11-4 暗闇の中における微光
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(――また、止められなかった)
アリアスは、光の中へ消えていく青い少年を、見送ることしか出来なかった。
可能なら、無理矢理にでも止めてやりたい。しかしそれは不可能なのだ。エヴァンスの神術は、彼に対する全ての干渉を無に帰す。
仮に自分が彼を抑えることが出来たとしても、次の瞬間には死体になっている。エヴァンスの瞳に宿る青い力は、それほどまでに圧倒的なのだ。それは、世界の闇を片付ける、高い実力を持つルヴェールの面々と比較したとて例外にはならない。
図抜けている。エヴァンスという神術師は、あまりにも強すぎるのだ。アリアスは、彼と対抗しうる存在を一人しか知らない。
アルカンシエル最強と謳われる、あの神術師。さすがにあの人間だけは、エヴァンスとまともに戦えるだろう。
しかし、それだけ。幾多の闇を覗き、沢山の戦場を駆け抜けてきたアリアスでさえ、一人しか心当たりがない。
世界最強。エヴァンスは、そんな陳腐な通り名が当てはまってしまうのだ。そして彼は、その事を誰よりもはっきりと自覚している。彼の傲慢ともいえる態度は、そんな実力に裏付けされている。
そしてアリアスは、その差のせいでエヴァンスを止める事が出来なかったのだ。
(――くやしい。自分を苛め過ぎるあの子の、傷を減らす事すら出来ないなんて)
拳をぎゅっと握る。石畳の廊下から去っていった青い影を、もう今は見えないその少年を、いつまでも見続ける。
基本的に他人に無頓着なルヴェールという組織のメンバー。その中で、アリアスは異端ともいえる存在だった。
他人を想い、気遣える精神。それでいて、世界の悲劇にその身を沈めようとも、狂うことなく折れない心。
基本的に、腐った人格の輩や、性根から終わってる陰気でカビ生えた連中だらけの裏の世界では、アリアスのような人間は本当に稀有である。
硬くしなやかで、絶対に壊れない一つの指針を持っているアリアスは、どんな闇に放り込まれても、きっとアリアスであり続けることが出来る。
そんな金髪の少女は、自らボロボロになっていく青い少年を見捨てられなかった。それは、自分の信念に反するのだ。
しかし、現実問題。アリアスではエヴァンスの力になれない。いやきっと、邪魔にしかなっていないのだろう。それが、なんとも歯がゆい。
「またしょげてるの?」
アリアスは、不意に背後から飛んできたその声へ振り返る。そこでは、銀髪の少女シルビアがこちらへ向けて歩いてきていた。
その細く、藍色に染まった瞳がじっと見つめてくる。
「ああ。またエヴァンスに小言言ってたのね、どーせ」
「またってやめてよ。絶賛自己嫌悪中なんだから」
「なら、もうやめちゃえばいいじゃない。それでみんな幸せよ」
「お生憎様。それじゃ私が幸せじゃなくってね。絶対にやめてやらないもん」
つん、と。アリアスは口を尖らせながらも明確な意思表示をする。
そんな金髪少女の態度に、シルビアは目を細めて薄く笑う。なんとも美しく、妖艶な笑みである。本人は意識していないだろうが、何故この銀色の少女はこんなに『美人』という言葉が当てはまってしまうのか。
歳はほとんど変わらないのに、やたら大人びた目鼻立ち。鮮やかな銀色の、寝起きそのままで好き放題に跳ね回る髪が、逆に良い方に作用してるとかふざけている。
体つきだって、それはもう理想も理想。出るとこはしっかり出て、引き締まって欲しいとこは慎ましやかに引っ込んでいる。これで何も意識していないなんて舐めてるとしか言いようがない。
何というか、その美貌は思わず引いてしまうほどである。同じ女性であるアリアスは、敗北感とまではいかないが、それに近い劣等感のような物すら感じてしまう。
「ねえシルビア。アンタホントなんなの? 存在自体が私の心をガリガリ抉ってくるんだけど」
「随分辛辣ね。何かした覚えはないわよ?」
「何もしてないのが問題なんだってば。私だってそこまでオシャレに生きてるつもりはないけど、それでも体重と髪の毛くらいは気にしてんの」
