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蒼天のアルカンシエル  作者: 長山久竜@第30回電撃大賞受賞
▼Chapter 2. 物も人も暖かい方が
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2-2 散乱と団欒



 どれくらいそうしていただろうか。長かった気もするし、すぐだった気もする。とにかく、ラウィが荷車の上で座っていると、ようやくサナが役場から出てくるのが見えた。


「何黄昏(たそがれ)てるのラウィ! お待たせ! 行こ!」


 橙色の髪を風になびかせ、弾けんばかりの笑顔でラウィを誘導する。


「荷車はもうそこに置いといていいよ。ウチはこっちだよ! ついてきて!」


 サナがやたら大げさな仕草で手招きしてくる。ラウィは、腰掛けていた荷車から立ち上がった。


 少しだが、休憩ができた。さっきより幾分か足が軽い。これならまだ暫くは歩けそうだ。


 そんな事を考えていたラウィは、その考えが甘かった事を痛感させられた。サナが、彼女の家があるであろう方角へ向けて駆けているのだ。


(え、何で走るんだよ……)


 億劫そうに一つため息を零すも、ラウィもサナを追って駆け出した。このまま置いていかれては、ご飯にありつけないのだから。


 ラウィは疲労していたものの、相手は年下の女の子だ。少し走ると、簡単にサナに追いつくことができた。


「おっ!? ラウィやる気!? あの二階建てのやつが私の家だよ! そこまで競走ね!」


 サナが指をさした方向を見ると、確かに二階建ての家が見えた。突然の宣戦布告に、ラウィの心に少しだけ火が灯る。


 ラウィは、負けず嫌いなのである。時と場合は使い分けるが、基本的にはラウィは勝負事は真っ向から対峙する。


 例え相手が自分よりも明らかに体力の劣る女の子であろうと、勝負である以上負けてやるつもりは無かった。


「いいよ。乗った。勝った方は何が――」


 ラウィが言い切る前に、サナの足が回転を増した。姿勢を低くし、家に向かって地を這うように一直線に進んでいく。


 デタラメな速さである。


(ちょ、うそ……!! やばッ!)


 ラウィも慌ててサナを追いかけ、全力疾走を開始する。負けられなかった。


 しかし、速い。サナの速度は、ラウィにはさすがに及ばないものの、ほとんど差が詰まるものでは無かった。


 とても年端の行かない女の子の走りではない。まるで、人の形をした風である。


 サナとの距離が縮まらないまま、ゴールが目前に迫り、サナが今まさに辿りつこうとしていた。彼女が両手をあげ、歓喜の声をあげ始める。


「やったー!! ラウィ! 私の勝ちへぶっ!?」


 だが、そんなサナの顔面に、バッシャァッ! と水の塊が直撃した。今までのスピードを殺され、あまつさえ仰け反のけぞらされたサナはバランスを崩し、その場で尻もちをついてしまう。


 もちろん、犯人はラウィであった。近くにあった池から水の塊をサナにぶつけてやったのだ。


 何が起きたかわからず、顔面を濡らして呆然と疑問だけを浮かべるサナを尻目に、ラウィが先にサナの家へ到着した。


「はい、僕の勝ち」


「あ、あーっ!? ずるいずるい!! 今の無しぃーーっ!! なんか水が飛んできたんだもん、あれが無ければ勝ってたしーーーっ!!」


 サナが地面に仰向けになって駄々をこねているが、知ったことではない。勝ちは勝ちだ。


 神術は使ったけど、持てる力の全てを使っただけだ。何もずるいことなんてない。


 ラウィがとても大人気ない事を考えてサナへ向けて口角を吊り上げると、やがて観念したのかサナが起き上がる。


「ううう……わかったよ。負けは負けなので、ご飯をごちそうします。入ってください」


 サナは体の砂を払い、がっくりと肩を落として家の中へ入っていく。


(……あれ? そんな約束だったっけ?)


