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2 再起動

「ハナ、がんばれ、ハナ、がんばれ」

 小さな悠司(ゆうじ)が賢明に声をかける。

「ハナ、頑張って。ハナ、もう少し」

 沙樹子(さきこ)菜弥子(なみこ)も手を握って応援する。

 体を起こし、膝を曲げ、体勢を立て直していくハナ。動いたことによって、めくれていたワンピースも元に戻ろうとしている。

「あ、ちょ、ちょっと待って。閉めるの忘れてた」

 電話を再び菜弥子に渡し、凛々子(りりこ)は慌てて玄関の土間に降りた。

 ハナの動きの邪魔にならないよう、外していたプレートと扉を元に戻し、ワンピースの裾を被せてやる。

「これで、よし。ありがと」

 電話をもらい直し、クルッと撮影方向を変え、凛々子は電話の向こうで見守っていた慶一朗(けいいちろう)と池野に礼を言った。

「先生、……お兄ちゃんも。本当にありがとうございます。ハナ、動き出しました」

 ペコッと頭を下げると、

『まだ油断はできない。立ち上がるまで待っているから、このまま通話続けて』

 池野はまだ、険しい表情だった。

『再起動は、最終手段に近い。機械人形自体にも、負担をかけるからね。今回は症状から察するに、それしか方法がなかった。これでダメなら、買い換えが必要だったかな』

『買い換え……ですか』

 電話口で、慶一朗が渋い顔をする。

『酷だけど、機械人形だって、修理不能な状態、つまり、完全に壊れてしまうこともある。そのときは諦めて、新しいのに買い換えてもらうしかないってわけだ』

 新しいの、と言われ、凛々子は身震いした。そんなこと、考えたことがなかったからだ。

『どちらにせよ、今のは緊急措置。一度動かなくなった機械人形は、専門家に見せるのが一番良い。腹を開いて、頭を開いて、一つ一つ、丁寧に状態を確認してもらうんだ。今後同じようなことが何度も起きるようだと、小さい子供たちには負担が大きいだろう』

 池野がそう言っている間に、ハナは上半身をすっかりと起こしていた。ぺたんと、玄関扉に向かって、座っている。

「ハナ、だ……、大丈、夫?」

 凛々子は電話を下駄箱の上に無造作に置いて土間に降り、ゆっくりと近づいていった。

『あれ、何も映らなくなったぞ』

 慶一朗が言うのを聞いて、沙樹子はサッと撮影方向を戻した。

 沙樹子も菜弥子も悠司も、電話の向こうの慶一朗も池野も、固唾をのんでハナの動きに集中している。

「ハナ」

 凛々子がもう一度、声をかけた。

 ハナは上半身をねじりながら、ゆっくりと後ろを向く。


「り……り……こ、様。わたくしは……、わたくしは何故こんなところに」


 目を開け、きょとんとした顔で、凛々子を見るハナ。

 泥まみれで汚れてはいるが、それはまさに、いつものハナだった。

「ハナー!!」

 ガバッと、凛々子はハナに抱きついた。

 沙樹子も、菜弥子も悠司も、「ハナ」「ハナちゃん」と、口々に言いながら、ハナに飛びついた。

「何が、あったのですか。わたくしは何故、こんなところに座っているのです?」

 だが、ハナの言うのを、誰も聞いてはいなかった。

 うれしさのあまり、ハナの名前を何度も呼んで号泣し、抱き合っていた。



          * * * * *



 すっかり電話していたことなど忘れてしまったんだろう。画像には三笠(みかさ)家の玄関と、妹弟の頭上半分だけしか映っていなかった。呼びかけても泣き喚く声でかき消され、何の返答もない。

