5-2 強者より強き者
――
ラウィとサッチは、とある場所で立ち止まった。
そこは一昨日、サナとラウィが重い荷車を引いていった、あの役場だった。そして、奇しくもラウィとベクターが初めてであった場所でもある。
「……あいつだ」
サッチが、少女とは思えないほど低い声で呟く。
その視線の先には、一人の男が立っていた。比較的長身な、すらっとした体躯に、吸い込まれるような翠の瞳。
サッチを苦しめ、村人全員の命を握っているという、全ての元凶。
「ベクター……ッ!!」
サッチが、今にも飛び出しそうなほど強い怒気を孕んだ眼でベクターを睨む。
対してベクターは、どうやらラウィとサッチがやって来るのを待っていたようだ。
「やっと、ですか。待ちくたびれましたよ」
穏やかな口調だった。木にもたれ、腕組みをしていたベクターは片目だけを開いてこちらを見ていた。
こうして見ると、目の前の優男が恐ろしいほどの悪事を働いた人間だとは、ラウィは思えなかった。
しかし、ベクターが放つ隠し通せない殺気は、紛れもなくそれが真実なのだとラウィの心に植え付けた。
「まったく。まさか、私に服従していたかに見えたあなたが密かに反旗を翻す機会をうかがっていたとはね」
「それは、テメェが人の気持ちもわからねえクソ野郎だからだよ。ここまでされて反抗の意思が欠片も無い奴は人間じゃねえ」
サッチの射抜くような視線は、相変わらずベクターを貫いている。
ベクターは、顔を傾け顎に手をあてがい、軽く馬鹿にするように言い返してくる。
「おや? 『蝉』であるあなたが人間の感情を語りますか?」
「ガキの口喧嘩に参加する気はねえ」
「……」
ベクターは、つまらなさそうに、顎に当てていた手をだらんと下ろす。これ以上言っても無駄だと悟ったのだろう。
「……いいでしょう。さて、ラウィ君」
ベクターが、今度はラウィに向けて声を放つ。
「そちら側にいるということは、あなたは『蝉』に手を貸す、同罪人として判断してよろしいのですね?」
「勝手にしてよ。どっちが本当に罪人なのかよく考えてからね」
「残念です。昨日は客人として歓迎したあなたを、今日は咎人として捕らえる事になろうとは」
そして、沈黙が訪れる。
出会って早々、一触即発のピリピリとした空気がこの場に充満していく。
息をすることさえ許さない、重苦しい静寂。
最初にそれを破ったのは、サッチだった。
ドッ! と地面を蹴ると、サッチは一直線にベクターへと突っ込んでいく。
ラウィも神術膜を展開し、サッチの後を追う。
サッチが、尋常ではない速度でベクターへ飛びかかり、その拳を振るう。しかし、その拳は空気を切る音だけを発し、ベクターに届くことはなかった。
ベクターが、どこからか伸びきた蔓をつかみ、それに引っ張られるようにして上空へその身を浮かせたからだ。
「……逃げんのかよ? ここまで来ておいて」
サッチが、宙に吊られているベクターを睨む。
「逃げる? ふふふ、まさか。何のために私がわざわざここで待っていたと思っているのです?」
ベクターは、蔓に引っ張られるまま、近くの大きな樹の上に着地する。
「私は、村中の植物を支配下に置いています。だから、あなたがたの会話を盗み聞きするのも簡単でしたよ。それで、この場所で待っていることにしたのです」
ベクターの、その美しい翠の瞳から光が吹き出る。
そして――
「彼らに、あなたがたの相手をしてもらうためにね」
――ラウィとサッチ、二人の上空全方向から、複数の影が落ちてきた。
周辺の木々から飛び降りてきたであろうその影は、身の丈ほどもある棍棒を弄びながらこちらを見てニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる。
濁った緑色でごつそうな汚い肌。アンバランスなほど大きい気色の悪い眼に、糸を引くほどネバネバなよだれを口から垂れ流していた。
ゴブリン。
かつて、サナ=フローラという少女を痛めつけ、村の人間を何人も殺した、悪しき種族。
大の大人が数人がかりでやっと一匹を相手取れるかどうかという、規格外の腕力を持つ生き物。
それが、何十という数で、ラウィとサッチにのそのそと迫ってくる。
「ぐじゅ。えへ。こぉろすぅ」
「ぬひ。ぬふっ。いひひ」
「死ねぇ。ぶへへ。ふひっ」
ゴブリンのうちの一匹が、身の丈ほどもある極太の棍棒を横薙ぎに振るった。
棍棒に打ち付けられた、見上げるような大木は、ドォン……ッ! と響く鈍い音をあげ、幹と共にその枝を大きく揺らす。
「げへへ」
どうだ、と言わんばかりのしたり顔でラウィたちを見つめるゴブリン。
そして、別の大木から、ベクターの声が聞こえてくる。
