5-1 出陣
時は戻り、現在――
ラウィは、サッチから『羽化の日』についてのサッチが知る限りの情報を聞いた。
サナとその父親が襲われていたため、助太刀に入ったこと。
ところが、その敵が異常に強かったこと。
その敵が、この村で英雄として君臨している、あのベクターであること。
両親をベクターに殺されたこと。
そのベクターが、何らかの手段でゴブリンを呼び寄せ、この村に戦争を仕掛けたこと。
その黒幕として、自分が疑われていること。
また、サナの兄であるドーマはその時以降サナを守っているらしいこと。
村中の人間を、特殊な手段で人質に取られていること。
ベクターの命令を聞かなければ、村人全員が殺されてしまうこと。
それを阻止するために、二年間ずっと村人を襲っていること。
「……なんだよ、それ……」
ラウィは思わず、純粋な気持ちが声に出る。
驚愕した。まるで逆じゃないか。
この村を守っているサッチが人々から恨まれ、この村を襲っていたベクターが人々から賞賛される。
にわかには信じがたい話ではあったが、ラウィはこの話に信憑性があると感じていた。
サッチが人を襲う理由。死人が出ない理由。サナが口を閉ざす理由。違和感なく、全ての辻褄が合う。合ってしまう。
今思えば、おかしかったのだ。サッチが『蝉』として暴れ始めたのと全く同じ時期にたまたまベクターがここに立ち寄ったという、話など。
それより、ベクターが来たから『蝉』が誕生したと考えたほうがしっくりきてしまう。
そして、決定的な決め手が一つだけある。それは、サナに一日中正座させられていた自分とドーマを、ベクターが見つけたことだ。
その時は見つけてもらえて幸運だったくらいにしか思っていなかったが、サッチの話を聞いた後ではその印象も変わってくる。
村人が誰一人通りすぎることすらなかった林の中でベクターが自分たちを見つけられたのは、ドーマに仕組まれた『種』によるものだったのだ。
目を見開いて信じられない気持ちを表現するラウィを一瞥し、サッチがラウィに問いてくる。
「で? お前はどうするつもりなんだ、このクソつまらねえ状況を聞いて」
「……今の話が本当なら、ほっとくわけにはいかないよ」
ラウィのその答えを聞いて、サッチは鼻で笑った。
「はっ。ほっとけない、か。そりゃご立派な考えだな。俺みたいなクソ野郎のことを憐れむのか?」
「……? 何のこと?」
「……は?」
ラウィのポカンとした表情に、逆に目を丸くするサッチ。
「僕はね、サッチ。君のことなんてどうでもいいんだよ。僕は、サナとドーマに幸せになって欲しい。だから、彼らを傷つけるサッチに話をしに来た。でも、その原因が別にあるなら、僕はそいつをほっとけない」
ラウィは、その眼に明確な敵意を込めて、サッチに宣言した。
「ベクターを、僕は許さない。サナとドーマの平和を脅かす奴は、容赦しない」
「く、はは。おもしれえな、お前。ちょいと歪んじゃいるが、そりゃまるでヒーローだな。哀れな奴だ」
「……哀れ、だって?」
ラウィが、サッチを睨み返す。
「ああ、そうだよ」
サッチは手を広げて、何かをあざ笑うかのように言葉を続けた。
「この世にヒーローなんて存在しねえんだよ。ありゃ物語の中だけの存在だ。誰かの御都合主義で描かれた、本来あり得ないモンなんだよ」
「へぇ。じゃあ、何でサッチは村の人たちを守ってるの?」
「……あ?」
サッチが、一気に雰囲気を変える。悪意の込めた眼差しをラウィに向けてくる。
ラウィはそれに全く怯むことなく続けた。
「だって、自分が悪者になってまで影からたくさんの人を守ってるなんて、それこそヒーローじゃないか。サッチのその行動は、一体何なのさ?」
「……」
サッチは、ここへ来て初めて口を閉ざした。
ラウィは知る由もなかったが、サッチは『羽化の日』以降、ヒーローというものに全く憧れを抱いていなかった。
