6-8 これからの未来
翌朝。
一つの影が、口を開けてだらしなく眠っているラウィの側に立つ。
「ぶはっ! 冷たっ!」
ラウィは、仰向けのまま吹き出した。
それもそのはず、ラウィは、何者かから器一杯の水をぶっかけられたのだ。
深夜まで続いた昨晩のお祭りを終え、ラウィは再びドーマとサナの家に泊めてもらえることになった。
人生最高の満腹感とともに、ラウィは布団に入ると、秒単位で深い眠りに落ちた。
そしてそのまま、朝を迎えたのである。
「何これっ、冷た……」
ラウィは、ぐしょ濡れとなってしまった髪をかきあげ、顔面の水気を手のひらで軽く切る。
そして、ラウィは目の前に明るい橙色を確認する。サナの髪であった。
小柄で快活な少女が、いたずらっぽい笑みをこちらに向けていた。
「へっへー! ラウィおはよう! こないだのお返しだよ!」
そう言って水が入っていた容器を片手で弄ぶサナ。
そういえば、初めてサナと会った時、競走でサナに負けそうになって彼女に水をぶっかけてやったことをラウィは思い出す。
「お返し、か。やられたよ!」
「へっへーん。どんなに起こしても起きないラウィが悪いんだからね!」
寝起きの悪いラウィを叩き起こすために、サナはラウィに水をお見舞いしたのだろう。
そのあまりの冷たさからして、まだ春も始まっていない凍えるような季節に流れる、凍てつくような川から取ってきたばかりのものだろうとラウィは予想する。
サナは、今までの表情から一転して落ち着いた表情でラウィに問いかけてくる。
「ねえ、ラウィ。本当に、もう行っちゃうの? 別に迷惑じゃないし、もう少しゆっくりしてっても良いんだよ?」
「いや、もう決めてるんだ。そもそも最初は一泊もするつもり無かったしね」
「そっか……」
サナは顔を俯かせる。
子供っぽい彼女のことだ。まだ、遊んだりしたいのかもしれない。
しかし、ラウィもやらなければならないことがある。サナには悪いが、ここでずっと立ち止まっているわけにはいかなかった。
サナは、そんなラウィの事情を察してか、それ以上引き止めてこなかった。代わりに、一つの提案をしてくる。
「じゃあさ、ラウィ。これから、ちょっとだけ時間いいかな?」
「なに?」
「ついてきて欲しいところがあるの」
「えーいやだよ。すぐに出たい」
しかし、ラウィはサナの頼みを速攻で切り捨てる。
何度でも言おう。ラウィはわがままなのである。特別な理由が無い限りは、ラウィは自分の事情を優先させる。
「……そういえば、ラウィはこういう人だったよね」
サナが頭を抱えながら引きつった笑みを浮かべる。
「よし、わかったよ。着いて来てくれたら、お弁当あげるから」
「行くよ!」
ラウィは即座に答える。ハッキリと、嬉しいそうに。
サナは、ラウィの扱いに慣れてきたようだった。
数十分後。
ラウィとサナは、村のはずれに向かって歩いていた。
そこに、この村の墓地があるらしい。
サナによると、『羽化の日』に亡くなったらしい、父親のお墓に来て欲しいとの事だった。
ラウィとサナは、何だか少し開けた土地に出た。なんとなく雰囲気でラウィは、ここが墓地なのだと察した。
更に少し歩くと、沢山の石碑が見えてきた。大小様々な、角ばった石材たち。
色とりどりの花が活けられ、食べ物などが供えられているようだ。
簡単な柵で囲まれた墓地の入り口らしき場所に、一人の男が立っていた。ドーマである。
朝から見ないと思ったら、どうやら先に墓地へ向かっていたようであった。
花や、水の入った桶など、必要なものを揃えていたのだろう。
「よおラウィ。わざわざすまねえな」
「いや、いいよ。お弁当に釣られただけだし。まあ、行き先がお墓って最初から知ってたら、流石にお弁当無しでも来てたと思うけどね」
「ははは。本当かよ?」
軽く雑談を交わし、ドーマに連れられて墓地へと入っていく。
ドーマとサナとラウィ。
三人で、綺麗に並んでいる墓石の横を歩いていく。
ここでラウィは、進行方向に、見覚えのある姿を確認した。
胸のあたりまで伸びた黒髪に、すらっとした体躯。瞳が橙色に染まっている可憐な少女が、一つの石碑を悲しそうに見つめていた。
「あれ、サッチもいるよ?」
「うん、私が呼んだの。サッチにも、是非来て欲しかったから」
ラウィの疑問に、サナが答える。
ラウィたちの接近に気が付いたサッチは、視線を逸らして少し石碑から離れた。
ラウィは、サッチが見つめていた墓石に目をやった。
ランドル=フローラ 此処に眠る――
そう刻まれた石碑がそこにはあった。
彼女は、サナとドーマの父親の墓を見ていたのだ。
そんなサッチに、サナが穏やかな声色で声をかける。
「サッチ、ありがとう。来てくれて」
「気にすんなよ。アタシも、お前の親には言っておきたい事があったんだ。先に、やることやっちまえよ」
