老人
「何をバカな…っ」
月明かりがスコルアの街を照らす頃、マシル大聖堂、最上階ナハトの私室に呼び出され無理やり食事に誘われたゼシルはナハトから聞いた姫の「お願い」に耳を疑った。
「なぜそうなる、あの娘は何を考えている……またあの地獄に戻りたいのか?正気とは思えん……」
ゼシルは素直な感想をナハトの手料理をつつきながら言った。
「おいおい、姫君になんて事いうんだ……前から思ってたけど、あんた相当性格わるいな」
ナハトも素直な感想をゼシルに言う。
先日姫君からされたお願いの事でゼシルに相談しようと、手料理を作り食事に誘った。予想通り嫌がったゼシルを無理やり引っ張ってきてテーブルにつかせるなりナハトはゼシルに姫の近況として語った。
「そんな事はどうでもよいわ、姫様は本当に言ったのか? バラス島へ行きたいと」
ああ、と頷きながら自らの手料理を頬張る。お、結構今日のはイケてる…と思いながらゼシルの顔を見ると、今までに無いくらい顔を歪ませていた。
「なんて顔してるんだ、今日の手料理は結構うまくできたほうだと思うぞ……?」
ゼシルは皿の上の手料理を文字通りつつくだけでまだ一口も食べていなかった。
「料理の話をしてるんじゃないわい。姫君の事じゃ、それで……バラス島に行って何をするつもりなんじゃ、あの娘は」
さあ? と相変わらずぶっきらぼうな相槌を打ちながら食事を続ける
「私だって聞いたさ、あの島に行って何をするつもりだってな、でもそこからはダンマリだ。」
「暗示でもなんでもかけて喋らせれば良かったじゃろ、自らが拷問を受け地獄を見た場所に再び行きたいじゃと? バカバカしい、気でも触れたか……」
ゼシルは半分ヤケ、半分姫の話を聞いて頭に来たのかナハトの手料理の「モシャガヒルモアのから揚げ」を頬張る。
「どうだ、なかなかイケるだろ?」
ワクワクと子供のような目でゼシルに感想を求めるハナト。それに対しゼシルは無言で飲みこみながら
「大体、バラス島に行けるわけがなかろう、イリーナが暴れてくれたせいでオズマはいつでも騎士団を動かせるよう配備しとるに決まっとる……」
オズマ……と聞いて、ナハトは以前から気になっていた事をゼシルに尋ねる
「なあ、オズマはそんなに強いのか? ジュールの連隊で一気に制圧すればいいだろ、あんな島……」
「確かにな、いくらオズマが先の大戦の英雄とは言え数で勝るこちらが圧倒的に有利じゃ、じゃが考えても見ろ、そんなことはブラグとて百も承知のはずじゃ。なのにやつは姫を人質に宣戦布告に等しい事を言ってきおった。ブラグはたしかに頭はイカれているが狡猾で用意周到なヤツじゃ、わざわざ負ける戦をしかけるとは思えん」
ナハトはそれを聞いて、一年前の会議を思い出した。てっきりウォーレンが周りの静止も無視してバラス島に攻め込むかとも思ったが、奴は黙ってゼシルの出した案に賛成したのだ。
「それは……ブラグがこの国の戦力を上回る何かを持っていたということか? それなら、その力でこの国に攻め込めばいい、奴の目的は元々独立だろう。そんな力があるなら好きなように出来たはずだ」
ナハトはゼシルに当然の疑問をぶつける、ゼシルは果汁酒を一口飲み
「だから不気味なのじゃ、あの処刑の日もヤツは出陣の準備をしていたらしいが……そもそも、レインセルからの返答がない時点で何故姫を処刑せんかったのだ、一年も姫をいたぶり続け、その後にレインセルへ攻め込もうとした理由はなんじゃ。今回の件は不確定要素が多すぎる」
言われてみれば…とナハトはこの一年間、姫はとっくに殺されていると思っていた。だが姫の処刑の1週間前、バラス島全域に対魔術の防壁が張られたのだ。それを知ったイリーナは船で島に向かい現地で盗賊を雇い処刑を襲撃した。
「不確定要素といえば……イリーナは島に入ってすぐに姫の生存と処刑を知ったんだったな、そういえばアイツ…なんですぐに姫を助けなかったんだ…」
いまさらの疑問をナハトは呟く
