ホムンクルスの箱庭 第2話 第5章『満月の夜の儀式』 ⑥
やっと儀式が始まりました~(`・ω・´)
ロビーに集まったアインたちは、月が頭上に昇る時刻を待っていた。
辺りはすっかり夜の帳に包まれ、小さな蝋燭の明かりだけが暗闇を照らしている。
2つのポッドの間には、巨大な円の中に互い違いの三角形を合わせた六芒星が描かれ、周囲には様々な錬金文字が刻まれていた。
「これが・・・わしが知っている全てを注ぎ込んだ儀式場じゃ。」
そこには、グレイの紋章術の知識の粋を集めて作られた、儀式を行うためだけの場所があった。
「おまえたち、悪いがそっちの2つの装置を起動させてくれるか。」
「任せておじいさん!」
「こっちは私がやるわね。」
紋章陣を挟むように2か所に設置されたポッドのスイッチを、アインとソフィがそれぞれ入れると、装置が起動して中の液体が循環を始める。
昼間、施設で見たような機械式の物ではなく、従来の錬金装置で造られたそれは、特殊な液体であらかじめ内蔵されている金属を変質させることによって熱を発生させ、その熱量によって動くものだ。
本来であればそれはポッド内の液体を循環させるだけの装置のはずだったが、グレイが手を加えてあるらしく下から液体が流れ出し床に描かれた紋章の上を流れていく。
それらは一定の法則で流れてはポッドの中を循環し、再び紋章陣の上を流れる仕組みになっているようだ。
紋章陣は液体が流れたことによって淡い光を放ち、それは昇り始めた月の光を受けて蒼く輝き始めた。
「小僧、これを腕にはめて紋章陣の中心に立つんじゃ。」
「わかりました。」
グレイが古めかしい色の銀の腕輪を渡して静かな口調で伝えると、ツヴァイは覚悟を決めたように頷く。
「弟をお願いします。」
「グレイさん、ツヴァイのことを頼みます。」
アインとソフィが深く頭を下げると、グレイは頷いてみせる。
「フィーア、行ってくるね。」
「うん、待っているから。」
「心配しなくて大丈夫だよ。」
心配そうに見守るフィーアの髪をそっと撫でてから、ツヴァイは紋章陣に踏み込んだ。
足を踏み入れた瞬間、キンッと澄んだ音がして紋章全体が眩く光ったが、ツヴァイが中心に立つと安定した淡い光がその身体を包み込む。
「月が満ちた・・・儀式を始めるぞ。」
天井にいくつもの窓を並べて、なだらかなドーム状に広がるように設置された場所から、月の光が十分に差し込むようになったことを確認したグレイは、祝詞のようなものを唱え始める。
紋章陣がそれに呼応するように、強い光を放ち始めた。
「嬢ちゃん、宝玉を前に。」
「はい!」
声をかけられると緊張した面持ちで頷いて、フィーアはクマのぬいぐるみのそうちゃんの中から宝玉を取り出す。
「紋章を踏んではいかんぞ。」
グレイの足元にはツヴァイがいる紋章陣とは別の小さな円状の紋章があるので、そこまでは踏み入らずにフィーアは傍に立った。
フィーアが手にしている竜の宝玉は紅い光を放ち紋章陣の中央、ツヴァイの頭上にふわりと浮く。
すべては順調に進んでいるかに見えた。
しかし・・・
「なんじゃ・・・!?」
空に煌々と昇っていたはずの月が突如消え去り、灯っていた蝋燭の火がフッと消える。
バチィッと何かが弾けるような鋭い音が響き渡った次の瞬間、部屋中に紅い稲妻が走った。
「危ない!!」
「避けろソフィ!!」
アインがフィーアを庇うように床に押し倒し、アハトの声に反応してソフィもその場から離れる。
「く・・・っ!?」
竜の宝玉から発生した紅い稲妻はバチバチと音を立てながら紋章陣に降り注ぎ、中央にいるツヴァイの身体を蝕み始めた。
「ツヴァイ!!」
「フィーア、きちゃだめだ!兄さん、フィーアを来させないでくれ!!」
「どうなっておるんじゃ・・・!?」
グレイにとってもそれは予想外のことだったのか、驚いた様子で上を仰ぐ。
「これは・・・誰かが儀式の邪魔をしているようだな。」
同じく景色が黒く塗りつぶされた天井の窓を見て、アハトが冷静に告げた。
「なるほど、月が隠れたのと関係がありそうね。」
「行くぞソフィ!」
「わかったわ。皆、少しの間だけ待っていて?必ず月を取り戻してくるわ!」
そう叫ぶと、ソフィも玄関から飛び出していったアハトを追った。
「これは・・・!?」
ソフィが外に出た時には、屋敷の周辺に赤黒い霧がたち込めていた。
それらは不自然にその場に留まり、周囲をすっぽりと覆いつくしている。
「・・・血の匂いがする。」
「視界が悪いな・・・おまけに鼻が曲がりそうだ。」
赤黒い霧のせいで、月どころか辺りの視界がすべて遮られていた。
生臭い鉄のような匂いがそこら中に漂っていて、息をするだけで吐き気がする。
「月が隠れたんじゃない。
この妙な霧のせいで月の魔力が届かなくなっているんだ。」
「魔力を阻害する霧なんて普通に発生するわけがないわね。
・・・そういえば、昔No.6(ゼクス)が仲間に相手の暗殺方法を自慢げに語っていた事があったのだけど、魔法に優れた人物を殺すときに魔力の流れを阻害する物を用意するって言っていたわ。」
