12-6 闇に半歩踏み込んで
エヴァンスとノースレビーは、アルカンシエルの連中と遭遇したカフェから出たあと、一つの住所に向けて歩いていた。
ノースレビーが写真記憶で覚えた、とあるお偉い様の住居である。若い女性の奴隷を多数抱える輩を、ノースレビーは多数の奴隷保持者の中から選りすぐっていた。
ノースレビーの目的。そして、エヴァンスの目的とも被る、二人の為だけの選出である。まず手始めに、このリオストという国の軍事を司る三人の将軍、その内の一人を標的とした。
なるべく人目のつかない裏路地を進んでいく二人。陽の光があまり届かない建物の隙間を、二人は無言で歩いて行った。特に会話をする必要はない。自分たちは、仲良しごっこをしているのではないのだから。
コツ、コツ、コツ、と。靴底が地面で打ち鳴らす二つの音のみが暗い路地裏に木霊する。薄暗いからか、少し湿度が高いようだ。ひんやりとした空気は、真夏の日差しにうんざりしていたエヴァンスの肺の深くまで浸透していった。
そして。
「ま、待てよ!」
突如鼓膜を叩いた甲高い声に、二人は歩みを止めた。エヴァンスは、眉間にしわを寄せて背後の声を確認する。
そこには。
「はぁはぁ……ったく、探したぜ?」
エヴァンスがキノレリック外交官とかいう肉塊を刻んだ時、目と前で陵辱されかけていた黄色い少女が、何やら息を切らしていた。
黄色い髪に、黒い瞳。その顔は年齢に似合わず疲れや負の感情が刻まれていたが、それらを洗い落とせばきっと輝く。そんな事を思わせてくるほどに整った顔立ちであった。
服装は、先ほどの奴隷達が大勢いた大広間にいた時の何処ぞのお嬢様みたいな物とは違い、その細い足を強調する黒いスキニーパンツに、黒いベスト。そして、ボロボロの紅いマントを羽織っていた。
きっとこの少女は、ずっと光の当たる世界で生きてきたのだろう。その瞳は純粋でキラキラと輝き、一点の穢れも存在しない。
「ウチはディスカ。よろしくな。アンタらは何モンなんだ?」
額に汗を滲ませる少女――ディスカは、袖でそれらを拭いながら勝手に自己紹介をしてきた。
エヴァンスは、もはや癖になりそうなほどついているため息を、またも吐き出した。何なのだこの蜂みたいな色合いのガキは。
海よりも暗い青い瞳で、黄色と黒のコントラストを見せつけてくる少女をじっと見やる。
「正義の味方とでも言って欲しかったか?」
「いや、むしろアンタらは悪人だよ。ウチを、まだこんなクソみたいな世界に引き止めやがって」
そのディスカの言葉に、エヴァンスは少しだけ眉をひそめた。いや、彼女の言葉にではない。その言葉を発したディスカの瞳が、一点の曇りもなかったその水晶のような黒が、僅かに濁りを呈した気がしたからだ。
黄色い髪の少女ディスカは腰に手を当て、より背が高いはずの自分を、顎を突き出すことで無理やり見下ろしてくる。その口元はあどけない少女の物とは到底思えない歪みを孕んでおり、それらは全て『闇の住人』と言っても差し支えないとエヴァンスは感じた。
おそらくこの少女は、何かが外れてしまった。それは、陽の当たる世界では決して起こりえないもの。奴隷という世界の最底辺を経験したからこそ、ディスカの奥底に眠っていた何かが目覚めてしまったのだろう
だがそんな事はエヴァンスには関係がない。興味がない。星の数ほどそんな輩は見てきた。そしてそいつらは漏れなくロクな末路を辿っていない。そして、どうせこの蜂みたいな少女も同じ道を歩むのだろう。
「なら勝手にどこぞでのたれ死ね。ブタにビビってた分際で口だけは達者じゃねえか」
吐き捨てるように、言葉を紡ぐ。何なのだこの変わりようは。キノレリック外交官とかいう脂肪の固まりにも反抗できず、涙目で放心していた先ほどとは大違いだ。
きっとこいつは何か勘違いしている。自分が強くなったとでも錯覚している。そんなバカが真っ先に死んでいくのだ。
エヴァンスは、くる、と踵を返す。黄色い少女を背に、スタスタと次なる標的へと足を進め――たかったのだが、どうやらそうもいかないようである。
標的の住所を知るノースレビーが、何やらディスカと会話しているからである。
「良いですか、貴女はキノレリック外交官の奴隷です。いずれ追っ手が来るでしょう。奴隷は奴隷のままですし、今回に至っては殺害の容疑者候補ですからね。追われる前にこの国から出る事を勧めますが」
その長身を少し前に傾げ、目線を小さい少女に合わせて話しているノースレビー。あいつは一体何をやっているのだ。
「なんだノースレビー。やけに親切だな。シスコンの上にロリコンかよ。とことんまで救えねえな」
ノースレビーの趣味はどうかしている。一歩間違えればこいつもキノレリックのようになっていたのではないか、とまでエヴァンスは感じてしまった。有り体に言えば変態だ。
わざわざディスカとの距離を縮めて話すノースレビーは、エヴァンスの発言がどうやら少し不快だったようだ。珍しく口元を歪めてこちらを睨んでくる。
