11-2 もう一人の青い少年 ★
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(……くだらねえ)
青い髪と瞳を持つ少年、エヴァンスはイラついていた。また今日もダメだった。いい加減に何かしらの進展を見せて欲しいものである。
一つの扉に手をかける。漆によって黒光りする大きな扉は、ギィッ、と擦れる重い音を奏でながらゆっくりと開いていく。
エヴァンスが帰る場所。いや、現時点で仕方なく寝泊まりしている場所。ガラスによって外の光を存分に取り入れ、その光がたくさんのガラスの家具によって煌めく、チカチカと眼を刺激してくる億劫な部屋だ。
シュマン。エヴァンスは、そう呼ばれる組織に所属していた。
透明な固体で満ちた空間を、しかしなんの感想も抱かずにスタスタと歩いていく。エヴァンスには、このガラスだらけの空間の向こうに一応、自分専用の部屋がある。さっさと引きこもって、この悪趣味な空間からおさらばしたかった。
だから、エヴァンスは無視した。ガラス製のテーブルに着いて、足を組み、やたら優雅な格好でマグカップから紅茶か何かを飲んでやがる、その少女を。
「……おかえり。その分だと、またダメだったみたいね?」
シルビア。およそ甲斐甲斐しく手入れをしているとは思えない、好き勝手跳ねている輝かんばかりの銀髪を肩にかかる程度まで伸ばした少女。しかしその風貌は、決して汚らしさを感じさせる事はない。その細い切れ長の眼は、藍色に染まっている瞳も相まって、何とも冷たい印象を与えてくる。
無言で通り過ぎようとしたエヴァンスに、直球で言葉を投げかけてきたシルビア。全く遠慮の無いその言動に、エヴァンスは彼女を瞳だけ動かして睨みつける。
「黙れ。今日は気分が悪ぃ」
「ふふふ。なんたってセレニアの中枢だったものね。あなたが全て失った、セレニアの」
バギィンッ!! と。シルビアの背後にあるガラス製の置物が突如粉砕した。エヴァンスが、その青い瞳に宿る力を行使した結果だった。
シルビアは、ただの欠片となったガラス片を冷たい目で見やる。その妖艶な唇から、はぁ、と軽く溜息を吐いた。
「……本当にご立腹じゃない。いつもいつも同じ台詞で帰ってくるのやめてくれない? 本気で機嫌が悪い日がわからなくなるわ」
「じゃあ俺に関わるな」
射殺してしまうほど、殺気に満ち満ちた眼差しでシルビアを睨む。一般人が見たら卒倒しかねないほどのエヴァンスの形相に、しかしシルビアは気怠げに片目を閉じ、なんとも涼しげな表情で肩をすくめる。
「それは無理な相談ね。私はあなたに興味があるし、私たちはルヴェールだもの」
「……チッ」
一つ舌打ちを吐き捨てる。どこまでも飄々とした、雪のような目の前の少女にエヴァンスは言い返す気も起こらなかった。
「ルヴェールにいる以上、私たちは嫌でも顔を会わせるわ。残念だけど、私はここを抜ける気はないから」
「そうかよ。じゃあ俺が出て行く。次帰る頃には、てめえが消えてることを祈ってるよ」
「もう出て行くの? せっかく帰ってきたのに、変わった人。もっと身体を休めないと、またアリアスにどやされるわよ?」
「知るか。こんなとこより、木の上で寝たほうがまだマシだ」
エヴァンスは、つい先ほど開けたばかりの大きな漆塗りの扉を乱暴に開け、その体を向こう側へと押し込んだ。
カッカッカッカッ、と。石で作られたその廊下は、彼の歩みに合わせて小気味のいい音を打ち鳴らす。
――本当にくだらない。いつまでこんな茶番を繰り返すつもりだ。
エヴァンスは、シュマンに所属している。いや、それは正確な表現ではないかもしれない。
なぜなら、彼が籍を置いているのは、シュマンの中でも独立した『ルヴェール』と呼ばれる隊だからだ。チーム。班。正しい言い方はわからないが、とにかくエヴァンスは、その特殊な地位に立っている。
ルヴェールは、決して外に漏れることのない組織だ。世界には、どうしようもなく暗い部分が存在する。生き残り競争をかけて、敵対する国の重鎮を暗殺したりと、そういった謀略が平気で横行している。
世界の発展を脅かし、治安を乱すような裏世界のやり取りを抑圧するのがルヴェールの主な活動内容だ。また逆に、無能で人の上に立つのにふさわしくない人物や、世界を間違った方向へ導きかねない指導者などを秘密裏に消すのも、ルヴェールの存在理由である。
必要悪。その言葉を盾に、世界のどの人間よりも汚い事を平気でやってのける、世界の最暗部。それが、ルヴェールという組織なのである。
