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11-6 未来を見据えた過去

 


『――ねえ、起きて』


 何も見えない真っ暗闇の中、そんな声が聞こえた。


 暗闇――いや違う。ただ眼を瞑っているだけだ。それはわかっていても、眼を開ける事は出来ない。瞼が重い。


『起きて。起きてってばぁ……』


 その幼い声は、どうやら自分の体を揺らしてきているようだ。服を掴み、左右へぐいぐいと揺さぶってくる。


 それでも、瞳を閉じたままの少年――エヴァンスは起き上がる事はなかった。


『何で起きてくれないの……お願い、お願いだから、起きてよぉ……』


 嗚咽が半分混じった、その弱々しい声。エヴァンスは心当たりがある。どうせ、あのクソガキだろう。


 しかし今の自分に起き上がる気力はない。その気もない。このまま意識を手放す事が出来れば、どれほど幸せか――


『ねぇ、エヴァンス……』


『だあああああああああ――ッ!!! うるせええええええ――ッッッッ!!!』


 ガバッ!!! と、猛烈な勢いで起き上がる。そのまま、安息の時である睡眠時間を問答無用で削ってきやがるその少女を全力で睨みつける。


『毎晩毎晩何なんだてめえッ!! 人の安眠を趣味みたいに妨害してくんじゃねぇよッ!!』


『し、しーっ!! みんな起きちゃうから静かに!』


 その少女は、細い指を口元に押し付けて見当違いな事を注意してくる。誰のせいで怒鳴ったと思っているのだ。


『だったら俺も起こすんじゃねえよ! なんだ、俺は寝ちゃ駄目ってか?』


 エヴァンスは、その真っ黒な瞳(・・・・・)で少女を睨みつける。エヴァンスを叩き起こした白い髪の少女――セレンは、その形相に怯むことなく淡々と告げてくる。


『そんな事は無いけど……エヴァンスが一番優しいからね』


『わかった。てめえは頭がゴブリンなんだな。よくわかったよ。寝かせろ低脳』


『はいストーップ。せっかく起きたなら遊ばなきゃ損だよキミ?』


『少なくとも起こした奴に言われる筋合いはねえよ!』


 無駄に叫んだせいで、頭がカッカッと熱を発している。エヴァンスは大きくため息をついた。これでは、どうせすぐに寝付けない。


『てめえのせいでまた日中眠くて死にそうになるなこりゃ』


『なんだかんだで私のワガママに付き合ってくれるエヴァンス君なのであった!』


『ぶっ飛ばすぞ!』


『あはは。ほらエヴァンス、今夜は星が綺麗だよっ!』


 朗らかな笑みを浮かべるセレンは、薄い布で覆われた、何人もの子供が寝息を立てている簡易的な寝床(テント)からエヴァンスの手を取って外に走り出す。


 エヴァンスも、口を尖らせながらその少女に引っ張られるがままに暗闇の草原を駆け出す。


 満天の星空だった。降るような、という表現は確かに間違っていないとエヴァンスは思った。手を伸ばせば届きそうな、幾千もの輝き。その中に投げ出された二人の少年少女。


『……星ってやっぱりいいね。なんかこう、凄いよ』


『もっと他の言い方はねえのか』


『あはは。私は文字も読めないからさー。エヴァンスは?』


『バカにすんな。本くらい読める』


 手を繋いだままのエヴァンスとセレン。音もなく、二人の感覚は全方位に広がる膨大な星々を映す視覚と、互いの体温を感じ合う手のひらの触覚だけであった。


 二人の歳は十歳前後。誕生日もわからない。物心がついた頃から、自分たちはこう(・・)だったから。



 ――奴隷。



 エヴァンスとセレンは、そう呼ばれる存在だった。


 麻で作られた適当な服。女子はワンピース。男子はシャツと短パン。それだけの佗しい装いで、灼熱の太陽が照りつける日射しの中を、凍える冷気が吹き荒ぶ吹雪の中を、土砂降りの雨が降りしきる荒地の中を。世界中を歩かされていた。


