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蒼天のアルカンシエル  作者: 長山久竜@第30回電撃大賞受賞
▼Chapter 0. それは簡単に崩れ去る
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0-1 とある少年の決意

 


 すっかり陽が沈んだ時刻。美しい星々が瞬く夜空の下、鬱蒼と茂るその密林は、地平線の彼方までを隈なく真っ黒に染めている。そんな中ぽつんと、淡い光が周囲の木々を橙色に照らしている点が存在した。


 一つの簡素な家である。木材しか使われていない適当な造りの家は、しかし室内は暖気に満ちていた。


 パチパチと音を立て燃え上がる暖炉の側で、少女が椅子に腰掛けている。両手に持つ細長い棒をせわしなく動かすその少女は、名をレウィ=ディースという。


 現在冬ど真ん中。空から降りしきる雪や、凍えるような冷気から身を守る防寒具を、彼女は鼻歌を口ずさみながら編んでいた。


 気持ちだけでも明るくなる様な色の糸を使ってみようとか考え、傍の机に置かれた赤色の毛糸に手を伸ばしたところで、ドタドタと慌ただしい音が室内に木霊した。


 その正体は、レウィが愛してやまない、たった一人の弟であった。


「姉ちゃん! レウィ姉ちゃん! あのブローチ知らない!?」


 部屋に飛び込んでくるなり、少年は瞼を腫らした眼で姉に駆け寄っていく。


 普段は輝かんばかりの、彼の少し緑がかった蒼い髪は、今は埃にまみれてくすんでいた。きっと、家中を探し回っていたに違いない。


 年齢は九歳。クリクリっとした可愛らしい瞳や、明るい髪の色も手伝って、女の子と言っても疑う者はいないだろう。


「もう……! また失くしたの? 大切なものは肌身離さず持ってなさいってば!」


 レウィはため息まじりにそう強く言い放つ。弟がよく物を失くすため、この小言は姉の口癖になっていた。


 両親が幼い頃からいないため、四つ上のレウィが弟の親代わりとなっており、このようなことは日常茶飯事なのである。


 弟の名前は、ラウィ=ディース。


 姉のレウィと、弟のラウィ。この姉弟は時々喧嘩もしながらも、二人仲良く支え合って生きてきた。


「仕方ないねーまったく。ほら、一緒に探すよ!」


 そう言うとレウィは、ラウィの瞳から堪えきれずに溢れた涙を拭ってやり、席を立つ。


 普段なら弟に自力で探させるレウィだが、今ラウィの探しているブローチがどれほど大事なものか知っているため、手伝うことにした。


 レウィは、そのブローチを探しに部屋をあとにする。その後ろ姿を見て、姉に聞こえるか聞こえないかくらいの声でラウィが呟く。


「うん……ありがとう、レウィ姉ちゃん」


 姉も探してくれるということに強い安心感を覚えながら、大事だというブローチを探し始めるラウィ。


 そのブローチは、姉とお揃い。そして、両親の形見でもあるものだ。 ブローチにも関わらず、ラウィは衣服には装着せずに常に持ち歩いていた。


 もっとも、この日だけは、外へ出かけるときに失くすといけないからと家に置いていたが、結局どこに置いたかを失念してしまったようである。


 姉のレウィが『また失くした』と言うあたり、どれだけラウィが物を失くすことが多いかがわかるだろう。


「もー……どこいったんだよぉ……」


 炎しかない淡い明かりを頼りに、ラウィは机の下を覗き込む。見えないところにあるかもしれないと腕を隙間に差し込んだ、その時だった。


「きゃああああぁぁぁぁ!!!」


「!?」


 何かが破壊されるようなけたたましい破壊音と、同時に耳に飛び込んできたつんざくような悲鳴に、ラウィは飛び上がる。


 どう考えても悲鳴の主は、生まれてこの方聞き続けた、姉のレウィでしかありえなかった。


「姉ちゃんどうしたの!?」


 彼は、姉が叫んだであろう部屋に飛び込んでいく。


 そこには、彼が想像だにしなかった光景が広がっていた。


 それは、自分の姉の首に腕を回して羽交い締めにしている見知らぬ男の姿。


 その男の、鈍い光を放つ橙の瞳が、ラウィの恐怖心をより一層掻き立ててくる。


 男の背後の壁では、人が一人通れるほど大きな穴がこれでもかとばかりに存在を主張していた。悲鳴の直前に聞こえた激しい破壊音は、この穴を生み出したものだったのだと、ラウィは認識する。


 部屋の明かりはかき消されており、あたりも暗く、かろうじてレウィの姿が視認できる程度である。明らかに異質であるこの男は、フードを被っていて、その淡く光る橙の瞳が闇の中で強調されていた。