そしてルヴェールに所属するエヴァンスは、しかしそんな思想に浸かった覚えはない。エヴァンスはあくまで、自身の目的のためにルヴェールを利用しているにすぎない。
それは他のルヴェールのメンバーも同様である。組織に忠誠を誓っている者など誰一人としていない。蛇の道は蛇に。それぞれの目的を達成するには、ルヴェールの肩書きを借りるのが一番便利なだけである。
なのに。
(いつになったらアイツに辿り着くんだ。ふざけやがって)
エヴァンスは今日はついに、セレニアの中枢に触れた。しかし何の成果も得られなかった。それが、焦燥を駆り立ててくる。
血だらけの上着を脱いで適当に放り捨てた。エヴァンスは、いちいち洗濯など可愛い事をしない。こうしてその辺に散らかしておけば、きっと雑用係の誰かが洗うだろう。
硬い石で作られた廊下を歩く。無駄に長く、出口まではまだ遠い。所々についている黄色いイールドが、一定の光で廊下を明るく照らしている。
「あっ、おいエヴァンス! 帰ったのか! 終わったら報告に来いといつも言っているだろう!」
それにしても、腹が減った。思えば昨夜あの亜人のガキを殺してから何も胃袋に入れていない。しかし帰還している間に、もうとっくに日は昇っていた。睡眠を取ってもいいが、その前に何か食わないと腹の虫が暴れまわって寝かせてくれないだろう。
「おい、無視をするな!!」
エヴァンスは近くの国の食事処へ向かう事を決めた。たしかそこには、一日中店を開けている変わり者の店主がいるはずだ。とりあえずそこで腹を満たしてから――
「俺は諦めんぞおおおお!!」
エヴァンスは溜息をついて立ち止まる。刹那で無視を決め込んだ自分の周りでギャーギャー喚き散らすそのオッサンを、心の底から嫌悪の感情を込めて睨みつける。
「……チッ。んだよ」
「報告に来いいいい!!」
角刈りの髪に、無精髭を生やした、背が低い中年。およそ見た目でかなり不利益を被っているであろうその男性が、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしてくる。
シュマンの幹部の一人だった。熱血で、うっとおしい、前時代的な香りを漂わす天然記念物である。
情に厚く、なんでも根性で乗り切ろうとする数百年前の考え方を未だに貫くその阿呆を、青い瞳の少年は凍てつく眼差しで捉える。
「俺はシュマンじゃなくてルヴェールの人間だ。何でお前らのルールに従わなくちゃならねんだよ。引っ込んでろ」
「ルヴェールもシュマンの一組織だろう!! 総帥様がお前らを拾った以上、総帥様に恩義を返すのがヒトとして当然の行いだろうが!!!!」
本当に面倒くさい。何なんだこの汗臭い生き物は。
まず前提から間違っている。ルヴェールはシュマンから独立した組織だ。恩義? そんな物を感じる必要性など何処にもない。拾ってくれなど頼んだ覚えもない。
それに、こんな血に濡れた存在に恩義を返す事を期待している時点でもうダメだ。めでた過ぎる。頭がゴブリンと同じレベルだ。
しかしそんな事を告げても、この薄ら寒さの塊には通じないのだろう。本当に、本当に面倒くさい。
「……チッ」
「舌打ちばかりするなああああ!!」
エヴァンスの一挙動一動作。その全てに一々いちゃもんをつけてくる幹部の男。ビシッ! と指を差し、唾を撒き散らして声の限り叫んでくる。
(あああああああああああァァァァァァッッッッ!!!!!!! 本当にめんどくせぇ!!!!)
エヴァンスはイライラしていた。それはもう過去最高に頭に来ている。このまま感情に任せて血だるまにしてやれればどれだけ楽か。
しかしそれは出来ない。やれるものなら、とうに肉塊に変えてやっている。この男はシュマンの幹部で、総帥の一番の腹心なのだ。
彼を亡き者にしてしまうと、エヴァンスはルヴェールにいられなくなる。そうなれば、裏世界の情報が得られない。彼の目的は、手が届かないほど遠くに行ってしまうのだ。
耐えるしかない。感情を押し殺して、努めて無表情でエヴァンスはその幹部に向けて口を開いた。
「はいはい報告ー。セレニアの表向きの首相を狙うレイケルドからの暗殺者返り討ちー。以上」
「我輩にではない! 総帥殿に報告しろと言っているのだああああ!!!」
「わーった。わーったよ。行けば良いんだろうがよ。クソが」
眉をひそめて頭をガリガリと掻く。何故自分がこんな事をしなければならないのか。
そう毒づきながらもエヴァンスは、総帥とやらが胡座をかいて踏ん反り返る為だけの、腐った部屋へと歩を進めるのだった。




