4 恋心
体中に繋がれたコードを外し、人工皮膚を戻して丁寧につなぎ目を塞ぐ。それから、意識レベルを上げてやると、ハナはゆっくりと目を覚ました。
「慶一朗様、おはようございます」
ベッドの上のハナは、いつもと同じ。
「おはよう。昨日はよく眠れた?」
「はい。やはり、三笠の家とは勝手が違いましたが、よく眠れましたよ」
そんな会話をしていると、田所は隣でプッと噴き出した。
「な、何がおかしいんですか」
慶一朗が顔を赤らめる。
「何って、そりゃ、機械人形とする会話じゃないよ。眠るったって、機械人形のハナちゃんは、充電用のベッドに横たわって意識レベルを落としていただけだし、寝心地なんて、機械人形には関係のないものじゃないか。面白いな、傍目から見ると」
田所の言うのはもっともだが、そんなこと、慶一朗は考えたことがない。ハナとは昔から、人間に接するのと同じように接してきたのだ。
「ま、そのくらい気遣っていたからこそ、これだけ長持ちしているわけだ」
田所は作業台の上から着替え一式を手に取り、慶一朗に渡した。ハナの洋服と下着。普段から触ることがないだけに、機械人形に着せるのだとわかっていつつ、自然に顔が赤くなった。
「母屋に行って着替えさせておいで。終わったら、ちょっと調律してみよう」
* * * * *
病衣のハナと母屋に行き、奥さんに声をかける。ハナが着替えして出てくるまでの数分間、慶一朗はさっきの会話を頭の中で整理していた。
ハナにはまだ、記憶障害のような症状がある。それを直そうとお腹を開くと、手元にある設計図とは違う黒い箱が見つかった。それが記憶障害に関係しているのかどうか、確認したいが、ハナを作った川端製作所という会社は、既に機械人形製作から手を引いている。下手にいじって何かあるといけないので、詳しいことがわかるまでは、簡単な調律だけすることにする。
そういえばと、慶一朗は思い出す。
昨日、機械人形調律学の池野とハナの背中を見ていたとき、そこにあったロゴの話をしていた。縦に何本もの筋がある、独特なロゴ。あれは、“川端”だったのか。
田所も、ここで扱っている川端製作所製の機械人形はハナだけだと言った。
それだけ、知名度の低いメーカーだということだ。
だが、知名度が製品の良し悪しと比例するかと言われれば、そんなことはない。中小のメーカーでも、大手より質の高い製品を作っている会社はごまんとある。ハナも、そういう製品の一つだと考えれば、何もおかしいことはない。
前向きに考えるべきだ。ハナのためにも、自分のためにも。
慶一朗は、そうやって、沈んでいた心を奮い立たせようとしていた。
「慶一朗様、お待たせいたしました」
母屋側のドアが開き、着飾ったハナが姿を見せる。奥さんに手を引かれ、足元に注意して、ハナはゆっくり靴を履いた。
「大抵、機械人形はメイドか使用人みたいなもんだけど、慶一朗君ちのハナちゃんは、まるでお嬢様だもんね。こんなに可愛いお洋服着させてもらってる機械人形、他に見たことないわ」
奥さんはホクホク顔だ。
田所夫妻には女の子供が居ない。男の子ばかりだから尚更、ハナの着替えが楽しかったのだろうか。
「足元だけ気をつけてね。丈の長いスカートだから」
「ありがとうございます。そうします」
ハナは奥さんに一礼し、慶一朗の後にくっついて、田所の待つ区画へ向かった。
作業場の入り組んだ通路を縫うように歩いていく。その間、二人ずっと、無言だった。
様々な機械が並ぶ、四畳ほどの区画に辿り着くと、田所がまってたよと、椅子を二つ用意していた。一つが慶一朗で、もう一つがハナの分だ。
「意識レベルを下げないで、記憶系統が正常に動作するよう、調律するから、頭貸してね」
田所は説明してから、ハナの後ろに立った。
ハナの髪の毛を掻き分けて、首筋にあるプラグにコードを繋ぐ。ピコッと音がして、作業台の上のパソコン画面にウインドウが現れ、心電図のようなグラフの中で波が上下する。同時に、数種類のメーターの針が左右に振れ始めた。
