蒼天の空を見上げて
「研、鑽――って何?」
「んなっ」
シェゾが変な声を漏らす。彼はコホンと一つ咳払いをすると、再び紅い瞳を向けてきた。
「い、いや、すまない。わかりやすく言おうか。私の弟子として、修行に励んではみないか。そう言ったんだ」
「え、良いの?」
シェゾは、三番隊の隊長。つまり、アルカンシエル内で三本の指に入る超実力者なのである。
あの変な生き物ジャンスや、それを容易く叩きのめした銀髪の女性ハグミよりも、更に上。
そんな人が、稽古を付けてくれるのだという。そんな事、願ったり叶ったりである。強さを欲するラウィには、これ以上ない申し出であった。
「ああ。私は、しっかりとアルカンシエルに辿り着いた君の根性を高く買っている。そんな者、そうはいない。先日、君が一人で鍛錬をしているのを見て、力を求めているのを知って、協力してやりたいと思った」
「……」
「それに、ついでにアレスの面倒も見たい。アレスも、私の弟子なのだよ」
シェゾは朗らかに笑う。その優しい笑みを、ラウィは知っていた。
これは、慈愛の笑みだ。肉親に向けられるような、無償の愛情だ。
ラウィはそのシェゾの表情で即決した。元々断る理由などない。彼を師と仰ぎ、力を付けていこう。
「じゃあ、よろしくお願いするよ、シェゾ」
その紅い両眼をしっかりと見つめ、ラウィは告げる。対してシェゾは、何故か人差し指をラウィに向けてきた。
「了解した。だがラウィ君。まずは言葉遣いを正そうか。目上の人間には、敬語を使って然るべきだ。聞いた話だと、君は総司令官にさえ普段と同じ話し方だそうじゃないか」
シェゾは眉をひそめてラウィを睨んでくる。その謎の剣幕にラウィは思わず体を強張らせた。一体シェゾは何を言っているのだ?
「敬語って……何?」
本日二度目のわからない単語。何だか一気に不安になったラウィは、言葉の勉強もしようと密かに心に決めた。
シェゾは掌で顔を覆う。その口は少しだけ歪み、呆れの感情を隠しきれていなかった。
「学ばせたところで、慣れない事を無理に喋らせても違和感を撒き散らすだけか……わかった。しかしラウィ君、せめて『さん付け』しなさい。呼び捨ては流石に失礼すぎる。隊長達など敬うべき人物には、名前の下に『さん』を付けるんだ。ナダスさん、のようにな」
「わかったよ、シェゾさん」
「……まあいいだろう。そういう事を気にする輩もいるから、気をつけて欲しい」
シェゾは机の端に置いてあった、何かが書き記された厚紙をラウィに手渡してきた。それには、様々な料理の名前が記されている。
何枚か束になっているようで、本のように開けるようになっている。おそらく、ここに書いてある料理が、この店で作ってもらえる物なのだろう。
先ほど口頭で店員にスープを注文していたシェゾは、どうやらこのお店の常連らしい。武器も売っているあの薬屋の近くだからだろうか。
シェゾはラウィが持つお品書きを指差し、口を開いた。
「弟子となった君への、私からのプレゼントだ。好きなものを頼むといい」
「ほんとに!? 僕結構食べるよ?」
「構わないよ。三番隊隊長の懐を舐めるんじゃない」
目を細め、口元を片側だけ吊り上げて静かに笑うシェゾ。ラウィは目を輝かせて、手に持つ厚紙へと視線を落とす。
実に色んな料理が載っている。アルカンシエルの食堂は決まった種類の料理しか作ってもらえず、少し飽きていたところだった。
見たこともない料理。どんな味がするのだろうか。右へ左へ目移りするラウィは、すぐに注文の内容を決定した。
「じゃあ、とりあえず全部」
「!?」
――――
「えぇーっ! 食べてきちゃったんですか!?」
レーナが片手で口を押さえて叫ぶ。その黄色い目を見開いて、ラウィを見つめてきた。
「まったく。私もまだ朝食取ってませんし、美味しいお店を紹介しようと思ってたのに」
