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1 絶望

 凛々子(りりこ)からの電話が鳴り響いたのは、慶一朗(けいいちろう)が帰ろうと荷物をまとめていたときだった。これから部活だったり帰りだったりでごった返していた教室の中で、古めかしい黒電話の着信音がヤケにハッキリ耳に入ってきた。

 隣の桑田が先に、着信音に気付いた。

三笠(みかさ)、電話鳴ってる」

 ハッとして、慶一朗は制服のポケットをまさぐった。

「もしもし?」

 携帯をズボンのポケットから取り出し、応答すると、ザーザーという雑音と、聞き取りづらい、凛々子の切羽詰まった声がした。なんだろう。慶一朗は胸騒ぎがし、顔をしかめた。

「どうかしたのか」と、桑田。

「いや……、ちょっと、分からない」

 慶一朗は首を傾げ、より音声をしっかりと聞き取るために、比較的静かな、教室の隅へ移動した。

「何がどうしたって? 聞こえない」

 泣いているのか、凛々子は電話口でヒックヒックと、しゃくり上げている。

『お兄ちゃん、ハナが。ハナが死んだ』

「は?」

『ハナが、死んだ。全然、動かない』

 外は雨が降っていて、稲光も走っている。雨音が邪魔して変な風に聞こえたのかもしれない。

 慶一朗は、ここはダメだと、荷物を持って慌てて廊下に飛び出した。

「死んだ? ハナが? まさか。機械人形(マシンドール)は死んだりしない。動かないってことは、充電不足なんじゃないの? ハナの動力は半永久炉だから、動かなくなるなんて、まずあり得ないと思うんだけど」

『でも、おかしいよ。どうしたらいいの。急に倒れて。重くて私、動かせないし。知識もないし』

「落ち着け。他の子たちはどうしてる。騒いだり慌てたりして、取り返しの付かない行動に出たら大変だ」

『それは大丈夫。多分。沙樹子(さきこ)が下二人、頑張ってなだめてるから』

「父さんと母さんに連絡は」

『してみたけど、無理。仕事中で、電話に出てくれない。メッセージだけ残したけど、二人とも忙しいみたいで』

「わかった。……ちょっと待てよ」

 静かな場所を探しながら、慶一朗はズンズン廊下を進んだ。

「おい、三笠、どうしたんだよって、聞いてるじゃないか」

 困った。桑田が、付いてくる。

 駆け足で寄ってくる桑田を振り切って、慶一朗は先を急ぐ。どうにかして、落ち着いて話をする場所が欲しい。周囲に誰か居るような状況で、冷静に妹の話を聞く自信がないのだ。

 特別教室棟への連絡路、ここなら今の時間、人通りが少ない。桑田の姿は人混みに飲まれたのか、見えなくなっていた。慶一朗は荷物を一旦廊下の角に置き、電話を肩に挟んで、バッグの中からタブレットを取り出した。とりあえず、何が起きているのか、状況を整理しようと思ったのだ。

「で、どうしてハナが? 何か特別なことでも?」

 メモ画面を開き、改めて凛々子に聞く。

 まだ凛々子は荒く息をしている。とても、落ち着ける状況ではないらしい。

『変な女の人と男の人が来て、ハナが対応して。その直後に、急に動かなくなって。玄関先で倒れたの。私の力じゃ、ハナを家の中に引っ張ることしか。どうしよう、お兄ちゃん。私、どうしたらいいの』

 ダメだ。全然参考にならない。

 知りたい情報は、そうじゃなくて。何か切っ掛けがあったんじゃないのか。違うのか。

「ハナの体、温度はどうなってる? 熱い? 冷たい?」

『冷たい。ものすごく、冷たい』

「じゃ、音は? 体から変な音が出てるとか、ない?」

『ない。何にも、音がしない。死んでるんだもん。音なんてするわけない』

「違う。機械人形は死なない。故障することはあるかもしれないけど、人間じゃないんだから死ぬなんて言葉、使うなよ」

 小さな妹弟三人と、倒れて動かなくなった機械人形。中学生に成り立ての女の子一人じゃ、とても耐えられないはずだ。電話口で震えて、怖がって、涙している凛々子の姿が浮かび、慶一朗はギリッと歯を食いしばった。

