5-3 役不足のdespair
ラウィは、攻めあぐねていた。
サッチの全力の攻撃が効かない以上、ラウィがいくら近接戦を仕掛けても、勝機はない。
下手をしたら、刹那で命を落とすことになる。
となれば、中遠距離での攻撃に頼るしかないのだが、それだとベクターにダメージを与えるほどの威力を出すことは難しい。
その上、蒼の神術師であるラウィが操ることのできる、水がこの場には存在していない。
(まずい……まさかここまでだなんて)
ラウィはとにかく、神術膜を張ることだけは意識し続けた。覚えたての技術である神術膜がベクターにどこまで通用するかはわからないが、無いよりはましだろう。
一方サッチは、自分の拳が弾かれたことに警戒して、ベクターと少し距離を取っていた。
サッチも、自分の攻撃が効かないベクターを相手にどう攻めるか思案している様子だ。
そんな黒髪の少女を見て、ベクターが楽しそうに口を歪ませて煽る。
「どうしたのです? さあ、来なさい、ヒーロー。正義を振りかざして、憎くき敵をその手で倒してみてくださいよ……できるのならば、ね」
「……誰がヒーローだよ、このクソボケが」
サッチが、ベクターに再度突っ込む。
その瞳からは、サッチの顔全体を覆ってしまうほど大量の淡い光が、橙の双眼から湧き出ている。
よりにもよって、自分が一度ヒーローを諦めるきっかけとなった男から『ヒーロー』呼ばわりされた事が、サッチの中の何らかのスイッチを押したのだろう。
先ほどよりも疾く、その細腕から放たれたとは思えないほど重い打撃の連打がベクターを襲う。
その拳は、もはや弾かれていなかった。
力が、先ほどよりも少しだけ拮抗したのだ。
「こんの……ッ! ヘラヘラ笑ってんじゃねぇぞぉッ!!」
サッチが、自分の攻撃を受けながら、それでも薄ら笑いを浮かべるベクターに、一層力を込めた一撃を見舞う。
ズザザッ! と、ベクターの足元の砂が擦れ合う音を奏でる。
初めて、ベクターが耐えきれなかった。サッチの砲撃のような攻撃が、ベクターがその場にとどまり続ける事を許さなかったのだ。
しかし。
「ふはは……それだけですか?」
ベクター自身には、全くと言っていいほどダメージが通っていなかった。
今度は、ベクターの瞳から翠のもやが噴出する。
次の瞬間、突如地面から湧き出した無数の茨が、一斉にサッチに襲いかかる。
サッチは、長い髪を揺らしてそれらを辛うじて避け、また破壊していく。上下左右へその身を高速で移動させながら、ラウィのいる位置まで退がってくると舌を打ち鳴らす。
「ハァハァ……おいラウィ、やべえぞ。野郎、想像以上だ」
「……みたいだね、どうする」
息を切らすサッチに、少し歯噛みしながら問いかけるラウィ。ここで、サッチが思い出したようにラウィに聞き返してきた。
「そうだ。ラウィ。お前も変なチカラ持ってんだよな? それで何とかならねえのかよ」
「厳しいね。僕の力は、水を操れるだけだもん。近くに川とかがあるなら話は変わってくるけど」
「……水があれば、いいんだな」
「え?」
どういう事かとラウィは尋ねようとするも、その前にサッチは行動を起こしていた。
地面を、ただ、殴る。サッチのたったそれだけの行動が、周辺の環境を大きく変えた。
ドォッ!! と、ラウィやベクターのまわり、至る所から大量の水が噴き出してくる。
地下水だ。
いや、そんなことより重要なのは、サッチが地下水脈を掘り当てたことだ。もはやわけがわからない。
「えっ!? どうなってるの!?」
「知らねえよ。俺は詳しく理解してこのチカラを使ってるわけじゃねえ。ただなんとなく、そこにある気がしたんだよ、水脈がな」
その酷く大雑把な説明にラウィは少し呆れるが、とりあえず置いておくことにした。とにかく水は確保できたのだ。
ラウィはそれらの動きを掌握する。
噴水のように噴き出している大量の水を、支配下に置く感覚を、ラウィは掴んだ。
「これなら、行けそうだ」