「だ、誰!? 姉ちゃんを離してよ!」


 幼い少年は、震えていた。フードの男は彼の声を無視し、冷たい目でラウィを見据えてきた。


「……邪魔ですね、この子供」


 次の瞬間、男の橙の瞳がより輝きを増す。


 暗闇の中から発せられる、夕暮れを連想させるようなその光は妖しくも美しく、ラウィを惹きつけた。しかし同時に、言いようのない恐怖も植え付けてきた。


 男が近くの壁を軽く叩く。すると、あたりの壁が小刻みに揺れ始めた。


 揺れは、大きくなりながら柱を通じて天井へ、やがて家全体へと伝わり、そこら中からミシミシという嫌な音が響き始める。天井からは木くずや埃まで降ってきて、呼吸もままならない程空気が淀んでいく。


 まるで巨大な地震が襲ってきたかのような揺れ具合だが、幼い弟はそんなことなど気にしていなかった。


 まず優先すべきことは、姉の奪還だと、意識がそこにしか向いていないのである。


「姉ちゃんを離せぇぇぇ!!」


 ラウィは、めまぐるしく振動する空間の中、大好きな姉を縛る男へと駆け出した。


「……愚かですね」


 フードの男は、簡潔に吐き捨てる。その声には、呆れの感情が多分に混じっていた。


 未だ腕の中でもがくレウィを抱えたまま、自身が開けた大穴から空気の澄んだ外へと出ていく。


 そして、瞳から妖しい光を発しながら、男へ走り込んでいくラウィへ、すっと手のひらを向けてきた。


「いっ、ぎゃあああああああッ!!」


 頭が割れる。ラウィは本気でそう思った。


 それほどの大音量が突如鼓膜を叩き始めたのだ。脳髄まで響くその音に耐えきれず耳を塞ぎ、その場に思わず倒れこむ。


「ああ! ラウィ! やめてよ! ラウィに何してるのよぉーー!!」


 弟の痛々しい様子にレウィは、自分を羽交い締めにしている謎の男に向けて力の限り叫ぶ。


 だが、フードの男はまるで何も聞こえなかったかのようにラウィに背を向けた。


 レウィを肩に担ぎなおし、無言のまま、月明かりが照らす林の中へ向けて全力で駆け出した。


 直後。男の元から必死に逃れようとしているレウィの目に映ったのは、今まで自分の暮らして来た家が、砂煙をたてながら倒壊するところだった。


 継続していた家中を軋ませる振動に、柱が耐えられなくなったのだ。



 それが、彼女にとって何を意味するかは明白だった。



「いやぁぁぁぁぁぁああああ!!! ラウィぃぃぃぃぃ!!!」


「やかましいです」


 フードの男は、肩で担がれているレウィの首元に手刀を容赦無く打ち付けた。


 華奢な少女は小さくうめき声をあげると、段々と四肢の力が抜けていき、そのまま動かなくなった。



 最後まで、誰かの名前を呟きながら。



 フードの男は人形のように静かになったモノを担ぎ直すと、密林の奥の闇の中へ隠れるように姿を消した。


 まるで、何かから逃げているかのように。


 そして、仲の良い姉弟が数年間共に過ごした、かけがえのない家は一瞬で瓦礫の山と化し、その下には、一つの小さな亡骸が横たわっている。




 ――はずだった。




「おい、怪我はないか?」


 しかし、大量の瓦礫に押し潰されている影は、一つでは無い。また、それは亡骸でも無かった。


 覆いかぶさるように、一人の男が暴力的な重量からラウィを庇っていたのだ。


「え、あ……」


「少し待ってくれ。すぐに瓦礫を消してやる」


 男はそう言うと、大量の炎を背中から噴出する。


 二人を押し潰さんとしていた柱や屋根だったモノは、瞬く間に灰へと姿を変えた。


「ふぅ。さて、少年。立てるかな?」


 紺色のマントに身を包み、燃えるような赤色の瞳と髪をしているその男がラウィに向けて手を差し出す。胸には、紅色の宝石のような物が鈍く光っていた。

 