「慶一朗君は、実習はまだだっけ」
「はい。来年ですね。まだ二年なんで」
「じゃ、予習ってことで。ここにあるメーターは、それぞれ、どの部分で異常が起きているか、確認するためのものだ。詳しいことは学校で習うとして。ここ見て。他のメーターに比べ、針の振れが少ない。電気の流れが滞っているからだ。これが、さっき言った、記憶障害のような症状を引き起こしていると考えられる。物理的に直せれば良いんだけど、難しいときは、そこをカバーするようなプログラムを作成し、機械人形の頭脳に流し込んでやる必要がある。これが、いわゆる応急措置。応急だから、完全に直すには、やっぱり、物理的な作業が必要となる」
うんうんと頷きながら、慶一朗は田所の話にじっと耳を傾けた。
「以前似たような症状を起こした機械人形に使ったプログラムがあるから、今回はそれを使ってみようと思う。HOSHINO製のに使ったヤツだけど、川端製のは、MIZUKIのよりHOSHINO寄りだから、これで大丈夫だろう」
パソコンに寄り、別の画面を開いて、田所はその中の一つをクリックした。ピピピッと、音が鳴り始める。どうやらそれが、プログラムを流し込んでいる合図らしかった。
「ハナちゃん、どう? 修正プログラム流し込んでるから、何かおかしいことがあったら言ってね」
「はい。今のところ、問題ありません」
顔を上げ、ハナは田所に返事した。
慶一朗はその様子を隣で見ながら、感心したように、あちこち眺めている。学校にも機材はあるが、まだ触っていないこともあって、なかなかに新鮮だ。
「修正プログラムの作り方は、座学でやらなかった? あれ、まだかな?」
「あー、いえ。ちょっと前にやりました。プログラムのヤツは、二年でもやるので。でも実際やっているところを見るのは、勉強になります」
「インストールに時間は少しかかるけど、これで何とかなると思うよ。どうする? 他の作業も見学してく?」
* * * * *
ハナの調律が終わったのは、お昼の少し前。
田所の家でお昼をいただき、午後も作業場へ出向く。
運び込まれてきた他の機械人形の調律にも立ち会い、慶一朗は有意義な時間を過ごしていた。
作業場で見学している間に、作業員達が数人出入りした。すれ違う度に、もしかして三笠さんちのと声をかけられ、その度に、お世話になっていますと頭を下げる。ハナは慶一朗が思うよりもずっと、有名人らしい。
運び込まれた機械人形の中には、工事現場や工場などで破損し、腕や足の取れかけたものもあった。ときにはスクラップ寸前の機械人形が運ばれてくるときもあるのだと、田所は言う。例え大破していても、最善を尽くし、出来るだけ元の状態にして依頼者に戻すのだ。一つ一つ、状態を見ては、部品の在庫確認をし、細かな調律計画を立てる。簡単な調律は大抵一人で。だが、物理的な損傷が大きな場合はチームを組んで調律、修理していた。
テキパキと動き、的確に作業をしていく作業員達。彼らが皆、慶一朗の目指す機械人形調律師の資格を持っている。そう思うと、自然に背筋がピンと伸びた。
「今日は少し、早めに一段落つけそうだ。夕方には、俺がハナちゃんを家まで送るよ」
午後三時過ぎ、作業の手を止め、一服の時間だと茶菓子を出して田所は言った。どんなに忙しくても、食事と休憩は忘れない。それが、田所調律のやり方だった。
「ハナをよろしくお願いします」
椅子に腰掛けたまま、慶一朗は深々と田所に頭を下げる。
「本当に、慶一朗君と来たら。まるで娘を嫁にやるときの父親みたいな言い方だな」
作業台に置いた盆の上からせんべいを取り、口に運んでバリバリ噛みながら、田所は笑った。
「そんなに……、おかしいですか」
頬を赤らめた慶一朗に、田所は、
「おかしいって言うかなんて言うか。信昭見てても思うんだけど、ハナちゃんのことを、本当に一人の人間みたいに扱ってて、面白いなってさ」
