12-9 今度こそ邂逅
「エヴァンス。寝るには少し早いようですよ」
リムと合流するまで待つのがかったるくて、さっさと眠りにつこうとしたエヴァンスに、ノースレビーから声がかかる。
その声色は、少しの気怠さを帯びていた。
「なんだよノースレビー。邪魔すんならぶっ殺すぞ。愉快な塵芥になりてえのか?」
「その塵芥予備軍の前に、潰さなければならない輩が出てきたようです」
エヴァンスは忌々しげに薄めを開ける。
ぞろぞろと。狭い路地裏を埋め尽くすように、全身武装した男たちが二人を取り囲んでいた。
逃げ場はない。
逆方向からも、同数の武装兵たちが行く手を遮っていた。
「貴様らだな。ウチの重鎮たちを殺して回っていたのは」
先頭にいた、一際重厚な鎧に身を包んだ男が、低い声で呟く。どうやら、この男が頭らしい。
その敵意剥き出しの呻きに対してエヴァンスは――
「……めんどくせえ。なんだって残業なんかしなきゃならねえんだ」
――カケラも意に介していなかった。
立ち上がりもしない。汚い地面に寝そべったまま、あくびでもするように軽い調子で男を見ると、
「眠いから、今なら見逃してやる。気が変わらないウチに消えろクソ虫」
「立場が分かっていないようだな。見逃して欲しいと頭を地面に擦りつけるのは貴様の役目だ。まあ、どれだけ醜く懇願しようと、貴様らを待ち受けるのは死のみだがな」
「頭がシアワセだな、おい。なら、お花畑のまま死ね」
それだけ吐き捨てると、エヴァンスはゴロンと寝返りを打って視線を背けてしまう。まるで、朝日が億劫で布団にこもってしまう時のように。
「エヴァンス。そんなに面倒なら、逃げてしまえば良いのでは?」
「テメェのアタマも大概だなノースレビーよぉ。そりゃ弱い奴が強い奴に対してする事だ。俺には無縁の単語なんだよ」
エヴァンスの心優しい気遣いを無視して、剣を鞘から解き放つ鋭い音が、複数回鼓膜を突く。
おそらく、今にもエヴァンス達へ飛びかからんと、柄を握りしめて構えているはずだ。
(……あほらし)
大きなため息をこぼす。
なんというか、哀れだ。そうとしか言えない。神術師に、ルヴェールに、その中でも最強であるこの自分に、何をどうして神力も通していない鉄くずを向けているのか。
「……ったく。命は大切にしろってガキの頃言われなかったのか、テメェら」
「エヴァンスは言われたのですか?」
「言われてねえよ。だから殺す。残念だったな」
直後だった。
ズァォッ!!! とエヴァンスの全身から凄まじい勢いで水が溢れ出す。ワームのように自在にうねるその水塊は、リオストの兵を食らわんと大口を開けて飛び込んでいく。
だが――
「甘いッ!!」
兵長らしき男が、水のワームへ盾を向ける。そして、激突と同時。パキィンッ! と壺が割れるような快活な音と共に、エヴァンスの操る水塊は瞬く間にその形を失くし、土砂降りの雨となって周囲に降り注いだ。
エヴァンスは眉をひそめる。
ただの盾なんかでエヴァンスの神術が破られる訳がない。これは、おそらく――
「神縛石で出来た盾か。弱者なりの小細工ってやつだな」
エヴァンスは、ようやく立ち上がる。その青い髪を揺らし、青い瞳で兵達をにらんだ。
「その剣も、刀身は神縛石か。無駄遣いご苦労さん」
エヴァンスは、最強の神術師の一人だ。
彼の纏う神術膜は、一つ上の段階にまで登りつめている。通常のそれとは性質が全く異なるのだ。
それは、どんな攻撃であろうとエヴァンスを傷つけることはおろか、触れることすら叶わない。しかしそれは、あくまで神術師としてのエヴァンスだ。
神縛石によって神術を無効化されれば、流石のエヴァンスといえども刺されれば死ぬ。