 早く帰ってあげなきゃ。そうは思ったが、ここからは早く見積もっても電車とバス、それから自転車で上り坂を駆け上がって50分。しかも雨が降っている。ということは、10分から15分、多めに見ておかなければならない。そんな長い間、動かないハナの隣で待つなんて、無理に決まっている。

 近所には機械人形の調律(チューニング)工場がある。いつもハナのメンテナンスをしてくれる工場だ。だが今の凛々子に、連絡するだけの気力があるとは思えない。

 困り果て電話してきたのだろう。どうにかして不安を拭ってやりたい。慶一朗は、とにかく会話を繋がなければと必死だった。

「その、変な人たちって、何しに来たの。凛々子、聞いた?」

『聞いてない。わかんない。ハナに、何の用だったのか確認しようとして。そしたら、動かなくなって。私、私……』

「そうか。わかった」

『雨、雨酷くて。ハナ、いっぱい濡れちゃった。どうしよう、濡れて、壊れたのかな。綺麗な髪の毛が、泥でぐちゃぐちゃだし。汚れてる。ハナの顔、汚れてる。私が、私が壊したんだ。私がハナのこと、死なせちゃったんだ。どうしよう、ハナが、ハナが居なくなっちゃう。ハナ、ハナ、ハナ……』

「落ち着け、落ち着け凛々子。お前のせいじゃない。大丈夫、直るから。直せるから」

 言ってはみたものの、機械人形調律の実技は三年から。二年の慶一朗は、まだ座学ばかりで、直し方なんてわかるわけがなかった。それでも、電話口の凛々子をなだめようと、必死に嘘を吐いた。

 困った。本当に困った。

 嫌な汗がじわじわと手のひらからにじみ出て、携帯電話を握る左手も、タブレットにメモをとる右手も、ベトベトしてきていた。

 冷静になれ。冷静になれ。いまここで、俺が取り乱してどうする。

 慶一朗はバクバクとなる心臓の音と戦いながら、必死に平静を装おうとしていた。


「何してんだ、三笠(みかさ)


 ガバッと顔を上げると、機械人形調律(マシンドール・チューニング)の実技準備室から出てきたばかりの池野が、不思議そうな顔で慶一朗を見ていた。

「あ、先生!」

 良いところに。

 慶一朗は急いで立ち上がり、池野の側に駆け寄った。

「ウチの機械人形が動かなくなったらしくて。中一の妹から、今連絡が入ってるんです。再起動方法とか、緊急時の対応とか、先生の方から妹に直接指導してもらうこと、できますか」

 慶一朗はそう言いながら、自分のタブレットを池野に渡した。画面には、“冷たい”“音なし”“雨に濡れた”“家の中まで引きずった”“泥だらけ”など、文字が走り書きしてある。何の知識もない少女の目の前で機械人形が急に動かなくなった。それがどんなことか、池野には直ぐに想像できた。

「メーカーは?」

「わかりません」

「電話、貸せ」

 池野は授業で見せたことのない険しい顔をして、慶一朗に催促した。

 お願いしますと、慶一朗は池野に頭を下げ、電話を渡す。

 普段は小言ばかりの苦手な先生も、何だか頼もしく見える。

 池野は電話を受け取ると、んんっと咳払いし、努めて落ち着いて、凛々子に話しかけた。

「機械人形調律学担当の池野です。三笠の妹さん、電話変わりましたから、安心してください」

 廊下にタブレットを直置きし、池野はその場に腰を下ろした。慶一朗も、電話口の声に耳をそばだてる。

『ハナを、ハナを助けて』

 凛々子が苦しい胸の内を明かす。

「大丈夫です。まず、大きく息を吸って。それからゆっくり、無理なく吐いて。気持ちを落ち着かせて」

 父親と同じくらいの年頃の男性の声は、凛々子をどんなにかホッとさせたか。さっきまで聞こえていた泣き声が、少し収まった。

「難しいことは言いません。難しい言葉も、使いません。一つずつ、教えてください。さっき、“ハナ”と言いましたね。機械人形は女性型ですか?」

『はい、女の子。私より少し、お姉さんです』

「ありがとう。じゃ、次の質問。雨で濡れてるそうだけど、冷たいんだね。焦げた臭いはしないね」

『しません』

「一部だけ、ものすごく熱を持っているところも、ない?」

『えっと……、はい、ないです』

 池野は当然、機械人形調律師(マシンドール・チューナー)の資格を持っている。テキパキと効率よく質問し、状態を把握していく様は、流石プロとしか言いようがない。授業とは違う池野の姿は、慶一朗にとって新鮮で、感動だった。