「そうだね、ちょっと待ってて」
そう言うとサナは、ドーマと共に石碑を掃除し始める。その手つきは、やたら手慣れていた。
水を替え、新しく花を活ける。石碑にこびりついた砂などを拭き、水を流す。
枯葉や枝なども拾い、テキパキと仕事をこなしていった。
そして、一通りの作業を終えたのだろう、サナが綺麗になった墓石の前へ立つ。
そして、手を合わせて、落ち着いた声で誰かに語りかけ始めた。
「お父ちゃん、久しぶりだね。今まで来てあげられなくてごめんね。向こうでお母ちゃんと仲良くやってる? 喧嘩しちゃダメだよ? ……私はもう大丈夫だから、心配しないで。私、強くなるって決めたの。誰かに心配されるだけじゃなくて、誰かを心配して、助けてあげられるくらいね。だから、安心して見てて」
その声は、ラウィの知っているサナのそれとはほど遠かった。大人っぽく、慈愛に満ちた声。
サナはこんな声も出せるのか、とラウィは人知れず感心していた。
そして、サナがこちらを振り返り、いつもの調子に戻った声でラウィたちに話しかけてくる。
「おまたせっ。ごめんね、長くなっちゃった」
「いや、構わねえよ。アタシもちょっといいか?」
サナと入れ替わるようにして、今度はサッチが墓石の前に立つ。
今まで小柄なサナが居たせいなのかはわからないが、サッチがやたら大きく見えるとラウィは思った。
サッチは、呟くように、懺悔するようにその場で口を開く。
「悪かったな、守ってあげられなくて。アタシの選択次第では、死ななくて済んだかもしれなかったのに……本当に、ごめんなさい」
たったそれだけ言うと、サッチはくるりと踵を返して石碑から離れる。
そんなサッチに、サナが慰めるように声をかける。
「サッチ。お父さんはきっと感謝してるとおもうよ。この村を守ってくれてありがとう、ヒーロー。ってさ」
「……なら良いがな。ありがとよ」
その後、ドーマとラウィも石碑に手を合わせた。
墓地を後にした四人。水の入っていた桶などを返却したあと、村の北へ向かった。アルカンシエルのある方角である。
村の最北端に着くや否や、ドーマがラウィの肩に腕をまわし、語りかけてきた。
「ラウィ。達者でな。絶対に姉貴を探し出してやるんだぞ」
「言われるまでも無いよ。ドーマこそ、元気でね。たまには遊びに来るよ」
ドーマは、ラウィの蒼い髪をわしゃわしゃと掻き乱す。ラウィも、それを甘んじて受け止めた。
その隣では、サナとサッチが話していた。
「サッチ、渡したいものがあるの」
「何だよ?」
サナは、自分のポケットから何かを取り出すと、それをサッチに見せる。
「これだよ。私のお母さんの形見の石だけど、サッチに預けておくね」
「!? 馬鹿かお前。そんなもの受け取れるわけねえだろ」
「勘違いしないで。これは、お守り。きっと返しに来て。ラウィのお姉さんを見つけて、その後にでも渡しに来て欲しい」
そう言ってサナは、サッチの手を取って、母親の形見の透き通った宝石のような石を無理やり握らせる。
「なんでそこまでしてくれるんだよ?」
「私にはまだ、これくらいしかできないからね。これは、サッチたちが使う変な力を抑える力があるのは知ってるでしょ? 絶対に、生きて帰ってきて欲しい。その助けに、少しでもなれば」
「……任せとけ。絶対に返しに来るよ」
サッチはその石をしっかりと握り、まっすぐな瞳でサナに約束した。
サナは、次にラウィの方を向く。
そして、肩からかけていた小さな鞄の中から、布に包まれた何かをラウィに突き出してくる。
「ラウィ。はい、お弁当」
「やった! ありがとう!」
「この子をよろしく頼んだよ、ラウィ。怪我させたりしたら、許さないからね」
サナに額を突かれる。
言われるまでもなかった。絶対に守ってみせる。
ここでラウィは、ふと気になっていた事をサナに質問した。
「……前から思ってたんだけどさ、サナってサッチの事を『この子』って言うよね。なんで?」
ラウィ自身意識したことはないが、何というか、サナにとって明らかに年上であるサッチを表す言葉としては不適当な気がしたのだ。名前の呼び捨てとか、『この人』とかならまだわかる。
しかし、『この子』だの『あの子』だの、何故サナがサッチの事をそんな呼び方をしているのかが、ラウィは少し気になったのだ。
そのラウィの問いかけに対しサナは、まるで何てこと無いかのようにさらっと衝撃の言葉を口にする。
「同い年だからね」
「……え?」
「私とサッチは一緒の歳なんだよ。小さい頃は遊んでたこともあるんだよ。サッチが男の子みたいな喋り方をするようになってからは、何か怖くて遊ばなくなっちゃったんだけど」
「え、ええええぇぇぇぇッ!?」
