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3 (株)田所調律

 ほっとしたのもあったのか、夜はぐっすり眠れた。それもこれも、池野がテキパキ指示して、何も知らない凛々子(りりこ)が上手いことハナを再起動できたから。もし、あのまま動かなくなっていたら、眠ることすらできなかったはずだ。

 感謝されるべきは池野であって、自分ではない。そういう気持ちはどこかにあった。機械人形調律師を目指し、工業高校に通い、信頼すべき教師が直ぐそばにいたというのは、不幸中の幸いだったのかもしれない。そう思えば、偶然の一助を担ったとして感謝されるのも、わからないではなかった。

 慶一朗(けいいちろう)は朝食を急いで頬張り、学校のジャージに着替えて外に出た。前日の雨で地面はまだじっとりと濡れている。木々や家庭菜園の緑は気持ちよさそうに滴を蓄え光っていた。じめっとしたサドルを腕で拭い、自転車に跨がって、昨日の水たまりが残る道を進んでいく。

 昨日の天気が嘘のように、綺麗に晴れた。空高く、薄い雲がかかる程度で、朝から日差しが気持ちいい。蝉の声も、今日は耳に心地良い。湿気を含んだ冷たい風を感じながら、慶一朗は緩い勾配を上がって、街外れの田所(たどころ)調律の作業場へ向かった。

 ここ数年、訪れたことはないが、田所調律までの道はよく知っていた。その先にある山の中で、小さい頃よく友達と遊んだからだ。今では珍しくなったカブトムシやクワガタの集まるクヌギの木が数本自生していて、夏の朝は小学生のたまり場になっていた。蝉の抜け殻集めや蛇の皮探し、それから、ドングリや木の実を拾って遊んだり、秘密基地を作ったりもした。何カ所も蚊に刺され、掻き壊してプールには入れなくなって。そんな夏の日も、今では良い思い出だ。

 そういうとき、ハナは一緒にいてはくれなかった。いや、違う。思い出してみればその頃、ハナは小さな妹たちの相手をしていたのだ。ハナと居るより、友達と居た方が良い、そういう時期だった。

 ハナは、姉のようであり、母のようだ。

 だからこそ、あの頃の自分は、ハナと少し、距離を置きたかったのかもしれない。

 舗装された道から外れ、林道に入ると、ガタガタした砂利道に変わる。自転車が激しく震動して、バランスを崩しそうになるのを堪えながら、木々の中を進んでいく。住宅街より気温が低いのか、長袖でも肌寒いくらいだ。

 林道の奥にトタン屋根の作業場が見えてきた。“(株)田所調律”の文字が、灰色のトタンに黒のペンキで描かれている。舗装された私道の先には、広い駐車場。昨日見た黒いワゴンと、他にも数台、軽トラックや軽自動車が並んでいる。

 自転車で軽快に敷地に入り、作業場の入り口で停車する。既に中からは、機械の動くような音がしていた。

 開け放たれた作業場の入り口を覗き、声をかける。

「おはようございまぁす。慶一朗ですぅ」

 作業場は合板のパテーションで仕切られ、いくつかの区画に別れていて、どこに人が居るのか、パッと見ただけではわからない。

「すみませ~ん」

 再度声を上げると、右手奥のドアがカチャッと開いて、「はいはい~」と、女性が慌ててやってきた。田所の妻だ。

「あ、奥さん。慶一朗です。ハナの様子、見に来ました」

 奥さんはエプロン姿だった。作業場の隣にある母屋から、家事の手を止めてやってきたらしい。

 上がり口でサンダルを引っかけると、奥さんは慶一朗の側に寄り、背伸びしてマジマジと顔を眺めてきた。

「え、慶一朗君て、あの慶一朗君? 三笠さんちの?」

「そうです。ご無沙汰してます」

「へぇー。大きくなったわねぇ。いつの間に。お父さんそっくり」

 最後に会ったのは小学生の頃だ。

「奥さんはずっと変わらないですね」

 社交辞令に聞こえたかもしれないが、慶一朗は心からそう思った。

 いやぁねぇと、照れる奥さんには悪かったが、早速本題を切り出す。

「ハナの調律(チューニング)、始まってますか?」

「あ、うん。始まってるわよ。ただ、何か問題があるらしくて、さっきから事務所と作業場を右往左往してるみたい」

「問題ですか?」

「ま、いいからこっちおいで」

 奥さんはそう言って、慶一朗を作業場の奥に案内した。

 パテーションにはそれぞれ数字が張ってあった。どうやらそれが、区画番号らしい。簡単な作業をする区画、細かい作業をする区画、それから機械人形の調子を調べる機械のある区画、そしてお腹を開いて中身を調べる区画と、区別してあるようだ。

