室から出ると、隊員たちが談笑するために使われていた談話室を横切って、外へと繋がる扉に手をかける。
今はすっかり静かになってしまった空間を悲しそうな眼で一瞥し、レーナは食堂へと向かった。