「ほう、それは興味深いな。
魔力の流れを妨げる薬があるのは知っているがこんなひどい匂いはしないぞ。」
「おそらくはゼクスのオリジナルなんでしょう。
用意に人間の血液を使うから面倒だけど、使えるはずの魔法が使えずに混乱して無力になった相手を弄り殺すのが楽しいからいつもこの方法をとるって言っていた。
迂闊だったわ・・・この街の施設を確認したときにゼクスに殺された人たちを見て、思い出すべきだった。」
ただ意味もなく殺人を楽しんでいるように見えたが、あれはこういった霧を発生させるための前準備だったのだろう。
「成程、これはお前やフィーアの魔法封じというわけか。
奴は儀式のことまでは知らないかもしれないが、今回に関していえばそれが儀式にまで影響を及ぼしているというわけだな。
製法もわからないんじゃ、中和することもできそうにない。」
物を作ることには長けているアハトだが、製法の分からない薬への対処はやはり一朝一夕というわけにはいかないようだ。
「ソフィ、風魔法は?」
「今のままじゃ無理ね。霧がまとわりついてきて使おうとすると魔力が霧散しちゃう。
まるで生きているみたいで、気味が悪いわ。」
赤黒い霧は手を振ったり息をかけたりしてもほとんど動かず、わずかに揺れるがちょっとやそっとでは消えそうにない。
「風さえ使えれば何とかできると思うか?」
「そうね・・・私は嵐を起こせるわけではないから確実とはいえないけれど、魔法さえ使えれば吹き散らすことくらいできるかな。
でも、この霧がどこまで広がっているのかが正直分からない。
ゼクスはおそらくどこかからか私たちを狙っているはずよ。
うかつに飛び出せば間違いなく狙撃されるわね。」
こちらが霧のない場所で魔法を使おうとするのは、向こうも計算済みだろう。
となれば、下手に霧から離れることもできない。
「ふむ・・・つまり、狙撃できない場所で、霧のないところならいいんだな。」
儀式のために玄関の外に避けてあった荷物の中から小さなテーブルを選んで持ってくると、アハトは唐突にソフィを荷物のように小脇に抱えた。
「・・・・・・へ?」
あまりのことに何が起きたのか理解できず、ソフィは間の抜けた声を上げる。
「え?何、それってどうい・・・!?」
ソフィがそれを皆まで尋ねることはできなかった。
キンっという音がして、アハトがグレネードのピンを口で引き抜いたかと思うと。
「とうっ!」
あまりにも軽い掛け声と共に足元に投げた。
ちゅどおおおん!
「ぎゃああああああっ!?」
「ひゃっほおおおお!!」
グレネードの爆発する音、ソフィの絹を裂くような・・・いや、この世の終わりのような悲鳴。
そして、アハトのテンションの高い声が全部一緒くたに聞こえたかと思うと。
「この馬鹿ああああっ!?」
「いいから飛行魔法を使え。」
テーブルでグレネードの爆風を受けて空高く発射されたアハトの脇に抱えられながら、涙もちょちょぎれんばかりの勢いで一緒に飛び立ったソフィは、反射的に妖精の翅を具現化して空中停止する。
ついでにアハトにも妖精の翅の粉をかけて、飛行状態にした。
役目を終えたテーブルは、下に落ちて粉々に砕ける。
「これならばグレネードの煙が守ってくれているだろう。」
アハトの言う通り黒い霧とは別の黒煙が、2人の姿を隠してくれている。
「そ・・・そうね・・・」
ぐったりと疲れ果てたように言ってうなだれたソフィは、気持ちを切り替えるようにキリッとした表情になると、アハトの腕から抜け出して前に両手をかざした。
それに応えるように、周囲の風が渦巻き始める。
「風よ・・・私に力を貸してちょうだい。」
ソフィを中心に起こった風は、足元から上に向けて気流が上昇するように発生して黒い霧を散らしていく。
「目くらましは任せろ!!」
グレネードの煙も一緒になって消えてしまい2人の姿が空中に顕わになりそうになると、アハトがスタングレネードを少し離れた場所に放り投げる。
パシュッと軽い音がして落ちていくグレネードを何かが打ち抜いた。
その瞬間、ものすごい音と閃光が辺りを支配する。
しっかりと目をつぶってそれをかわしたソフィの周りに、大きな風のうねりが生じて黒い霧が晴れていく。
「逃げるわよアハト!」
それを確認すると、ソフィはアハトの手を引いて空中から地上に一気に降りた。
妖精の翅からキラキラと粉が舞い落ちて、戻ってきた月の光の中で幻想的に輝く。
寸前まで2人がいた場所を、また何かが通り抜けたがそれが当たることはなかった。
「・・・ちっ!グレネードとあの粉のせいで狙いが外れちまったか。」
暗闇の中に潜みながら男が忌々しそうに言った。
しかし、言葉とは裏腹にその口元には笑みを浮かべている。
「まあいい、だったら第二ステージと行こうか。」
舌なめずりするように唇を舐めると、男はライフル型の錬金銃を愛しそうに撫でた。
次回は紋章陣側の話になります。




