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5-5 カミサマはふざけている

 ――



「サッ、チ……」


 ラウィは朦朧とする意識の中、だらんと四肢を地面に向けて伸ばす黒髪の少女の名を呼ぶ。


 返事は無い。


 ラウィの矮小な声が届いていないのか、あるいはサッチがそれを認識できる状態では無いのか。


 どちらにも言えることは、二人は絶体絶命だということである。


「おや。壊れてしまった( ・・・・・・・)ようですね。まったく、脆いですね。さすが虫ケラ」


 ベクターは、サッチの首を掴んでいたその手をパッと離す。


 ドシャ、とサッチは地面に崩れ落ちる。完全に脱力しており、ベクターの足元で死人のように転がっている。


 ベクターは、足元の動かない人型の何かを興味なさげに足でどかすと、逆さで宙吊りにされたままのラウィの方を向く。


「お待たせしました、ラウィ君。あなたも同罪人だと言いましたよね。非常に心苦しいのですが、覚悟してください」


 ベクターの瞳が翠に輝く。その光は、ベクターとは対照的に優しさに満ちた色だった。


 グワッ! と、ラウィは蔓に引っ張られるままに逆さ吊りのまま上空へその高度を上げていく。


 周りのどの大木よりも高い位置に辿り着いたラウィは、無駄に壮観な風景を見て、自分の置かれた状況を理解した。


(これは、やばい……なんとか、しないと……)