 何だか腑に落ちないラウィだったが、何も言わずにサナの後を着いて行く。純粋に疲れた。


 ラウィは扉から玄関に入る。中は薄暗く、少し埃っぽかった。ラウィの後ろで、サナが扉を静かに閉める。人差し指を口に当てがい、囁くような声でラウィに告げてきた。


「今、お兄ちゃんが寝てるから、静かにしてね。まあ、もう起きてるかもしれないけど。私は髪を乾かしてからご飯作るから、ラウィはその辺でくつろいでて」


 そのままサナは、家の奥の方へと消えていった。


 ラウィは、何故か疾走して疲れが溜まりに溜まって言うことを聞かなくなった両足に休息を取らせるため、履き物を脱ぐと部屋に上がろうとした。



――が。



 奥の部屋から「いたっ」とか小さな声と同時に、ガラガラガラ! と、何か積まれたものが崩れる音が響いてきた。その音に不意をつかれ、ラウィはびくっと全身で驚愕を表す。


 そして、ラウィの驚愕はそれだけでは終わらなかった。


「サナァァァァッ!! てめっ外は危ないから一人で出歩くなっつってんだろうがぁッ!」


 バァンッ! と、壁が壊れかねないほど大きな音を立てて部屋の扉を開けた男によって、ラウィはまたも面食らってしまう。


 男はサナと同じ明るい橙色の髪を持ち、太い竹で作られた棍棒のようなものを携えている。

 この家にいることやその髪の色から、彼がおそらくサナの兄だとすぐさま理解する。


 おそらく、彼は既に起きていて、先ほどの何かが崩れるような音で、サナが帰ってきていると思ったのだろう。


 彼が叫ぶように呼んだ人物、サナは奥の部屋に行っていて今この場にはいない。


 つまり、この橙色の髪をした、サナの兄だと思われる男がサナだと勘違いして声をかけた人物は――


「あ? 誰だお前」



――ラウィしかいなかった。



「あ、いや、僕は……」


 両手の平を男に向け、なだめようとするとともに弁明を始めるが、橙の髪の男はそんなの御構い無しに声を荒げてきた。


「てめえ……白昼堂々盗みにきやがるとはいい度胸だなァッ!! このコソ泥が!!」


 サナの兄と思しき男は、竹の棍棒を即座に振り下ろしてくる。問答無用である。風を切るブンッ、という音ともに細長い打撃具がラウィに迫ってきた。


 ラウィは、咄嗟にそれを下がって避ける。すぐ後に足を踏み込み横へ薙ぐように竹を振ってきたサナの兄の攻撃を、今度は頭を下げて回避。

 思わずサナの兄を見つめ、悪態をついた。


 最悪だ。なんてタイミングの悪い。サナは奥の部屋へ行ってしまい、この場を治めてくれる人物がいないのだ。操作できそうな水も無かった。


(だめだ。サナに説明してもらおう)


