12-2 どこまでも茶番
「はああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――――……」
ディスカは、大きくため息をついた。全く、とことんついてない。よりにもよって最初だなんて、本当にこの世界ってのは意地悪だ。
暴れまわって全部ぶっ壊すことが出来れば、どれだけ楽か。どれだけ楽しいか。目の前の脂まみれの汚物を亡き者にしてやれれば、どれだけ幸せか。
しかし、ディスカにそんな力はない。自分はただの、何の変哲もない十三歳のガキなのだから。妄想することは出来ても、それはあまりにも現実と離れすぎている。
だから、ディスカは決意した。絶対に、この男の手になんか落ちないと。最後の最後まで残った、死への恐怖。それを、強い心で無理やり覆い尽くす。
「おぉい? 早くこっちへ来なさぁい」
いつまでたっても動かず、返事すらしないディスカに少し機嫌を損ねたのか、声量を微増させて接近を促してくるエンデル。
ディスカは顔を俯かせたまま、消え入りそうなか細い声で呟いた。
「……うっせーデブ。誰が行くかってんだ」
「ちょ、ちょっとアンタ……ッ」
後ろから何やら焦ったような声が囁かれてくる。どうせ、さっきの赤毛の女性だろう。『逆らうな』と忠告してきた、あの弱い女である。
ディスカはそんなのに従うつもりはない。逆らわずに奴の玩具として生きるより、ここで今、人間として死ぬ。黄色い少女の決意は、ディスカの短い人生史上最高の硬さにまで仕上がっていた。
「んんぅー?」
寒気がするほど満面の笑みで、耳に手をあてがって聞こえませんアピールをしてくるデブ男エンデル。その仕草一つ一つが癪に触る。どう育ったら人をここまで小馬鹿に出来るのか。
ディスカは、ついに声を荒げる。ありったけの声を張り上げて、ずっとずっと思っていた事を醜い脂の塊へ全力投球する。
「絶対にてめーになんかヤられるもんかっ!!!」
「あっはっはっはぁぁー。全くぅ。女の子のワガママは困ったもんだねぇ。それがまたイイんだけどぉ……」
額に手をあてがって大笑いするエンデル。一頻り笑ったあと、唐突に表情を険しいものへと変貌させると、
「吊るし上げろ!」
パンッ!! と両手を打ち鳴らす。直後。大広間の外で待機していたであろう先ほどの兵士たちが三人ほど、駆け足でディスカの元に寄ってくると、瞬間で拘束してきた。
「あ……ッ」
一人は、手錠に繋がれたディスカの両腕を掴んで頭上に固定し、残りの二人は両足をそれぞれ押さえつけてきた。つまり、四肢が完全に塞がれた。もう、首しか動かせない。
しかし、ディスカは折れない。この程度の事では、もう屈さない。短い人生ながらも、かつてないほどの決意に身を固めたのだから。
そしてディスカは、拘束されたままエンデルの前まで突き出される。黄色い少女は、声が震えてしまわないよう、努めて強気な表情を維持した。
「ど、どうするつもりだよ? 逆らったぜ? さっさと殺せよ。覚悟は出来てる」
全力で。今までに経験がないほどの鋭い目つきでエンデルを睨む。鎖に繋がれた猛獣のように、今にも飛びかかりそうな形相で、可愛らしい少女は偉そうに座る男に明確な敵意を剥き出しにした。
そして、エンデルがゆっくりと立ち上がる。重すぎる体重に悲鳴をあげたのか、彼を支えていた椅子がギィッ、と小さく音を鳴らす。
のそり、のそり、と。身動きの取れないディスカへ一歩ずつ近づいてくる。
そして、およそ人と会話するほどの距離ではない、互いの息遣いが簡単に聞こえるほどの距離にまで顔を寄せてきた。
(キ、キモいキモいキモい!! 近寄んなこの野郎息くせーしっ!!)
