6-2 それでもあなたに微笑みを ★
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「ハァ……ハァ……」
ラウィは肩で息をしていた。
疲労困憊。満身創痍。半死半生。
無数の傷が身体中を舐めまわし、全身を真っ赤に染め上げている。
しかしラウィは勝ったのだ。この村に災厄をもたらす、その黒幕に。自分より遥か格上の神術師であるはずの、ベクターに。
わがままを貫き通した。
守りたいものを守った。
本来なら歓喜するところだが、ラウィにはまだやる事がいくつか残っている。
一歩ずつ、ともすれば倒れてしまいそうな両足にしっかりと力を込めて、歩く。
ラウィは、自分の渾身の拳によって意識を失ったベクターを、見下ろす位置まで彼に近寄った。ここで、ラウィにとある少女から声がかかる。
「……何するつもりだよ、ラウィ」
サッチ=リスナーである。
ベクターによって首を損傷させられたサッチは、一時的に身体を自由に動かせなくなっていた。
そんなサッチが、木に背中を預けながらラウィに問いかけてくる。
「そいつを、どうするつもりだ」
「決まってるでしょ」
ラウィは、ほとんど感情が読み取れない低い声で、呻くように返答する。
「眼を潰すんだよ」
ラウィは、うつ伏せとなっているベクターを足で乱暴にひっくり返す。そして、今は閉じている彼の両眼に片手を伸ばした。純粋な敵意でベクターを刺し貫く。
「全て、奪ってやる。こいつは、僕の守りたいものを傷つけ過ぎた。許してはおけないんだよ」
神術師は、目を塞ぐとその力を行使できなくなる。
サッチから聞いた、『羽化の日』の真実。その中に、瞳を塞がれたことで無力化されたサッチの話があった。
なら、眼球そのものを壊せば、二度と神術など行使出来なくなるはずだ。
奪う。
ベクターの、理不尽に強いその力も、彼の居場所も、プライドの象徴も、全て。
ラウィの言葉を聞いて、少し逡巡した様子のサッチだったが、やがて重苦しく口を開く。
「……確かに、こいつはそれだけの事をしてきた。文句は言えねえ。自業自得だな」
「それに、たとえここで逃がしたとしても、こいつはまたどこかで同じ事を繰り返すよ。だから、ここで終わらせてやるんだ」
そう宣言すると、ラウィは。
ベクターの、その翠に輝いていた双眼を、真っ赤に変えた。
もはや、自分のものか地に伏した男のものなのかわからない血液を滴らせるその右手。地下水を全身に浴び、身体中から赤い液体も垂れ流すラウィの全身はぐっしょりと濡れていた。
ラウィの熱を奪っていく。しかし、足りない熱を作り出そうとブルブル震える体で、ラウィは座り込むサッチに近寄っていく。
最後の仕事をするために。
「サッチ、帰ろう。君を手当てしないと。とりあえず、サナのところへ連れて行くよ。いいね?」
ラウィは、依然座り込んでいるサッチの手を取り、彼女を持ち上げようとするが――
「……あれ」
ラウィより体重の軽いであろうサッチを立たせる事は叶わなかった。それどころかラウィは、サッチに引っ張られる形で地面にうつ伏せで倒れ込んでしまう。
どう考えても、限界であった。
血が足りない。神力も足りない。気力も体力も、何一つ残りカスみたいな量すら残ってはいなかった。
傍に倒れこんだ蒼い髪の少年を見て、サッチは心底呆れたと言わんばかりに息を吐く。
「……どう見ても、俺よりお前の方が重症じゃねえか。待ってろ。少しだけど腕が動くようになってきた。もうすぐ全身動くようになるだろ。運んでってやるよ」
「はは……悔しいけどそうみたいだね。お願いするよ」
ラウィは乾いた笑いをこぼすも、サッチの気遣いを純粋に受け取った。もう力が入らない。本当にギリギリの攻防であった。
「ところでラウィ。何でお前の攻撃が急にベクターの野郎に効くようになったんだ? どういうカラクリだよ」
「……」
ラウィは少しだけ考えたが、レトのことは言わなかった。精神世界だとか、そこでカミサマを騙る存在に力をもらっただとか、そんな荒唐無稽なこと言いたくない。
それに、言ったところで信憑性など欠片も無い。第一、ラウィですらあの変な色の子供の存在が信じられないのだ。
だから、ラウィは適当にごまかすことにした。
「うーん……サッチを守りたいと思ったから?」
「真面目に答えろよ。今すぐとどめを刺してやろうか?」
「あはは。勘弁してよ。そんな事より、サッチ。アレをどう説明しよう?」
両眼からおびただしい量のドロっとした血液を垂れ流す、気絶したベクター。彼は、この村の代表者なのだ。