 ラウィは早々にそう結論付けると、サナが消えていった奥の部屋を一瞥する。


 その瞬間。


「余所見すんなよ!!」


 サナの兄が一瞬の隙を見せたラウィの頭へ、竹の棍を思い切り叩きつけてくる。


 しかし。


 竹の棍棒は、ラウィの頭に当たると、ひび割れ、粉々に砕けてしまった。


 ラウィは、神術膜を纏っていた。保護された肉体が、所詮竹程度の硬さしか持たない棍棒など造作もなく返り討ちにしたのだ。


「!?」


 サナの兄はその光景に口を歪める。思わずラウィから距離を取った。そして、ラウィはそれを見逃さない。


 思いっきり床を蹴ると、奥の部屋へと走り出した。サナに弁明を求めるために。


「あっ、てめえ待ちやがれ!」


 サナの兄は、突然家の奥の方へと飛び出したラウィを追いかけてくる。


 ラウィは、サナが消えていった部屋に入ると、視界を泳がせて彼女を探す。

 部屋は散らかっていた。物が散乱し、もはや足の踏み場さえ無かった。おそらく、先ほどの何か崩れた音の正体はこれであろう。


 食器や分厚い本など、色んなものがごっちゃになって重なり合っている。少し広めの物置のようだ。


 そんな中、目的の人物、サナはすぐ見つけられた。


 というか、目の前にいた。


 というか、ラウィとぶつかった。


「わわっ!?」


 サナはラウィの方向へ移動中だったらしく、ラウィは彼女と正面衝突してしまう。


 体重のより重いラウィがサナを押し返し、ラウィは床に散らばった様々な物に足を取られ、前方へ倒れこんでしまう。


 つまり、ラウィがサナを押し倒す格好で二人仲良く床に伏せていた。


 そこへちょうど、ラウィを追いかけてきたサナの兄がやってきた。


 これもまた、何かを恨んでしまいたいほど最悪のタイミングであった。サナの兄は床へ寝転ぶ二人を見るや否や、激昂する。


「てめえコラクソ野郎ォォォッ!! サナに何してやがるーッ!!!!」


 ラウィはサナの兄に背中を掴まれ無理やりサナから引き剥がされる。そのまま、サナがいない方の床へ投げ捨てられた。


「おい……どういうつもりだコソ泥風情が。てめえコラ。取り敢えずボコボコにしてやろうか?」


「お、お兄ちゃん待って! この人は悪い人じゃないよ!」


 ラウィへ鬼気迫る表情で詰め寄ってくる男を、妹であるサナが止めに入る。男は眉間にしわを寄せると、サナへ聞き返す。


「そういえば帰ってきてたのかサナ。こいつが悪い奴じゃないって、なんでそんな事が言えるんだ?」


「ついさっき帰ってきたの。えっと、この人は今日、仕事を手伝ってくれたんだよ。そのお礼にって、今日うちへ招待したの」


「サナ! あれは大変だし重いから俺がやるって言っといただろ! なのに勝手にやって勝手に迷惑かけて勝手に人を家に呼んでんじゃねえよ!」


 兄の発言に、うっ、と声に詰まるサナ。


「危ないから一人で出歩くなっていつも言ってんだろうが! 勝手なことばっかすんじゃねえ! 万が一こいつがやべえ奴だったらどうするつもりだったんだよ!」


「ごめんなさい……だってお兄ちゃん風邪気味だったじゃない……」


 泣きそうな表情で謝るサナ。

 言うだけ言うとサナの兄は、ラウィへ向かって手を伸ばす。


「ほら、立てよ。悪かったな」


「ありがとう」


 ラウィはサナの兄の手を取って立ち上がる。


「飯食ってくんだろ? 今日はサナが当番だ、サナが作る。その間、あっちの部屋で待ってようぜ。話したいこともある」


「え、うん。わかった」


「じゃあ、サナ、頼んだぞ」


 そういうと、サナの兄は部屋から出て行った。ラウィも、肩を落としてシュンとしているサナを一瞥した。


「サナ、悪いけどよろしくね」


「まかせといて! 髪も乾いたし、すぐ作るからね! 驚かせてやるんだから!」


 サナは、パッと表情を明るくすると、兄とはまた別の部屋へ消えていった。おそらく調理場だろう。


(この部屋は片付けなくていいのかな?)


 ラウィは、床に散らばった色んなものを見て思うも、自らは片付ける気などさらさら無かった。サナの兄の後を追って部屋をあとにする。


 部屋を出るとサナの兄が、先ほど乱暴に開けた扉から中へ入って行くのが見えた。床に散らばった竹の破片を踏まないようにしながら、ラウィもその部屋に入る。


 何とも殺風景な部屋だった。壁際に小さなちゃぶ台と、簡単な箪笥(たんす)があるのみである。


「おう、取り敢えずこれに座れや」


 サナの兄はそういうと、座布団のような物を投げてよこした。ラウィはそれを受け取ると、床に置いて座る。


 サナの兄も腰を下ろすと、あぐらをかいた膝に両手を預け、少し体を乗り出しながら話し始める。


「まずはじめに言っておくぞ。俺は、サナに免じてお前を信用はする。だが、信頼はしていない。変な行動したら摘まみ出すからな」


「ああ、うん、わかってるよ」


 ラウィも別に信頼してもらおうと思っているわけではない。ただ、暖かい食事にありつければそれでよかった。


「俺はドーマだ。お前は?」


「僕はラウィだよ」


「ラウィか。よしラウィ、お前今夜泊まってけ!」


「え!?」


 ラウィは思わず動揺する。当然だ。信頼してないと、面と向かって言ってきた男に泊まっていけなどと言われては、困惑するのも無理はない。そもそも、ラウィはここで夜を越す気など無いのだ。


