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5 決断

 十和田湖の観光を終え、ついでに夕飯もと、湖畔の食堂で郷土料理をごちそうになり、川端(かわばた)製作所――、現・調律事務所に辿り着いたときにはもう、どっぷり日が暮れていた。旅の目的を忘れそうになるくらい、ゆったりとした時間を過ごし、慶一朗(けいいちろう)は何となく、満たされた気持ちになっていた。

 見るものを見て、食べるだけ食べてから、ゆっくり話をしようじゃないかと、輝良斗(きらと)はやたら勿体ぶった。事情を考えれば、できるだけ速やかにやって欲しいものだが、まるで時間を目一杯引き延ばしているような輝良斗の行為は、なんだか、気まずい相手に必死に接待しているサラリーマンみたいにも見えた。

 湖畔に立つ川端調律事務所の一階は、一部が人形館になっていて、観光客にも人気のあるスポットだった。江戸時代のからくり人形、中世ヨーロッパのオートマタから、ひな人形、蝋人形など、古い時代の人形たちが何体も、解説と共に展示してある。輝良斗は閉館後の館内を、自ら案内した。

 川端製作所の前身は、小さな人形工房。先祖が作った美しい少女の人形も沢山残っていて、一番古いのは昭和の頃、今から二百年以上昔のものだそうだ。小さな人形から、等身大の人形まで、何体もの人形が、美しく着飾られて展示されているのを、慶一朗とハナは、ゆっくり見て歩いた。

 まつげの長い、銀髪の少女がまばたきもせずにじっと座っているのを、ハナは興味深く観察し、

「この人形()は、動かないのですか?」と尋ねる。

「残念ながら、ここに居る人形たちには、機械が入っていないんだよ。今は動かないけど、機械が入ってるのは、こっちのスペース。初期の頃は、人間らしさを出すのが難しくて、ホラー映画みたいな顔をしてる機械人形ばかり量産してしまったそうだけど、これはこれで、時代を感じて面白いと思うよ」

 年代ごとに区切られたスペースを移動していくと、二十一世紀末に初めて現れた機械人形(マシンドール)が展示されていた。輝良斗の言うとおり、ホラー映画にでも出てきそうな無表情さ。当時は人間の表情を作るのが難しく、技術もなかったそうだ。表情の硬い機械人形は、評判が良くなかった、作れば作るだけ大赤字だったと、輝良斗は笑った。

 スペースを移動するにつれ、少しずつ機械人形は人間らしい表情を作り始めた。人工皮膚が開発され、伸び縮みが柔軟にできるようになると、より自然な動き、表情を作り出すことが可能になったそうだ。この辺りは、慶一朗も機械人形調律(マシンドール・チューニング)学の授業で習った覚えがある。

 AIの進歩も、機械人形の進化には重要だった。入力したプログラムの通りにしか動かない機械から、人の動きや言葉、周囲の状況を把握して、自分で考える機械へと変わっていく過程には、かなりの時間を要したと、壁に貼られた解説に書いてある。

 二十二世紀中頃になると、ハナと同じ、見た目にも人間と変わりない機械人形たちが開発され始め、これが過疎化に歯止めのかからない日本社会の中で、重要な労働力として注目されるようになっていく。

 展示スペースの最後は、川端製作所渾身の機械人形シリーズ紹介。01(ゼロイチ)から06(ゼロロク)まで、これはパネルとパンフレットのみで、本体は展示されていなかった。高い技術を誇った川端製作所も、MIZUKI(ミズキ)HOSHINO(ホシノ)ドールなどの大手メーカーに押され、コスト面からも経営が難しくなり、五十年前に機械人形製作を停止した。以後はメンテナンス部門だけが生き残り、川端調律事務所として、今日まで続いていると、最後に締めてあった。