 意思に反して力が入らない。血を流しすぎた。全力の神術玉を放ってしまい、神力も底を尽きかけている。


 抵抗する術は、無かった。


 次の瞬間ラウィは、内臓が持ち上げられるような浮遊感に包まれる。



――ただ自然落下するだけなら、どれだけ良かっただろう。



 ラウィは極太の蔓によって、重力が引っ張るよりも速く、地面に叩きつけられた。それを、まるで子供が玩具を振り回すように、何度も何度も何度も何度も繰り返される。


 生身の人間なら、一撃で命を刈り取られる衝撃。それをラウィは、気が遠くなるような回数、全身で受け止め続ける。


 消えそうで、脆弱ではあるが、一応張られている神術膜のおかげて、ラウィは辛うじて命を保っている。


 しかしその命は、もはや風前の灯火であった。


「とどめですよ」


 ベクターの声が、聞こえた気がした。


 最後に、一撃。


 地面が割れるほどの勢いで、ラウィは大地へ飛び込まされた。


 全身を襲う灼かれるような疼痛( とうつう)の中で、ラウィは指先一つ動かせずに地面に這いつくばっていた。



――勝てない。



 ラウィは、なんとか眼球を動かし、ベクターを視界に入れる。


 歪んだ笑みを浮かべながら、その口がせわしなく動いている。何か喋っているようだ。もはや何も聞こえない。


 視界が、徐々に光に包まれていく。眩しいほど白い、光に。



 白く、白く――




「ねえ」


「……!?」



 突然、ヒョコッと覗き込んできた見知らぬ少年に、ラウィは目を丸くする。


 いや、少年ではないかもしれない。少女のようにも見える。髪の色も、またよくわからなかった。


 紅色だと思えば、黄色にも見えるし、蒼にも翠にも、紫や藍色、橙色にだって見える。その可愛らしい大きな瞳も同様であった。


 とにかく、その子供のような誰かは、ラウィの袖を引っ張って起こそうとしてくる。鬱陶しいと思いながらも、ラウィはそのまま上半身を起こす。


「……あれ?」


 ここで、ラウィは気付く。


 自分の周辺に鬱陶しいほど生えていた木々は無いし、ベクターもいない。完全に白で覆われている。どこを見ても、白、白、白だ。


 どこまでも無機質で、しかしどこまでも暖かい。相反する二つの感覚が、この空間には同時に存在している。


 音も無い。匂いも無い。風も無い。何も無い。目の前の、変な色の子供以外は。


 また、全身を飲み込んでいた激痛が、完全に引いていた。傷も無いし、血だって流していない。


 ラウィが自分の体を見回すのを見て、子供が話しかけてくる。


「怪我が治ったって、思った? 残念。現実( ・・)のキミは、ズタボロだよ。家畜の方がまだ優しく切られてるね」


「現実の僕、だって……?」


「そっ」


 その子供のような誰かは、無邪気にニコニコと笑い、はしゃぎながら続ける。


「ここは、精神世界。いうなれば、キミの心の中だね。だから怪我なんてしてないし、痛みも感じない」


「……何それ」


「あははっ。まあ信じるかは自由だよ。好きに解釈してくれて構わない」


 その子供は、よくみるとふわふわと宙に浮いている。ラウィの腰の高さほどの位置で、あぐらをかいて漂っていた。


「ボクはレト。よろしくね、ラウィ」


「……僕の心の中とやらに、何でお前は存在してるんだよ、レト」


「うーん……」


 レトと名乗ったその子供は、大袈裟に何かを考えるような仕草をすると、簡潔に答えた。


「カミサマ、だからかな?」


「ふざけないで」


「あははっ。まあそんな事どうでも良いじゃんか」


 レトは、楽しそうにスイスイっとラウィの周りを飛び回る。何とも目障りである。


 汚物に群がるハエみたいだ、とラウィは思った。


「なんか失礼なこと考えなかった?」


「気のせいだよ」


 何の戸惑いもなく、嘘をつくラウィ。彼は未だに、この現実が夢なのではないか、とか考えていた。


 精神世界とか突然言われても、どう反応してやればいいのかわからない。


 そんなラウィの様子を悟ったのか、レトがぐるぐると転回しながらラウィに話しかける。


「本題に入って良いかな?」


「……」


 返答がないラウィに、空中を動き回るレトはあくまで楽しそうに喋り出した。


「沈黙は肯定とみなすね。ねえラウィ。キミは、何のために戦ってるんだい? 何でそんなボロボロになってるんだい?」


「……決まってるでしょ。幸せになって欲しい人がいるからだよ。彼らの平穏な生活を守るためだ」


「ホントに?」


「え?」


 ラウィは思わずレトを見る。レトは、相変わらずの満天の笑顔でこちらを見ていた。


「じゃあなんで、サナとドーマ。この二人の幸せを壊すような真似をしたんだい?」


「……どういうことだよ」


 ラウィは眉をひそめてレトに問いかける。


 意味がわからなかった。自分は、自分にしては珍しく、姉以外の誰かのために行動している。


 体を張って。サナとドーマの幸せを壊すベクターを倒すために。


 そんな自分が、二人の幸せを壊す行動を?

 するわけがない。何を言っているんだこのカラフルな子供は。


 レトは、ずいっと鼻先が触れ合うほど顔を近くに寄せてきた。体が逆さの状態ではあったが。


「気絶したたくさんの村人を放置したことだよ」


「それが何?」


「キミは勘違いしているよ。あの中に、サナやドーマの大切な人がいなかったと断言できるかい?」


「……!」


 ラウィはハッとした。


 ラウィが思い描くサナとドーマの幸せとは、彼らさえ無事ならばそれで良いという酷く押し付けがましい物だったのだと気付く。


 彼らの幸せは、彼らの日常を彼ららしく送ること。その日常には欠かせない人物もいるであろう。


 彼らは、過去のラウィのように、決して二人だけで生きている訳ではないのだから。


「そう、だね。僕は、守りたい人が守りたい人も、守らなきゃならなかったんだ」


 つまり、ラウィは守りたい人物と近しい者である可能性のある存在は、全て救う。


 言い換えれば、そんな守るべき存在であるかもしれない『誰か』を一方的に嬲るような者は、『敵』と認識するということだ。


 簡潔にしよう。誰かに一方的な暴力を振るう者は、すべからく敵だ。



 しかしラウィが出したそんな答えを聞いたレトは、機嫌を損ねた子供のように顔をしかめる。


「うーん、違うんだよね。まだ不正解っ」


「何がだよ」


「そもそも、キミは何でサナとドーマを守りたかったんだい?」


 レトが、空中で昼寝をするように横になってラウィに尋ねる。


「許せないからだよ。何の罪もない、サナとドーマが傷つけられるのが」


「へえ。でも罪がないって、他の村人もじゃないのかな? その人達のためには戦わなかったの?」


「……名前も知らない人のために体を張れなかったんだよ」


 どこまでも白い空間で、暗い表情でラウィが答える。わかってしまっていたのだ。自分が出した答えに、少しおかしなところがあることに。


 そしてそれは、ふわふわ漂うレトによって改めて認識させられる。


「その二人だって、昨日までは名前も知らない人ってのの一人だったでしょ? 大して変わらないと思うんだけど。名前を知ってるかどうか。そんなに重要なことかな?」


 当然のレトの問いに、ラウィは正直な理由を答える。


「……僕の気持ちの問題だ。守りたいから守る。そんなごちゃごちゃ考えてないよ」


「いいじゃん。シンプルだね。そういうの好きだよ」


「それはどうも」


 再びラウィの周りをふらふらと飛び回り出すレトを適当にあしらう。


 そしてレトが、ラウィの顔を覗き込むように見上げ、言う。



「でもさ」



 真っ直ぐな表現で。だからこそ、ラウィの心に深く突き刺さる言葉で。


「死んじゃうよ? このままじゃ」


「……っ」


「守るため守るためって、守れてないじゃないか。何一つ」


 ラウィは何も言い返せなかった。

 レトが言っているのは、紛れもなく事実。


 度を超えた強さのベクターに、なす術もなく叩きのめされたばかりなのだ。


「守るためじゃなくて、倒すために力を振るいなよ。だからダメなんだよ、キミは」


 レトは言うだけ言うと、再びスイスイっと好き勝手飛び回り始める。そして、黙り込むラウィに追い打ちをかけるように言葉を浴びせる。


「サッチは人を守ることに喜びを見出してるかもしれない。彼女は根っからのヒーローだからね。でも、キミは違うよね。わがままに気まぐれに、自分のことだけを考えて生きてきた」


