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骨董機械少女-アンティーク・マシンドール  作者: 天崎 剣
【7】さよならは言わないで
33/33

2 また会う日まで

 機械人形(マシンドール)鑑定士の紺野(こんの)と、秘書の長村(ながむら)が居なくなった調律室(チューニングルーム)輝良斗(きらと)がハナの体をチェックするのを、慶一朗は無言で見ていた。検査機の針が左右に振れ、モニターには波線が踊る。パソコンをいじりながら、輝良斗はうーんと低く唸った。

「電流が上手く流れないってことは、基板自体も、それなりに痛んでるのかな。でも、交換って出来ないんだよね。同じモノは存在しないし。類似品で代用したいところだけど、そうすると、ハナさんの積み重ねられた“心”の部分がなくなってしまう。これはアレだね。基板を取り出して、ゆっくり修理するしかなさそうだね」

 致命的とまでは言わないけどと、輝良斗は付け足した。

「気持ちは落ち着いた?」

 ハナの体を元に戻しながら、輝良斗が問いかける。

「気持ち、ですか。どうでしょう」

 つっけんどんに答える慶一朗の表情は、重い。

 握りしめたパンフレットと、間に挟んだ七枚のチケット。悪い言い方をすれば、手切れ金のようなもの。そう、考えてしまう。

「世の中、思うとおりになんて、行かないよ。挫折の連続さ。どうしようもなくて、何もかも嫌になって逃げ出したくなることだって、沢山あるよ」

「川端さんにも……、そんなことが、あるんですか?」

「あるどころの話じゃないね。第一、ぼくはこの会社を継ぎたくはなかった。自由に、絵を描いたり、詩を書いたりする方が、ずっと好きだった。でもさ。それじゃ飯は食ってけないし、就職活動もことごとく失敗したからね。親父の跡を継いで、機械人形調律師(マシンドール・チューナー)になるのが一番、現実的だった。夢なんて、見るだけ無駄だと思って、泣き寝入りしたこともある。でもそれじゃ、前に進めない。現実を受け止めて、一歩踏み出せるかどうか。そこが、人生の分かれ道」

 お腹の人工皮膚が閉じられ、服が元に戻される。輝良斗はパソコンを触って、ハナの意識レベルを元に戻した。

「ハナさんにこだわるのはわかる。でも、こだわりすぎるのは、問題だ。彼女はあくまで機械人形。言うなれば、家電製品と大差ない、無機質な物体に過ぎない。感情移入しすぎて、自分を疎かにしてはいけない」