 一通り見学を終え、慶一朗とハナは二階の事務所へと案内される。

 こんばんはと声をかけられ、顔を上げると、人形館の事務をしているという二人の女性が、残務整理をしているところだった。

「社長、お帰りなさいませ。お客様がいらしてます」

 事務員の一人が輝良斗に言う。

「ありがとう。じゃ、同じところに二人を案内するから、お茶お願い」

 事務室を通り抜け、応接間に通された慶一朗とハナは、そこで待っていた意外な人物に目を疑った。

「こ、紺野(こんの)……めぐみ……」

 広い応接間にいた客人は、新幹線で別れた、機械人形鑑定士の女と、その秘書。

「あら。やっぱり来たんじゃない」

 紺野めぐみは赤い口紅で彩られた唇で、ニヤッと笑った。サングラスを外した紺野は、夜も更けてか、昼間よりも少し、老けて見えた。

「どういうことですか、川端さん。どうして彼女たちがここに」

 応接間の戸がパタンと閉まる。

 輝良斗は、いいからこちらにと、コの字に組まれた椅子の向かい合った片方に慶一朗とハナを座らせる。

 正面には紺野と長村(ながむら)。二人とも、表情を変えず、ハナと慶一朗の動きを凝視している。

 輝良斗はコの字の一辺、一人がけ椅子の二つ並んだ片方に座り、事務員がローテーブルにお茶を運んできたのを待ってから、ようやく話し出した。

「この二人は、ぼくが呼んだんだ。06シリーズ最後の一体が来て、中身を確認することになるから、どうですかと」

 チラッとハナを見ながら、輝良斗は言った。

「ちょっと待ってください。ここには修理できたのであって、鑑定士は一切関係ないはずじゃ」

「いえ。関係はある。今朝送ったメール、最後まで読んだのかな。もしかしたら、君のお父さんの方で、そこだけ削除してから君の携帯に転送してしまったのかな」

 言われて慶一朗は、ハッと息を飲む。

 最後まで? 言われてみれば、どうだろう。最後まで読むどころか、必要箇所しか読まなかったような気がする。

 ポケットをまさぐり、携帯電話を取りだして、メールの内容を確認する。一体、どれが。

「メール本文、一番最後の方。『不要かとは思いますが、ハナさんのことをどうなさるか、まだ迷ってらっしゃる様子でしたので、当方で機械人形鑑定士による簡易鑑定を行います。最終判断のご参考にどうぞ』と、多分この一文は、君の目には入らなかったんだろうね」

 画面をスクロールして、本文を指でなぞる。すると、確かにその一文が、一字一句違わずに記載されている。

「機械人形の鑑定には、表面だけじゃなく、中身を開いてみることも必要だ。もちろん、技術屋であるぼくたちだって、その良し悪しは判断できるが、価値のことに至っては、ちんぷんかんぷんだからね。専門の業者さんが必要になってくる。何も、おかしなことじゃない」

「値段は――、値段は付けて欲しくないんです。俺たち家族は、ただハナを、ハナを直して貰いたくて」

 必死に訴える慶一朗の横で、輝良斗は急に表情を硬くした。観光案内していた彼とはまるで別人のように厳しい顔を、慶一朗に向ける。


「君の自宅に、今朝、強盗が入ったそうだよ」


「……え?」

 慶一朗は耳を疑い、輝良斗の目を見る。彼は視線を逸らさず、ゆっくりとうなずいている。

「ハナさんを狙っていたらしい。幸い、近くで張っていた警察が突入して、事なきを得たそうだが、犯人はナイフを持って、奥さんを脅したそうだよ。君の小さい弟くんも、手伝いに来ていたという親戚の方も、恐ろしい目に遭ったそうだ。……何も知らないということは、君のご両親が、心配してわざと電話をしなかったのか、それとも君が、自宅との連絡を絶っていたのか、どちらかだろうけど」

 ドキッと、心臓が強く鳴る。“何かあったら連絡”というのが鉄則だと、父にも言われていた。無視していたわけじゃなくて、連絡を取りたくなかった。迷いが生じてしまうから、誰とも話したくなかった。……なんてのは、言い訳に過ぎない。しかも、そんな大変なことになっていたなんて。これじゃ、言い訳を誰も正当化してくれそうにない。

