4-4 慟哭
「……は?」
サッチは思わず、呆けたような声を漏らしてしまう。
当然だ。
ヒーローである自分。
たった今、お前ら父娘を襲う魔の手を追い払ってやったのに。
――何故、目の前の少女はこれほどまでに怯えているのだ?
サッチはわからなかった。
感謝こそされど、拒絶される覚えなど無い。
「サナ」
サッチの提案に対し拒否の意を示したサナに、ランドルが優しく声をかける。
「サナ。わかるな? 今はわがままを言ってる場合じゃ無いんだ。お父さんは、サナが心配だ。ウチより、サッチの家の方が近い。少しでも早く手当てしないと。何があるかわからないんだから」
ランドルは、ある事を危惧していた。
それは、ベクターと名乗ったあの男の力についてだ。
ランドルは、それなりに長い時を過ごした人生の中で、同じ力を持つ存在に出会ったことがあった。
火や水、音なんてものを操る輩もいるのを知っている。
そして、植物を自由自在に操作する者も。
ベクターがそいつとまったく同じ力を使っていた場合、サナが危ない。
――植物には、人体に有毒である物質を含む物もあるのだから。
「うぅ……わかった。我慢する」
サナは、父親に言われては仕方ないとばかりに、不満気に了承する。
「偉いぞサナ。すまないな、サッチ。この子をよろしく頼むよ。頼んだぞ、ヒーロー」
「あ? ……ああ。おっさん、あんたは村の奴らに一応伝えとけ。まだ安心とは言えねえからな」
サッチは、何故『我慢する』とまで言われなくてはならないのだと苛立つも、冷静な判断をくだす。
「ああ。そのつもりだ」
「えっ!? お父ちゃんは一緒に来ないの!?」
サナが驚いたように叫ぶ。
「ああ。お父さんはやらなきゃならないことがあるからな。大丈夫だよ、サナ。サッチは、お父さんなんかより強い、ヒーローなんだから。何かあれば、彼女が守ってくれるよ」
ランドルは、腰を屈めてサナと目線を揃えて話す。
「そうじゃなくて……お父ちゃんは大丈夫なの?」
「ん? そうだな……お父さんだって本気を出せばあんなやつイチコロさ! ……だから大丈夫。必ず、戻る」
それだけ言うと、ランドルは視線の先でそびえ立つ役場へ向けて走り出した。
「俺らも行くぞ。チンタラしてる暇はねえ」
「え? うわぁ!」
サッチは、かなり小柄なサナをひょいっと持ち上げると、サナの腰と膝裏を支えて彼女を抱える。
そのまま、ものすごい勢いで走り始めた。
風景が、あっという間に後ろへ流れていく。
相対的な爆風がサナを襲うも、それはものの数秒でおさまった。
サッチの家へ到着したのだ。
サッチは、サナを少々乱暴に地面に降ろす。
「いたっ! もー手当てするとか言っておいて雑に扱わないでよ!」
サナが不平不満をサッチにぶちまけるも、サッチは直立不動のまま動かなかった。
サナは、そんな彼女の顔を訝しげに覗き込む。
サッチは、険しい目つきで瞳をせわしなく動かしている。
直後、彼女の橙色の瞳がカッ! と見開いた。
バァン!! という激しい音を撒き散らして玄関の扉を蹴破ったサッチが家の中へ飛び込んでいく。
「え!? ちょ、ちょっと待ってよ!」
サナも慌てて彼女のあとを追う。
中はとても広かった。流石村一番の地主の住居である。屋敷、という言葉がぴったりと当てはまる。
日光が遮られているのか薄暗かったが、それがまたなんとも言えない高級感を漂わせていた。
しかし、豪華な内装の中で一箇所だけ、明らかな違和感を発していた。
扉が壊れていた。
サッチは、あの部屋に行ったのだろう。
サナはその部屋へ入っていった。
そこには。
絶望した表情の彼女と。
「おやおや、お嬢さん。あなたも一緒でしたか。不運でしたね。見なくても良かったものを見る羽目になってしまった」
