処刑
とある島のコロシアムで今まさに公開処刑が執り行われようとしていた。処刑されるのはこの大陸で一番の大国、レインセルの姫君 シェルス・ロイスハート。一年前にお忍びで訪れた時、密かにレインセルからの独立を望んでいたこの島の高官に寄って拉致されたのだ。
コロシアムでは今か今かと人々が待ちわびるように叫び、歓喜し、大国の姫の処刑を見ようと集まっていた。そしてその地下に、姫は投獄されていた。まだ15歳の少女、金髪で長髪だった髪は切られ今では少年のような髪型になっている。泥だけの体、拷問の跡が残りこの一年間、家畜扱いされてきた。
およそ人間扱いされず、泥水のような食事をすすり、そんな生活を1年間続けてきたのだ。少女にとってはこの処刑は解放だった。ようやく終わる、この地獄のような生活からようやく解放される…そう思う少女に希望など何一つ存在しなかった。
この島にはまだ国名はないが、高官であるブラグ・ガウンは王を名乗っていた。姫を拉致し投獄した張本人である。姫を拉致した時点でレインセルには独立を訴えた。独立を認めなければ姫君を殺すと。
しかしなんの返答も得られなかった。それどころかレインセルは不気味なほど沈黙している。まるで姫君など拉致されては居ないといわんばかりだった。そんな大国の対応に不満をもったブラグは、姫を拷問した。
お前は本当にレインセルの姫なのかと。そんな拷問はムダだと自分でも分かっていた。この姫君とは幾度となく顔を合わせている。レインセルの大聖堂、高官の会議、お忍びでこの島に訪れるのは1度や2度では無かった。そしてなりより、体には王族の印である特別な魔術でしか施せない焼印もあった。
それを知っていたブラグは間違いなく姫君だと分かっていたが、大国の対応の不満を姫君にぶつけていた。
なぜあの国は黙っている。姫君を拉致され独立を認めなければ殺すと脅しているのに。なぜ騎士の一人も来ない、この姫君を取り返そうとしないのか、ブラグの我慢は1年が限界だった。
そしてまさに今日、姫君の処刑と共にレインセルへ騎士団を投入する。もうすでに準備は整っている。
この島出身者で構成された騎士団は屈強な戦士揃いだった。中でも騎士団長を務めるオズマ・ガウルは先の大戦で活躍した英雄の一人だった。
そんなオズマは自分の主たるブラグの所業に腸が煮えくり返る思いだった。しかし主を裏切るわけには行かない……オズマにとっての騎士道とは自分の主たるブラグに尽くすことなのだ。この強固な意志があるからこそ、オズマは英雄になりえた。しかし周りから見れば滑稽だろうとオズマは思う。まだ15歳の少女を監禁し拷問し、あまつさえ処刑する。そして悪趣味極わる処刑が終わるのと同時に自分たちはレインセルへと侵攻する。15歳の少女の命を奪って奮い立つ戦士がどこの世界にいる。我々騎士団はそれで奮い立つと思われているのだ。さぞかし滑稽だろう、今のこの騎士団の姿は。
すでに騎士団のオズマの部下、この島の屈強な戦士たちはいつでも出港できるよう準備を終えていた。その船の数は50隻を超えていた。小さな島だったが造船技術は特筆するものがあった。
出港準備を終えてオズマは船の先頭で自身の育った島を背にし思いにふけっていた。なぜレインセルは沈黙しているのか。誰もが疑問に思う問題をオズマも答えを出せずにいた。レインセルの騎士団をもってすればこんな島など一夜で滅ぼせる。あの大国には怪物のような騎士がゴロゴロしているのだ。
下手をすればその怪物が一人きただけでも大打撃である、自分でも敵うかどうか。相手にもよるがもう40を超えるオズマにとっては、あの大国の騎士を相手にする自信が無かった。もちろん簡単に負ける気はないが、それだけレインセルの騎士団に恐れを抱いていた。それだけに不満だった。なぜ姫を助けに来ない。
