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蒼天のアルカンシエル  作者: 長山久竜@第30回電撃大賞受賞
▼Chapter 12. 慈悲無き闇の世界
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12-7 リムの抱えるモノ



 ――



 少し酸っぱい、涙すら滲み出てしまうほどの空間。リオストの国中から生活ゴミなどが集まる廃棄場で、一人の男が散乱する生ゴミを踏み潰して歩いていた。


 丸い耳と、大きい前歯が特徴的な鼠の亜人、リム。とある青と紫の男二人をリオスト国内に招き入れた、裏世界に生きる青年である。


 リムは、そのゴミの山の中に埋もれる、大きな倉庫のような建造物の扉に手をかける。取っ手を軽くひねり、扉ごと少し押し、そして横にスライドさせる。


 鍵はかかっていない。この特殊な開け方をしなければ扉はヒトを通してはくれないのだから、つける必要も無いのである。


「ユーシ、帰ったさ」


 扉を開けて中に入るなり、リムは白いベッドで横になっていた人物に声をかけた。


 その人物は、生まれてから一度も切っていないのではないかと思うほど長い栗色の髪を無造作にベッド一面に広げ、隈の酷い虚ろな瞳でリムを見据えてきた。


「お帰りなさい……」


 彼女の名はユーシ。種族は人間。ちょっと身体の構造がおかしいのだが、それでもれっきとした人間である。


 この倉庫は、リムとユーシの隠れ家である。ゴミ処理業者が複数存在するこのリオストでは、自社の物以外の倉庫に触れる事は、当然ながら禁止されている。


 そして、この倉庫型の住居はどこの組織の物でもない。リムが勝手に廃棄場に建てた、存在しない組織の名を使う事で他からの干渉を防ぐ隠れ家なのである。


 悪臭に満ちた廃棄場。普通、何の目的もない一般人はこんな異臭しかしない空間には近寄らない。そして、唯一足を踏み入れる連中であるゴミ処理業者の者は、自社以外の倉庫には絶対に触れない。つまり、二人が隠れるように暮らすこの建物は、何者も侵入してくる事がないのである。


「今任務の途中だからまたすぐに出なきゃいけないけど、なんかして欲しいことはあるさ?」


 のそり、と。ゆっくりとした動きでベッドから起き上がったユーシという少女に、亜人の青年リムが語りかける。


 ユーシは、人体実験の被験者なのである。奴隷という地位の存在には、そんな事をしても許される。似たような姿形をしているため情が湧くのか、多くの者は奴隷をペットのように扱っている。しかし、非人道的な扱いや、凄惨な実験などを行う輩も、決していないわけではない。


 ユーシもその被害者の一人。今は訳あって実験されてはいないが、あちこち切り開かれた肢体は、相応にむごたらしい。


 しかし少女はそれを感じさせる事のない屈託のない笑みで、一つの願望を口にする。


「お菓子が食べたいな……」


 それは、普通すぎる願い。小さな小さな幸せだけど、それでも望む、少女としてのささやかな希望。人体実験なんてこの世の絶望全てを詰め込んだような非道い目に遭いながらも、決して手放したくない『普通』。


 こんな事を言う奴だから、リムはユーシを放っておけないのだ。


「生憎、今は持ってないさ。でも待ってろ。今度は食いきれないくらい大量に買い込んできてやるさ」


 リムは、ユーシの栗色の髪を撫でる。それに対しユーシは、満面の笑みをユーシに返してきた。


「うん、楽しみにしてるね」


 やり取りだけ見れば、自分達は深い関係であると思う者もいるかもしれない。しかし、実際彼女とはなんの関係もない。血の繋がりなんてのはないし、恋人というわけでもない。


 ただ、大切なのだ。理屈なんて物じゃない。過酷な運命の鎖に縛られた、弱くて強い普通の少女を知ってしまった。それだけで、ユーシを見捨てることはリムには出来なかったのだ。


 もう、どれくらいの付き合いになるだろうか。二年は確実に経過している。リムは、それほどの長い間ユーシの面倒を見てきた。そしてこれからも、彼女を完全に救い切るまでは世話を焼いてやるつもりだ。


「ユーシ。お前は生きることだけを考えるんさ。何も心配はいらないさ」


「いつもありがとね、リム。でも、無理だけはしないでね?」


 ほらこれだ。ユーシだって意味がわからないくらい大変なくせに、こんな自分なんかの心配をしてくる。


 どこまでも普通の少女。他人を思いやる事ができ、嬉しい時は笑い、お菓子が好きな礼儀正しい女の子。


 しかし、人体実験の被験者であるユーシがそれをすれば、もうそれは立派な『異常』だ。リムは、それを『普通』にしてやりたい。その為に全て動いているのだ。


「いや、礼をいうのはこっちの方さ。ユーシがいるから、俺は生きて戻ってこれる。なんの目的もなかった俺に、生きる希望を、理由をくれたんさ。それがどれだけ救われたか」


「リム……」


「俺は絶対にお前だけは見捨てない。だから、リムは俺が帰ってくることを祈っててほしいさ」


 リムはユーシの細い両肩を掴む。そして、その鋭い瞳で栗色の髪を伸ばす少女をしっかりと見つめた。


 ユーシは顔を少し傾げて微笑むと、小指を立てた右手を、すっとリムの目の前に持ってきた。


「わかった。じゃあ、おまじない」


「おまじない、さ?」


「小指出して」


 リムはユーシに言われるがままに、彼女の方から手を離して小指を立てた。


 ユーシは、そんなリムの小指に自身の小指を巻きつけてくる。そして、小指同士が繋がったまま上下に軽く揺さぶってきた。


「――ゆーびきーりげんまん、うーそつーいたーらはーりせんぼんのーます――……」


「?」


「これ、どこかの国の約束を結ぶ儀式なんだってさ」


 ユーシの行動の意図がわからず眉間に皺を寄せるリムに、彼女は指を結んでいない方の手でポン、と背中を軽く叩いてきた。


「必ず、帰ってきてね」


「ああ、任せるさ」


 リムは、親指をピンと立ててそう宣言する。そして、そのまま倉庫を出て行った。


 柔らかく、変な匂いのする地面。ゴミにまみれたその空間を一歩一歩踏みしめるように歩くリム。彼の丸くて大きい耳は、犬の亜人には流石に及ばないものの、只の人間よりは非常に聴覚に優れている。


 廃棄場からかなりはなれた、国の中心部。何やら、ざわざわと忙しなく人が動く音や、いつもより多い声の数にリムは、現在国で起きている状況の大体を理解した。


(さて、この騒がしさ。あの二人なら、エンデルの殺害はもう終わった頃かもしれないさ。ここからが、本当の任務。気を引き締めてかからないと。感づかれたら、そこで殺されるかもしれない)


 リムは指を折ってパキッと音を鳴らす。そして、自分が呼び寄せた青と紫の青年を探しに、街へ繰り出すのだった。

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