5 感情基板
ギリギリのタイミングで快速を降り、駅舎内の充電スポットに向かう。一緒に下車した他の乗客達は既におらず、ホームに残っていたのは慶一朗とハナだけだった。重い荷物を引きずり、逃げるように階段を駆け上がる慶一朗。手を引かれ、必死に付いていくハナ。
「慶一朗様、どうなさったのですか。別の電車に乗り換えるのですか」
事情を掴み切れていないハナは、頭を傾げるばかり。
「あの電車には、これ以上乗れない。別の電車が来るまで充電して待とう」
「充電は、まだ80パーセント以上あります。必要はありませんよ?」
「いいや。充電した方が良い。でなかったら、少し休んだ方が。ハナ、何かおかしい。テンション上がりすぎてる。落ち着かないと」
息を切らしながら歩く慶一朗の手を、今度はハナがグイと引く。
「落ち着いていないのは、慶一朗様の方です。わたくしは、ただ、楽しんでいるだけです」
階段の真ん中で歩が止まる。
振り向き、ハナを見る。
純真な顔で、慶一朗の目をじっと見つめているハナは、本当にいつもと同じなのだろうか。
「慶一朗様は、何をそんなに焦っておられるのですか。電車は順調に進んでいましたし、最初の車両にいたお隣の男性も、悪い人ではないようでした。今の快速電車にそのまま乗っていれば、青森行きの新幹線に上手く接続できるのだと、慶一朗様はおっしゃったではありませんか。一体、どうしてしまわれたのですか」
どうして。
言われて慶一朗は、言い返すことができなかった。
ハナの言葉を振り切り、階段を駆け上がり、駅舎内に急ぐ。
おかしいのはハナじゃない? 自分の方なのか。どんどん追い詰められ、感覚が鈍ってきているのか。寝不足で頭の回転が悪いのかもしれない。
ハナは、仕方がなさそうに慶一朗の後を追う。
慶一朗の目には、駅の構内にいる人全てが、自分たちを見ているように映ってしまっていた。駅員、清掃員、次の電車を待つ乗客、見送り客、キヨスクの販売員、物資運搬業者、買い物客、観光客、観光ガイド――。沢山の目が、自分たちを追っている。あの謄本を見て、金になる“06(ゼロロク)”を奪おうとしている。
「――慶一朗様!」
ハナが、大声で呼び止めた。
「お電話、鳴ってます」
「電話?」
駅構内、充電スポットの真ん前で、慶一朗は立ち止まっていた。ポケットの中でリンリンと黒電話の着信音が流れている。
バイブレーションにも、全く気がつかなかった。
慶一朗は慌てて電話に出る。――輝良斗だ。
『慶一朗君、大丈夫? 調子がおかしいって、具体的にどんな』
メールの内容を見て、慌てて電話してきたに違いない。輝良斗の声は、焦っているように聞こえた。
「いや、あの。だ……大丈夫です。大丈夫でした。勘違いで」
ハナが正面で、慶一朗を心配そうに見つめている。
目を逸らし、そのままハナに背を向ける。
『大丈夫なら良いけど。充電は?』
「あ……それも、ハナ曰く、80パーだそうです……。早、とちり、でした」
『そうか。位置情報見たけど、そこで降りたら、次の電車まであと40分ある。どう? 何か変わったことは?』
「変わったこと、ですか。それなら……」
ポケットにしまった名刺を取り出し、
「MIZUKIの技術者の人に、声をかけられました。流出した謄本画像を見せられて。他社の技術者も狙ってるぞって警告を。その人は、ただ警告だけで」
『そうか……。やっぱり、情報は拡散してるんだ……』
「そうだ。川端さん、“カンジョウキバン”って、何ですか」
『え?』
「“カンジョウキバン”。MIZUKIの技術者が、言ってたんです。06に搭載された“カンジョウキバン”を、みんな欲しがってるって。それが、狙われる理由の一つなんですか?」
電話の向こうで、輝良斗はしばらく沈黙してしまった。
どうしたのだろうと、慶一朗が様子を覗っていると、ハナも、突然喋らなくなった慶一朗を、オレンジ色の瞳で不思議そうに見つめてくる。
『……“感情基板”は、俗称だよ。“エモーションボックス”の中にある、機械人形の感情を自然に表現するための基板。06シリーズの一部に、スペシャルモデルってのがあってね。どうも、高祖父が面白がって入れた基板らしいんだ。君の言うとおり。それが、いわゆる“高値”の原因だよ』
