11-12 リムという男
三人は、とある林を歩いていた。鬱蒼と樹々が生い茂り、もはや上空はロクに認識する事が出来ない。逆に、上空からも自分たちは確認できないだろう。
「……ここさ」
そんな密林の中を歩き続け、亜人の青年リムがとある大岩の前で立ち止まった。厳しい警備体制が敷かれているリオスト国への裏口。しかし、そこへ案内すると連れられてきたのに、そこに現れたのが見上げるような大岩だというのだから、エヴァンスは眉と口を歪めに歪める。
「おい。創作物語じゃねえんだ。秘密の合言葉でも使えってか?」
「それは僕に言われても困るさ。ここは、リオストの裏口として使われてる、れっきとした通路さ。文句なら、これを作ったアギラルスの誰かに言って欲しいさ」
エヴァンスの弾糾にも似た発言をさらっと流すリム。やはり、この亜人の青年の返答は一々自分の怒りにかすってくる。表面上は駒だの何だの言いながらも、心の奥底では欠片も思っていないのだろう。
まあ、それに一つ一つ反応していては時間がいくつあっても足りない。決定的に惨殺確定な発言があるまで、エヴァンスは仕方なくそれを飲み込むことにした。
「合言葉で開いてくれれば楽なのは確かさ。でも、残念ながら現実はそんなに甘くないさ」
リムは肩や腕を上げ伸ばして、何やら準備運動のような動きをし始める。その行動が一体何を意味しているのかエヴァンスにはわからなかった。
「まあ、動かすわけでもないんだけど。有り体に言えば、登るさ。この岩の頂上。そこに入り口があるんさ」
亜人の青年は、思いっきり地面を蹴る。走り出したその勢いを殺さぬまま飛び上がると、人の十倍はあろうかという、その崖のような特大の岩を登り始めた。
「ルヴェールの、お二人に、こんな事をさせるのも、申し訳、ないさ……でもっ、こればっかりは作った奴に、怒って欲しいさ!!」
リムは、壁と言っても差し支えないその大岩を登っていく。プルプルと腕を震わせ、僅かな凹凸に手足を引っ掛けて徐々に上がっている。
エヴァンスは軽く溜息を吐く。確かに簡単に見つかってはいけない入り口なのはわかるが、それにしたってアホらしい。
上空からは青々と茂る葉に隠され大岩は見つからず、かといって地を歩けば岩の上にある入り口は見えない。この樹々の密度では、スカイランナーもマトモに飛ぶ事が出来ないだろう。
こんな隠し場所、知らなければ絶対に見つからないだろう。
それはわかるが、何故自分がそんな労力を割かなければならないのだ。そう結論付けたエヴァンスは――
トンッ……と。
跳躍一つで大岩の上にその身を持ち上げた。足に張った神術膜で、反発力の激増したその足で、身体を軽々と放り投げたのだ。
ノースレビーも同様に、何の苦労をする事もなく登頂する。そして、そんな二人の神術師を、未だ崖で踏ん張っているリムは顔面をくしゃくしゃにして見上げてきた。
「ず、するいさ……」
「うるせえ早くしろ」
はっきり言って足手まとい以外の何者でもない。大岩への跳躍での登頂。こんな芸当ができるのは、別にエヴァンスたちだけではない。
風を操る事で飛行を可能とするシルフィードという種族ならいとも簡単にこなせるだろうし、そうでなくとも足腰が強靭な種族ならするすると登っていけるだろう。
しかし、このリムという亜人は鼠の力しか持っていない。詳しくは知らないが、どうせ歯が丈夫とかそんなクソどうでもいい固有能力しか持っていないのだろう。役立たずすぎる。
「もう少しさ……っ。待って、くれ……っ!」
エヴァンス達から遅れること数分。漸くリムが壁登りというアトラクションを終えた。ゼェゼェと肩で息をして、たまにえずいている。いくら何でも疲労しすぎだ。
「で、問題の入り口とやらはどこにあるんだよ、クソ貧弱」
青い少年エヴァンスが、虫の息となっている鼠の亜人リムへ乱暴に言葉を吐き捨てる。
エヴァンスとノースレビーは、わざわざリムを待っていた。本音を言えば置いて行きたかった。しかしそれはしなかった。何故か。肝心の入り口の姿が、何処にも見当たらなかったからである。そうでなければ、こんなネズミ捨て置いている。
「ま、待ってくれさ……ちょっと、息、が……」
「知らねえよ。さっさとしねぇと窒息っつー楽しい未来が待ってんぞ」
「か、勘弁してほしいさ……」
