ホムンクルスの箱庭 第5話 第1章『ツヴァイ』 ①
今週はここまでとなります(*‘ω‘ *)
また来週の月曜日からがんばります(*ノωノ)
寒い・・・そうか、僕はここにいたんだっけ?
そこは、暗くて冷たい場所だった。
ツヴァイの意識は、暗闇の中にぽつりと存在していた。
ここがどこなのかはすぐにわかった。
隔離された研究室のポッドの中。
誰にも必要とされず、誰からも名を呼ばれることもなく、ただ実験体としてそこに在るだけだった自分という存在。
それを今、何よりも強く実感する。
存在意義なんてもの、僕にはない。
だって、誰からも必要とされないのだから・・・。
ああ、でも・・・何か大切なことがあった気がする。
その何かを思い出すために何度か思いを巡らせるが、それはどこにも辿りつかないまま暗闇の中に溶けていく。
何かすごく大切なことがあったはずなのに、思い出せない。
意識が混濁していく・・・思い出すのもすごく億劫だ。
いっそのこと、このまま深い眠りについてしまおうか?
膝を抱えて小さく身体を丸めたツヴァイの意識が、闇に溶けようとした時だった。
声が聞こえる・・・?ここは、誰もいない場所のはずなのに。
『おにいちゃん、あのね・・・』
それは、小さな女の子の声だった。
『どうした?』
答えている男性は誰だろうか?
『声がするの。』
『声・・・?』
『私たちがいつもいるお部屋のもっと奥から、声がする。』
『どんな声がするんだ?』
『さびしいって、助けてって聞こえるの。』
不思議そうにしていた男性は、少女の声を聞くとわずかに沈黙した後に尋ねる。
『・・・そうか。おまえは、その奥の部屋にいる誰かに会いたいのか?』
『うん、会いに行ってあげたいの。』
『・・・なら、ちょっと待っているんだ。』
なぜだろう、この小さな女の子の声がひどく懐かしく聞こえた。
『おにいちゃん、これ、なあに?』
すぐに戻ってきた男性は、少女に何かを渡したようだった。
『もし、どうしてもあの奥にいる誰かに会いたいなら、このパズルを解いてみるといい。』
『これ、すごく難しいよ?』
よほど手に余るものだったのだろう。
少女はとても困っている様子だった。
『そうだ、その難しいパズルを長い時間かけて解くくらいの覚悟がなきゃ、奥にいる誰かには会いに行っちゃいけない。』
『どうして?』
『あの扉の奥にいるのは、本来いてはいけないものだからだ。』
『いてはいけないの?どうして?』
少女には男性の言葉の意味が理解できないのだろう、不思議そうに問い返すばかりだった。
『・・・俺ですらこんな状態なんだ。きっと会えても、長くは持たないだろう。』
そんな少女の問いに、男性は自嘲めいたような、どこか悲しげな雰囲気で呟く。
『え・・・?』
『会えただけで幸せ、そう思えるくらいがちょうどいいんだ。』
『・・・むずかしくて、よくわかんない。』
幼い少女には、男性の言うことは少し難しすぎたようだ。
うーっと小さく唸って、もらったパズルとぎゅっと握る。
『そうか、でも、そのうちにわかる時が来る。』
『・・・ありがとうおにいちゃん。私、頑張ってこのパズルを解いてみるね。』
『ああ、それが解けるくらいおまえが頑張ることができたなら、きっとそいつに会えただけで良かったって思えるはずだ。』
そして、その会話は遠くなっていった。
ああ、すごく大切な人の声だった気がする・・・。
なのに、どうしても思い出せない。
フィーアが触れたツヴァイの心は、たくさんの不安と孤独でいっぱいになっていた。
ヌルと出会った時から感じ始めていた違和感。
自分のいる場所が本当にここであっているのか、本当はこの場所は、誰か別の人物のものだったのではないか?
仲間たちを信頼していないわけではない。
それでも、漠然とした不安は少しずつ積み重なっていく。
始まりの村に行った時に、その不安は確信に変わっていった。
皆が次々と昔のことを思い出して行く中、自分だけは何一つ思い出せない。
それだけではない、本来は紅牙という存在が、自分のいる場所に立っていたのだということを改めて実感させられた。
皆は何も言わない、だが、紅牙がいるべきはずの場所に自分がいることは、昔を思い出した皆にとってはとても気味の悪い現象なのではないか?
杞憂だということは分かっている。
それでも、皆が紅牙の名前を口にし、懐かしむ様子を見るだけで心がざわついた。
いけない、こんな風に思ってはヌルの思う壺だ。
あいつは僕のことを偽物だと言った。
おまえがいるべき場所は、そこにはないというような目で蔑んだ。
でも・・・それは何一つ間違っていなかったんだよな。
彼が言うとおり、自分が立っている場所は偽物にふさわしい、架空の居場所だったのだから。
「蒼ちゃん・・・違うよ、蒼ちゃんがいる場所は偽物なんかじゃない。
今まで皆と一緒にいたあなたが、自分自身で築いてきた居場所なのに。」
フィーアのつぶやきはツヴァイに届くことはなく、彼の心はさらに沈んで行った。
皆が紅牙を助けようとするのを見て、それでも一人反対する気持ちでいたのは、彼に対する嫉妬とかそういうんじゃない。
彼は危険すぎる、皆が想っているほど現実は優しくなんてない。
狂ってしまった彼と皆が知っている彼、その差を誰よりも実感していたのは他ならぬツヴァイだった。
誰もが紅牙だから大丈夫だと心のどこかで思っている、家族だから大丈夫だと。
皆は彼の危険性を分かっていない、だったらせめて自分だけは・・・。
ヌルから家族を守るのは自分だと強く誓った心に影がさしたのは、それからすぐだった。
ヌルに喰われた当人であるフィーアまでが、紅牙を助けようと言いだした時にわかってしまったのだ。
皆が大丈夫だと信じているのは、単なる甘い幻想からじゃない。
紅牙がそれまでに築きあげた、皆との信頼の証なのだと。
それに比べて自分はどうだろう?
紅牙のいた場所に何の違和感もなくおさまり、これまで平気な顔をして家族として皆と過ごしてきた。
その中で自分は、どれほどの信頼を皆と築けたんだろう?
幼い頃から共に在った皆と違って、所詮はそこにあてがわれた存在だ。
皆が願いを込めたクリスタルに、自分の言葉は入っていない。
たった一人、その場に取り残されてしまった気持ちは、誰に告げられることもなくツヴァイの心の中に押し込められた。
皆は今、紅牙を助けるために必死になっている。
敵だと思っていたノインですら、皆と共に紅牙を助けるために動いていた。
そんな中で、自分の些細な不安を表に出すわけにはいかない。
それに、フィーアはきっと自分よりも、もっと不安なはずだ。
ヌルに喰われ、それでも彼を助けようとする彼女を支えてあげたい。
そして何より、紅牙に喰われた紅音を救いだしたい。
ここでふと、違和感を感じた。
『紅音と蒼夜。』
その名前をお互いにつけたのは、いったいいつのことだったのだろう?
あのクリスタルの音声を聞いた時、フィーアは確かに自分のことを紅音と言っていた。
皆も、フィーアのことを紅音と呼んでいた。
なのに、あの場所に自分はいない。
だとするなら・・・紅音という名をつけたのも本当は自分ではなく、彼だったと言うことなのだろうか?
『フィーア、僕たちはいつ出会ったの?』
その問いかけに、彼女はとても不思議そうにしていた。
僕はいったい・・・いつからそこに在ったんだ?
そんな問いかけは、辺りを支配する闇の中に溶けて消えていった。