 差し伸べられた手を見て、呆然としながらも小さくコクンと頷くとラウィは、赤い髪の男の手を取り、立ち上がる。そして、漸く気付く。


「姉ちゃん……は……?」


 爆音に襲われる直前までは、まだ視界に映っていたレウィの姿。辺りを見回しても、フードの男もろとも消えている。


「う、嘘でしょ……なんで、こんな事に……」


 みるみるうちに瞳に涙が溜まる。溜まりすぎた液体は、限界を迎えて頬を伝い落ちて行く。


 突然巻き起こった異常な事態の連鎖にラウィは混乱していた。


 何故こんな事にならなければならなかったのか。


 誰にも頼らず、ずっと二人で生きてきた。何も悪い事などしていないのに、家を破壊され、姉は顔も名前もわからないどこかの誰かに連れ去られてしまった。


 一体自分たちが何をしたというのだ。


「姉ちゃん……嫌だよ! どこ!? どこにいるの!? 姉ちゃん! 姉ちゃん!」


 気がつけば暗闇を走り出していた。しかし、足は震え、上手く動かない。足がもつれ、すぐに転倒してしまった。


「う、うぅ……うあああぁぁぁぁ……」


 地面に倒れ伏したラウィは、顔をくしゃくしゃにして泣き出す。彼はまだたったの九歳。この状況に耐えられるわけがなかった。


 赤い髪の男は瓦礫と灰を足でどかしながら、嗚咽を漏らしている少年の元へ歩み寄る。


「メソメソ泣くんじゃない」


 頭上から不意にかけられたその声の主を、ラウィは涙と鼻水と土でぐちゃぐちゃの顔で睨みつける。


「うるさい! おまえに何がわかるんだ!」


「あぁ、何もわからないな。しかし、わからないからこそ言える事がある。今ここで泣き喚くことが、少年にとって最善の選択なのかな?」


 迫り来る大量の瓦礫から身を挺して少年を守った赤毛の男は、本来なら礼を言われるべきなのだが、代わりに怒声を浴びせられても全く意に介す様子がない。


 思わず叫んでしまったラウィだが、彼も本当は理解していた。ここで泣いていても何も解決しない事など。


 しかし、わかっていてもどうすることもできないから、流れる涙を止めることができないのだ。


 そんなラウィの心を知ってか知らずか、赤い瞳の男がおもむろに口を開く。


「……この家を壊したやつは、シュマンという組織の者だ。私はそいつを追っている。私が属している、アルカンシエルの任務でね」


 ラウィは少しだけ冷静になった頭で、考えた。


 アルカンシエルという組織に入れば、姉をさらったシュマンという組織を追い、救い出すことができるのではないか、と。


 姉を心から慕う弟は、考えると同時に声に出していた。


「僕を、そのアルカンシエルっていうのに入れてよ!」


「駄目だ」


 ラウィの決意とは裏腹に、赤眼の男は否定の言葉を即座に投げかけてきた。


「どうして!? 僕は、姉ちゃんを助けなきゃならないんだよ!」


「悪いが、規則なんだよ。入隊希望者は直接本部に行かなければならないんだ」


「そんなの知らないよ! 僕もそこに入れてよ!!」


「わがままを言うんじゃない。ウチに来たければ、本部を見つけるんだ。実力を証明してみせろ」


 アルカンシエルの男は、少し最後のあたりを強調して言った。ふるいにかけたのだ。それは、ラウィに向けた優しさ以外何ものでもなかった。


 ラウィは、甘い考えを捨てた。捨てざるを得なかったのだ。紅い男の放つその雰囲気に、わがままなど通用しないことを実感した。だから、不本意でも目の前の紅い瞳を真っ直ぐと見つめ、力強く宣言する。


「……わかった。なら、絶対に見つけ出してみせるよ」


「良い眼だ。最後に一つだけ言っておこう。さっき私が背中から出した炎。あれは『神術』と呼ばれている力で出したものだ。世の中には、そんな力を持つ輩もいる事を胸に刻んでおきなさい」


「僕には、それは使えないの……?」


「残念だが、神術は練習すれば誰でも習得できるという訳ではなくてね。生まれ持っての素質が必要なんだ。まあアルカンシエルには、ゴロゴロいるんだがね」


 アルカンシエルの男は、少しかがんで、ラウィと目線の高さを合わせる。


 その顔は、すこし微笑んでいることが、暗い空間の中でもラウィはっきりと見てとれた。


「神術を使える者は、瞳が異常な色をしている。少年は黒い。だが、成長につれて色が変わる事もある。少年にも、その才能が無いとは言えない。君がうちに来る事を、楽しみにしているよ」


 赤眼の男はラウィの頭を、ポン、と軽く叩く。そのまま、闇夜の林の中へその姿を消して行った。


「ま、さか……」


 そして、ラウィの頭の中はある事に支配されていた。

 姉の眼の色を思い出す。彼女の瞳は、自分の真っ黒な瞳とはまるで別物なほど綺麗な色を醸し出していた。


 おそらく、レウィには神術を使える才能があったから、誘拐されてしまったのだ。


 ラウィが一緒に連れ去られなかったのは、瞳が黒い者は必要としなかったからなのであろう。


「は、ははは……」


 苦笑しかでてこなかった。自分は誘拐する価値すらないのか、と。


 だが。そんな事今はどうでもいいのだ。考えるべきは、姉の奪還。それさえ遂げられれば、自分は弱かろうと無価値だろうと関係ない。


 そう思って涙を拭い、闇夜を照らす月を見上げて自分のすべき事を再確認する。


「何があろうと絶対に、姉ちゃんを助け出してみせる」


 噛みしめるように。自分に言い聞かせるように、そう呟く。


 その時少年の目に、一つの光が飛び込んできた。瓦礫の下にある何かが、月明かりで照らされて輝いているようだ。


 ラウィは何かを思うと、月明かりを反射している「何か」を瓦礫をどかして掘り出す。


「……あ」


 それは、ついさっきまで姉と探していた、形見のブローチであった。


 その砂にまみれたブローチを手にとったラウィの頭に、数えきれないほど言われてきたあの言葉が蘇る。


『大切な物は肌身離さず持っていなさい』


 いつも、何度も何度も言われ続けていた事なのに、何よりも大切な物を、自分は手放してしまった。


 姉との約束を守るため。ラウィ=ディースは、ブローチを握りしめ、暗闇の中、林を歩き始めた。




 一番大事な物が何であるか、わざわざ言うまでもないだろう。




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