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「サッチの絵本」

 


 むかしむかし、あるところに、一人の人間の青年が住んでいました。


 チャスと言う名前のその青年は、いつものように畑へおしごとをしに向かいました。


 すると、道のとちゅうで、何人かのオークが人間の女の子をいじめていました。


「こらオークたち! よわいものいじめはやめるんだ!」


 チャスはいじわるなオークたちをおいはらって、女の子をたすけました。


「ありがとうございました」


 女の子はとても美しく、チャスは女の子に恋をしてしまいました。


「きみのなまえを教えてください」


「ウェイリィといいます」


 チャスとウェイリィは、それから何回もいっしょにおでかけをしました。


 そしてある日、チャスは言いました。


「俺とけっこんしてください」


 ウェイリィは涙を流して喜びました。しかしウェイリィはそれを断るしかありませんでした。


「じつはわたしは、この国のおひめさまなのです。だから、あなたとはけっこんできません」


 チャスは泣きました。夜がきても、朝がふたたびやってきても、泣きつづけました。


 それから二人はいっしょにおでかけをすることはなくなりました。


 そしてある時、チャスは悪いトロールにウェイリィがさらわれてしまったことを聞きました。


 チャスはトロールが住むトロルの森へ向かいました。


 そこでは、大好きなウェイリィがトロールにたくさん叩かれていました。


 チャスは怒りました。大きな大きなトロールにぶつかってトロールを転ばせました。


 そしてチャスは、こわくて泣いていたウェイリィにこう言いました。


「きみは、俺がぜったいにまもるよ。だから、少しだけまってて」


 チャスは、棒を持って大あばれしました。


 そしてとうとう、トロールが手をついてあやまりました。


「まいったぁ。ごめんなさい。もうしません」


 チャスはウェイリィといっしょにお城へかえりました。


 王さまはチャスのことを、おひめさまをたすけたヒーローとして、けっこんをゆるしてくれました。


 こうして、チャスとウェイリィは、いつまでもしあわせにくらしましたとさ。



 めでたしめでたし――









「何読んでるの?」


「ふゃぁっ!?」


 バンッ!! とサッチは思いっきり本を閉じる。突如ひょこっとすぐ横に現れた顔に、思わず身を引き、全身で驚愕を表した。


「あはは。何その声」


 目を細めてケタケタ笑う少年。まだ少し落ち着かない心臓の鼓動を感じながら、サッチは真っ赤な顔でその蒼い少年、ラウィを睨みつける。


「うるせえな! いきなり顔近づけてくんじゃねえよ!!」


「そんなに驚くような事じゃないじゃんか……集中してたんだ?」


「……まあな。ちょっと懐かしくてよ」


 サッチは今の今まで読んでいた本をラウィに手渡す。それは、昔憧れたヒーローの絵本である。レーナを探しに書庫へ行った際、たまたま見かけて談話室へ持ってきていたのだ。


「『チャスのトロールたいじ』……ふーん。子供向けだね。昔読んでたんだ?」


 ラウィはパラパラと紙をめくっていく。視線を左右へせわしなく動かしているところを見ると、どうやら読んでいるらしい。


 サッチは、談話室のソファに横になった。暖炉の火で暖められ、チラチラと瞬く天井を見上げる。


「そうだな。アタシの思い出の本だ」


「おもしろかったよ、ありがとう」


「え? もう読んだのかよ?」


 パタンと絵本を閉じて返してくるラウィに、サッチは目を丸くする。


「まあ、文字も少ないしね」


「……そうかよ」


 サッチは少しだけ自己嫌悪に陥る。自分はこれくらいが限界だというのに、ラウィには文字数が少ないとあっさり言われてしまったのだ。


「このチャスの気持ち、すごくわかるよ。大切な人を助けるために体を張ったんだよね」


「そ、そうなんだよ! これは――」


「でも、やっぱり童話だね。なんというか、ずるいよ。主人公中心にまわってる気がする」


「……あ?」


 サッチは、笑顔のまま固まった。ラウィは、淡々と言葉を続けていく。


「だって、絵を見る限り神術師でもないのにトロールにぶつかって倒せるわけないし、棒なんかトロールに効かないよ。お姫様がさらわれたのにチャスしか助けに行かないのも変だし、それに――」