「そう……、ですかね」
首を傾げ、出されたお茶をすする。茶葉から入れた緑茶なんて、今時珍しい。鼻を抜けるような、柔らかい、良い香りがする。
「まぁ、仕方ないとは思うんだ。昔、機械人形がまだ登場していなかった時代でも、家庭用の自動掃除機や警備用のロボットに対して、家族同様の対応をする人たちは居たそうだしね。まして、生まれたときからずっと一緒なら、機械人形と言うより、“家族”なんだろうなって。ホラ……、ウチは調律専門だけど、自宅に機械人形は居ないだろ。猫を飼ってはいるが、あくまでペットであって、家族の一員だとは言いつつも、結局はどこかで線を引いてる。家族同様なのは間違いないが、人間と猫は違う、相容れない一面があるって、わかって暮らしてる。……偶に、思うんだよ。こういう仕事してるとさ。猫と機械人形の差って、なんだろうなって」
「ハァ……」
「命のある猫と、命はないけど、人間の形をしている機械人形。同じようでも全然違う。一緒に暮らしている方も――、どこかで、同じだけど違うってことを考えながら過ごしているのかなって」
田所は茶をすすり、フゥと深くため息を吐いた。
見学の間、ハナは母屋で奥さんと過ごしている。何を話しているんだろう。母屋からは、楽しそうな女性二人の話し声と笑い声が漏れている。
慶一朗の目線が自分ではなく、ハナの居る方に向いているのに、田所は気付いていた。そしてその目が、どこか潤んでいるのも。
「恋をしてる目だな」
ブッと、お茶が口から噴き出した。慶一朗は慌ててジャージの袖口で顔を拭う。
「何を言うんですか!」
田所を睨み付けたが、その顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
「図星か」
フフンと、田所は鼻で笑った。
作業台のベニヤが、吹き出したお茶で変に濁っていた。慶一朗は台ふきでバンバンとベニヤを叩きながら、気丈に振る舞った。
「言って良いことと悪いことがあります」
「とは言いつつ、まんざらでもない様子だな。可愛いもんな。それに、慶一朗君も似合いの年頃になった」
田所から、慶一朗は意識的に目を逸らした。
「ハナちゃんのこと、好きなのか」
汗が、ブワッと身体の底から噴き出してくる。作業所は冷房が効いていて、涼しいはずなのに。作業台の直ぐ上は冷房の吹き出し口で、丁度いい風が上から降りてくるのに。
「ダメ……、ですかね……。それって」
「ダメ?」
「いけないこと、ですか、ね……。それとも、可笑しいこと。変なこと、ですか……」
パテーションの向こうでは、別の作業をしていて、そっちはこれから休憩に入るらしい。大きなアームが仕切りの奥を水平に動いて、ガシャリガシャリと音を立てている。
「変、だと思う? 自分で」
田所は慶一朗をじっと見つめ、淡々と話を続ける。
「わかり……ません。偶々、好きだと思った相手が、機械人形だったというか。そこに、居たから。そうなるのが、自然、だったというか」
「恋をしても、叶わないと分かっていて、それでも恋愛対象になってしまうって、そういうことかな」
「わかりません……。今の、この気持ちが恋なのかどうかも。そういうのって、どう判断すれば良いんですか。家族の一員として、ハナのことを大切にしていきたいって気持ちと、い……異性として、恋愛の対象にしたいって気持ちが、違うのか、どうかも……、正直なところ、はっきり、しなくて……」
「でも、妹たちに抱いている感情と、ハナちゃんに抱いてる感情は、明らかに違うんだろ」
少し、考えてから、慶一朗はコクッと、頭を垂れた。
「それが、恋だよ」
田所は、また長くため息を吐いた。
