11-3 見渡す限り厄介者
バゴンッ!! と、扉が蹴破られる。
かつてないほど苛立ちを募らせたエヴァンスが、シュマンの全てを統括する最高責任者、総帥が待つ部屋へと繋がるソレを乱暴にぶち破ったのだ。
外界からの光を存分に部屋に取り入れる構造となっているそのガラスで出来た壁を背に、一人の男が小鳥を愛でていた。
逆光な事も相まってその表情は確認できない。しかしエヴァンスはそんな事どうでもよかった。あの喧しい角刈りが叫んだ通り、総帥に形だけでも報告すれば、それで全て治まるのだ。
「おい」
エヴァンスは、未だ手のひらに乗る小鳥を気持ち悪い手つきで撫で続ける男に声をかける。かなり乱暴に扉を開けたというのに、全く無反応とはどういう了見だ。
「――目的の人物は見つかったかい?」
ヒトの造形をかたどった影が、高いのか低いのかよくわからない声色で問いかけてくる。そのねっとりとした粘着質な発音に、エヴァンスは嫌悪感を隠そうともしなかった。
「だったら、こんなゴミみてえなトコ戻って来てねえよ」
「そりゃ残念だぁねぇ。そういえば、君好みの依頼がもう一つ入ってるんだけど、行くかい?」
自らが統括するシュマンという組織をゴミ呼ばわりされてなお、総帥はおどけた調子を崩さない。小鳥を愛でる手をも止めず、本当に何てこと無いかのようにその影は淡々と言葉を吐いてくる。
エヴァンスは彼が苦手だった。自分がいくら毒づいてものらりくらり躱し、その余裕な態度を続ける総帥が。
名はカイン=ビラキオ=ラフロイグ。シュマンという組織のトップにして、独立した部隊であるルヴェールをも指揮する男だ。
指揮というか、ルヴェールのメンバー全員の事情を知るカインが、メンバーの目的に近づくかもしれない依頼を勝手に割り振ってくるだけなのだが。
ルヴェールのメンバーは基本的に自分のことしか考えていない。しかしそれは、目的に沿った依頼なら絶対にこなす信頼をもカインに与えていた。互いに好ましくない感情を抱いていても、利用し合うには不自由の無い関係なのである。
そして今回も、カインはエヴァンスに、任務を与えてきたのだ。
「好みって言い方やめろ。場所と内容は」
「三大国の一つ、リオストだぁよ。依頼国は亜人国家アギラルス。あそこは隣同士だからねぇ。何かイザコザがあるみたいだぁねぇ」
「リオスト……奴隷大国か」
「そう。そんで依頼内容はそこの外交官、エンデル=キノン=キノレリックの殺害、ねっ」
エヴァンスは軽く溜息をこぼす。またこの気持ち悪い喋り方の男は、わざわざ自分の目的が掠るような依頼を寄越してきたのだ。
確かに、外交官の殺害などエヴァンスは全くもって興味が無い。必要性も感じない。する気も起こらない。しかし、その国ともなれば話が変わってくる。
奴隷大国リオスト。エヴァンスが追い求める、とある人物に繋がりかねない国。その中枢に居座る人物を消す任務。
気は乗らない。人を殺したくないとか高尚な理由ではない。ただ、面倒臭いからだ。
それでも――
「……肖像画と情報」
エヴァンスは任務を断らない。どこであのクソガキに繋がるかわからない。極小の可能性だろうと、そんなのはエヴァンスを止める理由には、決してなり得ないのだ。
「おぉっ、やってくれるのかーい?」
外界の強い光によって顔面が影となっているカインが、今まで撫でていた小鳥を空中に放り投げた。小さな影は、パタパタと羽ばたくシルエットだけをエヴァンスに見せつけ、鉄製の籠へと吸い込まれていく。
「食えねえ野郎だな。てめえが言ったんだろ。俺が飛びつきそうな奴わざわざ選んだってよ」
「まあねぇ。奴隷が大量に売り買いされるあそこなら、目的の子がいるかもしれないってキミが言ってたのを思い出してねーぇ? 今回は、その深く深くまで首を突っ込んでおーいでっ」
ここで、ガラス製の壁が取り込む光が少しだけ弱まる。陽が雲にでも隠れたのか。とにかく、今まで明るすぎた陽光は、その輝きを鈍らすことでエヴァンスにカインの表情を認識させた。
相変わらずの人を小馬鹿にしたように垂れる眉と瞳。無駄に高い鼻、細い顎。ともすれば病気なのではないかと疑うほど顔色が悪く、線の細い体は、それだけで嫌悪感をエヴァンスに押し付けてくる。
そんな嫌悪感の塊が放つ、子供でも言わないようなふざけた声色に、エヴァンスは眉間に皺を寄せる。
「むかつく喋り方やめろ。水死体ってのは、想像以上にグロテスクらしいぞ」
「勘弁勘弁。じゃ、引き受けてくれるね?」
カインは手のひらを向けて、猛獣でもなだめるかのように軽く揺らしてくる。
「はい。じゃあこれがエンデルの肖像画。ウチの子達がリオストからかっぱらってきてくれたんだよーっ?」