「喧しいですね。妹と似たような境遇の少女をぞんざいに扱うほどまでには、流石に落ちいないつもりなのですよ。一々茶々を入れないでいただきたい」
そして、ノースレビーの変態性には、どうやら理由があるようだ。悪く言えば言い訳だが。ノースレビーは、そうやって自身を正当化しているのだろう。
「ぞんざい、ねぇ。さっき奴隷の奴ら全員置いてったじゃねえか」
「面倒くさい男ですね、本当に」
ゆらっ……と。ノースレビーがゆっくりと背筋を立てる。エヴァンスよりも頭半個ほど長身なノースレビー。その紫の髪と瞳は、薄暗い路地裏では邪悪さを纏っているように感じられた。
無言で睨み合う青い少年エヴァンスと紫の青年ノースレビー。一般人が通れば失禁してもおかしくないほどの、ピリピリとした緊張感がこの場を支配する。
しかしそれは、少しだけ壊れてしまった黄色い少女には影響がないのである。
「おい! ウチ抜きで勝手に話進めんなよ! ウチは、アンタらに言いたい事があるんだ!」
出た。またこれである。エヴァンスはうんざりしていた。もはやここから続く言葉などほとんどわかる。今までもそうだった。エヴァンスが何か行動をした結果、思いがけず救われてしまった輩がいつも迫ってくるのである。礼をさせて欲しいだとか、仲間に入れてくれとかほざいてくる身の程知らずさえいた。
この黄色い少女も、きっとそうなのだろう。そう結論付けたエヴァンスは、目を細めてディスカを見据えた。
「礼なら必要はねえ。そこに偶々てめえらがいただけだ。助けたつもりはねえし、これからてめえらがどうなろうと興味もない。わかったらさっさと失せろ」
その言葉に、黄色い少女ディスカは一瞬ポカーンと口を開けて呆ける。しかし、すぐに腹を抱えて、少女らしい甲高い声で笑い出した。
「ははは! 礼だってよ! アンタ案外かわいい脳みそしてんだなぁ!?」
しかしその音は高くとも、篭っている感情は嘲笑に近いようである。生意気にも指を差してきて、口角を吊り上げていた。その瞳は、もはやドロドロに濁っている。腐っているとさえ言えそうである。
「あぁ?」
エヴァンスは不機嫌な様子を隠そうともしなかった。感情のままにディスカという少女を睨みつける。何故自分が嘲笑われなければならないのだ。その脳天に、今すぐ真っ赤な花を咲かせてやろうか。
エヴァンスの殺気の乗った眼差しに、しかしディスカは怯える様子を見せない。それは、少女の心が強靭になったのか、壊れてしまって反応しないのか。どう考えても後者である。
「はははっ。なに? お礼言われるかもとか期待しちゃったワケ? それって自分の行動が感謝される行動だったかもしれないって思ってたって事だよな? なんだ、思ったより人間してんなぁにーちゃん」
「ノースレビー、行くぞ。この手のバカには関わらないに限る」
エヴァンスはディスカの発言を無視した。こんな奴を相手にしている暇はない。さっさと次なる標的へとその身を持っていかなければ。そう判断した青い少年は、眼鏡の青年を急かした。
「そうですね。これ以上は関わる気はありませんよ。まだ逃げないと言うのなら、それはもう自業自得ですから」
ノースレビーもエヴァンスの発言に同意を示す。そのまま、黄色い少女を置いて暗い路地裏で歩を再開した。
しかし。
「だから待てって言ってんだろ!?」
ディスカは、とたたた、と走って自分たちの進行方向に立ち塞がってくる。エヴァンスは、一つ舌打ちをこぼす。本当に面倒くさいガキだ。
「……チッ。要領を得ねえな。さっさと要件を言え」
ディスカの『言いたい事』。礼でなければ一体何なのだ。まさか、此の期に及んで仲間になりたいとか言うとも思えない。だとしたら、先ほどの小馬鹿にしてきた態度はそれこそバカとしか言いようがないからだ。
流石にそこまで頭がゴブリンではないだろう。礼も言わずに仲間に入れろだとか、身勝手にも程がある。別に礼を言われたい訳ではないが、そんな空気も読めないクソ野郎なんて死んでも行動を共にしたくない。そして、そう思われるであろう事は、普通に生きてきた奴ならわかるはずだ。だから、そんな事のはずが――
「ウチを、アンタらと一緒に行動させてくれ!」
「却下だ。じゃあな」
ダメだこいつ。そう刹那で判断したエヴァンスは否定の言葉を即座に吐き捨てる。そして、足に神術膜を展開した。何故こんなクソガキに労力を割かなければならないのか、と少し苛立ちを覚えたが、一刻も早くこの黄色い少女から解放されたかった。
ダンッ!! と地面を蹴る。反発力の増大したエヴァンスの両脚は、一瞬でその身を上空へと持ち上げた。建物と建物の間を飛び上がり、そして屋上へと着地する。飛び立った瞬間『ま、待って!』とか聞こえた気がしたが、そんな事どうでもいい。
そのまま、エヴァンスとノースレビーは建物の上を、怪盗か何かのように飛び跳ねて一つの目的地へと向かっていった。
――
「ウチは、諦めねえぞ」
黄色い少女は、建造物によって細長く切り取られた青空を見つめた。