「ダメですね、こりゃ」と、慶一朗。

「ま、よかったじゃないか。これで悪い夢を見ずに済むな」と、池野。

 慶一朗はプチッと通話を切って、携帯電話をポケットにしまった。池野も、メモに使っていたタブレットの画面を消して慶一朗に渡した。

「先生、本当に、ありがとうございました」

 慶一朗が頭を下げると、途端に後方から拍手が湧く。

 振り向いて、目を丸くした。数人のクラスメイトが、一緒に画面を注視していたのだ。

「ハナちゃん、大丈夫なんですか」

 一番に声を上げたのは、桑田だ。

「ああ。とりあえずは、だけどな」

 池野は知っていたのだろう。取り乱す様子もなく、淡々と答えている。

「お前らも機械人形調律師(マシンドール・チューナー)を目指すなら、どんな状況にでも対応できるくらい、しっかりと知識を身につけなきゃダメだぞ。今、見ていてわかったろ。現場では知識と冷静さがモノを言う。どんな切迫した場面でも、きちんと対応できなければ、持ち主、或いは現場に居合わせた一般人のために、出来るだけのことをする必要がある」

 男子と女子、合わせて数人が、慶一朗と池野を取り囲んでいた。まるで授業の延長。来年度から始まる実習時は、正にこのような光景が日々繰り返されるのだろう。

 受け取ったタブレットを床に置いて、慶一朗は池野に土下座していた。深々と頭を下げすぎて、床にこすりつけた額。そこまでやらなくてもと、池野は内心、かなり驚いていた。

「先生は、恩人です。先生が居なかったら、ウチの妹たちは大変なことになっていました。俺がまだ未熟で何もできなかったから、本当に助かりました」

 本心だった。

 慶一朗の口からは、スルスルとお礼の言葉がよどみなく出てくる。

「まずは、顔を上げて。私はそんな、大層なことはしてないよ。一人の機械人形調律師として、できることをしたまでだ」

 池野は恐縮して、頭を掻いた。

 ゆっくりと頭を持ち上げながら、慶一朗は、ぎゅっと両拳を握る。

「そんなこと、ありません。本当に、本当に助かりました」

 人生でこれほど感謝されたことがあっただろうかと思うくらい、慶一朗は丁寧に何度も礼を言ってくる。が、池野はそこで、どうしても否定的なセリフを吐かなければならなかった。

「再起動できただけで、修理できたわけじゃない。勘違いするな。目に見えない部分に異常がある可能性もある。いや、恐らく、どこかに深刻な異常があるはずだ。早急に、かかりつけの機械人形調律師に診せた方が良い」

「わかりました。そうします」

 慶一朗はギュッと口を一文字に結んでいる。

「急いで帰ってやれ。妹さんたちが、待ってるんだろう」

「はい。今日は本当に、本当に本当に、ありがとうございました」

 友人達が良かったなと肩を叩き、頭を撫でつけるなか、慶一朗は最後にそう言って、また池野に深々と頭を下げた。



          * * * * *



 その日の帰り道は、いつも以上に長く感じられた。

 学校を出る頃には日が落ち、辺りは薄暗くなっていた。雨が止み、風が吹いていて、少し肌寒いくらいだ。

 バスと電車の乗り継ぎに失敗し、駅で20分近く待ってから、薄暗い田園風景横目に、ガタゴト電車に揺られた。西川市から東永町(とうえいまち)に近づくにつれ、どんどん夜景の光が減っていく。

 落ち着こう、落ち着こうと思っていたのに、考えれば考えるほど、心臓はずっとバクバク鳴って、耳の奥に響き続けた。

 目を閉じれば、凛々子の『ハナが、死んだ』という声が蘇り、胸が痛くなる。

 今までこんなに苦しかったことがあったろうか。

 何のために、こんなに時間をかけて学校に通って、資格を取ろうと思っていたのか。いざというとき全く役に立たないのでは何の意味もないではないか。

 帰り際、桑田や水野たち、クラスメイトも、ハナについてかなり心配してくれた。中には、自分の家の機械人形(マシンドール)とハナのどこが違ったか、詳しく語る者もいたし、あの症状は何かしらの大きな衝撃を受けたときに発生するのだと熱く語る者もいた。