「新幹線の中で、動作停止した話も、もしかして川端さんに伝えていないとか?」

 機械人形調律師(マシンドール・チューナー)でもある長村が、口を挟む。彼もサングラスを外していて、鋭い目をあらわにしている。

「動作停止? 何の話ですか?」と、輝良斗。

「やっぱり、話していないんですね。ハナさんは、新幹線の中でも一度、動作を停止してしまったのです。しかも、どうやら特定の言葉がスイッチになって、動作を停止するらしく……、ここまでは、他の06も同じような症状があったので、予測はできましたが、彼女は同時に、その言葉に関わるだろう記憶を、無意識に消してしまうようなのですよ」

 長村が話すのを聞いて、慶一朗は肩をすくめていた。

 そんな大事なことを、何故話してくれなかったと、輝良斗に怒鳴られるのが、わかっていたからだ。

 ハナも、慶一朗が萎縮しているを感じ取り、肩を寄せて、腕を絡ませた。

「記憶を消す……。彼女が、無意識に?」

「そうよ。そのお嬢ちゃん、どうやらわたくしたちのことも、ここに来た経緯も、全部忘れて、これは単なる旅行だと思い込んでいるようなのよ。それをよしとするかどうか。中身を開いて見なくちゃ判断できないでしょうけど、重大な欠陥があるんじゃないのかしら」

 紺野も難しい顔をしながら、輝良斗に説明する。

 いよいよ、居場所がなくなってきた。

 慶一朗はどこに目を向けたらいいのか、なるべく誰とも視線を合わせないように、部屋の隅や壁の絵画、賞状や資格証の額の辺りに視線をやり、何とかこの場をやり過ごそうとしていた。

「慶一朗君……、こんなこと……、こんなこと、言いたくはないんだけど」

 輝良斗は身を乗り出し、膝の上に腕を置いて手を組み、眉間にシワを寄せる。

 口をへの字に曲げ、ハナから長く息を吐いて、呼吸を整えてから、慶一朗の顔をマジマジと眺め、おもむろに口を開く。


「君はハナさんと、ここでお別れすることになっている」


 輝良斗の言葉が、静かな社屋に響き渡った。

 何を言っている?

 慶一朗は目をしばたたかせ、口角を上げて、首を傾げる。

「ど、どういう、意味、ですか」

 腕を掴むハナの手に、一層力が入ったのがわかる。

「ハナと、……お別れ? 俺は、修理しに」

「そうだね。修理。修理はしようと思う。ただ、君が期待する結果は、どんなに頑張っても、得られない」

 冷たく言い放つ輝良斗の声が、慶一朗の頭にガンガン突き刺さる。

「自宅が襲撃されたことで、君のご両親は、苦渋の決断を下した。ここで、ハナさんとはお別れすると。週明けには役場に登録抹消手続きに向かうと、そうおっしゃっていた。嘘だと……、思うかい?」

 変な汗が、握りしめた両拳の内側に、じとっと染み出してくる。身体がブルブルと震え、噛みしめた奥歯が、痛い。汗と涙と、鼻水と唾が、一斉に噴き出してしまいそうなのを、慶一朗は必死に耐えた。

「ハナは……、ハナは、連れて帰ります。妹たちとも、約束しましたし。彼女は何より、ウチの、三笠(みかさ)家の、大切な家族なんですから。ハナの居場所は、ウチにしかないんですから。帰りますよ……、帰ります。またバスで片道二時間かけて駅まで行って、新幹線と在来線に半日揺られて、坂道上って二人で帰ります。そうして、またハナも含めて八人家族で、幸せに、静かに暮らすんです。それが、それがどうして……、どうして許されないんですか」

 慶一朗の口調は、次第に強くなっていった。

 行き場のない怒りと、やるせなさと、悲しみと、愛情が、慶一朗の中で、どんどん膨れあがっていく。

「酷い。酷いよ、川端さん。最初から、こういうつもりだったんでしょう。青森の奥地まで連れてきて、そんでハイさようならなんて、できますか? 俺は、俺は川端さんが、そんな薄情な人だとは思わなかった。信じてた。何者かわからない人たちから狙われ、困っているときに手を差し伸べてきた、凄い人なんだと、信じ切っていた。それを、それをあなたって人は、どうしてそうも簡単に、簡単に、簡単に裏切って……!」