はぁ、と一つため息をこぼすアリアス。一方で、シルビアは怪訝そうに眉をひそめている。どうやらイマイチ何を言っているのかわかっていないらしい。ほとんど説明らしい説明もしていないので当然ではあるが。
「あーもういいわよ。それよりシルビア、アンタも自分をもっと大事にしなさいよ」
「その話、長くなるかしら?」
「アンタの返答と内容次第ね。場合によっちゃあ、一昼夜ぶっ通しで討論すんのも悪くないわね」
眉を吊り上げ、ニヤッと意地の悪い笑みを浮かべてやるアリアス。
このシルビアという少女も、自分に厳し過ぎるのだ。それは別に、他人の為に動きすぎているとかそういう話ではない。ただ、自分の目的を達成するために、全てをかなぐり捨てて走り回るなんて女の子のする事ではない。そうアリアスは思っていた。
そう考えるアリアスも、自分がしたいようにするため、他を犠牲にして生きているのだが。
「うんわかったわアリアスもっと自分の体を大事にする」
「ぜってー思ってないでしょアンタ。形だけでも同意するつもりはないんかい」
棒読み。かつてこれほどまでにこの単語が似合う発声をアリアスは聞いた事がない。抑揚のないシルビアの発言。その余りにも気持ちのこもっていない言葉に、アリアスはまた一つため息をつく。
どう足掻いても、ルヴェールの連中というのは頑ななのである。目的に真っ直ぐなのは純粋に偉いと思うが、それにしたって遊びがなさすぎる。あれでは、きっと救われない。
アクが強いどころか、毛根から捻じ曲がってる天パーレベルに癖が強い面々。アリアス一人では、中々矯正しきれない。
何か、彼らを変えてくれる出会いがあれば良いのだが、ルヴェールという闇の仕事に就いている以上、それも望めない。
彼らの目的が、絶対に達成できると決まっているわけではない。それだけを信じて突き進み、後戻りできないところまで進んでしまった時、その目的を失えば彼らはどうなってしまうのだろうか。
「ったく。シルビア。アンタ見てくれは意味不明なくらい綺麗なんだから、好きな男の一人でも作れば?」
「お生憎様、って返させてもらうわ。全く興味がないってわけじゃないけど、そんな暇は無いの」
「あら、アンタでも思うとこはあるんだ。意外。性別が雌なだけで、そういう事はしっかりきっかり無関心だと思ってた」
「自分から聞いておいて随分な言い草ね、アリアス」
藍色の瞳を細めてアリアスを見つめてくるシルビア。その目つきは相変わらず冷たく、今の自分との会話で何かを感じる事も無かった事を暗に示していた。
――本当に、ルヴェールの連中には手を焼く。
エヴァンスに、シルビア。ノースレビー。ロード。この四人に加え、厳密に言えばルヴェールでは無いがカインもかなり個性が吹き出ている。
それぞれ全員が器用に別々の方向を見ている。アリアスは、彼らを見過ごすわけにはいかない。もちろん、彼らだけに構っているわけにもいかない。
しかし、まず身近なところから。そんな事を思って全員と関わってきたが、どうも芳しくないのである。これでも、世界中で自分が救う事が出来た存在は星の数ほどいるというのに。
全く、本当に世話の焼ける連中である。
「ところでアリアス。ずっと気になっていた事があるわ」
頭痛でもするかのように額に手をあてがうアリアスに、シルビアが平坦な声で告げてくる。
「ん、なによ」
「散々偉そうに講釈垂れてきた貴方にこんな事言うのはとっても気が引けるのだけど」
シルビアは、その切れ長の眼を更に細め、すっと自分に向けてゆっくりと指を差してくる。
その重々しい仕草に、アリアスは思わず唾を飲み込んだ。あのシルビアが言い淀むほどの事柄。一体何だと言うのだ。
シルビアの藍色の瞳は、いつになく真剣だ。元々遊び心というものを持たないであろう彼女の、さらに真に迫る眼差し。
一瞬の間が空く。刹那の静寂の中で、アリアスは莫大な不安感にその身を包まれていく。
そして銀髪の少女の、ぷっくりと厚みのある艶やかな唇から静かに、ガラスのように澄んでいる声が放たれる。
「服、裏返しよ?」
「ふぎゃぁ!?」




