4-6 届かない想い
「……何を言ってやがる」
「ふはは。今はわからないかもしれませんね。いずれ理解しますよ」
ベクターはゆっくりと立ち上がると、彼が侵入した時に出来たであろう、穴の開いた窓に手をかける。
「私があなたに強制することはただ一つ。近づいた村人を攻撃しろ。これだけです」
「……は? 意味がわからねえ。なんでこんな俺がそんな命令に従わなくちゃならねえんだ」
「でないと、村人全員が死ぬことになるからですよ」
サナはもはや、ベクターの言うことを一つ一つ理解することさえできなかった。
いや、一つ一つが理解の及ばない範疇にあるだけなのか。
「私は、既に村人全員の衣服に私の力で作った『種』を仕込んでいます。あなたが私の命令に背いたことがわかれば、即座に種が発芽。村人を食い殺します。まあ、一切の衣服を身につけなければ良いだけですが、そんな猿同然の生活を村人全員に強いることがあなたにできますか?」
「……」
「無理ですよね。あぁそうそう。あなたのご両親の遺体ですが、このままじゃ騒がれると思うので、誤魔化させていただきますね」
「誤魔化す、だと……?」
「はい。今からこの村で戦争を起こします。大量の死者を出せば、この二つの死体ごとき誰も気にもとめません。その戦争の被害者の一人としか認識されないでしょうからね」
さーっ、とサナの血の気が引いていく。
戦争。
平和な村で生きてきたサナには馴染みの無い単語だが、その言葉が表す意味を、今のサナは恐ろしいほど理解できていた。
嫌というほど感じた、命の危機。
単純に考えて、それが村人全員に襲いかかり得るということだ。
「あぁ、お嬢さん。あなたもですよ。この事を誰かに伝えれば即座に村を壊滅させます。もちろん、あなたの命ごと、ね。その石はいつでも回収できそうなので、それまで預けておきます」
なんで。なんで。なんで。
この男は、一体何の目的でここまで酷いことをするのだ。
そして、自分は何て無力なのだ。
サッチの拘束を解く手段を持ちながらも動くことができない。
村人の危機を知るも、それを伝えることもできない。
自分は、何でも出来ると思っていた。
競走は男の子にだって負けないし、喧嘩したって相手を泣かしてやれる。
周りの女の子より料理だってできるし、これから父親の仕事だってできるようになるつもりだった。
しかし、そんな事に意味はなかった。
そんな事、圧倒的な暴力の前では無意味なのだ。
「では、良き死人ライフを」
本当に軽々しくそう言うと、ベクターは窓から外へ出て行った。
途端に、静寂に包まれる。
そして今は、この静寂が恐ろしかった。
死を連想してしまう。
現にここは、二つの死体が存在する空間なのだ。
「……」
サナはとりあえず、サッチを拘束する蔓に母の形見の石を当てた。
パキィ! と、苛立ちを覚えるほど快活な音が部屋に響くと、やはり蔓は枯れていく。
「サッチ……これからどうするつもり……?」
サナは率直な疑問をぶつける。
サッチの事は好いてはいなかったが、サナは彼女のヒーロー性は認めていた。
サッチなら、自分では思い付かない何かしらの手段でこの危機を乗り越えてくれる。
そうであってくれという願いも込めて、サッチに問いかけたが、世界はそんなに甘くは出来ていない。
「……奴の言う通りにするしか、ねえだろ。村の奴らを襲わねえと、全員死ぬってんならよ」
「何で!? サッチはヒーローなのに……!」
と、そこまでサナが言うと、ガッ! とサッチに口を塞がれた。
いや、ただ単に顔を掴まれたのか。
「ヒーロー、だと……? そんなものは存在しねえ。あんなもの、所詮誰かが作った妄想の産物だったんだよ」
橙色の瞳が、サナを射抜く。射殺してしまうほどの悪意と共に。
「そんなクソくだらねえモンの真似事をした結果が、これだ。何一つ救えねぇ。はっ。村の連中もこれから大勢死んでくんだろうよ」
サッチは、サナを突き飛ばす。
しかしその力は、ただの華奢な少女のそれであった。
思わず、サナはサッチを睨む。涙で腫れ上がった眼で。
お前は悔しく無いのか――そう言わんばかりの瞳で。
サッチは、サナのその表情を見て少しだけ後悔する。
「……やつあたりした事は謝る。お前は父親のとこに行け。あの野郎はお前の父親を殺すって言ってたんだろ? お前の怪我も大丈夫だろ。結果論だが、毒があったらとっくに回ってるはずだ」
「……サッチは、来てくれないの」
「……俺は、誰も救えねぇ。俺が誰かを助けようと動けば動くほど他の誰かが死んでいく。もう、駄目なんだよ」
「……よわむし」
サナは、駆け出した。
どの口が言っているのだ、と自分でも思った。
泣いてばかりいて、震えて立ち上がれず、誰かに守られ続け、誰かを助ける事もできない。
そんな自分が、サッチに吐いていい言葉ではなかった。
それでも、言わずにはいられなかった。
彼女の、自信に満ちていた行動。ヒーロー性。
それと現在との落差が、サナを発言に至らせたのだろう。
サナは部屋を出る直前、サッチを一瞥した。
サッチは両親の近くに歩み寄り、血に染まっているであろう彼らを抱きしめていた。
サナはサッチの家を飛び出る。
父親は、村役場へ向かったはずだ。
「戦争」が始まる前に、見つけ出さなければならない。
サッチの両親と同じように、戦争での死者の中に紛れさせる事は十分に考えられる。
元々、ベクターの目的の一つはランドルの殺害だったのだ。
「お父ちゃん……!」
サナは、全速力で村役場へ向けて走り出す。
――
サッチは、サナが外へ飛び出していった後も、ずっと両親を抱きしめ続けていた。
最後の会話は何だったのか思い出せない。
きっと、記憶にも残らないような何て事ない内容だったのだろう。
当たり前すぎて。
一昨日、昨日、今日。
そして、明日、明後日、明々後日と、当然のように同じ時間を過ごすものと思っていた。
服を汚すなだとか何かと口うるさかった母親に、やんちゃな自分にすぐゲンコツを落としてきた父親。
よく喧嘩をした。
いなくなって欲しいと願った時もままあった。
いつまでも子供扱いをしてくる両親を疎ましく思ったこともあった。
正直に言って、自分はそこまで彼らが好きではない――と、思っていた。
サッチの前面は、みるみるうちに両親の血で染まっていったが、彼女はそんな事は気にしていない。
既に冷たくなっている二つの亡骸を抱え、サッチはポツリと呟く。
「今まで、ありがとう。あと、ごめんなさい」
サッチは、自分の両親の遺体を優しく床に寝かせ、開いたままだった彼らの瞳をそっと閉じる。
「アタシ、行かなきゃ。ヒーローなんかじゃないけど。どうしようも無いような悪役だけど、それでも、皆を守らなきゃ」
サッチは家の外へ出た。
爛々と輝く太陽が、億劫なほど日差しを照りつけてくる。
「ヒーローとして皆を守らずに、悪役として皆を守る。何で、俺はこんなに馬鹿なんだろうな」
これからサッチは、誰かを守ろうとする事は無い。
守ろうとすると、誰かを殺してしまうからだ。
これからサッチは、誰かを襲い続けるのだろう。
襲うことで、誰かを守れるからだ。
ヒーローに憧れ、しかしヒーローへの憧れを捨てた、血に濡れた少女は歩き出す。
『蝉』が、羽化した。