そう言ってエヴァンスに、一枚の黄ばんだ紙が差し出される。そこには、脂で肥えに肥えた豚のような醜男が描かれていた。
「その人は、特に少女と呼ばれる年齢の子を監禁してるって噂が立ってる。ま、今回はその辺諸々含めてアギラルスから依頼されたわけなんだけど、君に取っても無関係じゃないかもね?」
「どうでもいい情報をありがとよ」
エヴァンスは、その似顔絵クラスの絵が描かれた汚い紙を乱暴にポケットにしまいこむ。わしゃわしゃと紙が折れる音が主張してきたが、青い髪の少年はそんなことまるで気にしない。
それ以上何も告げることなく、エヴァンスは気味の悪い男カインに背を向け、今や眩しすぎるほどの明るさを取り戻している空間をあとにする。
「一々ドア蹴るのやめてくれなーい?」とかなんとか聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。
再び、石でできた廊下を歩くエヴァンス。これで文句は無いはずだ。あの角刈りクソオヤジにも、何も言われる筋合いは無い。
口うるさくガミガミ言葉をまくしたててくる存在から解放された事にほんの少しの開放感を得たエヴァンスだったが――
「あ、いた! エヴァンスっ!」
またも飛んできた自分を呼び止める声に、青い少年は奥歯をギリギリと噛み締める。
足だけは止めなかったが。
「ちょ、ちょっと! 止まって! 止まれーっ! 盛大に無視するなーっ!!」
後方から飛んでくる甲高い声を完全に黙殺してエヴァンスはスタスタと石造りの廊下を歩いていく。ふざけるな。これ以上あんな面倒くさいのに関わっていられるか。
「こんのぉ……っ!! 止まれって言ってんでしょうがぁーーっ!!」
ブワッ!! と。エヴァンスの暗い青の髪が風で揺れた。そして次の瞬間には、自分の前に一人の少女が立っていた。
ウェーブがかった金色の長髪を胸のあたりまで伸ばす、蒼い瞳の少女。エヴァンスとほとんど変わらないほどの、女性としては長身といえるすらっとした体躯。そんな少女が、プンプン頭から湯気を登らせながら、腰に手を当ててエヴァンスを咎めてくる。
「無視しても駄目なんだから。カインのトコにちゃんと報告行った? どうせまたロクに寝てないんでしょ? ご飯はちゃんと食べてたでしょうね? 寝る前に食べると体に毒だから、風呂入ってもう寝ときなさい。その前に歯だけは磨いとくのよ? あと、服は脱ぎっぱなしにするな。血って落ちにくいんだから、誰かに任せるにしろ直接渡しなさいって何度言ったら――」
ああ、なんたって今日はここまで絡まれるのだろうか。シルビアの挑発じみたからかい。クソやかましい声の角刈りクソオヤジ。てめえは俺の何なんだと問い詰めたくなるほど口うるさいこのクソ女。
まだ、あのクソババァに絡まれていない事だけが唯一の救いか。
しかしそれでも、目の前の金髪少女が鬱陶しい事には変わり無い。
エヴァンスは精一杯のため息をつく。そして、わざわざ神術を使って回り込んできた蒼天の神術師である少女を思いっきり睨んだ。
「黙れアリアス。俺は今機嫌がよろしくねぇ。どかねぇと頭が吹っ飛ぶぞ」
「ハイハイいつものやつね。悪いけど、私はアンタも見捨てるわけにはいかないの。私の目的のためにはね」
「言ってろ。俺はてめえに救われなきゃならないほど落ちぶれちゃいねえよ」
それだけ呟いて、エヴァンスは外へ出ようと廊下の先にある出口を目指す。今度こそ、こんな厄介者だらけの建物から抜け出したい。そう思って金髪少女アリアスの隣を通り過ぎる――
「待ちなさいってば。どこ行くのよ?」
――が、そんなエヴァンスの行く先に、またもアリアスが現れる。神術膜による足の反発力の強化。それに、蒼天の神術師が操る『風』を応用することで、尋常で無い速度での移動を可能とするのだ。
その速度は、青い悪魔と恐れられるエヴァンスすら上回る。
「……チッ。しれっと何て事ないような顔してんじゃねえよ」
「何の話? とにかく、アンタはもう寝るべきよ。もっと体を大事に扱いなさい」
「黙ってろ。俺の勝手だ。そんなに止めたきゃ、わざわざ立ち塞がらずに物理的に止めてみろ」
「何言ってるのよ。アンタを力づくで止めようとしても無意味じゃない」
片目を閉じ、お手上げといった様子で肩をすくめるアリアス。
「なんだ。よくわかってんじゃねえか。なら、遠慮なく行かせてもらう」
エヴァンスは、自分に手を出すことが出来ない金髪青目の少女を全力で嘲笑ってやると、外へと繋がる出口へ向けて歩を再開する。
アリアスが、何か呟いていた気がした。




