4-8 別れと出会いは紙一重
サナが目を覚ましたのは、それから三日後の夕方前であった。
「ん……」
ゆっくりと目を開ける。
頭がぼーっとする。
すぐには焦点が合わなかったが、見慣れた天井と、感じるにおいに、ここが自分の家であることだけはわかった。
サナは布団ごと体を起こす。
ガチガチに固まっている体で伸びをすると、背骨や関節からコキコキっと小気味の良い音が鳴った。
と、同時に。
「ッ! いたっ!」
突然走った刺すような痛みに、サナは思わず頭を手で押さえる。
頭には、包帯が巻かれていた。
(……そうだ。私、ゴブリンに襲われて、それで……)
……その後、どうなった?
サナは思い出せなかった。
とにかく、お腹が減ったなと思い立ち上がろうとするが――
「お、起きたのか! 良かった! 痛むところはねえか?」
突然部屋に入ってきたその男に驚き、体が硬直してしまった。
咄嗟の事に、サナは思わず男の問いに対してコクンと頷いてしまうも、すぐに疑問が口に出た。
「え、その、あなたはだれ?」
「ん、そうか、お前は寝てたから知らねえよな」
男は、どっか! と乱暴に座ると、自己紹介を始めた。
「俺はお前の兄ちゃんだよ、サナ。ドーマって言うんだ。初めまして、だな」
「……」
サナの感想は、なんだこの人、であった。
サナには、兄などいない。また、聞いたことも無かった。
急に兄を騙り出したこの男をサナは訝しげな表情で見つめる。
そして、尋ねた。
「お父ちゃんはどこ?」
「!? お前……」
頭に強い衝撃を受けたことの影響か、はたまた心が事実を認めようとせずに蓋をしてしまっているのか。
とにかく、サナには父親を襲った悲劇についての記憶がごっそり抜け落ちていた。
「なに? お父ちゃんはどこにいるの?」
サナが、ドーマのよくわからない態度に少しイライラを募らせながら聞き直す。
「そ、そうだな……親父は、ちょっと遠くに行かなきゃならねえ用ができてな、サナが寝てる間に旅に出てったよ」
「え!? 嘘でしょ!?」
サナは驚愕に顔を染める。
もちろん、ドーマのこの言葉は彼が咄嗟についた嘘であったが、サナにはそれを知る由もない。
「……本当、だ。でも、すぐに行かなきゃならなくなっちまったんだ。サナにすげー会いたがってたらしいぞ」
「……ひどい……」
サナは、布団を強く握りしめる。
「まあ、なんだ。いつかはわからねえが、そのうち帰ってくるだろ、きっと。それまで、俺が面倒みてやるよ」
「……」
サナは、目の前の男がイマイチ信用できなかった。
確かに、髪の色は自分や父親と同じ、明るい橙色をしている。
それでも、この男が嘘をついていない保証は無い。
むしろ、嘘をついていると言った方がサナは納得ができた。
大好きなお父ちゃんが、自分を置いて旅に出てしまったなんて、信じたくなかった。
「俺は、お前の兄ちゃんだ。俺はサナの事を知らなかったし、サナも俺の事を知らなかったかもしれない。でも、お前を守りたいと思ってる。これだけは信じてくれ」
ドーマが、真剣な瞳でサナを見据える。
「信じてくれって言われても……」
サナは困惑していた。
どうも、ドーマというこの男の覚悟は本物のようであった。
しかし、サナの気持ちはそうはいかなかった。
大体、初めて会ったばかりの男に面倒を見てもらうというのも気が引けたし、何より本当に任せていいのか怖かった。
簡単に言えば嫌だった。
大体、面倒を見るも何も家事くらいサナ一人でこなせる。
父親のやっていた畑作業はまだ触ったことは無いが、まあなんとかなるだろう。
体良くお断りしようか、などと考えていたサナの耳に、別の男の声が届いた。
「そいつは信用できるよ、サナちゃん」
サナは声のした方を振り向く。
部屋に入ってきたのは、父親の顔なじみの一人だった。確か、ゴブリンから自分を助けてくれた人だ。
ドーマはその男を見ると、声をかけた。
「おーお疲れ。ゴブリン共はどうなった?」
「あぁ。さっき最後の一体を狩ったところだ。まだ残ってるかもしれねえが、安全が確認できるまで、一人での行動を慎めば問題ないと思う」
「そうか」
「で、サナちゃん。こいつは、サナちゃんがひび割れた地面に取り残されるところを助けてくれたんだ。あとちょっと、ドーマの行動が遅ければ、サナちゃんは地割れでできた大きな穴に落ちてったところだったんだよ」
男は、腰を下ろして壁にもたれる。
その腕や足では、無数の生々しい傷が存在を主張していた。
「! その怪我は?」
サナが男に心配そうに声をかける。
「え、ああ。まあゴブリンとやり合って、ちょっとな。大丈夫だよ」
「そう、ならいいけど……それで、今の話は……」
地震でひび割れ、落ちる寸前だったサナをドーマが助けた、という話。
確かに、気を失う前に、大きく地面が揺れていた……気がする。確証はないが。
「ああ。危ないからって言っても聞きやしなかったんだ、こいつは。『あいつは俺の妹なんだ』って止まらなくてな。確かに、俺たちは誰もこいつの存在は知らなかったよ。本当にサナちゃんの兄貴なのかはわからない」
でもな、と男は一度区切って続けた。
「ドーマの、サナちゃんを助けたいって想いは本物だよ」
男の、その発言にサナは思わず顔をうつむかせる。
わけがわからなかった。
なんで、存在していることすら知らなかった妹のためにそこまで強く気持ちを持てるのだろう。
「だからこいつを兄として受け入れてやってくれ、なんて俺には言えないが、ドーマのこの気持ちだけは信じてやってくれないか? 別に、今すぐじゃなくていい。長い時間をかけて、こいつのことを信用してやってほしい」
「……」
サナは、口をつぐむ。
何と言えばいいのかわからなかったのだ。
そして、代わりにドーマが男を指差しながら口を開いた。
「まあ、こいつの言う通り今すぐ答えを出す必要はねえよ。ゆっくり考えてくれ。おい、外へ出ようぜ」
ドーマは立ち上がると、男を連れて外へ出て行った。
サナは、混乱していた。
ゴブリンに襲われ、目を覚ましたかと思ったら見知らぬ男が家にいて、しかもその男は実は兄弟で、父親は旅に出たと告げられて……。
自分は、どうしたらいいのだろう。
「お父ちゃん……」
今はいない、父親を思う。
わがままだった自分を、それでも可愛がってくれた父親。
自分の事を後回しにしてまで、サナの事を考えてくれた父親。
それに比べて、自分勝手に振舞ってきた自分。
父親に迷惑ばかりかけて、それでも全く省みる事の無かった自分。
それでいいのか。
甘えてばかりでいいのか。
「……よしっ」
サナは誓った。
父親が旅から帰ってくるまでに、今度は父親を助けられるような自分になる事を。
誰にも迷惑をかけず、真に何でもこなせるような凄い自分になる事を。
だから。それまで。
あの人は、ドーマという人は、自分には必要だ。
自分が決めた素敵な自分になるまで、ドーマの、お兄ちゃんの力を借りよう。
そして、最終的には自分がお父ちゃんやお兄ちゃんを心配してやるんだ。
サナはすくっ、と立ち上がる。
まだ、二人はそう遠くには行ってないはず。
サナは部屋を出ると、玄関の扉に手をかける。
ゴブリンに襲われてたりしないだろうか。
――お兄ちゃんをまずは一回、心配してやった。




