夏休みの前日に
その日起こったことについては、いくらでも大げさに語ることはできるんだけどさ。なるべく、さらりと話すことにするよ。このあたりのお話は、お化けの話という観点では本筋ではないからね。
夏休み前の日。終業式のときのことだった。
意外かもしれないけど、僕はわりと字がうまいんだ。小学生のころから書道をやっていたからね。学校のノートなんかは、ものすごくキレイな字で書いてた。まあ、頭が悪かったから、自分が書いている文字の意味なんて、ほとんど分かっていなかったんだけどね。
そんな特技もあってさ。書道の授業で書いた作品なんかは、よく書道コンクールで入賞しちゃったりしてた。すごいでしょ。その日も終業式のなかで、全校生徒の前で表彰状をもらうことになったんだよね。
でもって問題がおこったのは、校長からその表彰状をもらったときのことなんだ。話の流れから、何をやらかしちゃったかは、想像つくよね?そう。こともあろうか僕は表彰状を受け取ったその瞬間、ものっすごい大声で叫んでしまった。
「みんな死ねエエェェ!!」
どうだい。
意味が分からないだろう。表彰状をもらう流れからの殺戮宣言。シームレスなコンボ。なのに文脈にまるで繋がりがない。
校長もキョトンとしちゃっててさ。「え、なに。俺なんか変なこといった?」みたいな顔してんの。まあ、そりゃそうだよね。体育館の中は一瞬だけ、シンとしちゃってた。
その静寂のなかで僕はどうしてたかというと…まあどうにもできなかったんだよね。ただうつむいて、いやーな汗をだらだら流してた。心臓もばっくばくいっててさ。自分の心臓の音が、自分の耳から聞こえるの。あんなのははじめてだった。
頭の中はぐるぐると、焦りの言葉がループしてるの。どうしよう、どうしようって。いやいや、どうしようもないよね。もう詰んでるもんね。こんなのはね。死なんだよ。学校ってやつは、一度やっちまったら、もう二度と復活できないの。二度とはい上がれないようにできている。そう作られている。なぜならそこはものすごく狭い社会だし、みんな自分のことなんかより、他人のことが気になってしかたないくらい、暇でしかたない世界なんだ。
僕はそれでも何か言葉を発そうとしてね。口を開けるんだけど、口の中がからからになっているの。それでも無理矢理言葉をしぼりだそうとするんだけど、喉がふるえて音にならなかったんだよね。
気がつくと静寂は、とっくにざわざわに変わっていてさ。僕はおそるおそる顔を上げてみたんだ。それで、そっとみんなの方を薄目でみたの。みんな、どんな目で自分のことを見てるんだろって。さぞかしびっくりした目で自分のことを見ているんだろうって。
でも、実際はそうじゃなかった。ほとんどの人が、無関心を示す視線を自分に送ってたの。中には、びっくりしたり、面白がったりする視線もあったよ。でもね。大半は、さも貴方なんかに興味はありませんよ、貴方のしたことなんかで私の心は一ミリたりとも動きませんよ、みたいな目で見てるの。
無関心を示す目。それは、無関心とは似て非なる目なんだな。僕はハンマーで頭を殴られたみたいなショックを受けたよ。なんだこれ。
あれは、なんていえばいいんだろうね。ゼロを見る目。いや、ゼロにする目。お前はゼロだと主張する目。あの目はきっと、僕の存在をなかったことにしたんだな。
僕はその中心にいて、その中心で立ちすくんでいた。視界がぼんやりとかすんで、ぐんにゃりとゆがんだ。今起こったことを正確に理解することを、頭が拒んだのだろうね。
そういったたくさんのゼロの視線は、まるで一つの意思をもった生き物のように見えた。なんていうか、まるでお化けみたいだった。そしてそのお化けは、自分のことをを殺そうとしているのが良くわかった。自分をゼロの谷に突き落とそうとしているのが分かった。
体育教師が、僕のことをにらみつけた。ふざけていると思ったのだろうね。何か口を開こうとしたのが分かった。それがどんな言葉であれ、僕はまるで聞きたくはなかったんだよね。
だから僕は、走って体育館から逃げだした。体育館の出口から出ると、天気がとても良くってさ。泣きながら自宅まで走って帰ったってわけ。ふう。
ふむふむ。
とすると、そのとき体育館で見たお化けっていうやつが、僕が初めに話そうとしたお化けの話かって?
いやいや。そうじゃない。
僕が話そうとするお化けの話は、そういう概念的な話ではない。もっと実在的な話なんだ。ちゃんとした質量をもって、ちゃんと存在する。
僕が話そうとしているお化けがでてくるのは、ここからちょっとだけ先の話なんだ。