輝良斗の声は、沈んでいた。
慶一朗はあっけにとられ、ただ息を飲むしかなかった。
『本当は、電話なんかじゃなくて、面と向かって話すべき内容なんですよ』
川端輝良斗の声は、浮かなかった。
話が長くなるからと、慶一朗とハナは、駅構内にある機械人形充電スポットの一室に閉じこもった。内鍵を掛けようとしたが、犯罪防止のためだとかで、生命反応があると閉まらないのを思い出す。それどころか、天井まで壁がふさがっておらず、トーンを下げないと声が漏れてしまう仕様だった。周囲に誰も居ないのを確認して、なるべく簡単に話を済ますよう、輝良斗にお願いする。
一畳より少し大きいくらいの室内には、天井まで届く背の高い充電器がどんと居座っている。年式とメーカーにもよるが、背中に充電口のあるタイプ、首筋に充電口のあるタイプなど、全ての機械人形に対応できるようになっているようだ。スポットによっては、コードの差し込み口のみで、ケーブルを持参しないと充電できないタイプの充電器を設置している場所もあるが、この駅の充電スポットは、比較的最近作られたらしく、汎用性の高いタイプだ。くくり付けの棚には、工具や道具も格納してあり、簡単なメンテもできるようになっていた。
充電時やメンテ時に機械人形の体を横にできるよう、個室の中には折りたたみ式の簡易ベッドが備え付けてある。慶一朗はそれを広げて、ハナと二人で腰掛け、輝良斗の話を聞くことにした。
『悪いけど、幾ら説明しても、理解してもらえないない内容だと思ってる。だから、この先、君がここまで来るのかどうか、判断する材料になったとしても仕方がない。つまりは、君の“06”ハナちゃんのことをどうするのか、本当は持ち主である君のお父さんが決定すべきことなんだろうが、何らかの理由で青森の奥地まで行くのを止めると言われたら、ぼくはそうですかと、言うしかない』
輝良斗は遠回しに、なるべく慶一朗の神経を逆なでしないよう、ゆっくりと話した。
話さないで済むなら話さないでおこうとでも思っていたのか、立体画像の輝良斗は、ばつが悪そうな顔をしていた。
『今回、どうして青森まで行くことになってしまったのか、君はどのくらい把握してる?』
白い壁に光が反射して、立体画像はいつもより一層クッキリと浮かび上がって見えた。
「えっと……、田所調律さんが襲撃されて、謄本が流出して、ハナの居場所が漏れてしまったことが一つ。ハナが高価な機械人形で、奪おうとしている人たちが沢山居るのが一つ。それから、ハナの修理が田所さんにもできなくて、余所には頼めない事情があるから、川端さんに対応して貰う必要があるのが一つ。川端さんが来ようにも、ウチが狙われてるから、ハナを置いておくことができない、逃がす目的も含め、青森に行かなくちゃならなくなった……で、合ってると思うけど」
なるべく声が大きくならないよう、慶一朗は慎重に話した。
輝良斗は電話の向こうで、うんうんと、頷きながら項目を確認し、『大体合ってる』と呟いた。
『06シリーズであるハナちゃんが、どうして君の家に買われていったのか、詳しいことは知らないが、顧客カードがあることからして、正当なルートで手に入れたものであることに間違いはない。そこは、安心して貰っていい。問題は、時間を経て、06の価値を知らない人ばかりになってしまったこと。君の家も、田所調律さんも、代替わりして、全てを忘れてしまった。電化製品なんかよりずっと長い時間、存在し続けるんだから、それなりに情報は共有し続けなくちゃならないし、メンテも続けなくちゃならない。ハナちゃんの秘密を、君のおじいさん、田所の先代さん、辺りまではみんなで共有してたんだ。文書に残すわけにはいかない、データとして見えるところに残して置くわけにはいかない、秘密だ。それを、きちんと伝えないまま、みんなあの世に逝ってしまった。だから、どんどん、わけのわからないことになっていった。隠すべきじゃなくて、誇るべきだったのに。時間が経てば経つほど、変な価値ばかり上がってしまって、言うに言えなくなったんだろうな』
「長いよ。もっと短く……こう、わかりやすくズバッと言うことはできないの?」
