3-7 『蝉』の少女の理由
ラウィはとりあえず、先ほど『蝉』と遭遇したあたりへ向かった。スカイランナーは空中分解してしまったので、移動手段は徒歩しかなかった。
それでも、ラウィは歩く。自分が殴り飛ばされ、地面を削った痕から大体の位置を逆算し、林の中を歩き続けるが、なかなか目的地に辿り着かない。
遠すぎるのだ。
これだけの距離を一瞬で走り抜けたスカイランナーの速度に改めて感心するも、同時に『蝉』に対する恐ろしさをも感じた。
これほどまでの距離を、拳一つで殴り飛ばしたのだ。それも、人間二人をまとめて。明らかに人が、それも華奢な少女が出せるような力ではない。
音や振動を操る橙の神術師にも、こんな芸当は出来ないはずだ。神術膜による強化にしても行き過ぎている。神術には、まだラウィの知らない力があるのかもしれない。
そんな事を考えながら足を動かし続けていると、ラウィの視界が何かを捉えた。
(……何だろう? あの黒っぽいのは)
ラウィの前方に、何かがたくさん落ちていた。それも、手で拾えるような大きさではない。背負うことでやっと持てるくらいの大きな塊が、十以上。
それらは全て、地に横たわる村人たちだった。
(……彼女の仕業かな)
ラウィは地に伏せる彼らを一瞥するが、助ける気は無かった。そこまま傍を通りすぎる。
ラウィが今動いているのは、幸せになって欲しい誰かのため。見ず知らずの人間をいちいち片っ端から助けようとするほど、ラウィは人間が出来ていないのだ。
その場を去ったラウィだったが、ふとかすかな声が背後から聞こえて立ち止まった。ラウィはそっと振り返る。
それは、地面に転がる村人たちのうち一人から発せられた声だった。その村人は、ラウィに視線を向けると、弱々しい声で言葉を紡ぐ。
「あんた……例の、旅の子じゃねぇ……か。あっちの方には、行くなよ……『蝉』っていう、やばい奴が、行った……か……ら……」
そこまで言うと、その村人は一つの方向を指で示す。しかし次の瞬間には、その腕はぽとりと地面に落ちた。
かろうじて繋ぎ止めていた意識が、事切れたのだ。
「…………」
ラウィは、『蝉』という人間がますます理解できなくなった。
二年間も、村人たちを神術でいたぶり続ける一方、緻密な操作をしてまで死者は零に抑えている。
サナが口を閉ざさざるを得ない何かが『蝉』にはあり、『蝉』自身も好き好んで人を襲うわけではないかもしれないという可能性の存在。
現に今も、村人たちの意識の有無を確認しないまま立ち去ったせいで、気を失う前に目撃されている。
かなり雑だ。その行動に、ラウィは投げやりな感じすら受けた。まるで、やりたくないのに、無理矢理やらされているような――
ラウィは首を振る。
こんなとこでブツブツ考えていたって、何もわかるはずがない。
幸運にも、『蝉』が向かった方向を、村人が教えてくれた。村人の厚意を無駄にする事になるが、ラウィにとっては別に関係なかった。
(……まあ、でも、最後の力を振り絞って情報をくれたんだ。完全に無視ってわけにはいかないよね)
ラウィは、周辺を軽く見渡す。
その中で、一番大きい木に目をつけると、その木を思いっきりぶん殴った。
――両腕全体に、神術膜を厚く纏って。
二発。三発。
神術膜によって大幅に強化されたラウィの拳は、見上げるような大木をへし折った。
ベキベキベキ、と。うなるような轟音を立てながら大木が倒れていく。
そして、その大木がズズンッ……と轟音をたてて倒れた衝撃で、大地が大きく揺さぶられた。
ラウィが少しバランスを崩してしまうほど、地面が振動する。そしてこれは、かなり遠くまで伝わっているだろう。
(これだけの振動が起これば、近くにいる人たちが様子を見に来るよね)
ラウィは今度こそ、『蝉』が向かったと思われる方向へ歩き出した。
(……それにしても、神術膜で覆っても、あれだけの威力しか出ないのか)
ラウィは自分の拳を見つめる。
確かに、神術膜を習得する前とは、威力に天地の差がある。しかし、それでも、『蝉』ほどの威力は出せていないとラウィは思っていた。
ラウィは、大木を倒しはしたが、影響は微々たるものであった。殴りつける事である程度大木を傾かせ、あとは自重で勝手に倒れさせただけなのである。
それも、三回も要した。
これが『蝉』ならおそらく、一発でいとも簡単に大木を根こそぎひっくり返していただろう。