救出しない理由など無いはずだ。それとも本当にあの姫は偽物なのか……影武者には自分にも見えなかった。
この島にも魔術師は居る。彼らは姫を調べ上げ本物だと断定した。それでも尚ブラグは拷問したのだが……
オズマはレインセルがある方角に不満をぶつける
「何を考えている……さっさと助けにくれば引き渡したものを……」
処刑場の地下、シェルスの所に処刑人が来る……暗い、湿った地下牢の鍵を処刑人が開けると手錠を外し足かせを取る。もうこんなもの必要ではないくらいシェルスは衰弱していた。まともにあるけないシェルスを両側から抱え、何十年ぶりとも思える日の光が体に当たる。
シェルスの姿を確認すると、人々は大声を上げてそれぞれに叫んだ。殺せと。
ブラグがコロシアムの観客席のVIP席のような場所から言葉を発した、その瞬間人々は一斉に静かになる。ブラグはそれから独立戦争に向かう騎士達が今まさに船に乗り込み攻め込もうとしていると抗弁を垂れ、そして姫君の処刑と同時に侵攻を開始すると話した。
シェルスは金網の上に立たされ、首にロープを掛けられる……処刑人がレバーを外すと金網が落ち、絞殺される処刑だった。しかし金網の下には獰猛な魔物が放たれていた。一見狼のように見えるその魔物はあまりに巨大で、落ちてきた姫を食い殺さんと金網の下から姫を見上げていた。
姫に恐怖心など無かった。これで解放される。この悪夢のような生活から解放される。やっと終わる。これで終わる。終れる。 そのまま空を仰ぎ、太陽の光を浴びる……まだブラグは何か話している……
早くしてほしい……いつまで喋っているんだと姫は思う……。自分の国……レインセルが自分を助けに来なかった事など毛ほども気にしてはいなかった。元々あの国には王族など不要だったのだ。二つの信仰を掲げ、騎士と魔術の巨大な力を持つあの国に自分などただのお飾りなのだ。助けなどくるはずもない。
――はやく……はやくして……あの魔物に食い殺されるなら早く……
空を仰いでいた顔をゆっくりおろす。
正面を見据え、覚悟を決める。
騎士の国の姫として……お飾りの姫でも騎士の国の……
グラブの合図とともに金網が下ろされる。姫が落ち、魔物が姫を食い殺さんとおお口を開け…
ガキン! と空しく歯と歯が当たる音だけが響いた。
ブラグは大笑いしながら空を仰いでいる、姫が食われたと思い笑っているのだろうが、魔物の口の中にも
ロープにも姫は居なかった。最初に異変に気が付いたのはレバーを下ろした処刑人だった。
ロープを引き戻し、その先端に血の一滴も付いていないことに気が付く。
居ない、姫が居ない、逃げれるわけがない…と、異変があったことを回りに待機していた護衛団に手を振って知らせようとした時……
グアアアアアアアアアアアアア!
魔物の悲鳴が響き渡る……驚いた処刑人が恐る恐る金網の中を覗くと、首と胴体を切り離された魔物の死体が横たわっていた。それを見て腰を抜かす処刑人……この魔物は裕に10mを超える巨大な魔物なのだ。
その魔物がいとも簡単に……首を跳ねられている……ありえない……
ブラグも異常に気が付き、部下たちに大声で命令する。姫を探せと。
姫が一人で逃げれるわけがない、もしかしたら来たのかもしれない……あの大国の騎士達が……
首を跳ねられた魔物の処に護衛団が降り、調べる。やはり誰も居ない。姫の姿もこの魔物を殺したと思われるものの姿も。一体何が起きたのか、
この時護衛団の一人が思った。
――今なら、この金網に降りた我々を一猛打人に出来るのではないか……と
ガシャン! と金網が閉じられた。中にいた全員が見上げる、そこにはさっきまで居なかった人間が金網の上に姫らしき少女を抱えて立っていた。
――いつのまに……
そう思うのも束の間、金網の中に新たな魔物が投入される。護衛団といっても所詮間に合わせの騎士くずれだった。彼らにとってはこの閉じられた空間で魔物と戦うなど到底無理な話だった