 ただ、売られるためだけに。


 風邪を引いても、岩場だろうと裸足で、ロクな食物も与えられず、水さえも満足に飲めない。


 そんな劣悪な環境で二人は生きてきた。


『……何だって私たちは、こんな生活してんだろうね』


 セレンが、ポツリと呟く。それについてはエヴァンスも激しく同意する。こんなクソみたいな生き方をいつまで続けなければならないのだ。


『まあ、みんな同じだし、言ってても始まらないんだけどね』


 白い少女はこちらに視線を向けてくる。その顔は、星々の明かりに淡く照らされ、儚く、切なげな表情をしていた。


 エヴァンスたちの他にも奴隷の子供達は大勢いる。乳飲み子から、ほぼ大人な青年まで。人間だけでなく、亜人や獣人などもいる。そのどれもが、自分たちの境遇を呪っている。


『全員同じなら、俺ばっか起こさないで欲しいもんだな』


 エヴァンスはセレンを全力で皮肉ってやった。その、手を繋いだままの少女を。


『エヴァンスだから起こすんだよ。エヴァンスは怒んないでしょ?』


『なるほど言葉もマトモに話せねえのか。怒るって意味わかるか?』


『流石にわかるよ! それでもやっぱり、エヴァンスは怒ってないと思うもん』


 ニカッ、と。紙と同じく綺麗な白い歯を見せつけてくるセレン。エヴァンスは何やら頭痛がしてきた気がした。こいつは本当に頭がどうかしている。


『ねえ、エヴァンス』


『あんだよ』


 ふと、声色が真剣な物に変わったセレンを、額に手をあてがいながら見つめる。少女はその瞳も真剣で、真っ直ぐ自分を見つめてきていた。



『――私と一緒に、ここから逃げちゃわない?』



 エヴァンスは思わず目を見開く。繋いだ手にぎゅっと力が入る。


『逃げる、だと……?』


 無意識のうちに呟く。それが出来れば苦労はしない。だからこそ、こんな家畜同然の生活をこれまでしてきたというのに。


 どうせすぐに捕まるのがオチだ。それに、例え逃げたとしても村や国が見つからなければ飢え死にするし、見つけたとしてもそこで生活できる保証はない。


『エヴァンス、私ね……』


 セレンは、エヴァンスと繋がっていない方の手を胸の前で握る。眉間に皺を寄せ、口元をぎゅっと結び、意を決したように続きを口にする。



『未来が見えるの』



 サァーッ、と。二人の間に夜風が吹き抜けた。数秒の静寂が漆黒の空間を包む。


『……辛かったな。やっぱりもう寝ろ。しっかり眠って、元気に朝迎えとけ』


『ちょ、ちょい待ちー! 可哀想な子認定しないで!?』


 これには流石のエヴァンスもドン引きである。何が未来が見えるだ。そんな事があってたまるか。妄想も大概にしろ。


 繋いでいた手をも離し、スタスタと来た道を引き返し始めたエヴァンスの背中を、セレンが慌てて引っ張ってくる。


『待って待って! 嘘じゃないからっ!』


『嘘じゃなきゃなんだ? まさか、これが私の真の力ですとか言い始めるんじゃねえだろうな? んなわけねえだろボケ。未来の前に現実しっかり見ろや』


『まさかの全力全否定っ!? 予想の三倍は辛辣だよっ!』


 セレンは何やら満面の笑みで、丈の短い草が生い茂る地面に仰向けにどさっと倒れこむ。大の字になり、一つ大きく息を吐いた。


『ま、当然だよね。私も何でかわかんないもん』


『まだ続けるつもりかよ』


『ねえ、エヴァンス。聞いて』


 エヴァンスは頭をガリガリと掻く。いつまでこいつの現実逃避に付き合わなければならないのか。そう内診毒を吐きながらも、青い髪の少年は仰向けに寝転がるセレンの隣に座り込んだ。


『明日ね。私たちの中から一人売られるよ』


『そうか。それが未来が見えるとかいうやつのせいかよ』


『――何も、思わない?』


 セレンが、静かに問いかけてくる。エヴァンスは、その意図が汲み取れなかった。今更何を言っているのだこいつは。


 今までだって、沢山の奴隷が売られていった。その度に一々別れを惜しんでりゃ、キリがない。そもそもエヴァンスには、同じ奴隷の連中に仲間意識など持っていないのだ。


『ああ、思わねえよ。そいつも幸せなんじゃねえか? 売られたトコによるが、ここよかマシだろ、きっと』


『その子が、殺されるとしても?』


 セレンの目つきが鋭くなる。その瞳は、エヴァンスではない何処かを見つめていた。上空に散らばる星々よりも遠い――何処かを。


 何なのだその視線は。未来を見ているとでも言うつもりか。


『ああ、思わねえよ。どうせ俺たちは奴隷だ。売られた先で死んだ奴だっているだろうよ。そんなのに一々構ってられるか』


 それは、嘘偽りないエヴァンスの本心であった。自分たちは、どこまでいっても奴隷なのだ。何をされても文句は言えない。いや、言ったところで助けてくれる物好きなんていない。


 エヴァンスはその黒い瞳で夜空を見上げる。遥か上空から自分を見下ろしてくるその明るい存在に、先ほど感じた良い感情は抱かなかった。むしろ今は、その輝きすら憎い。悪意とは無縁のところでただ瞬いているその星々が。


『そう……そうだよね』


 セレンは本当に小さい声でそう呟くと、勢いをつけて仰向けの体勢から一気に立ち上がった。


『ごめんねエヴァンス。付き合ってくれてありがとう。もう寝よっか』


 見たことないほど悲しい笑顔で。白い髪の少女は暗闇の草原を歩き始めた。


 エヴァンスは、その背中が、いつもよりも格段に小さく見えた。

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