「背中を見て欲しいんだけど、ハナはどの向きで倒れているんだろう」

『えっと、右手を下にして、背中を……丸めてます』

「じゃあ、背中、めくれる?」

『あ……、今日は、ワンピース着てるから。難しそうです』

「そうか。困ったな。背中に、大事なところがあるんだけど」

『で、でも。女の子同士だから、下からめくれば大丈夫かも。ちょ、ちょっと電話置きます。――ねぇ、沙樹子、ちょっとこっち来れる?』

『えーっ、なにー』

『手伝って欲しいんだけど。ハナちゃん、助けられるかもって』

『あたしも、あたしもやる』

『ぼくも、ぼくもぼくも』

 電話口から何種類もの声が聞こえてきて、池野は少し、考え込んだ。

「……あれ、君んち、何人兄弟だったっけ」

「五人ですけど」

 慶一朗がしれっと答えると、

「そうか。通りで、妹さんしっかりしてる。どうやら、電話の向こうでは大騒ぎになっているようだ。小さな妹さんたちが、何やらがんばっているらしい。ところでこの電話、ビデオ通話はできないのか」

「できますけど……」

 電話を一旦受け取り、画面を上に向けて何カ所かタップする。少し画像は粗いが、淡い光と共に、液晶画面から立体画像が浮かび上がった。

『あ、にーにだ』

 画面いっぱいに、悠司(ゆうじ)の顔が映し出される。泣きはらしたのか、目が真っ赤だ。

「悠司、ごめんよ。ちょーっと、ハナが見えなくなっちゃったから、後ろにどいてもらえるかな」

 慶一朗が言うと、立体画像に切り替わったのに気づいた菜弥子(なみこ)が、悠司を抱き上げて後ろに下がった。

 すると、玄関の土間に伏したまま、ワンピースを下からめくり上げられ、白いショーツ一枚になったハナの背中が目に入る。思春期の慶一朗には、何とも刺激的だ。興奮を押さえ、目を逸らす慶一朗とは対比的に、池野は表情を変えずに、ハナの状態をじっくり観察していた。

「綺麗な背中だ。お尻の少し上に、四角い扉が付いているの、わかるかい」

『扉、ですか』

「見つけたら、軽く押して、開けてくれるかな」

『はい』

 手のひら大の扉が上方向に開く。そこは、ハナが夜中充電するためのプラグ差し込み口のある、大切な場所。慶一朗も小さなときに何回か見たことがあった。

「そこをね、じっくり映してもらいたいんだ。できるかな」

『や……、やってみます』

 画面がグニャッと動く。凛々子が電話を持ち、ハナの背中へ移動している。

「ところで三笠、この間授業で質問しただろ。その後、自宅の機械人形のを調べたわけじゃなかったのか」

 池野は痛いところを突く。

「いえ……。流石に、女の子の機械人形に、背中を見せてくれとは言いづらくて」

「言い訳だな。機械人形に、性別もクソもあるか。そんなこと、いちいち考えてたら、調律なんてできないぞ」

「ま、まぁ、そうなんですけど」

 自分より少し上に設定され造られたハナを、一人の女性として意識したことはないが、やはり気を遣うのが心情というもの。いくら機械人形だからって、ベタベタ触るわけにはいかないと、慶一朗は常々思っていた。それでなくても妹が三人も居る。機械人形として接しているつもりが、変な疑いをかけられても困るわけで。

「ん、見えたかな」

 池野の声でハッと我に戻り、立体画像に視線を戻す。背中の差し込み口がアップで映され、ショーツが画面から途切れた代わりに、今度はブラジャーがワンピースの陰から覗いていた。ほどよい膨らみが、女性らしい綺麗な白いレースの下着で覆われている。

 また余計なものを見ているなと、池野は思ったようで、ジロッと慶一朗を横目で見るが、構っていられない。差し込み口の周囲に刻まれた文字をじっくり確認し、うーんと唸り声を上げた。