「泊まってけって……何でそこまでしてくれるの? 信頼してないんじゃないの?」


「あー……そうだな、取り敢えず、ラウィ。お前は何者なんだ?」


 サナの兄……ドーマが、改めてラウィに問いかけてくる。それに対しラウィは頭を掻いた。少しだけ考えて、先ほどの翠の瞳の男から言われたことを思い出す。


「何者って言われても困るんだけど、なんだろ。うーん、あっ。旅人、かな?」


「旅人ねぇ……この辺の事情には詳しくねえのか?」


「そうだね。この辺には初めて来たよ。治安とか良さそうに感じたけど、ドーマは結構警戒心が強いみたいだね?」


「悪かったって。怒んないでくれよ。警戒すんのは悪いことじゃねえだろ?」


「あ、ごめん。そういうつもりは無かったんだけど」


 ラウィは慌てて謝罪する。


 そこへ、サナが何か大きなものを持って部屋へ入ってきた。土鍋である。


「はいはいどいてどいてー! どかないと上からかけちゃうよぉー!」


 そんなサナを見てドーマが、机のようなものを壁際から滑らせるように移動させ部屋の中央へ持ってくる。そこに紅い何かを置き、サナがその上に持っていた土鍋を乗せた。


「はいはい完成ですよっと! 待ってね、今あっためるから」


 サナは、鍋の下に存在する紅い何かに手を触れる。


 すると。


「うわっ!?」


 声を上げたのはラウィだった。初めて見る現象に、驚きが隠せなかったのだ。


 ラウィが見たのは、サナが触れた紅い何かから、激しい炎が吹き出る光景だった。


「あはは。何驚いてんの、ラウィ」


「え、いや……えっ? 何で火が出たの?」


 今の感情を上手く言葉に表せられない。とりあえずラウィは、目下最大の疑問を口に出すが、その発言にサナとドーマの顔が固まった。


 引きつった笑みで、サナがラウィを見据えてくる。


「何でって言われても……これがイールドだから、としか言えないんだけど。もしかして、ラウィ見たことないの?」


「聞いたことすらないよ」


「ほんとに? 今までどうやって生きてきたの?」


 サナが手を口に当てがい、本当に信じられないといった声でラウィに尋ねる。


 信じられないのはこっちだ。

 この五年間、どれだけ火を点けるのに苦労したと思ってる。


 薪をくべ、石や火を擦って起こした小さな小さな火種を移して、消えないよう少しずつ風を送って、といった作業をこなしてやっと暖を取れたのだ。


 そのことをサナとドーマに話す。すると、ドーマが腹を抱えて大笑いし始めた。


「ははははは! バカだなラウィ! イールドも知らないなんてよ!」


 ドーマは、一頻( ひとしき)り笑った後、ラウィに向けて、ずいっと体を寄せる。


「はーっ。お前変な奴だな、ラウィ。お前の生い立ちに興味が湧いた。さっき旅人だとか言ってたな。お前は何でこの村に来たんだ?」


 ラウィは、本当のことを言うか言うまいか逡巡したが、別に言っても構わないと結論付けた。嘘を考えるのも面倒臭い。


「僕は、姉ちゃんを探してるんだ」



 物心つく前から姉と二人きりで過ごしてきたこと。


 五年前、その大切な姉を攫われてしまったこと。


 姉の手がかりを求めて、アルカンシエルを目指していること。


 それから、アルカンシエルの情報を求めて各地を回っていること。


 ようやく情報を掴み、その途中でこの村に立ち寄ったこと。



「へぇ……苦労してんだな、ラウィ」


 ラウィの話を聞き終わると、ドーマがポツリと呟いた。


「んで、そんなラウィは便利な便利なイールドの存在も知らず、哀れにもわざわざ木と木を擦って火を起こしてました、と……ぷっ。お前いつの時代の人間だよ」


「ちょっとお兄ちゃん! そんな言い方ないでしょ! 確かにラウィは常識に欠けてるところがあるっぽいけど、こんなに頑張ってるんだから!」


