12-5 一方的な邂逅
――
(……クソが)
エヴァンスは、リオスト国の大通りに面した一つの飲食店、そこのテラスの一席で悪態をついた。もちろん、ノースレビーも同伴である。
また、目的の白い少女はいなかった。奴隷の目録を見た限り、可能性は高いと思ったのだが。
自分からセレンを奪われたあの日。エンデルの奴隷たちの中には、あの直後に大量に購入された奴らが含まれていた。もし、セレンをさらった奴とクソ赤毛を奴隷に逆戻りさせた奴が同一人物なら、セレンが一緒に奴隷になっていてもおかしくはなかったのだが。
どうやらそうではないらしい。全く、とんだ骨折り損である。
「お待たせしましたぁ。こちら、『激甘熟成ハチミツのはっちゃけどりんくっ!』でございまぁす」
若い亜人の女性がエヴァンスのテーブルに黄色いドロドロのドリンクを置いた。亜人という事は、どうやら店に雇われている奴隷だろう。亜人にしては厚い待遇で扱われている彼女に、エヴァンスは低い声で呟いた。
「名前は言わなくて良い」
何がはっちゃけドリンクだ。ふざけた名前を付けやがって。こんなネームセンスをしている輩をすり潰してやりたいが、味だけは悪くないためエヴァンスは不満をドリンクと一緒に飲み込んだ。嚥下して、軽く息を吐く。
「甘ぇ」
「相変わらずゲテモノ好きですね」
そんな味覚がどこかおかしい青い少年を、黒い眼鏡をかけた紫色の青年ノースレビーが苦笑いを浮かべて見つめてくる。
甘さと美味さは比例するというのがエヴァンスの考えだった。食い物というのは、甘ければ甘いほど美味いのである。ブラックコーヒーとかいう泥水をすすっているノースレビーなんかに、この美味さがわかってたまるか。
「何がゲテモノだ。てめえこそ黒い劇物なんか飲みやがって。死ね」
「にしても、騒がしいですね。何かあったのでしょうか」
エヴァンスの吐いた毒を華麗にスルーしてくるノースレビー。何処と無く雰囲気が落ち着かない街並みを、眉をひそめて眺める紫の青年を、エヴァンスは例のドリンクをまた一つ口に含んで一瞥する。
「当事者が何言ってやがんだ」
リオストという国の重鎮、外交官エンデル=キノン=キノレリックが殺害されたのだ。それだけではない。あのクソデブが住んでいたバカみたいにデカイ屋敷に雇われていた衛兵や騎士、奴隷管理局に勤めていたであろう連中もこぞって虐殺した。しかしおそらく、街の連中はまだ詳しい出来事は知らない。何かしら異常な事態が起こっているくらいにしか把握していないだろう。
当たり前だ。リオスト国のトップは、奴隷管理局やエンデルの屋敷での出来事は流石にもう把握しているはず。しかし、それを公にする事は出来ないのだ。そうすれば、たちまち国中が大パニックになる。大量殺人犯が、まだ国に潜伏している、と。
隠そうとしても隠しきれずに漏れてしまった一部の情報だけが駆け回っているだけ。だから何となく国民どもがざわついているだけで、未だ確信的な部分に触れている存在は極々少数だろう――
というのがエヴァンスの予想だった。そして実際、パニックを起こしていないという事は、決して遠い答えではないはずだ。
「で、これからどうするんです?」
ノースレビーが、ざわつく街並みから興味が失せたのか、瞳を閉じて黒い液体をずずっと啜る。
「どうって、決まりきってるだろうが」
エヴァンスは、気怠げに頬杖をつく。激甘のドリンクはとっくに空になっていた。この類のメニューは量が少ないのが難点である。
「てめえ、奴隷の目録の内容まだ覚えてんだろ?」
「生涯忘れる事は無いでしょうね」
さらっと大袈裟な事を呟くノースレビー。この眼鏡の青年は、写真記憶という力を持っているのだ。一度見たものを、映像として脳内に保存できる稀有な能力である。
それは別に固有能力などではない。ただ、運動が得意、人より高い声が出る。それらと同じで、その人物個人だけが持つ特技のようなものである。
「上層部の奴らが警戒して巣穴に引きこもる前に、手当たり次第奴隷を当たっていく。大量に飼ってる奴の住所を言え」
「多分に私好みの選定になりますが?」
「構わねえ。てめえの目的なら、メスガキが関わってくるんだろ? なら、俺にとっても無意味じゃねえよ」
エヴァンスは、ノースレビーの生きる目的を知っていた。興味もないのだが、知ってしまっている。そして、自分たちの目的が近からずも遠からずである事も理解していた。
「では、出ましょうか。まだリオストの上層部は、エンデルの殺害だけが我々の目的だと思っているかもしれない。しかし、ここからはそうはいかない。もう休憩は無しです」
「上等だ。制限時間がある方が楽しいんだよ、こういうのは」
二人は、テラスにある席から立ち上がった。飲み終えた食器はそのままに、木製の扉を開けて室内へ入った。店内の構造上、退店するには一度室内を経由していかなければならないのだ。
そのまま会計を行おうと、出口の扉へ向かう二人だったが、
(……あん?)