 同じようなことを、機械人形調律(マシンドール・チューニング)学の池野や、田所(たどころ)にも言われた。

 簡単に、割り切れるか。

 ハナを、人間とは違う存在だと、割り切れるか。

 優しく笑うハナを、皆に気を遣うハナを、手を握りしめ、背中を(さす)るハナを、単なる機械に過ぎないと。

「……難しいです。赤ん坊の頃から一緒だったハナを、他の機械人形と同じように、無機質だなんて考えるのは、難しいです」

「だ、ろうな。それでも君は、事実を受け入れなくちゃいけない。出会いと別れは、表裏一体。いつか、必ず別れが来る。それが、早いか遅いか。それだけじゃないのかな」

 ベッドの上のハナが、ぴくっと動いた。ゆっくりと目を開け、枕元に立つ慶一朗を見上げている。

「お別れ、ですか」

 ハナが、か細い声で言う。

「なの、かな」

 慶一朗がボソッと、呟く。

「さあて、ぼくはしばらくお(いとま)するから、二人でゆっくり話でもどうぞ」

 一通り工具やコード類を片付け終えた輝良斗は、ぱんぱんと手を叩き、わざとらしく大きな声を出した。

「ところで慶一朗君、今日中に帰るんなら、リミットはお昼。それ以上遅れると、新幹線からの接続が悪くなるから、注意して。じゃ、あとはごゆっくり」

 右手をスッと上げ、ニコッと笑い、それからパタンと扉を閉じる。

 狭い調律室の中には慶一朗とハナ、二人だけが取り残された。

 白い壁の上の方に、大きな時計がある。まだ十時。時間はたっぷりある。

 意識レベルが完全に回復したハナは、身体をゆっくり起こし、ベッドから足を下ろした。そのままベッドに座って、ぶらぶらと足を揺らす。

「これで、良かったのだと思いますよ」

 うつむき、肩を落とすハナ。長い髪の毛がサラサラと落ち、表情を隠す。

「これ以上の解決策は、見つからないのだと思います。皆様が、わたくしのために奔走してくださった。その結果なのですから、これはきっと、良いことなのです」

 良いことなのですと言いながら、彼女は、慶一朗と目を合わせない。

「本当に、それでいいの? ハナは、それでいいと思ってるの?」

 立ったままハナを見下ろし、慶一朗は強く言った。

 ハナは、フフフッと小さく笑う。それからゆっくり頭を上げて、ようやく慶一朗に顔を向けた。

「おかしいですね。慶一朗様。わたくしは機械人形なのですよ? わたくしには、何かを選ぶ権利もありませんし、そうする術も知りません。主の決定には逆らえないのです。信昭(のぶあき)様がそう決められたのであれば、それに従う。それだけです」

「本当に?」

「……どうして、そんなことを聞くのですか」

「だって、ハナ……」

 そこまで言って、慶一朗は口をつぐむ。

 そうだ。彼女の言う通り。ハナは機械人形。心のない、ただの機械。

 整理しよう、気持ちを落ち着けようと、考えれば考えるほど、どうしようもない虚無感が襲ってくる。

 彼女にとって、三笠(みかさ)家の一員として過ごしてきた七十二年間は、何だったのだろう。

 貧しい若夫婦の元に買われ、その後一人、また一人と子どもが生まれ、育ち、旅立ち、新しい家族が増え、また一人子どもが生まれ、そして一人ずつ、亡くなり、そしてまた……。

 長い時間の中で、彼女は何を思い、何を感じていたのだろう。

 誰かが生まれる瞬間を、彼女はどう見ていたのか。

 そして、亡くなる瞬間に、どう向き合ったのか。

 そうやって、彼女に“心”がある前提で考えてしまうこと自体、間違っているのかもしれない。

 彼女に“心”があると錯覚して、そう思い込んで、彼女を、一人の少女だと……、特別な感情を抱いて。

 涙がつうと頬を伝う。

 慶一朗は慌ててハナに背を向けた。

「ハナは、俺の大事な……、大事な……」

「大事な、何ですか?」

「大事な……」

 ――ふと、背中に体温と重さを感じ、慶一朗はビクッと、肩をすくめる。

「動かないでください」

 鼻の細い腕が、慶一朗の身体を優しく、包み込んでいた。

「このまま、このままですよ。慶一朗様。悲しいとき、泣きたいときは、ハグするといいそうです。つまり、身体を寄せて、抱きしめる行為をすると、良いそうです。そうすると、脳下垂体からオキシトシンが分泌され、疲れが和らいで、安らかな気持ちになれるそうですよ」