こんな所で大事な電話をしているのを、いつ誰に感づかれるかと思うと、慶一朗は気が気でなかった。機械人形の充電スポットは、あくまで機械人形用であって、人間はそのメンテ以外では利用できないことになっているからだ。
機械人形用の充電スポットが出始めたばかりの頃は、トイレと勘違いしたり、休憩スペースと勘違いしたりする人が続出したらしい。性被害の現場、子供の遺棄・放置の現場になることもしばしばあり、犯罪防止のため、生命反応があったら鍵は閉まらない仕様になったと、機械人形調律学の授業で、池野が言っていた。
メンテナンスとして利用する場合も、入室は10分以内に限る。部屋の扉に禁止マークと共に記されていた。つまり、制限時間は10分より短いのだ。
「さっき、スペシャルモデルがどうとか、言ってましたよね? それって、何なんですか。つまり特別? そんなのを、ウチのひいじいさんが10万程度で買ったなんて、ちょっと話が良すぎる」
『10万? 本当に? 何十万、とかじゃなくて?』
「はい。10万円でした。京助様が、そうおっしゃっていました」
じっと話を聞いていたハナが、すかさず答えた。これには輝良斗もびっくりして、
『10万で買ったことを、機械人形本体にも喋ってたなんて……、本当に、頭の平和な人だったんだな……』
あきれ顔でため息を吐いた。
『既製品だったから、売りにくかったのかな』
「最後まで、売れ残りました。お店を畳むというので、安値で売られたようです」
『うわ……、その話、製作者側は知りたくなかった……』
顔を手で覆って、本当に止めて欲しいと、輝良斗は首を左右に振った。
「でも、三笠家で、わたくしは幸せにすごすことができました。それもこれも、安値で売ってくださった、あの機械人形専門店の店主の計らいがあってこそだったと、思っています。ですから、そんなに悲しそうな顔をしないでください」
ハナは立体画像に向かって、にこやかに微笑んだ。
輝良斗も顔を上げ、ハナを見つめる。そしてすっと、肩の力を抜いて、ニッと口角を上げた。
『“感情基板”が、本当にうまい具合に働いてる。機械人形には不足していた“感情”を、こんな自然に表現できているなんて、高祖父のいたずらも、あながち無駄じゃなかったんだな』
「いたずら?」
『“06-87HG-F”じゃなくて、“06-87HG-F+”。田所調律さんには、ワザと置いてなかった。本当の型番の方の取説データは、暗証番号付きの、フォルダに入ってるはずだよ。06シリーズが開発された当時、機械人形には、感情らしきモノは存在していなかった。“点が三つ並んでいれば、人間はそれを顔だと認識する”って、聞いたことは?』
「シミュラクラ現象……ですよね。確か。学校で習いました」
『そう。初期の機械人形は、今のように、人間の顔をしていなかった。いわゆる、人型ロボットに過ぎなかった。欧米では人型は宗教的にタブー視されることが多かったけど、日本にはそういうの、ないからね。むしろ、人型は好まれた。シミュラクラ現象もそうだけど、日本人は何でも擬人化した。太古の昔から、だよ。小さな動物や虫、無機物やら、果ては天気や空気まで、何でもかんでも擬人化した。数世紀前から断続的に流行ってる“萌え”文化とかさ。海外では未だ理解されない変な文化らしいじゃないか。そういうのもあって、どんどん機械人形の開発も進んでいった。見た目と同時に、“感情”という、人間や動物にしかない心の動きも、自然に再現できないかと、黎明期には多くの技術者達が試行錯誤したんだ』
授業で聞いたことがある。そうして、日本人の飽くなき探求は、とうとう人間社会に溶け込む機械人形の製作に成功したのだと。
『シミュラクラ現象により、顔だと認識したとして、その中に“心”がないと、いずれ人間はそのことに気がつき、機械人形を“単なる物体”だとしか捉えなくなってしまう。データの集合体、プログラムを実行しているだけ、では、“感情”とは言えない。人間の問いに反応し、答え、言葉を返す能力が必要だ。要するに、社会は、“単なるルーティーンワークを実行するだけのロボット”は、必要としていなかったわけだ。少子化による深刻な労働力不足を機械人形で補おうとしていた分、できるだけ人間に近い存在にしなければならなかった。“心のこもったサービス”を、機械人形にも必要としたんだ』