しかしそれでも、リオストの兵がしているチープな対策は、無駄遣いとしか形容のしようがなかった。
「無駄遣いではない。これは対神術師用に打たれた特注の刀だ。これで貴様を討たせてもらう。貴様はその時、この剣の存在意義を悟ることになるだろう」
「だから、それが無駄遣いだって言ってんだよ」
エヴァンスは、出来の悪いクソガキにでも困らされているように、眉間にしわを寄せる。
そして。
腕を大きく開いて、簡潔に告げた。
「その程度で、蒼い死神から勝利をもぎ取れるとでも思ってんのか?」
キュガッ! と。およそ水から発生したとは思えない鋭い音が周囲を穿つ。狭い路地裏に広がる建物の外壁を、粘土か何かのように容易に抉り取っていく。
細かい瓦礫が降り注いで来たが、リオストの兵達は構わず強行を決意したようだ。馬鹿みたいな雄叫びをあげながらエヴァンスとノースレビーへ向かって走りこんでくる。
「確かに、俺の攻撃はその盾で霧散するし、切りつけられれば流石に無傷では済まないかもしれねえ」
エヴァンスは、「だが――」と一拍を置くと、
「そもそもの話をすんぞ。ーーそんな事、まったく問題じゃねえんだよ」
バキバキバキッッッッ!!! と。おぞましい轟音が空間を満たす。路地裏を路地裏たらしめている複数の建造物が、ゆっくりと倒れこんで来ている音だった。
水は、軒下から垂れ続ければ地面をも削る。それを、最高クラスの神術師であるエヴァンスが操ればどうなるか。
答えは簡単。
好きなものを好きな形に切断する、最強の彫刻刀の出来上がりである。
「は、話がちげえぞ!!」
今更ながらリオストの兵達が慌てふためくが、決定的に遅い。
星そのものが揺れたのではないかと錯覚してしまうほどの地響きを撒き散らして、用途も知らない建造物が虫のように兵を踏み潰した。
「た、たすけグベぅ!」
そして、何とか圧死から逃れた幸運な虫ケラを、エヴァンスは直々に潰していく。
神術師の高速移動に、ただの人間がついていける訳がなかった。呼吸一回分ほどの僅かな時間で、エヴァンスの周辺には瓦礫とミンチと頭が弾けた死体しか存在しなくなっていた。
「……まったく。派手にやりましたね。というか、私の事まったく気にしてませんでしたよね?」
「何だノースレビー。生きてたのか」
「なんとか」
「そりゃ残念だ」
「私もですよ。この騒ぎは面倒なことになりそうです。人に見つかる前にさっさとこの場を去りましょう」
確かに、遠くの方から喧騒が聞こえてくる。当然だろう。建物が複数倒壊したのだ。これで騒がないというのならこの国はイチから生命倫理を見つめ直した方が良い。
それを引き起こしたエヴァンスが、一番危ない価値観を持っているのだが。
「面倒くせえな」
「あなたのせいでしょう」
口では不平をこぼしながらも、エヴァンスは渋々ノースレビーの提案に乗る事にした。流石に、これは自分に原因があるとは思っていた。
エヴァンスは、足に神力を集中させる。
その強化された二本で地面を蹴れば、青い少年の身体は空中に飛び上がり、この場から早々と離脱させるだろう。
そのはずだった。
その少年に、声をかけられるまでは。
「待てよッッッッ!!!!」
少年らしい、まだ声変わりも始まっていない甲高い声が響き渡る。
その少年は、エヴァンスよりも若干緑がかった、水浅葱色の髪をしていて。
その瞳は、大空のような蒼に染まっていて。
夜が明ける直前のような濃い紺色のマントに身を包んでいた。
アルカンシエルという組織である証の、その布切れに。
半年近く更新しなくてすみませんでした…
新人賞応募用の作品を書いているのです…
お待たせして申し訳ない…