屋外で低い車の音がして、ガラガラッと作業場のドアが開く。すみませんという男の声に、母屋からはーいと、奥さんが答える。調律済みの機械人形を引き取りに来ましたと、男が言い、ちょっと待ってくださいねと奥さん。どちらさんでしたっけと尋ねると、どこぞの誰々ですと男が答え、それならちょっと待ってください、今さっきから休憩に入っているはずなので、担当呼びますねと奥さんがかしこまって言う。一旦母屋に戻ってから、内線をかけたのか、幾つか向こうの区画で内線電話が鳴り、ハイ分かりましたと作業員が答えてガチャリと受話器を置いた。バタバタと走って入り口へ向かう作業員。パネルの上から頭がはみ出て見える。息を切らしながら、お待たせしました。できてます。お引き渡しする前に、今回の調律箇所と、今後の注意点お話ししますからこちらへどうぞと作業員が話し、それから作業員と客の足音が二つ、奥へ向かって進んでいく。
「田所さんは、最初から叶わないと分かっているのに、馬鹿みたいだって、思ってるんでしょう」
煮え切らないような顔で、慶一朗は呟いた。唇を噛み、眉間にしわ寄せ、今にも泣き出しそうな顔で。
尋問のようだ。
話したくないことも、次々に問い詰めてくる。
二次元の創造物に恋心を抱くのと同じなのではないかと――思わなかったわけではない。画面や紙面の向こう側にいる、決して手の届かない想像上のキャラクターに熱狂する連中を、心のどこかで軽蔑しながら、自分も同じように、決して叶うことのない恋心を、機械人形のハナに抱いてしまっている。
異常で、愚かしくて、はなはだ気持ちの悪い、煮え切らない状況だというのは、慶一朗本人が、一番良くわかっている。
それでも。
ハナを、一人の少女として見つめてしまう。その気持ちを、どう、整理していけば良いのか。
毎朝、リビングで顔を合わせる度に高鳴る胸。
お帰りなさいと夕方出迎える、柔らかな表情。
おいしいですかと、晩ご飯をよそう姿。
無理しないでくださいねと、気遣う横顔。
近くに居るだけで幸せを感じ、その気持ちが永遠に続けば良いと願う。
永遠なんて、いや、そもそも、二人の行き着く先なんて、最初から見えているのに。
苦しそうに黙り込む慶一朗に、田所は言った。
「まぁ、そんなに気を揉むことはない。慶一朗君は知らないかもしれないが、世の中には必要以上に機械人形にのめり込みすぎて、精神病棟に隔離されるような連中も存在するんだ。見たところ、そこまで追い詰められてるわけじゃなさそうだから、気持ちを切り替えるなら今のうちかなって思ってさ」
田所は、父と同い年。いくら他人とはいえ、身近でただ見守ってくれていたような大人にそんなことを言われ、平静でいられるはずなんてなかった。
身内に言われるよりは良い。が、ただそれだけ。
誰にも指摘されたくなかったし、胸にしまって、いつか自己解決しようと思っていたことだ。
「そんな簡単に、気持ちが変わるとは思えません。就職して家を離れることになるのは、少なくとも一年半後。自宅から通えるところに就職したら、今の状況は今後も続きます。まして、長男だし。家を継ぐことになるだろうし。多分これからもずっと、俺はハナと一緒に過ごさなければならない。そんななかで、どうやって気持ちを切り替えていけば良いんですか」
慶一朗の口調は、心なしか強くなっていた。
ピリピリと張り詰めた空気が痛い。
田所との時間を、少しでも早く終わらせたい。だんだん、そんなことまで頭を巡り始めた。
「多感な時期、だよな。大人になる少し前の、丁度、子供との境目って言うかさ」
フフッと、また田所は嘲るように笑う。
「冗談みたいな話、俺にも同じ時期があったんだなって、他人事みたいに思うわけさ。子供からしたら、まるで最初から大人だったみたいに見えるかもしれないけど、当たり前のように子供時代があって、大人になっていくわけ。その途中途中で、壁にぶつかったり、打ちのめされたりしながら、気がついたら、大人になってる。あー……、何言ってるかわからないよな。つまりはさ、今の慶一朗君と同じことを、言ってたんだよ。信昭が」
「え?」
「君のお父さんが。十七の頃」
「え?」
「“ハナのことが好きすぎて、辛い”ってさ」