4-1 悲劇は突然に
――二年前――
「ねぇお父ちゃん!!」
丸い机に並べられた食事に手をつけ、少女が元気な声で父親に声をかけた。サナ=フローラ。橙色の髪を持つ、明るい女の子だ。
「何だ? サナ」
サナと同じ橙色の髪を短く切りそろえた壮年の男性が、箸を進めながら答える。
ランドル=フローラ。サナの父親である。ランドルは、サナがまだ赤子の頃に妻を亡くし、それからは男手一つでサナを育ててきた。
彼の豪快な育て方が、同い年の男の子にだって負けない体力を持つサナを育てたのだ。
「今日お父ちゃんの仕事について行ってもいい!?」
娘であるサナからの突然の申し出に、ランドルは一瞬眉をひそめた。ランドルの仕事は、田畑の管理や収穫などだ。
今日は、作物を選別して、熟しているもののみ収穫する予定であった。熟しているか否かの判断は素人目には不可能なため、サナを連れて行くことは負担にしかならないのだが――
「よし、わかった。じゃあちゃっちゃと飯食っちまえ!」
ランドルは、突然の思いつきのようなサナの提案を快く了承した。気分屋なところがあるサナが仕事を手伝ってくれることはあまりないのだ。
だから、サナが行きたいと言うのなら、連れて行こうとランドルは決めた。サナにも、そろそろ仕事を覚えてもらいのである。
「任せてお父ちゃん! よぉーっし、頑張るぞー!」
サナは、いつになくやる気のようだ。ふんすっ、と鼻息荒く、朝食をあっという間に平らげると、そのまま席を立って父親を急かす。
「ほら、お父ちゃん早く早くーー!!」
「わかったわかった。そんなに急がなくてもいいだろう」
サナに服を引っ張られたランドルは、口周りを袖で拭うと、促されるまま立ち上がる。そのまま後片付けもせず、サナを連れて家を出た。
快晴であった。まるでサナの気分が天候に現れたかのようである。ランドルは役場で荷車を借り、フローラ家が所有する畑へと、ガタガタと喧しい音を立てて引っ張っていく。
そんな中、サナが口を開いた。
「お父ちゃーん。疲れたよー。これに乗っちゃダメ?」
「ダメだ。歩きなさい」
「へっへーん! いやだよー!」
サナはランドルの言葉を無視して、荷車に飛び乗る。そのまま仰向けに寝転がり、うーんとか言いながら全身の筋肉を伸ばすと、澄み渡った青空を眺める。
「こら! まったく、しょうがないな……」
ランドルはサナに少し呆れながらも、注意することなく荷車を引き続ける。ランドルは、「優しい」と「甘い」を履き違えていた。
ほとんど叱られる事なく、甘やかされて育ったサナは、少しわがままになってしまったのだ。
一方サナはサナで、何でも自由にやらせてくれる父親の事が大好きだった。
ランドルもまた、少々わがままなところはあるが、可愛い自分の娘だ。サナに溢れんばかりの愛情を注いでいた。
父と娘。
二人きりでは大変な事もあるが、それでも楽しく生きていた。
――この日までは。
「どうも。初めまして」
荷車を引くランドルに、不意に声がかかる。ランドルは怪訝そうな顔を見せながらも、声のした方に振り返った。
初めて見る顔だった。その男は、珍しい翠の瞳を持ち、黒を基調とした衣服に身を包んでいる。年齢は二十代半ばといったところか。若く、比較的整った顔立ちをしている。
そしてその男は、にっこりと笑みを浮かべると、衝撃の言葉を口にした。
「あなたの殺害を命じられた者です」
「……は?」
思わず呆気にとられるランドル。ぽかーんと空いた口からは空気が漏れたような薄い音が鳴る。
ほんの数秒、沈黙が訪れた。そしてランドルは、目の前の翠の瞳をした男から、冗談を言ってなさそうな雰囲気を感じ取る。焦燥に駆られたランドルは、傍で佇む小さな少女に、声を荒げた。
「サ、サナ!! 逃げるぞ!!」
「えっ!? お、お父ちゃん!?」
ランドルは、イマイチ事態が飲み込めていないサナを抱きかかえると、荷車など捨て置いて来た道を全力で引き返していく。