HOSHINO(ホシノ)でも、MIZUKI(ミズキ)でも、ないな。でも国産だ。何だろう、このロゴ……。初めて見たな」

 よく見ると、差し込み口の端に、丸いロゴのようなものが。縦に何本もの筋がある、独特なロゴだ。

「ちょっと、調べてみないとわからないな」

 言って池野は、自分の携帯電話を取り出し、カシャッと立体画像のロゴ部分を撮影する。そしてまた、うーんと唸り、

「一時期、国産メーカーが乱立したことがあってね。そのとき市場に参入していた、中小メーカー製なのかもしれない。ただ、どのメーカーも、HOSHINOかMIZUKIの型を踏襲してるから、余程でない限り、直し方は一緒なはずだ。ところで、差し込み口から察するに、結構古い機械人形みたいだけど、何年製?」

 チラッと慶一朗の顔を見て、池野は尋ねた。

 参ったなぁと、慶一朗は眉をしかめて口をへの字に曲げ、「細かいとこまでは」と、自信なさげに呟いた。

「50年以上前のだって、聞いてますけど。曾祖父が結婚したときに買ったらしくて」

「曾祖父……ってことは」

 池野はタブレットにサササッと何やら数式を書き、またうーんと唸り始めた。

「50年どころか、70年から80年くらい前の代物じゃないか。こりゃ、参ったな。骨董品だ」

「骨董品、ですか」

 古い、ではなく、骨董品。言われ方が少し違うだけで、価値が上がったように錯覚する。

「骨董品は骨董品だが、ギリギリ私の知識で再起動くらいはできそうだ。――三笠の妹さん、その差し込み口の下の方に、細長い切れ目があるの、わかるかな。英語で小さく文字が刻んであるところ。そこ、細長い針のようなものを引っかければ、パカッと外れるようになってるんだけど、やってみてくれる?」

『はい。――沙樹子、ちょっと悪いけど、裁縫道具持ってきて』

『わかった』

 映像の外で、またバタバタと足音がする。

 慶一朗は何もできない自分が歯がゆくて、仕方がなかった。小さな妹たちでさえ、必死になってハナを直そうとしているのに、自分はただこうして、池野の側で見守ることしかできないのだ。

 映像を見やすいように、池野に画面を向けて持っていた携帯電話が、やけに重い。反対の手に持ち替え、汗で濡れた手を制服に拭った。

「家族みんなに愛されている機械人形なんだな」

「え?」

「古い割に痛んでないってのは、そういうことだ」

 電話の奥で凛々子と他の妹たちが何やら言い合いながらも、協力して作業をする様子に耳と目を傾けながら、池野はそう、呟いた。

「はい」

 慶一朗は強く、返事した。

『取れました、先生。四角いプレートが外れて、小さなスイッチが何個か現れたんですけど』

 電話の奥から、初めて凛々子の明るい声が聞こえてきた。

「よし。じゃあ、そこを拡大して」

『はい』

『凛々姉ちゃん、私が映すよ。悠ちゃん、危ないから沙樹姉ちゃんと一緒に下がってようね』

 今度は三女の菜弥子の声。

 みんな、徐々に平静を取り戻しつつあるようだ。

「左の方に、丸いボタンが三つ、並んでるね。その、一番左端の凹んでいるのが、再起動ボタン。今プレートを空けた針で、軽く押すといい。他のボタンや四角いボタンは触らないで」

『はい』

「ボタンを押せば、右端にある小さな液晶に、“REBOOT(リブート)”と表示される。そしたら、成功だ。やってみよう」

『はい』

 針を持った凛々子の細い手が、画面に現れた。

 裁縫用の針が、小刻みに震えている。

「大丈夫。頑張れ」

 池野は力強く、声をかける。

 ゆっくり、ゆっくり。慎重すぎるほどゆっくり、針が左端のボタンに触れた。

「そう、そこだ。思い切り、押して」

『は……い』


 ――“REBOOT”


 電話の向こうで、ギューンと、歯車の回るような音が聞こえだした。

≪再起動します、再起動します≫

 ピーッ、ピーッという警告音と共に、機械音声が何度も繰り返している。

 画面がゆっくりと、後ろに引いた。一度ピントがずれて、それからカメラの高さが変わった。どうやら菜弥子から凛々子に、撮影者が替わったようだ。

『動……いた? 動いてる?』

 凛々子が言う。

 固唾をのんでじっと画面を凝視する慶一朗と池野。

 ギ……と、金属の擦れる音がして、最初にハナの左腕が、ゆっくりと持ち上がった。

 それから、肩が、頭が。

 泥だらけの機械人形は、力を振り絞るように、徐々に体を起こしていった。


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