ラウィは、周囲に立ち昇る水柱から、水の塊を何十何百と作り出し、ベクターに全て叩きつける。
「ちょこざいな。この様な些末な事、無意味ですよ」
しかしベクターは、無数に生えている茨の鞭のうちの一つを手に取ると、それを振り回して、水の散弾を一つ一つ正確に、かつ迅速に撃ち落としていく。
(そうだ。叩き落とせ。でも、地下水が尽きない限り、水はずっとお前を襲い続けるぞ)
ラウィは操作を緩めず、ベクターへと水弾をそれこそ豪雨のように浴びせ続ける。
ベクターは、それらを全て鞭で弾きかえすも、辺りに舞う飛沫は徐々に空間の大半を占めていく。
「……まさか。呼吸を奪うつもりですか!?」
ベクターが察したように声をあげる。
「だったらどうする?」
もはやラウィに操られる地下水は、ベクターの姿を完全に隠してしまうほど漂っている。
そろそろ頃合いだった。
ラウィは、その空色の瞳を文字通り輝かせ、噴き上がる水柱全てをベクターにつぎ込んだ。
大量の水は、周りの漂う水しぶきを巻きこんで、容赦なくベクターの全身を飲み込み、荒ぶり、水中でベクターを好き勝手弄ぶ。
「サッチ!」
ラウィは急いで叫ぶ。時間がない。
「奴に声が届かないうちに、聞いて」
ラウィがベクターを水中へ閉じ込めた理由は、窒息させることではない。そんな事ができるかもなんて甘い考えなどしていない。
水によって、これからラウィが話すことをベクターに聞かれないようにするためだ。
「少しだけ時間が欲しい。稼いでくれない?」
「どれくらいだ」
「十五秒あれば」
「余裕だ」
サッチは、ラウィを守るように前方に立つ。
それと、ベクターが水中から脱出するのはほぼ同時だった。少々の苛立ちの籠った声でラウィ達に声を放つ。
「……まったく、やってくれますね。流石に予想できなかったですよ」
ベクターは、巨大な異形の植物を召喚していた。
人間の胴まわりよりも太い茎に、大きな口が存在する花。
その花が、ラウィがかき集めた大量の水を飲み込んだのだ。
「さて、次の手はあるのですか? 水攻めはもう不可能ですよ。私が操るこの植物が全て飲み込んでくれます」
ベクターがずぶ濡れになった体をその巨大な花に押し付けると、彼の体がみるみるうちに乾いていく。
水気を全てを吸い取っているのだ。
ラウィの思惑通り、ベクターはラウィの目的を水を使うことで窒息を誘発させる事だと思っているようだ。
ようやく使えた、自分の操る属性である、水。
それすら囮にするラウィの計画は、とりあえずは順調に運んでいるようだ。
「ラウィ。行くぞ」
「任せたよ」
サッチが、再びベクターへと走り出した。
しかし、今度はすぐに懐に潜り込む事はなかった。
ベクターとの間合いを測るように、高速でぐるぐると動き回りながら少し手を出してはすぐに距離を取る、という行動を繰り返していた。
時間を稼いでいるのだ。
ラウィはサッチが用意してくれる時間を使って、奥の手の発動に全力を費やす。
(サッチですら、あいつに攻撃が効かないんだ。なら、それ以上の威力となると、もうこれしかないよね)
ラウィは、なるべくベクターに見えないよう、それとなく自分の体で隠しながら、ソレの制作に取り掛かった。
神術玉。
神術師の、切り札とも言える技だ。
手のひらに、厚く厚く神術膜を展開する事で作る、神力の塊。
ラウィが先日、カルキに放った物とは規模が違う。
時間をかけて、大きく、さらに圧縮し、その密度を増していく。
それに比例して不安定になる、その蒼い神術玉を、ラウィは必死でその形を留める。
(これを外したら、終わりだ。絶対に当てる。タイミングを待つんだ)
蒼く蒼く、空よりも蒼いその暴力の化身を、ラウィは暴発しないよう左手で押さえつける。
そのまま、サッチと攻防を繰り広げるベクターへ向けてラウィは駆け出した。
(サッチを隠れ蓑にして、ギリギリまで奴に近づく。そして、これを直接ぶつけてやれば……!)