「おやおや。逃がしませんよ」
そんな二人の後方から、落ち着き払った声が聞こえてきた。そして、次の瞬間。
「ぐあっ!!」
ランドルが突然転倒する。彼に抱えられていたサナは、慣性に従って前方へ投げ出された。
「きゃっ!?」
突然の浮遊感にサナは思わず叫ぶも、手をついて地面を転がる。転ぶのには慣れていたのが幸いした。怪我のしない倒れ方も、やんちゃなサナは学んでいたのだ。体が覚えていた。無意識のうちに受け身を取って、父親の方を向く。
「サ、サナ! とにかく逃げろ! 誰か人がいるところまで走るんだ!」
そう言ったランドルの足には、蔓のような物が巻きついていた。地面から生えた謎の細い植物が、彼の足を取って転倒させたのだとサナは漠然と理解する。
「慌てるから、転んでしまうのですよ」
ジャリ……ジャリ……と、翠の瞳の男は、全く舗装されていない砂利道を一歩ずつランドルに近づいていく。
その光景を、サナはただ見ている事しかできなかった。ようやく、大体の状況を掴んだサナは、恐怖のあまりその場に立ちすくむ。足は震え、唇が一瞬で乾いていくのを自覚する。
「サナ!! 早く逃げろ!!」
しかしサナは、フルフルと首を振った。瞳に涙を浮かべながら、父親の意思に反抗する。大好きな父親を置いて逃げる事など、小さい少女にはできなかった。
そして、綺麗な翠の瞳が、ランドルを見下ろす。
「さて、拘束でもしましょうかね。なに、痛くはありませんよ。ただ、ウロチョロされると面倒なのでね」
男が、ランドルへ向けて手を伸ばす。次の瞬間、もぞもぞと、まるで芋虫でも這い出てくるかのように、ランドルの周りの地面から何かが生えてくる。
それは、ランドルの足を絡め取っている蔓と同じ物だった。蔓は、うねうねと気味の悪い動きをしながら、次々にランドルの手足を縛っていく。
「や、やめて! お父ちゃんになにしてるの!?」
「サナ!! 良いから逃げろって言ってるだろ!! 早くしろ!!」
サナはそのランドルの剣幕に、ビクッと肩を震わせる。その大きな瞳からは、涙が滲み出ていた。
生まれて初めて。
父親に怒鳴られたのだ。
「うう……うああぁぁぁぁん!」
人生で初めて経験した、身の危険や父親の怒声。サナはそれらの異常な事態に耐えられず、泣き出してしまった。
「ピーピーやかましいですね。黙らせますか」
翠の瞳の男は、泣きわめく子供を静かにさせるために、泣きじゃくるサナに近づいていく。
「やめろぉぉぉぉぉおおお!!! サナに近寄るなぁぁぁぁぁぁあああああッ!!!」
ランドルは必死に蔓を解こうとするも、全く千切れる様子がなかった。そして、彼の必死の抵抗も虚しく、男がサナへ手のひらを向ける。
「ひっ……ひっぐ、ひっ……」
サナは、嗚咽が止まらなかった。それでも、足は言うことを聞いてくれない。数秒後に訪れるであろう良くない事態を想像して更に涙が溢れてくるが――
結論を言えば、サナにそのような事が降りかかることは無かった。
ヒュンッ、と。
サナのすぐ横で風が通り過ぎ、彼女の涙を散らした。
直後。大地が張り裂けるようなけたたましい轟音と共に、翠の瞳の男の姿が一瞬で消え去った。
否、突き飛ばされたのだ。どこからか高速で現れた、黒髪の少女の拳によって。
その少女は、自らに宿した速度を拳に乗せて全て吐き出したのであろう、その場にふわりと着地した。何かの軌跡を描くように一直線に伸びる砂煙を橙色の瞳で眺めながら、声を発する。
「お前ら、安心しろ。俺が来てやったぞ」
サナは、その人物を知っていた。この村一番の地主である一家の一人娘。
黒く、ツヤのある長めの髪に、夕陽のような鮮やかな橙色の瞳。サナとは違い、背が高く、大人びた少女。
この村では知らない人がいないほど有名で、
名を、サッチ=リスナーという、
のちに『蝉』と呼ばれ、村人たちから蔑まれることとなる、悲劇の少女だった。