ヒーローなんてまやかしだ。そんなものに憧れたせいで、たくさんの人を不幸にした、と。
だからサッチは、影ながら、誰にも知られることのなく人々を守る立場を受け入れているのだ。
サッチは、この後に及んで誰かを守るために我が身を犠牲にしている。とにかく、サッチという人間は、根っからのヒーローであった。
随分と陳腐な言葉であるが、彼女はそうとしか言えないのだ。
「まあ別にいいよ。サッチに説教するためにここに来たんじゃないし。ただ、サッチ。一つだけ、お願いを聞いてくれない?」
「……図々しい野郎だな」
「僕は、サナとドーマのために、ベクターを倒す。それに、サッチも来てくれないかな?」
ラウィの突然の頼みに、口元を歪めてサッチがラウィを見つめてくる。
「理由は」
「サッチは、自分がどんなになっても村の人たちを守りたいんじゃないの? だったら、このままじゃだめだ。元を断たないと、この村に本当の幸せってのは絶対にやって来ないよ」
「……」
「もちろん、僕からしたらただ戦力を増やしたいだけなんだけど、どうする? このまましたくもない暴力を振るい続けて生きるか、僕と一緒にベクターを倒しに行くか」
ラウィの、大切な人以外はどうでもいいという、身勝手な考えだからこその提案。
だが、他人に対する遠慮という言葉を知らないラウィは、だからこそサッチに直球でぶつかれるのだ。
やがて、サッチが口を開いた。
「……俺が、何でお前に昔の事を話したかわかるか?」
「……え?」
「確信があったからだ。お前の話しっぷりから、事情を知れば力になってくれると。俺の攻撃が効かない、変な奴。あいつや俺と同じような力を持ってるみたいだしな。それに、気づかなかったか? この事をお前に話した時点で、野郎に『種』とやらで伝わっちまってんだよ。もう後戻りは出来ねえ」
サッチがおもむろに立ち上がって、話し続ける。
「俺も、行くよ。当然だ。ちょっと、昔の気持ちを思い出した事だし、あのクソ野郎をぶっ殺しに行こうぜ」
「ああ、頼んだよ、サッチ」
ラウィも立ち上がる。
「ベクターが何処にいるのか、わかってるの?」
「ああ、俺は何となく、人の気配を感じ取ることができる。野郎のムカつく気配は覚えてる。ちょっと意識を集中すりゃ、わかるはずだ」
そういうと、サッチはすいすいっと木に登り、その上で村の方角を見つめる。
その瞳からは、おびただしい量の橙色の輝くもやが吹き出ている。
ラウィはそれを見て、少し羨ましいと感じた。
(やっぱり、あれも神術の一種なのかな。橙の神術師の能力は、音や振動を操るだけのはずだし)
自分にはまだ使えない力。
扱ってみたかった。
ラウィも意識を自分の周辺に向けてみた。
何らかの存在が感知できないか試してみたが、ラウィには頬を撫でる風しか感じることが出来なかった。
そして、少しの間が空いて、ようやくサッチがベクターを見つけたようだ。
「いた。捕まえたぞ、この野郎」
サッチは、木から飛び降りる。
そのまま、ベクターがいると思われる方向へ歩き出した。
「ラウィ、だっけか? 言っとくが、油断はすんなよ。野郎は強い。この二年間、俺が抵抗できなかったくらいな」
「わかってるよ。全力で叩きに行く」
ラウィがそう返答してから、二人の間で会話が展開されることはなかった。
この村の救世主として崇められるベクター。ラウィも昨日彼と話して、その意志を尊敬した。しかしラウィには、もはやそんな事関係がなかった。
ラウィは、懐にしまってある、両親の形見であるブローチを服の上から握った。
その形を確かめるように。
それとお揃いの物を持っている、何処かの誰かに思いを馳せるように。
(姉ちゃん……ごめん。ちょっとだけ、寄り道するよ。でも、きっと許してくれるよね。これは、僕が守りたい人のためだもん)