金網の下での地獄を尻目に、姫を抱えマントを被った男はブラグを見据える。
安全な場所から、悪趣味すぎる処刑を考え姫をこんな目に合わせた張本人。
男はマントを全身に被っていた。顔も見えないほど深々と覆い隠し唯一露出した手には蛇の刺青があった。
男は念じながら手を下ろす、それと同時に蛇の刺繍が生きているかのように地面へ潜る。
――殺せ
同時に地下から激しい…何か地上に這いあがってくる激音がする。地下を壊しながら地上にでてくる。
コロシアムに居た全員が回りを見渡しながらも、姫を抱えた男に対し姫を殺せだの返せだと言って……
ー突如、地下から巨大な蛇がコロシアムの客席を壊しながら現れる。客席にいた人間を丸呑みにしていく。ブラグは突然のその光景に腰が抜けた。一体何が起きた……あの男は騎士ではない。間違いなく魔術師だ……あの国の……レインセルの……
考える暇もなく、突風がコロシアムを襲った。否、ドラゴンがコロシアムをスレスレに滑空したのだ。
なぜドラゴンが……と考える暇もなく魔術師はドラゴンに自らを咥えさせ、そのまま姫を連れ去った。
巨大な蛇は男が去ると共に消え失せた。
――まんまとやられた…
ブラグは叫びながら部下に指示を送る、レインセルへ侵攻するよう騎士団へ命じた。
しかし、あの魔術師はどうやってあの巨大な魔物の首を……魔術師が……一見するに召喚師のような男が魔物の首を斬るなどという殺し方をするのか。という疑問……その答えはー
「全員殺す……この場にいる全員皆殺しにする」
頭に響く声……そこまで大きな声ではない、しかしハッキリと聞こえた。頭の中に直接話しかけられたかのような……
部下の悲鳴が響く……あちこちから……
コロシアムに居た観客は次々と逃げた。コロシアムの狭い廊下から外にでようとした観客が止まる……次々と走ってくる観客が前の人間にぶつかり、何をしている、早く行けと叫ぶ……
だが外に続く出口の前には、襤褸切れのようなマントを被った、盗賊……そんな男が立っていた。
「楽な仕事だ、悪いが金になってくれ」
盗賊は剣を振り下ろし、観客を次々と惨殺する。
観客は逆にコロシアムの中に逃げ込んだ、そこには他の出口から逆になだれ込んでくる観客……
完全に袋のネズミだった。
――一体何が起きている……
そう思うのも束の間、ブラグは後ろに人間の気配を感じる。振り向くと、そこに居たのは騎士だった。
だが男ではなかった、女の騎士、金髪でショートカット、速度を重視する軽装な鎧、持っていた長剣には魔物の物と思われる血が滴り落ちていた。
――こいつだ……こいつがあの魔物を殺したんだ……あの剣で……あの巨大な魔物を首を切り離したのだ……
「騎士団は動かない。お前の命令は届いていない、部下も魔術師も全員すでに殺した」
淡々と語る女騎士……腰が再び抜ける……
その次の瞬間……自分の首がない胴体を……切り離された首からブラグは見た。
悪趣味な処刑場は悲惨な現場になった。観客は皆殺しにされ、護衛団も全滅。あまつさえブラグも首を跳ねられている。異変に気が付き港から駆け付けたオズマが見たのは赤い血に染まった現場だった。
海のようにコロシアムの階段からは血が流れ、そこらから臓物臭が漂う。
一体何百人の死体がここにあるのか。オズマは凄惨な現場を目にし、この現場は過去に見た事がある……
奴だ、ヤツがきたのだ、レインセルの騎士の中で最も醜いと言われた女騎士……ヤツが来たのだ。
金網の中をのぞく、巨大な魔物の死体、そして護衛団……首を跳ねられた魔物を見たオズマは、確信する。
この程度の魔物の首を跳ねる実力者は幾人も居る、だがこの凄惨な現場でこの魔物……ヤツしかいない。
姫を助けにきた、変わり果てた姫の姿を見て報復されたのだ。まさに皆殺し。生きてる人間は一人も居ない。
あの女騎士、イリーナ・アルベインの手によって……