 サッチは無言でラウィの腹に蹴りをブッ込む。うべっ、とか言いながらラウィは床をゴロゴロと転がっていった。


「な、何するんだよ!?」


「細かいこと言ってんじゃねえよ。空気を感じろ、空気を」


 目を細めてラウィを見据えるサッチ。手に取った薄い絵本を傍の机の上に置いた。


 童話の細かい矛盾点に突っ込む事ほど野暮なことはない。


 そんなこと言ってしまえば、インダノという果物から生まれる男の子のお話だって前提からおかしいし、開けてはならないパンドラの箱をお土産として何故か渡してくる小人族の王様だっている。


 しかし、問題はそこではないのだ。勧善懲悪。因果応報。小さい子供が大切な何かを学ぶための教本なのだ。


 それを、ラウィはわかっていない。全く、これだから――


(……あれ?)


 サッチの脳内に疑問符が浮かぶ。ラウィは、この手の童話を読んだことがあるのだろうか。『チャスのトロールたいじ』など、有名な童話として三本の指に入るほどの名作なのだが。


「なあラウィ、お前絵本って読んだことあんのか?」


「なにさいきなり……馬鹿にしないでよ。それくらいあるよ。小さい頃に姉ちゃんに読んでもらったし」


 ラウィはお腹を押さえていた。そんなに強く蹴ったつもりはないのだが、どうやらまだ少し動揺してしまっていたらしい。


「『ラウィの昆虫採集記』とか『ラウィのお手伝い日誌』とか『ラウィの――」


「待て待て待て待て。何だそのクソつまらなさそうな題名は」


「え、姉ちゃんが作ってくれたやつだけど?」


 キョトン、とさも当然であると言いたげな瞳でサッチを見つめてくるラウィ。


「そんな誰も知らねえやつじゃねえよ! 『インダノタロウ』とか、『リュウグウのパンドラ』とかだよ!」


「あーごめん、わかんないや」


 頬をぽりぽりと掻いて、眉を垂らして困ったように笑うラウィ。


(……まじかよ)


 サッチはラウィの無知っぷりに呆れるとともに、何とも言えない高揚感を感じていた。


 自分は、『チャスのトロールたいじ』を読んでヒーローの生き方に憧れた。他にも、童話や創作物語に影響を受けた子供たちはたくさんいる事だろう。


 しかしラウィは、それを知らない。読んだ事もない。にも関わらず、彼はヒーローとして自分を救ってくれた。


 ラウィはきっと、根っこの部分に従って行動しているのだ。何かに影響を受けたから。ヒーローに憧れたから。そんな物ではなく、助けたいから、助ける。その感情が、ラウィの心には根付いているのだろう。


 やはり、サッチの予想は正しかった。ラウィはやっぱり、すごいのだ。自分を助けたヒーローは、作られたモノではなかったのだ。


「サッチ、どうしたの?」


「……なんでもねえよ」


 サッチはラウィから視線をそらす。なんとなく目が合わせられなかった。寝返りをうって、彼に背中を向ける。


(ラウィ、お前は流石だよ。姉ちゃん、早く見つかるといいな。アタシも頑張って手伝うよ)


 ふと、口角が上ずる。心なしか気持ちが暖かい。燃え盛る暖炉のように心地よい感覚だ。何だか、この感覚も悪くな――


「サッチー? ここで寝たらまたレーナに怒られるよ?」


 すっ、と。ソファの背もたれとサッチの顔面の間という、やたら狭い空間にラウィが顔を差し込んできた。


「――〜〜ッッッッ!!!」


 そのまつ毛の本数まで数えられそうなほど近くにある綺麗な蒼い瞳に、サッチの顔はみるみるうちに熱を帯びていく。


「だから顔が近いって言ってんだろがぁぁぁッッッッ!!!!」



 次の瞬間には、ラウィの体はポーンと空中を舞っていた。その一件を聞いたアレスは、のちに笑い転げましたとさ。

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