 本来ならば、自分もそうあるべきだったはずだ。目の前で機械人形が倒れた。ならば次にすべきことは。ハナの製造メーカー名も、型番も、年式も、知らないなんて。機械人形調律師を目指す者として、失格だったのではないか。

 電車を降り、駅から上り坂を家に向かって歩いて行く。駐輪場で濡れていた自転車が、酷く重い。普段ならスイスイと上がっていくのに、どうして今日に限って。

 慶一朗はそうやって、ずっとハナのことばかり考えていた。

 ぽつぽつと街灯がともる中、ようやく自分の家が見えるところまでやってくる。

 と、自宅の前に、大型のワゴン車が一台止まっているのが見えた。黒い車体の後ろと側面に、白抜きで“(株)田所(たどころ)調律”の文字が入っている。慶一朗にも見覚えのある車だ。

「修理、来てるのか」

 重かった足が自然と動き、駆け足になる。

 大急ぎで車の側まで行くと、玄関扉が開いて、人影のあるのが見えた。

「田所さん!」

 慶一朗が大きな声で呼ぶと、人影の男はクルッと後ろを向いて、サッと手を上げた。

「慶一朗君。お帰り。こっちも、さっき来たところだよ」

 田所は、ハナの定期メンテナンスを請け負っている会社の四代目。慶一朗の父とは同級生だ。

 自転車を敷地内に入れ、軒下に止めて、駆け足で田所のところへ。玄関には、父と母の靴も並んでいる。どうやら、慶一朗より先に帰宅し、どちらかが田所に連絡を入れたようだ。

「ハナちゃん、今晩はウチで過ごすから。無理に動かして、また壊れたんじゃ大変だろ」

 作業着姿の田所は、シワの刻まれた中年顔を、わざとらしくニッとさせた。

 田所調律には、小さい頃父親と一緒に何度か行ったことがあった。ハナの定期メンテナンスの付き添いだ。自動車の整備工場のような油の臭いと、精密機械を扱うための様々な工具が並んでいたのを、ぼんやりと覚えている。

 工場の中には、機械人形メンテナンス用の綺麗なケースがあった。その中に横たわって、沢山のコードに繋がれたハナを見たとき、小さかった慶一朗は、初めてハナが機械人形(マシンドール)なのだと思い知らされた。人間とは違うのだ、と。

「俺も、信昭に連絡もらったときは、びっくりしたよ。まさか、ハナちゃんが壊れちゃうなんて。今までこれといった異常もなかったのにな。急に何があったんだか。一緒に居たのが小さな子たちだけだから、詳細聞こうにも難しいし。当のハナちゃんは、倒れたときの記憶が欠落していると言うし。修理には時間がかかるかもしれないなぁ」

「そう、なんです、か……」

 記憶が、欠落。

 そういえば、起きがけに変なことを言っていた。『わたくしは何故こんなところに』と。

 本当に、ハナに一体、何があったのだろう。

 慶一朗はふぅっと、深く息を吐いた。

「今、お母さんと凛々子ちゃんに頼んで、ハナちゃんの身支度をさせてもらってるところ。おたくの女性陣が、泥汚れくらい落としてから行かせたいって言うもんだから、待ちぼうけしてるんだ」