ラウィは、涙目のシェゾとの食事を終え、一旦彼と別れた。何だか少し小さくなってしまった紅い師匠の背中を見送ると、レーナとハグミが待つ薬屋へと戻ったのだ。
そして現在。三人はクルードストリートを目下散策中である。比較的人通りの少ない道を選びながら、レーナのお薦めだと言う店へ向かう途中であった。
「……全料理を制覇した事には突っ込まないのね?」
「……ラウィの食欲に、今更驚いたりしません」
信じられないといった様子でラウィのお腹を凝視してくるハグミに、レーナがため息混じりで返答する。
「大丈夫。まだ食べれるよ」
「ダメです。体に触ります。摂生してください」
ピシャリ、とレーナが言い放ってくる。眉間には皺が寄っており、少し不機嫌であることが伺えた。
食事の続きはお預けのようである。というかそもそも、ラウィはレーナに強く出れない。ラウィは、一ベルノもお金を持っていないのだから。
口を尖らせ、嫌々と言った気怠げな声色で了承の意を口にする。
「わかったよ、レーナさん」
「ふぇぇっ!?」
何故かレーナは甲高い変な声をあげた。その場に立ち止まり、ラウィに向けて言葉を投げてくる。
「な、何ですかその呼び方! おちょくらないでくださいっ!」
握った拳を地面に伸ばし、赤く染まる顔で思いっきり叫ぶレーナ。
混乱したラウィは、取り敢えず『レーナさん』と呼んでしまった理由を口にする。
「え、だってシェゾさんが隊長には『さん』を付けろって……」
「……大体読めました。でも、私にはやめてください。むず痒いです」
ため息を吐くレーナの隣では、銀髪の美女ハグミが心底楽しそうにケタケタと笑っていた。
「本当に面白い子ねぇ。そうだ。それなら、お姉さんの事はこれから、『お姉たま』とでも呼んでもらおうかしら?」
「ハグミさんっ!」
「冗談よレーナちゃん。でも、ラウィは純粋な子ね。きっとそういう所が、シェゾに気に入られたのね」
ラウィの水浅葱色の明るい髪を撫でてくるハグミ。少し気恥ずかしかったが、ラウィは嫌いではなかった。
レウィのような、本当の姉のような、ハグミの優しさが。
「どうしたんですか?」
ハグミを見つめて固まったラウィに、レーナが首をかしげて問いかけてくる。
「いや、目的を再確認しただけだよ。僕はやっぱり、姉ちゃんを助け出す」
ふと、快晴の空を見上げる。蒼天の大空は、ラウィの想いを祝福するかのように、彼の蒼い瞳をより蒼く輝かせた。
「姉ちゃんを攫った、シュマンと接触したい。その時に負けないような、力を身につける」
風が吹き抜ける。ラウィの短くも細い翠がかった蒼い髪は、空気の流れに沿って揺れ動く。
「たとえどれだけ時間がかかっても、すごい酷い目にあっても、そんなの姉ちゃんを諦める理由になんかならない」
かつて泣くことしかできなかったちっぽけな少年は、今では明確な答えをその手にしている。
蒼い瞳の少年はアルカンシエルへ所属し、ようやくそのスタートラインから足を踏み出した。
しかしその道のりは険しく、今後も彼には沢山の障壁がその歩を阻んでくるだろう。
しかし彼は決して止まらない。止まる事ができない。彼を動かす理由が存在する限り。
『大切なものは肌身離さず持ってなさい』
その言葉の意味は、今では少しだけ変化した。肌身離さず持つのではない。その身から離れてしまったものでも、掴み取る。
守りたいものを守る。誰も死なせない。もちろん、自分が愛してやまない姉などその最たるものである。
ラウィは、首から提げる金色のブローチを握り締める。姉とお揃いであるその装飾品に力を込めて、力強く、力強く、芯の籠った声で宣言する。
「――必ず、助ける。絶対に諦めない」
――そして少年の希望通り、遠くない未来。アルカンシエルはシュマンと全面衝突することとなる――
第一部完結です!
第二部スタートまでは少々お待ちくださいです。。。




