連れ去られた少女 2
少女は、歩く。
何の目的もなく、ただ、あてもなくそこを歩いていた。薄暗い廊下。明かりもまばらなその長い一本道を、ゆらゆらと徘徊する。
ここは、シュマンと呼ばれる組織。そこに攫われた少女は心を閉ざし、何をするでもなく、ただひたすらに彷徨い続けた。
そんな彼女を気の毒に思ったのかは知らないが、彼女を見た者たちが口々に少女の名を口にし、彼女を心配する。
――違う。
少女は、自分に向けられた、意味のわからない音の羅列を無視して、間を通り抜け去っていく。
また別のところで、少女は名前を呼ばれる。今度は、恰幅の良い壮年の男であった。
彼の行動は、純粋に少女を心配してのものだったが、少女はそれをも黙殺する。
――違う。
次は、自分と歳が同じくらいであろう少年の呼び掛けを無視する。
――違う。
今度は、少女よりかなり歳下の幼女に名前を呼ばれて引き止められるが、それをもまるで聞こえなかったかのように素通りする。
――違う。
――私は、そんな名前じゃない――
少女は、誘拐されてきたはずの自分の身を案じて心配してくれている人たちの好意を無下にしてきた。
いや、そうではない。反応してやる価値が無いのだ。
自分には、れっきとした名前がある。
愛する弟に呼んでもらっていた、自分だけの名前が。
それを、最後の誇りにしていた少女は、違う名前で呼んでくる輩に反応してやるつもりはなかった。
彼女は、名前を変えられていたのだ。
理由はわからない。ただ、ここへ連れてこられたその日に、幹部とかいう奴の一人に違う名前を付けられ、それがシュマンという組織中に広まってしまっているのだ。
だから、少女に声をかける人々は、自分が知っている名前が、まさか少女の本当の名前ではないと知るはずがなかった。
そしてそれは、少女の本当の名前を知る者がいないことを意味する。
彼女は、既に全てを失っていた。そんな中ギリギリのところで残された、ちっぽけな最後の残りカスのような自尊心でさえ、シュマンに奪われる。
もはや、少女を少女たらしめる要素は、何一つ残っていなかった。
愛する弟も、もういない。彼と生活を共にしていた我が家も瓦礫と化し、名前すらも、もはや別のものとして成り立ってしまっている。
生きている意味など無かった。大体、自分を連れ去った組織に生かされる理由など無い。さっさと殺してくれれば楽なのに。
そして、そんな生活が続いたある日、少女は決心した。
死のう。
こんな腐った世界で生きていても何も良いことなどない。それなら、今すぐ命を絶って、弟のいる天国へ向かおう、と。
少女は乾いた笑いを一つだけ零す。それだけだった。かすれた声で嗤う彼女は、ふらふらと何処かへ消えていった。