 空中で上下逆さまに座っているレトは、その何色なのか判別すらつかない髪を揺らしながらラウィに追撃する。


「姉を救い出したい? 違うよね。ただキミが、姉との生活を取り戻したいだけだ」


「……」


「サナとドーマの幸せを守りたい? 違うよね。ただキミが、傷ついている彼らを見たくないだけだ」



 静寂が訪れる。


 ラウィは口を開かず、レトもこれ以上は喋らなかった。ラウィの答えを待つように、眼の前でただぐるぐると回っている。


「……どうしたら、いいんだよ」


 ゆっくりと、呟くようにラウィが口を開いた。レトは待ってましたとばかりに悪い笑みを浮かべて聞き返す。


「なにが?」


「そうだ、その通りだよ。結局僕は、自分勝手だったんだ。好きなものは欲しがるし、嫌なことはしたくない。面倒ごとだって避けたい。それで、そんなわがままな僕が、今、ベクターを倒したいんだよ。でも、できないんだ。わがままを通せないんだ! 倒すために力を振るえ? 奴を倒すだけの力が無いのにどうしたらいいんだよ!!」


 ラウィは心中を吐露する。

 ようやく自覚した自己中心的な性質。我を通せない現実。


 もはやラウィは、目の前の得体のしれない存在に完全にすがっていた。


「ふーん。あるじゃないか、力」


「……え?」


 ラウィは思わず呆けた声を漏らす。


「どこに?」


 ラウィの問いに、レトは得意げな表情で自分の胸を親指で指す。


「ここさ。貸してあげてもいいよ、力」


「なんだって?」


 訝しげな表情を見せるラウィに、レトはその何色かもわからない髪を揺らし、純白の空間で手を広げる。


「改めてもう一度訊くよ、ラウィ。キミは、今から何がしたいんだい? 何のために力が欲しいんだい?」


「……ベクターを、倒すため。出来ることなら、奴から全てを奪ってやりたい」


「それはなぜ?」


「僕が見たくない景色を作った( むく)いを受けさせたいからだよ。サナやドーマを……いや、そんな具体的じゃなくていい。「誰か」一方的にを傷つけるやつは、僕の敵だってわかった。そんな自分の力を誇示するような、わがままなやつは僕以外にいらないんだ」


 ラウィの結論を聞くと、少年にも少女にも見えるその不思議な子供は、一番の笑顔を見せる。


「ししし。やっとボク好みのキミになったね。キミはもっとわがままであるべきだ。人のため人のためってのはキミらしくない」


 ラウィは、ふわふわ漂うレトに向かって歩きながら、力強く言う。


「だから僕は、お前が持ってるって力が欲しいんだよ。僕は、わがままだから」


「あははっ。いいよ。もっとわがままに、自分のしたいことだけして生きるんだね。その方が面白い」


 子供のような背丈のレトは、空中に浮かんでラウィの額を軽く小突いた。


「……!!!」


 ざわっ、と。


 全身に何かが走り抜けた感覚がした。

 ラウィはその奇妙な感触に、思わず手のひらを見る。


(……? もう何も、感じないけど……今のは何だったんだ?)


「渡したよ。これをどう使うかはキミ次第だ。言っておくけど、別にこれでキミが劇的に強くなったりなんかはしない。使い方次第では、そのままベクターに殺されるだろうね」


「何をくれたのさ?」


「あははっ。それはあとのお楽しみって事で。さて、そろそろ現実に戻ろうか? キミがどうするか、見物させてもらうよ」


 レトが、空中で円を描く。するとその中に、何らかの景色が現れた。


 ラウィはそれを覗き込む。円の向こうには、沢山の木々、吹き出す水、そしてベクターが映っていた。現実の世界というやつか。


 おそらく、その円に触れると戻れるのだろうことはなんとなくわかった。


 ラウィは、くるっとレトの方に向きなおし、そして、何かを覚悟したように、言った。


「ねえ、レト。僕は、わがままで自分勝手だ」


「うん、そうだね」


 レトは、相変わらず空中で座りながらふわふわ漂っていた。


 そんなどこまでも不可思議なレトに、ラウィは宣言した。



「だから、お前の指図なんか受けない」


「え?」


 いつでも無邪気な笑みを絶やさなかったレトの表情に、初めて、べつの感情が混ざり込む。


「さっき言ったことは、本当だよ。ベクターは倒したいし、全てを奪ってやりたい。その理由も嘘は言ってない」


 だが。


 しかし。


 それでも。



 ラウィは、倒すためではなく、守るために拳を振るいたい。



「確かに、サッチみたいに誰これ構わず助ける気は無いよ。でも、僕はやっぱり、守りたいと思った人のために戦うよ。戦いたいんだ」


「だから言ってるでしょ。キミはわがままに、好きなように生きろってさ」


 レトが、無垢な笑顔で頭の後ろで腕を組みながら答える。

 どこまでもわからない奴である。



 ラウィは、円の中心に触れる。




 視界が、白に染まっていく――

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