 手が、出ていた。

 慶一朗は椅子から立ち上がり、ハナの手をふりほどいて、ローテーブルに乗り上げ、輝良斗の胸ぐらを掴んで殴りかかろうとしていた。

「やめなさい、君!」

 紺野の言葉は、当然耳に入らない。

「慶一朗様、お止めください!」

 ハナの声は、尚更。

「川端さん、言ったじゃないか。『最後の一体まで面倒を見る』って。なのにどうして、そんなことを言うんだよ。ハナはまだ現役だし、これからメンテナンス次第で何年でも動くはずだ。それを、どうして急に、お別れだなんて、おかしいじゃないか! ねぇ、川端さん!」

 胸ぐらを掴む手が、前後揺れる。

 期待する答えが出てこないのは、慶一朗にもわかっていた。それでも、抵抗しないわけにはいかなかった。

 輝良斗は目を逸らし、歯を食いしばって、されるがまま、身体を揺らしている。そのまま、バタンと椅子が後ろに倒れ、慶一朗は勢い余って輝良斗に馬乗りになる。

「慶一朗君、ダメだ。離れなさい」

 長村の腕が、輝良斗と慶一朗の間にスッと入った。かと思うと、慶一朗の顔面に長村の肩が押しつけられ、そのまま無理やり、引きはがされる。

「正気になれ。話を、話を最後まで聞きなさい」

「嫌だ、嫌だ、嫌だ!」

 長村の腕は、慶一朗の脇の下にがっちりと入り込み、簡単には振り解けない。

 幼子のように叫び、泣き、駄々をこねる慶一朗。呆然と立ち尽くす、ハナ。長い栗色の髪が、揺れている。オレンジ色の瞳に照明が当たり、鈍く光る。

「君は、正当な主じゃない。ハナさんの所有者は、君のお父さんだ。決定は覆らない。まだわからないのか」

 よろめきながらも、椅子に掴まり、必死に立ち上がって、慶一朗を見据える輝良斗。

 唇を強く噛んで、それから慶一朗をギッと睨み、力強く訴えかける。

「誰も君を裏切ったりなんか、していない。現実を見ろ。このままハナさんと一緒に居て、本当に幸せになれるのか? 答えはとうに出てた。だけど、受け入れたくなかっただけだ」

「うるさい! うるさいうるさい! そんな話、聞きたくない!」

「聞きたくなくても喋ってやる。いいか、ここでお別れだ。君は無事にハナさんをここまで運んできた。役目は終わった。一晩泊まって、それから帰るんだ。一人で! どんなに君が抵抗しようが、駄々をこねようが、君の欲求は何一つ叶わない。嘘だと思うなら、ここで電話してみろ。同じことを言われるだけだ。君に選択権はない。お父さんの決めたことに、反対する権利もない。お父さんだって、苦しんだ。君よりも、ずっと長い時間を、ハナさんと過ごしてきたんだぞ? それを、どんな気持ちで決めたか、考えろ! お父さんの選択は正しかった。お父さんは、君達を、子供達の将来を、守ったんじゃないか!」

 輝良斗の言葉が、膨れあがった慶一朗の気持ちに、針を刺した。

 パンと弾けた感情が、慟哭となって襲いかかる。

「ハナぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁあああ――――!!」

 長村の腕を掴んでいた手にはもう、力が入らなかった。

 崩れ、床に伏し、慶一朗は泣いた。涙が涸れそうになるほどに。

「慶一朗様、泣かないでください。慶一朗様……」

 隣に屈み、背中をさするハナの手。

「そんなに泣いてしまっては、カラカラに乾いてしまいますよ」

 幼い頃、泣きじゃくる慶一朗に、ハナは同じことを言った。泣いて、身体からお水がなくなってしまったら、カラカラに乾いてしまうと――それは、慶一朗の曾祖母が、子供達に言い聞かせていた言葉なのだと、ハナは言った。

 耐えがたい喪失感と、ハナの優しさが、慶一朗の心を、深く、深く、(えぐ)っていった。


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