しかしディスカは表情を崩さなかった。相変わらずの敵意に満ち満ちた瞳で目の前の醜男を、射殺さんばかりの勢いで見据える。
そして。
「んんー! イイ顔だぁっ!! そそるよぉ!!」
「……は?」
突如口元を裂いて邪悪な笑みを作り出してきたエンデルに、ディスカは一瞬、何を言われたのかがわからなかった。
エンデルは拘束されたディスカの黄色く美しい髪を撫でてくる。ゾゾゾッ!! と尋常ではない鳥肌が全身を走り抜けるが、それに抵抗する術をディスカは持たない。
デブ男のゴツゴツの手のひらは、髪の毛から、そのスベスベの頬へ。そして、小さな顎へと一々ねっとりとした手つきで移動していく。
クイッと。ディスカの顎を突き出させるエンデル。そのまま、視界が全て醜い男の顔で埋まってしまうほどの距離で、臭い息を撒き散らしながらエンデルは囁いてきた。
「君は愚かだねぇ。君たちみたいな光り物を、僕が殺すわけないじゃないかぁ。それに、君は特にイイ。久々の超一級品だよぉ」
「ひっ……!」
ディスカの表情が強張る。いや、全身が硬直した。経験や想像を遥かに飛び越える特大の嫌悪感に、黄色い少女の決意は簡単に崩れ去ってしまったのだ。
赤毛の女性が言っていたのは、この事だったのだ。『簡単に死ねると思うな』。あれは、死ぬ前に散々痛めつけられるとか、そういう事をディスカは想像していた。
しかし、違うのだ。そもそも、死ぬ事が出来ない。その、手段がない。そういう意味での、『簡単に死ねない』だったのだ。
ディスカは、覚悟を決めて抵抗する事を誓った。死を受け入れた。しかしそれは、茶番でしか無かったのだ。どう足掻こうと、エンデルはディスカを凌辱する。
だから、『逆らうな』。出来るだけ穏便に、奴の欲望を昂ぶらせる行動を取るな。初めから穢されることを想定して発言を選べ。そうでないと、心が壊れてしまうぞ、と。
きっと、あの赤毛の女性も昔同じ経験をしたのかもしれない。しかし、もう諦めた。出来るだけ心に負う傷を小さくするための、微かな反抗しか出来ないと悟ったのだろう。
穢されるくらいならと、死を選んだディスカ。しかし、死ぬ事など出来ない。死んでも逃げたかった未来に、ディスカは速攻で突き落とされた。そのギャップに黄色い少女は、落差の分だけ上乗せされた絶望を感じてしまった。
あそこまで、覚悟したのに。
結局、つまり、これから、自分は、この男に、好きな、ように――
「ああ、イイ! その絶望に満ちた表情ぉ! 強がってても、所詮女の子だねぇ〜」
「う、うわあああああああああぁぁぁぁぁぁぁ ――――――ッッッッッッッッッ!!!!!!」
ディスカは必死で拘束を振りほどこうと暴れまわる。その突然の凶行にエンデルはディスカの顎から手を離しはしたが、それだけだった。大の大人、それも鍛え上げられた屈強な兵士三人に押さえつけられているのだ。細く小さい少女の身体に、それらから逃げ出す力など備わっていなかった。
「離せッ!! 離せよッ!! 嫌だ、ウチは、ウチは――!! 嫌あああああぁぁぁぁ――――――ッッッッ!!!!」
声の限りに叫び回る。もはや言葉になっていなかった。奇声に近い喚き声で、全力でもがき続ける。
そして、粘着質な声がディスカの鼓膜を揺さぶってきた。
「イイよぉ。どんどん抵抗してくれぇ。その必死な表情を壊してしまうのが、瞳から光が失せるその瞬間が、何よりも快感なんだぁ」
そしてディスカは、自分の腕を吊るし上げている兵士から髪の毛をも掴まれる。頭部の動きも固定されたのだ。
やがて、脂でテカテカに光るその顔面が、生理的嫌悪感を撒き散らすその男が、ディスカの小さな口へ向けて首を伸ばしてくる。両手は胸元に向かっていた。逃げられない。動けない。抵抗出来ない。
嫌だ。嫌だ。
(いや、だ――……)
ディスカの黒く綺麗な瞳から、一粒の涙が零れ落ちた。
そして。
シュバッ!! と、変な音がした。ディスカは、それが何の音なのか、何処から発生したものなのかわからなかった。
しかし。
「ひ、ひぁぁっ!?」
目の前で落ちていった頭部と、そこから噴水のように吹き上がる鮮血に、ディスカは情けない声をあげる。と同時に、先ほどの音の正体をも理解した。
エンデルの、首を切断した音だったのだ。指令を出す脳から分断されたその肥えた肢体は、ぼすっ、と鈍い音とともに後ろ向きに倒れていった。どくどくと、床をあっという間に真っ赤に染め上げていく。
「はい任務完了。あとは自由時間だ」
ディスカの耳に、そんな言葉が届いた。どうやら、背後にある入り口からのようである。
突然の異常な出来事に動揺したのか、ディスカの髪を掴む兵士の拘束が弱まった。その隙をついてディスカは、顔だけ振り返ってその声の発生源に目線を向けた。
そこには。
青い髪に、青い瞳。気怠げな表情で欠伸を漏らす、青く青い少年がいた。