5-7 交錯する想い
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サッチは、なんとか意識を取り戻した。
土と草のにおいが顔のすぐそばから香る。どうやら自分は地面に横たわっているらしい。
ゆっくりと、その橙の瞳を開く。
(う……ん。ベクターの、野郎、は……? ラウィ、は……どう、なった……?)
この後に及んでラウィの心配をするサッチ。このヒロイックな黒髪の少女は、どこまでも他人想いであった。
視界には、大量の木々しか映っていない。ベクターとラウィは、おそらく自分の死角にいるのだろう。
すぐに立ち上がろうとする。しかし、彼女の細腕は、その華奢な身体を持ち上げてはくれなかった。
というより、動かせなかった。
指一本、彼女は自分の意思で動かすことができなくなっている。
(首をやられた影響か……ちくしょうが。こんな時に動けなくて、何がヒーローだよ)
サッチは、ヒーローに憧れていた。
彼女の憧れるヒーローとは、困難を打ち破り、弱きを助ける強い存在のことである。
今の自分は、ヒーローとは程遠かった。
幼少の頃、たまに父親に読んでもらった絵本。どこにでもいるような平凡な男が、囚われたお姫様を助ける。そんなヒーローが登場する、陳腐なお話。
しかしサッチの理想とするヒーロー象は、この物語から来ていた。
女の身でありながら、それでも憧れたヒーローの物語。その主人公の真っ直ぐな生き様に、幼い頃のサッチは強く影響された。
それなのに。
(アタシは結局、誰も……救えない……ッ!!)
所詮自分は、誰も幸せにできない半端者なのだ。
力に溺れ、両親を失ってしまう。贖罪のために、二年間独りで頑張ったが、村の誰からも疎まれ、もはや自分の味方など一人もいない。
そこまでしても、ここまで自分を殺しても、誰一人として救えないのだ。
サッチのその大きな橙の瞳から、哀しい粒が溢れ出す。
(誰か……誰でもいい……こんなクソッタレのアタシに代わって、みんなを守ってくれよ……ッ!!)
唇を噛むサッチ。ぎゅっと拳を握り、それでも何も進展しない。何も変わらない。変わるはずがない。
そう。変わるはずなど無いのだ。なのに。
突然。
ズドッ!! と、鋭い音がした。その衝撃で生じた突風に煽られ、サッチの軽い身体はふわりと浮くも、たまたま近くの木に背を預ける形で止まり、そのまま座した。
呆然とするサッチの視線の先では――
「……あれ、サッチ気がついた!? 良かった!」
その緑がかった青い髪に血の色を混ぜ込んだ、紅くて蒼い少年が、先ほどまで自分たちをボコボコに痛めつけていたベクターという男を殴り飛ばしていた。
その蒼い瞳の少年ラウィは嬉しそうな様子で、木にもたれかかるサッチの元へパタパタ歩み寄ってくる。
「まったく、心配させないでよ。でも、無事で良かった。もうそこで休んでて。ベクターは、僕が倒すから」
ラウィはサッチの頭にポン、と手を置いてくる。傷だらけで、血だらけの顔で、それでも力強く笑った。
すぐにサッチから目を離し、どこかにいる『敵』を見据えるラウィを、サッチは見上げる。
(……あ、れ? これ、どこかで見覚えが……)
それは、遠い記憶。忘れてはいけないはずの気持ち。
昔読んだ絵本の、その最後の場面。平凡な男が、囚われのお姫様をようやく見つけ出した時に、お姫様に宣言するシーンだ。
確か、そのヒーローはこう言ったはずだ。
「君は、俺が絶対に守るよ。だから、少しだけ待ってて」
そうサッチに告げたラウィは、先ほどベクターを蹴 殴り飛ばし、今は砂塵が舞い上がっている場所へと足を進めていく。
「ラ、ウィ……」
サッチは、思わず少年の名を口にする。
さっきは、サッチのことを『どうでもいい』とまで言ってのけたラウィが、今は命がけで自分を守ろうとしている。
サッチは、ラウィのこの変化が理解できなかったが、しようともしなかった。
高鳴る胸。少しだけ早くなる鼓動。名前もわからない謎の感情だけが、サッチの体内を駆け巡っていた。
(……やっぱり、アタシなんかまだまだヒーローじゃなかったんだな)
サッチは、火照り、なんだか熱を持つ顔で、今はとても大きく感じるラウィの背中を見て目を細める。
(頑張れ、ラウィ。お前なら、きっとこんな困難、簡単に撃ち砕けるだろ)
――
ラウィは、近くの水柱から水の塊を数個呼び寄せ、自分の周りをぐるぐると滞空させる。
そして、舞い上がる砂塵の中心にいるであろう男に、挑発するように語りかけた。
「ねえ。どんな気持ちだよ? ゴキブリとまで言い捨てた小さい存在からぶっ飛ばされた気分は」
ラウィは、至る所から吹き出る地下水を操作し、砂塵の上から雨のように降り注がせた。
空気中の砂埃を洗い流し、その中から翠の瞳をした男が姿を現す。
その男、ベクターは、袖で口を拭いながら、ラウィに向けて声を荒げる。
「ふはははは! どんな気持ち、ですか!? 最悪ですよ! 取るに足らないカスだと思っていた虫ケラから手痛い反撃を貰うなんてね!」
ベクターは、自分の足元から複数の茨の蔓を出現させた。歪みに歪んだ口元で、言葉を続ける。
「私は、頂点に立ちたいのです! この村の! この世界の! この世の全ての! あなたは、邪魔です。私の野望の障害になります。ここからは、全力で叩き潰させてもらいますよ」
ベクターはその両手から、蔓や花、茨など、様々な植物で形取った、いびつな剣を生成する。
ラウィは、冷たい目線でベクターを見る。そしてため息と共に、言葉を簡潔に吐き捨てた。
くだらない――と。
奴がこの世の頂点に立ち、全てを支配してしまえば、サッチやサナ、ドーマ、この村の人たちのような人間が大量に生まれてしまう。
そんなこと、ラウィが許せる筈が無かった。
何が村を守りたいだ。自己顕示欲の塊みたいな奴がそんな事を思うわけが無いだろう。この嘘つき。
わがままな奴は、自分一人だけで十分だ。間に合っている。もう、いらない。
「お前の居場所なんて、僕が全部奪ってやる」
「やれるものなら」
ベクターは、植物でできたその剣を構え、じり……じり……と、ラウィとの距離を図る。
ラウィも、重心を下げていつでも動けるように身構えた。
「攻撃が当たるようになったからって、いい気にならないことです。どうやら私の神術膜を無視する事ができるようですね。逆に言えば、それだけ。未だに理屈はよくわかりませんが、こちらの攻撃もあなたに通じるのなら、十分です」
ベクターは、少ない情報の中、ラウィがレトから与えられた力の要点をしっかりと理解していた。頭の良い男である。
(守る。守ってみせる。僕が、サッチを。みんなを。この村を!!)
ラウィは、地面を蹴ってベクターと突っ込んで行った。