ラウィは、思わず驚愕を声に出して叫んでしまう。当然だ。体躯。行動。言動。どれをとっても、サナとサッチが同い年だという事とは余りにもかけ離れている。
そんなラウィの動揺を見て、サナが眉をひそめて不機嫌そうにラウィを睨む。
「なによ」
「いや、ちょっと待って……ねえ、サッチって今何歳?」
いきなり話を振られたサッチは、少しキョトンとしながらも、ラウィの質問に答える。
「あ? 十五歳だけど……なんだよ」
「う、嘘!? ……ってことは、サナは僕より年上っ!?」
ラウィは、開いた口が塞がらなかった。
ラウィは十四歳である。
サッチが十五歳なのは別に良い。納得ができる。大人びた身体をしているから。自分より年上だと言われても、そうですかと流すことができる。
しかし、サナも、サッチと同い年の十五歳なのだという。
ラウィよりも頭二個分は背が低く、ちょこまかとはしゃぎ回り、子供のような発言を繰り返してきたサナ。
そのサナが、自分よりも年上。にわかには信じがたい事実に、ラウィは奇異の目でサナを見つめる。
「……どういう意味よ。その目は」
「だって、信じられないよ。特に身長が――」
バキッ、と。
ラウィの顔面にサナの拳がめりこんだ。
「やめて。怒るよ」
「ご、ごめんなさい……」
どうやら、サナにこの話題は禁句のようだ。
「あーそろそろいいか?」
そこへ、ドーマが割り込んでくる。
「別れを惜しんでちゃキリがねえ。ここらで、一区切りとしようぜ。もう二度と会えないわけじゃねえんだからよ」
「……そうだね」
サナは、改めてラウィとサッチを見て、そして言った。
「またね! サッチ、ラウィ。元気でね!」
ラウィは、北へ向かいながらサナとドーマに手を振る。サッチもラウィの隣でサナ達を見ていた。
サナは、その小さな身体を目一杯使って腕を振っていた。
ずっと。だんだんサナの姿が小さくなっても、まだ腕を振っている事だけはわかった。
やがて、サナとドーマ、二人の姿が完全に見えなくなる。
もはや、四方全てが草原に覆われていた。見渡す限りの翠の景色。そんな中、ラウィは自分の目的を今一度見つめなおす。
あとは、アルカンシエルを探し出すだけ。
カルキの話では、あと二日もあれば着くはずである。
やっと、スタートラインに立てる。
少し寄り道をしてしまったが、サッチという心強い味方を得ることができた。
ラウィは、北の方角をまっすぐと見つめ、まだ見ぬアルカンシエルを目指して、サッチと共に歩き続けた。
そして、ふと、サッチがラウィに話しかけてくる。
「……なあ、ラウィ。アタシ、『蝉』って呼ばれるの気にいったよ」
「どういうこと? 何でまた。その呼び方は、悪口というか、良いものじゃなかったはずじゃないの?」
ラウィの言う通りであった。
本来、それはサッチを表す蔑称である。
ある日突然、羽化したかのように人が変わってしまったから、『蝉』。
遭遇する度に攻撃してくる、抜け殻の心を持った存在だから、『蝉』。
決して良い意味では使われていないはずである。
そしてそんな、ラウィの当然の疑問に、サッチは一つの答えを返す。
「アタシは、『蝉』みたいに、うるさく生きていきたい。たとえ明日死ぬのだとしても、短い時間しか生きれないのだとしても、最後の瞬間までやかましく馬鹿みたいに笑える関係を作っていきたい。そう思ったんだ」
それは、宣言であった。
いくら村の人を守るためとはいえ、村人を傷つけ、彼らから蔑まれ、孤独な時を過ごしていた二年間。
彼女は、もう二度と、そんなことをしなくても済むよう、誓うのだ。
最期の時まで、誰かと笑いあえる様な関係を築き上げると。
そのために、たとえどんな苦難でも乗り越えると。
そんなヒーローに、今度こそなってみせると。
「ラウィ。一回しか言わねえぞ」
「え? うん」
サッチは、立ち止まる。
ラウィも歩みを止め、サッチへと身体を向けた。
サッチの長く綺麗な黒髪が、優しい風に吹かれたなびく。サーッと、丈の短い草が清らかな音を奏でる。
サッチは、若干頬を赤く染め、それでも視線を逸らすことなく、乱暴な言葉でお茶を濁すこともなく、ラウィへ気持ちを伝える。
「ありがとう」
はにかみながら、照れながら、快活な笑顔でそう口にした。
その顔は、どこからどう見ても、可愛らしい、ただの少女のものであった。
二人は、再び草原を歩き出す。
残酷な運命を背負わされた少女は、とある蒼い少年によって救われた。
そして、これからは蒼い少年に寄り添い、その力を彼のために振るっていくのだろう。
そこには、幾つもの困難が待ち受け、沢山の人々が傷つく未来もあるのかもしれない。
しかし、彼らがそれらに屈することは決してないだろう。
『蝉』と呼ばれた少女と、わがままな蒼い少年。
二人のヒーローの、物語は続いていく――