リムは息苦しさに顔を歪めながら、ふらふらと立ち上がる。そして、一歩一歩ゆっくり歩みを進めると、何の変哲もない足もとを指差した。
「ここが入り口……さ」
「舐めてんのか」
エヴァンスは即答する。このクソ貧弱が指差した位置には、入り口どころか小さな穴一つ空いていなかったからだ。
「まあ、落ち着いてほしいさ、ぜぇ……別に、ふざけてるわけじゃない。ここに入り口はある、のさ。ただ、見えていないだけで……」
「ああ、なるほど。中々に徹底してますね」
リムの息も絶え絶えな言葉に、ノースレビーはうんうんと納得したように顔を揺らす。
エヴァンスも大体理解できた。おそらくこれは、シュマンの本部と同じように隠されているのだろう。一説によると、アルカンシエルも同じ手段で姿をくらませているらしい。
つまり。
「翡翠のイールドか」
翠の神術。自然を掌握するあの神術は、『原種』に分類される。そして同じ翠でも、翡翠は『亜種』だ。その特性は、『幻覚』である。
ありもしないものを映す。また、あるはずのものを視認から阻害する。その力の一端を振るう翡翠のイールド。辺鄙な場所に隠された入り口を、その姿を消しているのだ。
「そうさ……そして、この穴はリオストの町並みへと繋がってるのさ。もちろん、リオストの連中は知らないさ」
ようやく呼吸に落ち着きを取り戻してきたリムが、岩の中に足を沈める。比喩でも何でもない。端からは、その様にしか見えないのだ。
そしてそのまま、亜人の青年の姿は見えない穴に吸い込まれていった。
エヴァンスとノースレビーもリムに続いて岩の中へとその身を委ねていく。そこは階段の様になっていた。数十の段差を下ると、薄明るい通路に辿り着いた。恐らく、ここは地下だ。黄色のイールドによって淡く照らされるその細長い空間は、先が見えないほど遠くまで続いていた。
「ここからしばらく歩くさ。これが、リオストの警備に見つかることなく内部へ潜入できる、アギラルス秘蔵の隠し通路さ」
リムが、暗く湿った空間を歩きながら薄笑いを浮かべてくる。人間とは比にならない大きい前歯がやたら目立つ。こっちを見るな。不快だ。
「リム氏。貴方は何を考えているのです?」
ザッザッと、地面で音を鳴らしながら歩くノースレビーが、眼鏡の奥からリムを見据える。
「貴方は協力者だ。我々には基本的に着いてこないはず。現に貴方は『ついて行けない』と言ったでしょう。なら、さっきも見えない入り口を提示するだけで良かったはず。なのに、わざわざ先行までして地下通路に潜った。何が目的です?」
エヴァンスも、ノースレビーが尋ねた件は少しだけ引っかかっていた。まあ、クソどうでもいい事だったので訊く事もしなかったが。
着いて来るなら勝手に着いて来れば良い。地理情報だけでも落とす余地があるだけエヴァンスにとっては不利益ではないし、足手まといなら即刻切り捨てる。ただそれだけの話なのである。
話を振られた鼠の亜人は、先頭を歩き続けたまま、こちらを振り返る事なく呟いた。
「……まあ、僕にも色々とあるのさ。どうしても聞きたいのなら話してもいいけど、長くなるさ?」
「なら結構です」
バッサリと。自身から問いかけた話題にも関わらず、ノースレビーはリムの発言を簡単にぶった切った。
リムは本当に、裏世界での生き方を心得ているとエヴァンスは感じた。ここで『話したくない』などと宣ってしまえば、その瞬間に人生が終了する。
だから彼は、ノースレビーが自発的にやめる方向へ誘導したのだ。先ほどは『言うつもりはない』とか吐き捨ててきた癖に、本当に食えない男である。
尋ねられたのに答えないのと、聞くつもりがない者に告げないのとでは意味合いが大きく変わってくる。このリムという男は、その辺の駆け引きというか、ヒトの心理というものに精通しているようだ。
それは、危ない綱渡り。一歩間違えれば即死するところを、エヴァンスに不満を募らす程度に抑えている。
(……チッ。ルヴェールのクソ野郎どもがコイツみたいな奴らだったら、俺ももう少し休まるんだがな)
リムという亜人は珍しく、エヴァンスという少年から強い敵意を持たれていない。多少の悪意はあるが。
それがどれほど異質な事か。きっとリムにはわからないだろう。
裏世界に生きる三人は、彼らに相応しい暗い空間を延々と歩いていく。