エヴァンスは、窓際の席に着いている一人の少女が目に止まった。ウェーブがかった輝く翠色の髪をツインテールにして左右から垂らす、その少女に。
妙にふわふわした雰囲気を纏い、どこか飄々としていて謎めいたイメージを醸し出すその少女は、瞳の色も鮮やかな翠色に染まっているのだ。
(翠の神術師……? 一人か?)
限られた人間にしか使えない、神術という力。それを瞳に宿す神術師は、シュマンにとって貴重な戦力となる。だから、特別な理由がない限りはその人物を勧誘するのが、シュマンという組織に所属する者全員の常時任務となっている。
しかしエヴァンスはそんな思想に浸かった覚えはない。有り体に言えば面倒臭い。だから、見て見ぬ振りをすることに決めた。
「何してやがんだノースレビー、早く進めや」
エヴァンスは、何やら立ち止まっているノースレビーを急かす。邪魔だ。でかい図体して突っ立つんじゃない。
ノースレビーの、その黒縁眼鏡の奥にある紫の双眸は、とある一点を凝視していた。それは、エヴァンスも気にしていた、翠色の少女の辺りである。
まさか、神術師だから勧誘しなくてはとか考えてるんじゃないだろうな、とエヴァンスは一瞬思ったが、すぐに否定する。ノースレビーも、シュマンに忠誠など誓っていない。そんな面倒なこと、するはずがないのだ。
と、ここで――
「とか言って金無えくせにドカ食いしてんじゃねえよラウィ!!」
何やら甲高い声が店内に響き渡った。声の主は、翠色の少女と同じテーブルの向かい側に座っている黒髪の少女だろう、何やら隣に座る蒼い髪の少年に喚き散らしているようだ。
エヴァンスは、少しだけ目を細めて彼らを睨む。やかましいからとか殊勝な理由ではない。彼らが身に纏う蒼いローブに、一つの組織の名が頭に浮かんだからである。
(あのローブ……アルカンシエルの連中か)
翠色の少女の向かい合う形で座っている四人。黒髪に、蒼髪、紅、黄色。やたらカラフルなそいつらは、こぞってアルカンシエルに所属する奴らなようである。
「エヴァンス……気づかれないうちに出ましょう。アレはまずい。もしカチ合えば、あなたはまだしも、私はちょっと死にかねないです」
「はぁ?」
ノースレビーが、エヴァンスに耳打ちしてくる。それに対してエヴァンスは怪訝に思い、眉間に皺を寄せた。
ノースレビーが弱気になるなんて珍しい。いつもは踏ん反り返って、全ての生き物を下に見ているような言動を繰り返しているのだが。
「まあ、俺は元々なんかするつもりはねえよ。面倒臭いからな」
それだけ簡潔に告げると、エヴァンスは激甘ドリンクの代金だけノースレビーに押し付けて店を出た。支払いとか面倒な事を、自然な流れで全て任せてやったのだ。ざまぁない。
太陽は、既に傾き始めていた。あと数時間もすれば空が橙に染まり、やがて真っ暗になるだろう。
(――セレンの野郎、いい加減に出てきやがれ)
エヴァンスは、やかましい白い少女を思い浮かべて蒼天の空を仰いだ。今度こそ、次なる標的の下に、目的の少女がいる事を信じて。