この村に巣食う『悪』である『蝉』の少女の脅威から村人を守る素晴らしい人物として通っている。そんなベクターを叩きのめした上に、その光まで奪ったのだ。完全に悪役の所業である。これを一から説明したところで、信じてもらえるわけがない。
そして。
どうやら、それを考える必要は無くなったようだ。
複数の足音が、こちらに向かって来ている事をラウィの耳は把握する。おそらく、ベクターとの戦闘音を聞きつけた村人たちがやってきたのだろう。
「おいラウィ、どうするよ」
「どうするったって……動けないものはしょうがないし。何とかわかってもらうしか……」
解決策の見つからぬまま、ラウィとサッチは漸くやって来た村人たちの存在を確認する。
彼らは、そのあまりにも激しすぎる音にサッチとベクターが争ってることを悟っていたのだろう、各々が長い棒やら竹槍やらで武装している
そして、村人の一人がとある人物を見て発狂する。
「ベ、べクターさぁぁぁんっ!!」
村人が何人か、血にまみれたベクターに駆け寄る。その赤黒く変色した眼孔を確認し、声を荒げた。
「この、『蝉』がぁぁぁあああッ!!!」
ラウィは、村人たちの激情を見るや否や、理解してもらうという考えを放棄した。
サッチを、守らなければ。ラウィの思考は、既にそちらに切り替わっていた。のそのそとした鈍い動きで、サッチを庇うべくラウィは必死で自分の身体を持ち上げようとする。
しかし。
体が、重い。力が入らない。
そうこうしているうちに、武装した村人たちがラウィ達にその怒りをぶちまけんと向かってくる。
(くっそ……ここまで来て、僕は……ッ!!)
ラウィは歯噛みする。血反吐を吐きながら、それでもラウィは地面を睨む事しかできなかった。
ベクターの脅威から守ったはずの村人。その村人達に、彼らを守ったはずのサッチを襲わせてしまう。
止められない。
自分は、何のために身体を張ってベクターと戦ったのか。
守りたかったから。許せなかったから。
わがままを押し通したかったから。
確かに、ラウィの行動は自分の欲望を満たすためにした物でしかない。
だけど。それでも。
こんなの、あまりにも残酷過ぎるじゃないか。
別に、皆幸せな円満な結末を望んだわけではない。サッチが、昔のようにみんなから認められるヒーローに戻って欲しいとか、そんな高尚な事考えちゃいない。
本当に、ただ、守りたかったから。
過酷な運命に喘ぐ少女を。やっと同じ時を過ごし始めた兄妹を。理不尽な暴力に怯える村人を。
その結果が、この無慈悲な、救いようのない結末なのか。
ラウィは、自分に覆いかぶさるような影を認識する。『蝉』の仲間と思われる自分に襲いかかってくる、村人のものだろう。
うつ伏せのラウィには、その姿や挙動を知る術は無い。もはや、神術膜を張る力は欠片も残されていなかった。
すぐ後に襲ってくるであろう一撃に思わず身を強張らせるラウィだったが――
「……!?」
ぐいっと、ラウィは何者かに引っ張られ、その衝撃がやってくる事はなかった。代わりに、柔らかく、暖かい何かが、包むようにラウィを覆っている。
(サッ……チ……?)
ようやく腕が動くようになった黒髪の少女サッチが、ラウィを抱え込むように、村人の敵意に満ちた攻撃から身を挺して守っていた。
サッチは、神術膜を張っていた。ラウィに比べると、彼女の怪我は小さく、消耗は少なかったため、彼女はそれをする事が出来たのだろう。
それでも、たとえ肉体的な痛みは感じなくても、二年間守っていた村人の悪意を込めた打撃は、いたいけな少女の心を苦しめているようだ。
サッチは、腕の中のラウィを見つめながら、その橙色の瞳から大粒の涙を流していた。
それでも、複数の村人による攻撃を受けながらも、サッチはラウィへ、聞いた事が無いような優しい声で語りかける。
「ラウィ。お前は、何も恥じる事なんかない。お前は、守った。救った。その事実は、誇っていい。誇るべきだ。何を、そんなにしょげてんだよ」
「で、でも、僕は、サッチだけは救えてないじゃないか……一番苦しんだはずのサッチを……僕は、村の人達にこんな事をしてほしくて守ったわけじゃない……こんな、こんなの、あんまりじゃないか。僕は、何のために……」
「何言ってんだよ」
ラウィの頬に、一粒の水滴が落ちてきた。サッチの瞳からである。
橙の瞳の少女は、泣きながら、それでも綺麗な笑顔で、純粋な気持ちを吐露した。
「アタシはもう、救われてんだよ、ヒーロー。村の連中を守り、こんな汚れたアタシさえ、守るって言ってくれた時から、さ」
このサッチのイラストは、ありばこ様に描いていただきました!
本当にありがとうございます!