 ハナは、それらの一番奥の区画にいた。

「あんた、慶一朗君来たよ」

 奥さんが声をかけると、田所は「おはよう。よく来たな」と、作業の手を止めて軽く手を上げる。

 八畳ほどのスペースに、壁一面の棚、合板の作業台と、機械人形調律(マシンドール・チューニング)用の大きなベッド。ベッドにはケースが被さっていて、病衣姿のハナが、お腹を開いた状態で横たわっていた。昨日家から送り出したときに来ていた綺麗な洋服は脱がされ、ブラジャーも外されて、作業台の上にきちんと畳んで置かれている。

 人間とは違う。わかっていたのに、沢山のコードを繋がれていたハナを久しぶりに見た慶一朗は、複雑な顔をしていた。

「何か問題があるって聞きましたけど、大丈夫なんですか」

 慶一朗はさっきの奥さんの言葉が、妙に気がかりだった。

「んー……そうだなぁ。あんまり大きい声では言えないんだけどね……」

 作業台の横で椅子に腰掛けたまま、田所は眉をひん曲げて、奥さんに何やら合図を送った。「あー、はいはい」と、奥さんは合図を感じ取り、さっさとその区画から出て行く。

 聞かれたくない話があるのかと、幾ら鈍感な慶一朗でも、それくらい直ぐにわかった。

「ハナちゃんのお腹の中を俺が開くのは、実は初めてなんだよ」

 奥さんが居なくなったことを確認して、田所は大きなため息の後、小さな声で話し出した。

「そうなんですか」

 意外だなと、慶一朗は思ったが、それは本題ではなさそうだ。

 田所はまず座れと作業椅子を一つ差し出して、慶一朗に座るよう促した。遠慮なくと、慶一朗が座る。話は続く。

「半年前に三代目の親父が亡くなっただろ? 死ぬ直前まで、ハナちゃんのことは自分がやるって聞かなくて。俺はてっきり、『ウチの調律第一号は絶対に息子には譲りたくないんだ』って、家長の意地張ってるだけだと思ってたんだけど。どうもねぇ。おかしいんだよ……」

 うーんと唸って、田所は作業台の上の珈琲を一口含んだ。ケースの中のハナを見て、頭を掻き、「意識レベル低くしてあるから、ここで喋っても大丈夫かな」と呟く。

「慶一朗君は、機械人形登録制度って、知ってる?」

「はい、授業で習いました。カフス、ですよね。耳の」

「そう。自治体に登録してあるのは、機械人形の製造年月日、型番、メーカー、所有者情報、通称だ。耳のカフスについている登録番号と照合することで、盗難されたり、所有者がわからない状態で故障したりした場合、これらの情報が有効に活用されてる。うちも、お得意さんの分は謄本とって、キッチリ保管してるんだけど、どうもそれが、変なんだよ」

「変、て言うと」

「こんなこと、あるのかな。型番が……。今までどうやってたのか、死んじまっては確認の取りようもないしなぁ」

 手元には、謄本の写しと、機械人形調律用の取扱説明書が置いてあった。よく見ると、周囲の棚にはメーカー毎に分類された取説があいうえお順に並んでいる。主力メーカーのHOSHINO(ホシノ)MIZUKI(ミズキ)の他にも、こんなに沢山の業者が機械人形を扱っているのかと驚くほど、沢山の企業名が連なっている。

「ハナちゃんの型番は、06-87HG-Fだと、謄本には書いてあるんだ。なのに、中身を開いたら、そうじゃなかった。全然違う。似ても似つかない。これじゃ、直しようがない」

「え……、直しようが……ないってことは、どっか壊れてるって、……そういうことですか?」

 コクリ、と、田所が深くうなずく。

「記憶系統に、明らかな欠陥があるね。昨日のうちにちょっと調べてたんだけど、所々記憶が消えているようなんだ。通常、蓄積され分析される日々の記憶データが、連続してない。人間で言うところの記憶障害の状態だ。小さい子供と一緒に過ごすことが多いハナちゃんにとっては、これは致命的な欠陥だ」

