2-4 ドーマの疑念とサナの秘め事
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ドーマは、ラウィが寝る部屋の扉を閉めると、落ちている割れた竹の棍棒の残骸を蹴って隅に追いやり、真っ暗な階段を上がっていく。
ラウィは面白いやつであった、というのがドーマの率直な感想だ。
彼は、姉貴が攫われてからの五年間、波瀾万丈な人生を歩んできたようだ。その話を聞くだけで、いかに大変だったかがわかる。同時に、苦労人なラウィに尊敬の念を抱いた。
ラウィは、目標にまっすぐ向かっている、一人前の漢だ。
ドーマはラウィを信用はしても信頼はしないと言ったが、あんなものとっくに破綻していた。ラウィは、信頼するに値する人間だ。ちょっと常識や礼儀に欠けるところはあるが。
それも、五年間も独りで生きてきた事を考えると、仕方の無いことと割り切れる。本来あいつは、とても素直な人間なのだろう。
そんな事を思いながら階段を登りきると、二階のある一室で、ドーマは横になる。
誰も使っていない、埃にまみれた部屋だ。
(汚ねえけど……まあ今夜くらい我慢するか。明日中に掃除すればラウィをもっかい泊めても問題ない)
一階から適当に持ってきた服を体に掛けると、ドーマは瞳を閉じる。
ゼロになった視界で、ドーマはサナの事を考える。
(サナのやつ……やっぱり何かあるみたいだな)
サナは自分と出会う前に、『蝉』との間に何か良くないことがあったのではないかと思うことがある。
本人が直接言っていたわけではない。ただ、『蝉』が話題に上がるとサナは気分を沈めてしまうのだ。だから、ドーマは普段はその事を話さない。
今日はラウィに忠告する為に仕方なくその名前を口にしたが、やはりサナは途中から無言になり、知らぬ間にいなくなってしまった。
ドーマは、実は少しだけ心当たりがあった。しかし、サナにその事は聞かない。まだ、聞けないのだ。
それは、サナの傷を乱暴に抉ることになる。そんな事、兄である自分が出来るわけなかった。
それでも、やはりどうにかしてやりたい。ドーマはその事を考え続けていたが、いつの間にか意識は深い闇の底に沈んでいってしまった。
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サナは、二階にある自分の部屋に来ていた。
ドーマとラウィにお茶を持って行ったは良いが、彼らが話す内容にいたたまれなくなって、その場を離れていたのだ。
窓枠に肘を乗せて頬杖をつきながら、すっかり暗くなった夜空を見上げる。
サナは、自分の部屋が気に入っていた。過ごす分には狭いが、寝るのには充分な空間があるし、何より星が見やすいからだ。
今日もサナは満天の星空を見て、物思いに耽る。
この村は、とても平和だった。村人同士の仲も良く、互いに助け合い、足りないものを補って生きていた。
なのに。
あの日から、全てが変わってしまった。
平和だと、完全には言えなくなってしまったのだ。
村人間の仲は、相変わらず良好である。しかし、もっと根本的な部分が変わってしまったのだ。
突然訪れた、日常の崩壊。サナはラウィの話を聞いて、とても他人事のように思えなかった。
当たり前の日常を奪われてしまったという点では、ラウィも自分も何も変わらない、と。
しかし、サナはこうも思った。
ラウィと自分では、決定的に違うことがある、と。
ラウィは、彼のお姉さんが誘拐されてからというもの、五年間もの長い間、旅を続けて情報を集めていたのだという。
元の日常を取り戻そうと、必死に努力してきたのだ。
それに比べて、自分は何なのだ。この村で、唯一真実を知っていながら、二年間何もせずコソコソと生きてきた。
あの時誓った事だって、ほとんど守れていない。結局、自分の事しか考えていなかったのだ。
強い悲壮感がサナを包む。
我が身可愛さに、打開策を考えることすらしなかった。この村を、理不尽な暴力から守ってくれている人がいるのに。
サナは夜空を見ながら、大きく息を吐く。その吐息は、薄っすらと白く吐き出されるが、やがて風にさらわれ見えなくなる。
まだまだ冷たい風が、サナの橙の髪を揺らす。
その頬には、涙が伝っている。
サナは、とある人物を想って涙を流していた。
そう。
自分なんかとは違い、今日も村のみんなのために戦ってくれていたであろう、一人のヒーローを想って――