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11-1 光の当たらない世界

「はぁ……はぁ……はぁ……っ!!」


 草木も眠る真夜中。ほとんどが雲に隠されている月が上空に浮かび、まばらに立つ黄色いイールドによる電燈の灯りすら届かない細い路地を、ものすごい速度で駆けていく影があった。


 カミル=テクネス。暗闇の道を、その眼孔でしっかりと認識して走る亜人の少年だ。


 彼は、金が必要だった。どんな事をしてでも、資金を貯める為ならば躊躇せず飛び込んでいた。そしてその強い意志が、現在カミルを危機に陥れている。


(ちく、しょう……あんなのが出てくるなんて、聞いてねえぞ!!)


 カミルは思わず悪態をついた。しかしその足だけは止めない。止められない。ゴミ箱を蹴っ飛ばし、植木やらなんやらを飛び越え、壁を蹴って路地を曲がっていく。


 追いつかれたら、そこで終わりだ。


(俺は、絶対に帰らなきゃならねぇんだ!! なのに、なんだってあんな奴が立ちふさがってくるんだよッ!?)


 何としても逃げなければ。死んでしまえば金は手に入らない。そうなれば、彼の帰りを待つ病弱な妹が涙を流す事になるだろう。


 それだけではない。カミルが汚い事に手を染めてでも金を集めているのは、妹の病気を治すためなのである。カミルが死ねば、病気の治療代も払えないどころか、妹の面倒を見る者すら居なくなってしまう。


 こんな所で、死ぬわけには行かないのだ。


 ふと、僅かな空圧を感じ取ったカミルは、咄嗟に身を屈める。直後。一瞬前まで彼の頭部があった空間を、轟音を撒き散らしながら高速でとある物体が通過していった。


 その何かは、勢い余ってカミルの進行方向の突き当たりにある壁に激突する。ドゴォッ!! と鼓膜を破りかねない破裂音を発生させ、粉塵が舞い上がる。


 その、正体は。


(なんだよこれ!? ただの水(・・・・)だけで、こんな……ッ!)


 それは、なんの変哲もない、水の塊であった。そのおよそ凶器にはなりえない液体が、異常な速度を持つことで対象を擦りつぶす立派な兵器としてカミルの命を狙ってきたのだ。


(飛び道具なんてずりぃぞ、ちっくしょおおおおおッッ!!)


 カミルは、ただでさえ暗闇で視界が悪い中、粉塵でさらに光を遮断してくる路地裏を全力で走り抜ける。


 それは、彼の固有能力が関係していた。豹の亜人。カミルは夜行性の動物のように、僅かな光だけで暗闇を見透かせる瞳を持っている。


 この力で今まで幾多もの暗殺や奇襲を成功させてきた。カミルは、ぬるま湯に浸かっている()の連中とは違うのだ。


 いつもだったら敵対組織の暗殺者なんか返り討ちにしてやれる。それほどの実力を持ってると自負してるし、現にこれまでどんな依頼でもこなしてきた。


 しかし、アレはもう違う世界の生き物だ。アレで人間だなんて、カミルは信じられなかった。


 豹の亜人であるカミルは、尋常でなく足が速い。おそらく、世界中のどの種族よりも。なのに、なんなんだ奴らは。神術師という生き物は。


 そして、その中でも別格の存在。裏の世界では知らぬ者のいない、出会ったらすぐ逃げろとまず教わる人物。


 青い悪魔(・・・・)が、自分を追いかけてきている。


「ざけんじゃねえぞおおおお!!!」


 思わず叫ぶ。任務は失敗だ。報酬は得られないし、下手したら消される。しかし、ここで捕まれば、それより早い確実な死が待っている。


 逃げても、死。逃げなくても、死。カミルに残された選択肢は、どちらも酷い結末しか残っていなかった。


 カミルは、路地裏から大通りへ体を滑らす。人っ子一人いないその暗く広い町並みを、風を切って爆速で突き進んでいく。


 もうこんな街こりごりだ。報酬に目がくらんで、やばいところに首を突っ込んでしまった。報酬は少なくとも、もっと確実で、命の危機を感じない仕事を選ぶべきだった。


 いや、そんな事を嘆いても始まらない。とにかく、今は奴を撒かなければ。


 全力で地面を後ろに蹴り飛ばし、あまりの速さに相対的に自分を押し上げてくる空気の壁を無理やり受け流して走り続ける。


 もう少しで、門だ。勿論真夜中なのだから、閉まっているに決まっている。というか、この国の門は基本的に開いていないはずだ。


 しかし光の少ないこの時間であれば、カミルには抜け出す手段がある。周りの建物の屋根から全身全霊の力を込めて跳躍してやれば、豹の亜人にとってはこの程度の高さなど問題ではないのだ。そしてそれは、少ない門番にはきっと捉えられない。