ラウィは重心を下げて、サッチのすぐ後ろにまで走り込んだ。
しかし。
偶然は、ラウィの思うようにさせなかった。
本当にたまたま、サッチがベクターの攻撃を避けて、後ろへ下がったのだ。
そう。
ラウィがたった今、隠れるように潜り込んだ位置に、だ。
「……ッ!!」
せっかくの神術玉がサッチに当たってしまえば、全てが終わってしまう。
ラウィは、突然後ろに下がってきたサッチの細い肩を左手で掴み、勢いそのままに、彼女を飛び越えた。
咄嗟の出来事に、体制など考える余裕などなかったラウィは、バランスを崩して地面に対して斜めに空中へ飛び上がってしまう。
そして、暴走を抑えていた左手が解かれてしまった今、神術玉は爆発寸前であった。
――このまま、行くしかなかった。
ラウィは空中でベクターに狙いを定める。
そしてそのまま、体を無理に捻って全身全霊の力を込めて投げつけた。
ラウィから放たれたその蒼き暴力の塊は、空気を切り裂き、目標と定めた人物に向かって一直線に進んでいく。
「な……ッ!」
ベクターの驚愕に染まった声が聞こえたかと思うと、その彼を中心としてけたたましい爆音が発生した。
空気が震える。空間が揺れる。
辺りに散らばっていた気絶したゴブリンたちがその爆風でどこかへ吹き飛ばされていく。
当然、空中にいたラウィも桁外れの衝撃に押され、飛ばされかけた。
だが、しっかりと地に足をつけていたサッチが紙くずのように飛んでいきそうなラウィをなんとか掴んだ。
サッチに助けてもらったラウィは、もうもうと立ち込める砂煙の中、彼に礼を言う。
「げほっ……サッチごめん。ありがとう」
「そんなことより、あいつだ。うまくいったのか?」
サッチが、その長い黒髪をたなびかせながら爆心地を見やり、ラウィに尋ねる。
「うん。多分、直撃した。これが、僕の出せる最大の攻撃だ。もしこれで駄目なら……」
ラウィは、そこまで、言った。
そこまでしか、言えなかった。
未だ湧き上がる水によって浄化される濁った空気。
その向こう側に、見える影。
段々と澄んでいく空気が、その姿をはっきりとラウィたちに認識させる。
当たり前のように、立っている、翠の神術師を。
神術玉をまともに食らったはずの、ベクターを。
「……嘘、でしょ……」
ラウィの感情に、絶望の色が混じる。
あり得ない。信じたくない。
いくらなんでも、そこまでの差があるのか。
あのカルキですら、ラウィが放った神術玉は相殺しないと危険だと判断したというのに。
この男は、ベクターは、更に上位の存在だとでもいうのか。
「今のは、良かったですよ。しかし、あなたがたの顔を見る限り、最後の手段、だったという事なのですかね?」
そう言うベクターは、右目の下に浅い切り傷が出来ていた。
――切り傷しか、出来ていなかった。
それは、ベクターの神術膜はラウィの全力の攻撃など、ほぼ全てを遮断できるということを示していた。
「満足しましたか? では、再開しましょう。楽しい楽しい、蝉取りを」