「そんなもんオズマが居るからに決まってるじゃろ、イリーナは知ったはずじゃ、処刑の日オズマがレインセルへ攻め込む為に姫が幽閉されている地下牢からの警備を外れると。しかも主力のオズマを含めた騎士が全員姫の処刑には立ち会わないんじゃ、これ以上の好機がどこにある」
「なんか……さっき、あんたから聞いたブラグの印象とは違うな、奴は狡猾で用意周到なんだろ? そんな大事な処刑から騎士団を警備から普通外すか? 私だったら誰かしら手練れを置くけどな。」
ゼシルは無言で果汁酒を飲む。
「それは、奴の油断……としか言いようがないの……姫を拉致してレインセルからの返答は一年間一切無かったんじゃ、まさか今さら助けにくるはずがないと踏んでいたんじゃろ」
ナハトは自分の手料理を眺めながら思う。もしイリーナと姫の関係をブラグが知っていたら……隠し持っていた何かを使ったんだろうか……必ず助けに来ると分かっていたら……
「それはそうと、姫の話じゃ、なんでバラス島なんぞに行きたいんじゃ……どのみち今の姫の状態じゃ無理じゃがの。あんな状態で行って見ろ、騎士団が居なくても危険じゃ」
「珍しいな、お飾りの姫君をそんなふうに心配するなんて……私が今さらどうこう言える立場じゃないけど……最初にあんたが見殺しにするなんて言った時、本気であんたが嫌いになったぞ」
ゼシルは鼻で笑いながらナハトを見る。ゼシルはナハトの事を幼い頃から知っている。魔術の手ほどきもしたことがある。ひそかに孫のように思っていた事もあるが……その娘に驚異的な魔術の才能があると知りナハトへ厳しく接するようになっていった。この娘には才能がある、埋もれさせてはならない、マシルを導く者として教育しなければ……結果、ナハトは世界最高と言われるほどに才能を開花させた。
「なんじゃ、儂の事など、とっくに嫌いじゃったじゃろうが、お前に凄まじいスパルタ教育したからの」
その言葉にナハトは思わず吹き出す。
「なんだ、気にしてたのか?」
ニヤニヤ笑いながらゼシルの顔を見るナハト
それに対してゼシルは顔を紅潮させながら
「ほ、本気で嫌いになった相手に相談を持ち掛けるなど、どういうことじゃ。手料理まで作りおって…」
ゼシルは再びから揚げを頬張る。
「そりゃ、師匠に相談するのが定石だろう。上に立つ人間は下から嫌われるもんだ、きにすんな」
口に含んだから揚げが喉につまり果汁酒を一気飲みするゼシル。息を切らしながら
「師匠?! じゃと? こんな可愛くない弟子なんぞ要らんし、お前は勝手に成長しただけじゃ」
そこから酔ったゼシルがナハトに説教を始める。ナハトは笑いながらゼシルの説教に耳を傾けていた。そんな時、部屋の真珠が淡く光り浮き上がる。通信魔術の一種でナハトは真珠の色で相手が聖女リュネリアだと見て取り、説教中の老人を手で制し真珠に寄った。
「どうしたリュネリア、姫様になにか……」
「ナハト様! 姫様が……姫様が……!」
その声にゼシルも反応する。リュネリアの声が尋常ではない事態が発生したと語っていた。
「おちつけ、リュネリア。何があった」
冷静に、リュネリアを落ち着かせるようにナハトはリュネリアに尋ねる。
「姫様が……どこにも……」
リュネリアの言葉を全て聞く前にゼシルは立ち上がり、マシルの全魔術師、騎士団長ウォーレンへ通信魔術を使用した
「シェルス姫が王宮から消えた、魔術師は追跡を開始、騎士団長ウォーレン殿、連隊の出動を要請する」
『了解した。』
ウォーレンから返答が来るとゼシルはさっきまで酔って説教していた老人とは思えないほどに
「ナハト最高司令官、代理の指揮は私が請け負いまする。貴方はすぐに王宮へ」
「わ、わかった……」
ナハトはゼシルの指示に従い王宮へと向かう。ゼシルのあの迅速な対応、そして自分の事を最高司令官といいながら「代理の指揮」と言った事に申し訳なさを感じていた。いつまで私はあの老人に甘えているんだと……
そして姫が消えた理由は恐らく
「まさか向かったのか、バラス島へ……」