 まるでお泊まり会だなと、田所は笑う。

 話し声が聞こえたからか、リビングの方から父の信昭(のぶあき)が現れる。帰ってからドタバタ続きなのだろう。スーツのままだ。

「慶一朗、お帰り。今日は助かった」

 信昭は言ったが、

「いや。今日のはウチの先生が全部指示してくれたから。俺は取り次いだだけだよ」

 慶一朗はそう言って、首を横に振った。

「凛々子が、感謝していた。『お兄ちゃんが機転利かせてくれて助かった』って」

「そういえば、他の子たちは」

 思い出したように、慶一朗が尋ねる。

 信昭はリビングを親指でクイッと指さし、キャッキャキャッキャ騒ぐのを慶一朗に聞かせてから、「あの通り」と、静かに笑った。

「それもこれも、指示がよかったからだ。みんな、慶一朗君には感謝してたよ」と、田所も。

 持ち上げる必要なんてないのに、と、慶一朗は複雑な気持ちで、二人の話を聞いていた。

 そうやって話をしている間に、準備は着々と進んでいたようだ。細かい花柄のあしらわれた、大きめのトートを抱えた凛々子が、バタバタと玄関ホールに現れた。

「これ、ハナちゃんの着替え。女の子なので、オシャレはさせてあげてください」

 両手でドンと、作業着姿の田所の胸へ、トートを押しつける。

「オシャレ……か、うん。まぁ、ウチのカミさんに、頼んで、みる、かな……」

 無垢な女子中学生に言われると断り切れず、田所は仕方なく、トートを受け取った。油臭い作業着には、花柄が全然似合わない。

「俺、車まで運びます」

 申し訳なく感じて、慶一朗が荷物を受け取ると、田所は「すまんねぇ」と、解放されたようなホッとした顔を見せた。

「ところで凛々子ちゃん。ハナちゃんは」

「今、妹たちとお別れの挨拶。しばらく留守になるから良い子にしなさいって」

「しばらく。そうだなぁ。やっぱり、しばらくかかりそうだなぁ」

 玄関で四人が中の様子を覗っていると、ぺたぺたと裸足で一番下の悠司が現れ、

「ハナちゃん、いま、きます!」と、教えてくれる。

 次いで沙樹子と菜弥子が、ハナの手を片方ずつ繋いでカニ歩きで現れ、

「じゃじゃーん。可愛いでしょ」声をそろえてニッコリ笑う。

 何を勘違いしたのか。ハナは、レース使いのボレロを羽織り、フリルの沢山付いたスカートを履かされている。泥汚れを綺麗に取り除いた髪の毛は、緩い三つ編みにされ、リボンまで付けられていた。

「ごめんなさいね、田所さん。お姉ちゃんたちが、『お出かけするときは可愛くないとダメ』って聞かなくて。気がついたらこんな格好に」

 最後に母の朋美が、肩をすぼめてやってきて、田所に頭を下げる。

「田所さん、よろしくお願いします。ハナのこと、直してやってください」

 朋美が言ったのを皮切りに、「お願いします」「お願いします」一家全員が口々に言い、最後にハナも、釣られたように頭を下げた。

「うわわ。そんなにいっぺんに言われると、プレッシャーだなぁ。さすが、大家族は迫力が違う」

 田所は困ったように両手を上げて、降参のポーズをとっている。

「明日の朝から作業して、何かあったら連絡するから。じゃ、行こうか、ハナちゃん」

「はい」

 ハナは時間をかけ、靴を履いた。それから田所は、ハナの手をとって、ゆっくりと玄関を出る。段差でハナが転ばないように、雨で濡れた土で転ばないように、慎重に、慎重に、歩いて行く。時間をかけてワゴンまで来ると、ハナ体に手を添えて、車内に入れてやる。

 トートを持っていた慶一朗は、その様子をずっと側で観察し、見守っていた。ようやくハナの側から離れ、車外に出た田所に荷物を渡し、一礼する。

「それじゃ、頼みます」

「了解」と、田所。

「ところで、慶一朗君、機械人形調律師、目指してるんだよな。明日、土曜だろ。よかったら、様子、見に来るかい?」

 えっ、と顔を上げ、田所の顔を見る。

 表情から察するに、嘘ではなさそうだ。

「いいんですか」

「せっかくの機会だし。自分ちの機械人形の中身なんて、そうそう見られないだろう。ちなみに、信昭も了解済みだから。安心して」

 父さんも、と、慶一朗はびっくりして自宅の方に顔を向けた。

 信昭は腕組みして、じっとこちらを覗っている。

「行きます、行きます。早起き、します!」

 慶一朗の胸は、帰り道とは別の理由で、ドキドキしてきていた。


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