「さて、たったこれだけのゴブリンくらい簡単に倒せるようでなければ、私の相手は務まりませんよ。私の力で奴隷にした、このゴブリンたちにね」
ベクターが、手を振り下ろす。
一斉に、ゴブリンの集団がラウィとサッチに襲いかかる。
「……奴隷にした、だって?」
ラウィの頭に、ゴブリンが振るう棍棒の一撃が直撃した。
辺りに、硬いものが砕ける嫌な音が響き渡る。
しかし。
砕けたのは、棍棒の方であった。
神術膜で全身を覆っている人間に叩きつけられたのだから、当然である。
「ぶぃ!?」
しかし、ゴブリンたちにとっては予想外の事態であったようである。そのゴブリンは思わず下がって距離を取る。
その一連の動作をラウィは全く気にせずにベクターに問いかけた。
「お前が、ゴブリンたちを奴隷にしたってどういうことだよ!?」
「? 言った通りの意味ですよ。幻覚作用のある特殊な植物を私の神術で少し弄り、それを使ってゴブリン達を私の命令に忠実なしもべにしたのです」
ベクターは、恐ろしいほど淡々とラウィの問いに答えた。
『植物』を掌握する、翠の神術。
その力を行使し、ゴブリン達の意思を無視してラウィやサッチを、二年前には村人全員を襲わせたのだ。
ラウィが幸せになって欲しいと願う、サナにも、である。
「……よくわかったよ。僕にとってお前は、絶対に許しちゃいけない存在みたいだ」
「何を訳のわからないことを」
ベクターが再び手を振り下ろす。
先ほどまで、棍棒を粉々に破壊したラウィに怯んでいたゴブリン達が、再び臨戦態勢をとる。
「サッチ、悪いけどちょっと下がっててくれる?」
ラウィは、サッチに下がるよう促す。サッチは口を尖らせながらもとりあえず従った。
そして、ゴブリンたちは今度は一気に飛びかかってきた。
ラウィは、懺悔するように呟く。
「ごめんね。君たちにその気が無かったとしても、僕の目的の邪魔をするのなら……お前らは、敵だ」
ラウィは、神術膜を厚く纏った拳で地面を思い切り殴った。
その衝撃で、大量の砂煙がぶわっと立ち込める。
お互いの姿が認識出来ないほど、濃い砂煙が。
もちろん、ラウィからもゴブリン達の姿は見えない。
だが、突然の事態に混乱するゴブリンたちのギャーギャー騒ぐ声で、その居場所など手に取るようにわかった。
一発。二発。次。次。また次。
大の男が束になってようやく互角に戦えるというゴブリン達を、ラウィは一撃で次々とその意識を刈り取っていく。
そして、煙が晴れた頃には、ラウィの周りには何十ものゴブリンが転がっていた。全滅である。
無傷のラウィは、大木に腰掛けるベクターへ視線を向ける。
ベクターは、あくまで淡々と口を開いた。
「ほほぅ。やりますね。このベクターに叛逆の意志を示すだけはある。神術はまともに扱えるようですね。流石に、ここまで早いとは思ってませんでしたが」
そう言うとベクターは、大木の枝から飛び降りる。
「私も、そろそろ飽いてきたところだったんです。今度は、この村に巣食う『悪』の退治。蝉取りに興じるとしましょうかね」
「悪いが、そんなつもりはねえ」
フッ、と。
どこからか、サッチがベクターの前に出現した……ようにラウィには見えた。
遠距離から、ほぼ不可視の速度でベクターとの距離を詰めたのだと、ラウィは辛うじて認識する。
そのまま、サッチはベクターをその細い腕で力任せに殴りつけた。
しかし。
サッチの拳が、ベクターの顔面に触れた、瞬間。
「……ッッ!?」
バリバリバリッ!! と雷が落ちたかのようなけたたましい音がしたと思うと、サッチの拳ははじかれてしまった。
バランスを崩したサッチだったが、転がるように距離を取ってすぐに体制を立て直す。
(サッチの攻撃が効かないの!?)
ラウィは信じられなかった。
自分の数倍の力を持つサッチの全身全霊の力を込めた突きが、ベクターという神術師にはまるで効かなかったのだ。
神術膜の練度が、あまりにも違うのだろう。神術膜とは本来、「軽減」するためだけのものなのだから。
「そう慌てないでください。そもそも、私とあなた方では、神術師としての年季が違います」
ベクターは手を広げ、宣言するようにラウィとサッチに語りかける。
「私は『蝉取り』と言ったのですよ。つまり、これから始まるのは、単なる遊戯。あなたがたの攻撃は、私とでは戦いにすらならない」
ベクターは、あざ笑うように、見下すように、口元をほんの少しだけ歪ませながら、続けた。
「それを理解した上で、行動してください。どの選択肢が正解か。少しでも長く生きるためには、どうしたらいいか。選び間違えたら、そこで捕獲されますよ」
ラウィの頬に、一筋の汗が流れた。