 笑うドーマに対し、ラウィに助け舟を出すサナ。だが、彼女の言葉も少し辛辣なところがあった。

 初めてラウィと会った時、まったく考えもせずにお願いを断られたのが少し効いているのだろうか。


 サナの発言に、ドーマはおどけるように肩を竦める。


「そんなこと言ったら、俺らだって似たようなもんだろ? 親がいねーのは一緒だし、仕事もきついぜ? どっかの誰かさんが勝手に人様の手を煩わせちまうくらいにはな」


「もーっ! その話はさっきしたでしょ! 私は風邪気味のお兄ちゃんのためを思って……!」


「はっはっは! 残念ながら俺はもうピンピンしててな。ラウィを襲って追い出そうとしたくらいには元気だぜ?」


「え? じゃあ今朝の弱々しい表情は何だったの!? まさか朝食当番サボりたかっただけ!?」


「おー。あたりあたり」


「ちょっとお兄ちゃん!」


 サナはドーマに飛びつき、頭をポカポカ叩き始める。二人の兄妹喧嘩に、ラウィは思わず笑いがこみ上げた。


「あははははは!」


「何よラウィ! 笑わないで!」


「いや、無理でしょ。二人とも面白すぎるもん」


 兄弟っていいな、とラウィは再び思った。自分も、こんな風に姉と喧嘩できる日が、果たして戻ってくるのだろうか。


「……大丈夫。きっと姉ちゃんと会えるさ。そん時に、思いっきり喧嘩してやりな。ただし、お前は殴んなよ?」


 ドーマが、ラウィの表情から何かを読み取ったのか、柔和な笑みを浮かべた。サナもその三倍くらいの笑顔を発する。


「そうだよラウィ! 頑張って! あっ、もうお鍋も良さそうだね!」


 サナはドーマから離れ、鍋の蓋を開けた。すると、ぶわぁっと蒸気が立ち込めた。いい匂いだ。空腹のラウィには、体に染み渡るような香りである。


 土鍋の中には、色とりどりのたくさんの野菜や穀物、魚の切り身などが入っていて、グツグツと煮えていた。


 サナは、土鍋から小さめの器に中身をよそうと、ラウィへ渡してくる。


「はい、ラウィ! 残したら許さないよ?」


 残すわけがない。ここ数日、川魚しかお腹に入れていない。風が強く、火が点かなくて生のまま食した日だってあるのだ。こんな温かそうな食べ物、何があったって残してやるものか。


「ありがとう」


 ラウィは、サナから器を受け取る。器はとても温かくなっていた。冷え切った手を優しく温めてくれる。


「ふふふ。ウチの鍋は美味しいって村では評判なんだから! いただきます!」


 サナは箸をドーマとラウィに渡すと、我先にと食べ始めた。

 ラウィとドーマも続いて目の前の食べ物を箸で口へ運ぶ。


「……ッ!!!?」


 その瞬間。ラウィは、天地がひっくり返るほどの凄まじい衝撃を受ける。



 美味い。

 美味すぎる。



 この短時間で、しっかり中まで火が通っており、柔らかく、歯で潰すとぶしゅっと旨味が溢れてくる。雑味も無く、澄んだ旨味が舌を刺激し続けてくる。


 ラウィは、思わず涙を零しそうになるほど、目の前の料理に感動していた。


「ふふふふふ。どーですかラウィ。畑仕事手伝って良かったでしょ?」


 サナがニヤリと口角を吊りあげる。どやぁ、とでも良いそうな悪い笑みだ。


「…………え、なんだって?」


 しかしラウィは、味に集中しすぎていて、サナの言葉を全く聞いていなかった。ラウィの発言に、サナが眉をひそめて口を膨らませて怒りの意を表す。


「もう! まあいっか。ご飯の時くらい」


 サナは食を再開する。ドーマに至っては、さっきから一言も口を開いていない。ガツガツと、熱々の鍋を貪るように飲み込んでいた。


 ラウィも、鼻腔を刺激する目の前の素晴らしい命の恵みに、今は溺れていたかった。



 結果、真ん中に鍋を囲んだまま、三人は黙々と箸を進めるのだった。

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