それほどの差。
ラウィと『蝉』との間には、超えられない壁が何枚も存在しているようだ。 その事実にラウィは歯嚙みするも、歩を緩めることはなかった。
確かに、自分より格上が存在するという事実は、ラウィの目的には障壁となるだろう。
しかし今は、『蝉』より強いかどうかなど関係がない。
先刻までとは違い、戦おうとしているわけではないのだ。
そして。
『蝉』を、見つけた。
木の上に腰掛け、物憂げに何処か遠くを見ているその黒髪の少女に、ラウィは声をかける。
「やっと見つけたよ」
「!」
『蝉』は、ラウィの声にびくっと反応するも、すぐに平静を取り戻す。
「……お前か。何の用だ?」
『蝉』は、女の子とは思えないほどやたら身軽な動きで木から飛び降り、静かに着地する。
そんな黒髪の少女に、ラウィは少し拗ねたように言葉を放つ。
「お前じゃない。ラウィ=ディースだよ」
「そうか。そんな事は聞いてねえ。何しに来た?」
「僕は名前を言ったんだ。君も名前を言ってよ」
「……クソめんどくせえ奴だな」
『蝉』は、片目を閉じて頭をガリガリと搔くと、一つため息を吐く。果てしなく自己中心的なラウィを一瞥してきた。
譲らない表情のラウィを見て諦めたのか、『蝉』が吐き捨てるように口を開いた。
「サッチ=リスナーだ。で? 次は俺の質問に答えてくれ。何しに来た?」
「……話だよ。君と話すために、ずっと君を探してたんだよ。サッチ」
ラウィのその言葉に、『蝉』……サッチは眉をひそめる。
「……自分が何言ってるのかわかってんのか? 有無を言わさず一方的にお前をなぶった俺と『話しに来た』だと? 何考えてやがる」
「そう、それだよ」
ラウィは一呼吸置くと、話を続ける。
「助けてくれたんだよね?」
「……何がだ」
「僕が殴り飛ばされた先は、僕が抱えてた、ドーマの家のほんとにすぐそばだった。サッチ。君は、ドーマを知ってるね? だから、僕とドーマを纏めてそこへ殴り飛ばした」
「たまたまだ」
「じゃあ、何で?」
ラウィは、近くにあった手頃な大きさの岩に腰掛ける。
「何で、『村人じゃない奴を攻撃する理由はない』って言った直後に攻撃してきたの?」
「……騙される方が悪いんだよ」
「これは僕の考えすぎかもしれないけど、あの時、君は僕を見逃そうとした。ドーマの治療をさせるために」
「……!」
「それなのに、あの時僕は君を警戒して慎重に距離を取ってた。早くドーマを治療させるために、もたついてた僕ごとぶっ飛ばしたんじゃないの?」
サッチは、橙色の瞳でラウィを睨む。しかしその視線には、敵意や悪意など、負の感情は混ざっていないように感じた。口を歪めて、その長い黒髪をかきあげる。
「はっ。妄想もそこまでくると笑えるな」
「まぁ、そこは合っててもそうでなくてもどっちでもいいよ。本題は別だ」
ラウィは、岩に腰掛けたまま、少し体を前へ乗り出す。
「何で村の人達を傷つけるの?」
「……関係ねえだろ。俺の勝手だ」
「言い方が悪かったね。何で村の人達を殺さないの?」
サッチの表情が変わった。
「聞いたよ。君が暴れ始めた二年前から、たくさんの人たちが襲われてるって。このままじゃ、いつか死人が出るって」
「何が言いたい」
「僕も、君と同じ力を使えるってさっきも言ったよね。人を簡単に殺せてしまうような力を」
「で?」
「……こんな力を二年間も使っておいて、一人の死者も出してない。この意味は、サッチ。君が一番よくわかってると思うけど」
「……」
サッチは口をつぐむ。異常なほど落ち着いた、しかし決して重苦しくはない静寂が場を包んだ。
風が吹き、木々が擦れ合う涼しげな音だけがこの場を支配している。
ラウィは、言いたいことは全部言ってやった。
これでもサッチが固く口を閉ざすのなら、もう無理だろう。サナの時と同じで、諦めるしかない。ラウィが願うある二人の幸せは、別の手段で護るしかない。まだ考えつかないが。
しかし、その心配は無用のようだ。
サッチが、眉を寄せて一つ息を吐く。
「……俺の攻撃を受けてピンピンしてるやつは、あいつ以外では初めてだ」
「あいつ?」
「ラウィとか言ったな」
サッチは、さっきまで座っていた木の根元に腰を下ろすと、橙の瞳でラウィを見据えてきた。
「全部、話してやるよ。この村で昔、何があったのかを」