 カミルはほとんど減速する事なく近くの屋根に飛び乗った。屋根が壊れる事や付随する音などを全く気にせず、屋根から屋根へ次々に飛び移っていく。


 あと少し。国外へ逃げれば、流石の奴も追いかけてはこれないだろう。あとは、森の中を駆け抜けて愛する妹の待つ国へ戻るだけだ。


 任務を反故にしてしまった。しかし、そんな事はどうでもいい。妹と一緒に行方をくらませて、また一から出直していけばいい。


 カミルは、最後の建物に足を付けた。そして、今まで走り抜けた速度そのままに、高く高く飛び上がる。そり立つ壁は、どんどんとその頂が低くなっていく。


 微々たる光しか存在しないその上空を滑りながら、カミルは国を囲う高き壁に手を伸ばす――



「よぉ」



 突然目と鼻の先に現れたその顔に、カミルの時が、一瞬止まる。


 極限まで圧縮された時の中で、彼は悪魔の囁きを聞いた。


「――楽しかったか?」


 その、初めて体感する時の引き伸ばしに何かを感じる事なく、カミルの眼前には拳が向かってきていた。


 そして。



「がっ……ふぅッ……!?」


 瞬間で。カミルの身体は地面に大きなクレーターを作り出していた。建物で言えば五階。いや、もっとあるだろうか。それほどの高さから高速で叩きつけられたカミルの全身の骨は砕け散り、まともに呼吸をする事も出来なかった。


 普通の生き物なら死んでいる。しかしカミルは違った。頑強な体を持つ亜人。それも、幾多の修羅場をくぐり抜けてきたカミルの強さが、彼をギリギリのところで生還させたのだ。


 しかしそれが、彼の苦しみを継続させる事となる。


(い、いてぇ……や、ば……に、にげ……ッ)


 全身を襲う猛烈な痛みに表情を歪ませながらも、カミルは生を諦めない。諦められるわけがなかった。しかし、心とは対照的に、バキバキにへし折られた骨格はカミルを虫ケラのようにもぞもぞ動かす事しか出来なかった。


 そんなボロボロのカミルの体に、彼をそんな風にした張本人が着地した。


 そう、着地(・・)したのだ。ただでさえ針金のようにくしゃくしゃに折れ曲がった腕や足。修復不能なほどダメージを受けたその内臓を収める腹部に、だ。


「ぎ、ぎゃあああああああああァァァァァァッッッッ――――――!!!!!」


 カミルは絶叫し、その疼痛から逃れようとのたうち回る。しかしその行動が、彼の体をより痛々しいものへと変えていく。


 真っ赤に染まる彼の体。彼に乗る影は、その凄惨な光景とは対照的な、冷めた青い瞳(・・・)でカミルを見下ろしていた。


「無駄に強くてご苦労さん。俺に嗜虐趣味はねえんだよ。さっさと死体になりやがれ」


「こ、の……」


「じゃあなチンピラ」


 その青い瞳は、暗闇の中でも異彩を放っている。鈍い光を漏らし、その光はカミルに一つの感情を植え付けてきた。



 ――憎らしいほど、綺麗だ。



 自分に手のひらが向けられているのを、カミルの瞳は確認した。淡い光さえあれば彼は、暗闇の中でも昼間と同じように行動できる。


 そんな亜人の少年は口元を歪め、精一杯の負の感情を乗せ、文字通り自分の上に立つ存在へ向けて言葉を放った。



「――青い、悪魔……ッ!」



 次の瞬間、カミル=テクネスは命を落とした。


 そして、死体に変わった亜人を見下ろす青い影が、ようやく雲から姿を現した満月によって明るく照らされる。


 青い悪魔。夜空より青く、深海より暗い髪を返り血で赤く染める、青い瞳の少年。



 エヴァンス=レイン。それが彼の名だった。


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