 そんな話、どこで覚えたのと、慶一朗は思ったが、言葉には出来なかった。

 代わりに、止めどない涙と嗚咽が、こみ上げてくる。

 昨晩あんなに泣いたのに。どうしてまだ、涙は涸れていないのだろう。

「小さな慶一朗様を、わたくしはこうやって、いつも抱きしめていました。今も、あの頃と変わりません。慶一朗様は、わたくしの、大切な人です」

 ギュッと、ハナの手に力が入った。

 柔らかい胸の感触が、背中に当たる。その中身が機械だなんて、部品の固まりだなんて。見たばっかりなのに、とても信じられないくらいに、温かい。

「どうして……。どうして、ハナは。ハナは……」

 長い髪の毛が、慶一朗の肩にかかった。栗色の髪。決して伸びることのない、人工の髪。

「ハナが……、人間だったら、よかった」

「どうしてですか?」

「人間だったら……」

 背中に、ハナの頬が押しつけられる。

「人間だったら?」

「人間だったら、……確実に、恋をした」

「“恋”、ですか?」

「恋をして、愛を育んで、同じ時間を歩めた。なのにハナは……」

「人間でなくては、いけませんか?」

 頬から額、鼻が、順番に、背に当たる。

「今のわたくしでは、いけませんか? わたくしでは、慶一朗様の悲しみを、受け止めることはできませんか?」

 首を、左右に振った。

「無理だよ……。それは、無理。だってハナは機械人形で、今までも、これからも、俺たちとは違う時間を生きる。それに……」

「それに?」

「俺は、ハナを守ることも、一緒に過ごすことも、許されないんだから」

 震える慶一朗の肩に、ハナの頭が寄りかかった。

 慶一朗の胸の前で、ハナの手がギュッと、握り拳を作る。


「慶一朗様、好きです」


 ハナは、小さく言った。

「好き? それは、家族として? それとも、一緒の時間を過ごした一人の人間として?」

「わかりません……。でも、多分これは、“好き”ということなのだと思うのですよ。わたくしのために、尽くしてくださって、わたくしのために、泣いてくださって。そんな慶一朗様のことを、わたくしは、“愛おしい”と、そう思ったのです。ずっと一緒にいたい、このままずっと、同じ時間を過ごしたい。それは……、“好き”とは、違うのですか?」

 ――背中に感じる体温は、人間のそれとは意味が違うと、機械人形調律(マシンドール・チューニング)学の授業で習った。半永久炉の出す熱が、人工皮膚の下を通って身体全体に広まり、疑似体温を作り出す。それが、人間の体温とほぼ同じ、三十六度に設定されているから、人間はその熱を、機械人形の発する体温だと認識する。

 ハナの体が火照ったように、少し、熱い。それは、新たな不具合なのだろうか。

「わたくしの好きだった方は、みんな、居なくなってしまわれました。京助(きょうすけ)様も、奥様も、そのお子様方も……。歳を、取るのです。そうして、帰らぬ人となっていきました」

「さみしくは、ないの?」

 肩を抱くハナの手に、慶一朗はそっと、左手を乗せた。

「機械人形は、“さみしい”とは、思わないのですよ。慶一朗様は、おかしなことをおっしゃいます」

 右手に握ったパンフレットが、ギシッとよじれる。厚手の紙がボロボロと間からこぼれ落ち、床に散らばっていく。

 慶一朗はハナの手をふりほどき――、振り返って彼女をギュッと、正面から抱きしめていた。

「離したくない。ハナとの時間を過ごすために、資格を、調律師(チューナー)の資格を、取ろうと思ったんだ。この旅だって、ハナとの時間を取り戻すため。決して……決して、ハナを置き去りにするためじゃない。俺は……俺は、ハナのことが……」

 ハナの髪に、慶一朗の涙が伝っていく。

「でも、お別れです、慶一朗様。わたくしは、博物館に行くのですね?」

「どうして、それを?」

「そのパンフレット、機械人形鑑定士の紺野様に渡されたのでしょう。声が、遠くで聞こえていました。わたくしを、これからずっと、大切にしてくださると」

 ハナを抱く手に、より一層、力が入った。

 この手を離せば、ハナは居なくなってしまう。思えば思うほど、ハナを抱きしめる力は強くなる。


「また、会えますよ。だから、“さようなら”は言わないでください」


 目尻がまた、熱くなっていく。

 慶一朗は、ギュッと、目を強く瞑った。


機械人形調律師(マシンドール・チューナー)になって、古くなっていくだけのわたくしを、是非、調律(チューニング)しに来てください。わたくし、いつまでも、お待ちしておりますから」


 ハナの腕が、慶一朗の身体をそっと抱く。


「最後に、一つだけ。わたくしにも、“恋”をさせてください。一度だけ、“キス”を……、しても、いいですか?」


 耳を疑い、腕の力を緩めた途端――。

 背伸びしたハナの唇が、そっと、慶一朗の唇に触れた。




おわり


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