翠の瞳からモヤのような光を滲ませている、ベクターがいた。
そしてさらに、見知った顔が二つ。
ランドルとサナが管理する、田畑の所有者。地主。サッチの両親。
その二人が。
鋭利な何かに眉間を貫かれて絶命していた。
「きゃあああああああああああああッ!!!」
嘘だ。嘘だ。嘘だ。
サナは、目の前の光景が信じられなかった。
人が、死んでいる。頭から血を流して。
数日前までサナと話していた、生きていたはずの、人間が。
――死んでいる。
サナは、思わずその場にへたり込む。
足から力が抜けてしまった。震えが止まらず、瞳からは透明な液体が溢れてくる。
歯はカチカチと音を打ち鳴らし、口が乾いていくのを感じた。
サナからは、薄暗い部屋の中で二人の詳しい顔形まではわからなかった。
明るければ、二人の表情がはっきりて見えてしまっていれば、吐瀉物を撒き散らしていたかもしれない。
そして一方、サッチの脳内は後悔で埋め尽くされていた。
何故、先ほどベクターが逃走を図った時、それを許してしまったのか。追いつこうと思えば追いつけたのに。
決まっている。自分がヒーローだと思っていたからだ。
敵を逃走させた。その事実に、満足してしまったから。
自分は、ヒーローなどではなかった。
ヒーローになったつもりで自分に酔った結果、本当に守りたい人に限って守れなかった。
今まで、たくさんの人たちを守ってきたのに。
ここで、サッチに一つの疑問が浮かぶ。
――守ってきた?
自分は今まで、本当に誰かを守るために動いていたか?
ヒーローになりたいがため、守ることより、敵を倒すことばかりに執着してはいなかったか?
それは、守ってやったはずの少女にさえ怯えられてしまうような行為でしか無かったのではいか?
いや、そもそも、守ってやったなんて考えを、何故するようになってしまったのか?
初めはただ本当に、か弱い人を守れる、そんな強いヒーローに憧れていた。
女の身で、それでも特殊な力を持った自分に出来ることを、出来るだけ頑張ってきたつもりだった。
ちょっとでも強く見えるように、自分の事を『俺』と呼び始めたのも、男っぽい口調で話し始めたのも、それがきっかけだったか。
――いつからだろうか。
助けるために力を振るうのではなく、力を振るうために人助けをするようになってしまったのは。
ヒーローというものを履き違え、自分の欲を満たすためだけに、好き勝手振舞ってきた。
それが、この結果。
全てを失った。
「ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッ!!!!!!」
サッチは、もう何も考えなかった。
ただ闇雲に、親の仇である男へ突進する。
「ふはは。直線的ですねぇ」
ベクターは、恐ろしい勢いで突っ込んでくる少女をいとも簡単に受け止める。
蔓のような植物を網状に張り巡らせ、彼女を捕らえたのだ。
そのまま蔓は、黒髪の少女を無力化するために四肢を拘束する。
サッチは、その場に倒れこんだ。
芋虫のように、もぞもぞと哀れにもがくも、手足が自由になることは無かった。
それでも、目の前のクソ野郎を八つ裂きにしようと必死で暴れていた。
「うっ……うぅ……」
サナは、先ほどから流してばかりの涙を必死でこらえている。
滲む視界で、床に伏せじたばたしているサッチを見るサナ。
足の震えは止まっていなかった。
それでも、自分がやれることをしたかった。
正直に言えば、サッチは嫌いであった。女の子なのに怖いし、なんか押し付けがましい。
でも、それでも。これはあまりにも酷すぎる。
サッチの助けになりたい。
震える足に鞭を打ち、ガクガクと膝を笑わせながらもサナは立ち上がる。
――その右手には、透明な石が握られていた。