 致命的、か。

 言われると、ぐうの音も出ない。

「それからもう一つ。お腹の中、心臓の付近、見えるかな」

 田所は立ち上がり、ベッドの上に寝ているハナの側に行った。ケースを開け、病衣の紐を最後まで外す。左胸の下にそっと手を当て、田所は慎重に、ハナの人工皮膚をめくり上げた。沢山のコードと部品に囲まれ、拳二個分の大きさの動力ユニットと、充電ユニットが並んで入っている。

「問題は、この下だ。動力関係の二つのユニットに隠れるように、本来あるはずのないものが入っている。黒い鉄の薄型ケースに入っていて中身は覗い知れないが、コイツは、06-87HG-Fには存在しない、正体不明の部品だ。親父がハナちゃんを俺に診せたくなかった理由も、その点にあるのかなと思うと、この黒い箱の正体が気になってくる。だが、よりによって、取り出しにくい場所にあるし、記憶系統からのコードとも繋がってる。ってことは、ハナちゃんの記憶がブツ切れしていることと関係があるかもしれない。本当は中身を確認して、正常に電気信号が送られているかどうか確認したいんだけど、下手に触ったら大変なことになりそうで、手が付けられないでいるんだ」

「大変なことって」


「記憶系統に影響が出たら、最悪、フォーマットされちゃうってことさ。そうなったら、もうハナちゃんは、ハナちゃんじゃなくなってしまうだろうね」


 田所の表情は硬かった。

 フォーマット……初期化。

 頭から足の先まで、すーっと、血の気が引く。

「じゃ、じゃあ、どうすれば」

「それを今、考えてるんだよ。だけど、問題はそれだけじゃなくてさ」

「まだ、何かあるんですか」

 ゴクリと、慶一朗は唾を飲み込んだ。

「さっきから事務所のパソコンでも調べてたんだけど、06(ゼロロク)シリーズを製作していたこの会社、今は機械人形製作から手を引いてるようなんだ」

「メーカーへの問い合わせが、できない、ですね?」

「06-87HG-Fを親父か、祖父が弄ったのかもしれないし、元からそういう型があったのかもしれない。そこを確認しないと、修理は難しい」

 田所は無念そうに、腕組みをして、ベッドの上に横たわるハナを、じっと見つめた。

 三笠家の家族はもちろん、田所も、ハナには思い入れがある。先に彼が話していた通り、ハナは田所調律の調律第一号。初代がこの地で調律の仕事を始めたとき、機械人形はまだ、一般には普及していなかった。初代から引き継ぎ、二代目、三代目と、ハナの調律を行っていたのを、田所は間近で見てきた。旧式とはいえ、大切に扱われていた機械人形ハナは、いつまで経っても美しいままだ。

 三代目が亡くなり、やっと自分の番が来たと内心喜んでいたのだが、目の前に突きつけられたのは、とんでもない現実。このままでは、先祖にも信昭にも、合わせる顔がない。

「一応、法律では、“最低でも製造後百年はメンテナンスを続けられるよう、倒産・廃業の場合は、他の会社にデータを引き継ぐこと”になってる。機械人形の寿命は、人間のそれよりもずっと、長いからだ。乱立していた中小メーカーのほとんどは、HOSHINOかMIZUKIにデータや権利を譲渡していた。だから、もしかしたらこの会社も、どちらかに資料を渡しているのかも。もうちょっと調べてみて、ハッキリと結論が出てからじゃないと、中身はいじれなさそうだな」

「――そう、ですか……」

 調律の現場が見られると思っていた慶一朗は、ガクンと肩を落とした。

 直したいが、直しようがない。そんなことがあるのだろうか。

「ハナちゃんが造られてから三四半世紀くらい、経つのかな。こんだけ長い間大切にされてきたってことは、素晴らしいことだと思うよ。だからこそ、こういう問題が出てくるのかもしれない」

 ハナの体を元に戻しながら、田所はそう言って、慶一朗を慰めた。

「ウチでもいろんな機械人形の調律、請け負ってるけど、ハナちゃんだけなんだよ。“川端(かわばた)製作所”製の機械人形は。そこの06シリーズは、外見も美しく、耐久性にも優れてるって、ネットでもかなり定評があるんだけど、残ってる数自体が少ないみたいで。要するに、希少、なんだよね。とりあえずのところ、日常生活にさし支えない程度の調律はできそうだから、しばらくはそれで勘弁してもらうしかないな」

 田所は、自分が発する言葉に納得していないような、難しい表情をしていた。

 “型が違う”“黒い箱”“川端製作所”――これらの事実が、後々大変な事態を引き起こすことを、そのときの慶一朗はまだ知らずに居た。


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