「そうですね。ただ実際、単純作業用機械人形ですと、今でも単純な回路のみの機体も存在いたします。わたくしより、ずっと新しい型でも、肉体労働の現場などでは、感情面を省略した機体を利用する場合があるそうです。信昭様の勤めている建設会社では、確かそういった型の機械人形を現場に派遣してらっしゃるはずですよ。逆に、人と接する場面の多い現場では、感情に関係する回路が大変重要になってきます。朋美様のスーパーのレジ用機械人形は、コスト面もあって、廉価仕様になっていますが、感情回路重視の機体を使ってらっしゃるようです」
ハナはわたくしの分野とばかりに、ペラペラと知識を挟み込んでくる。さっきもそうだったが、機械人形の話になると、本当に嬉しそうだ。機械人形のイケメン駅員を見て、てっきり変な熱に冒されてしまったのかと思っていたが、それは単なる勘違いだったと、慶一朗はようやく気づく。要するに、ハナは、自分と同じ存在である機械人形に、考えられないくらいの愛着心を持つようだ。
『つまりね、“感情基板”は、そんな中開発された部品の一つなんだ。06シリーズのうちの10体を“+”と称して、高祖父は開発中だった“感情基板”を埋め込んだ。実験代わりにね。それが結構評判良くて。予測より良い感じに“感情”を表現できたもんだから、あっちからこっちから注文があって、バンバン売れたらしい。ハナちゃんも、多分そんな感じで業者さんが仕入れて、結局、余しちゃったんだろうね。専門店もピンキリだったから、わけもわからず話題の品を手に入れて、売れ残るってのは、良く聞く話』
はははと、輝良斗は苦笑い。
ハナはピンとこないようで、どうしたんですかと、首を傾げている。
『今はもっと優秀な部品を搭載している機械人形が多いから、古い“感情基板”に本当に価値があるのかわからないんだけど、新参企業には“データの蓄積”というやつがないからね。どうしても、欲しくなるわけだよ。大昔に開発された“感情基板”の中の、“機械人形の感情を形成していった経過と、データの山”が。それが、正直なところ、本体より高値を付けてる。ここが、06を巡る問題の、タチの悪いところだ』
「タチが悪い? どうして?」
『慶一朗君にはまだわからないかな。要するに、“ただ古いから”値が付いているわけじゃないんだよ。06は、一つ、美術的価値の高騰、二つ、感情基板のデータの直接入手、三つ、美術的価値・感情基板入手双方に高値をふっかけるための仕入れ的強奪、四つ、それらによって市場に出回った中古品の高騰、五つ、それらの結果、ハナちゃんが最後の一体になってしまった……。これら全ての要素が複雑に絡み合って、いろんな方面から注目されてしまってるんだ。君のところの謄本が流出してしまったことを知って、ぼくはショックを隠せなかった。どうにかして、現存する最後の06を守りたかった。正直なところ、修理したとして、それらの問題を全部解決できるわけじゃない。修理されたらされたで、骨董商やら技術屋やらは、喜んで奪いに行くだろう。だから、青森まで来る必要があるのかと言われたら、ぐうの音も出ない。……どうする? それでも君は、06を、ハナちゃんをここまで連れてくるかい?』
輝良斗は言うだけ言って、キッと慶一朗を強く睨んだ。
――“それでも、連れてくるのか?”
そんなことを言われて、直ぐに返事なんて、できるわけがない。
慶一朗の隣で、ハナはどう思ったのだろうか。こんなことを言われ、それでも連れて行って欲しいと、思っているだろうか。自分は。家族はどう思う?
『次の各停に乗り直せば、接続する新幹線に間に合う。さあ、どうする?』
輝良斗の容赦ない言葉。
『もう一度言う。直しても、直さなくても、君たちは狙われる。そして、どんなに抵抗しても、最後には……』
決定的なセリフを、輝良斗が言いかけたとき――。
「何をしているんですか。閉じこもりは禁止です」
ノック音と共に、男性の声。
駅員だ。
「は、はい! 今、今出ます!」
慶一朗は慌てて通話を切った。
「ハナ、立って!」
何が起きたのか理解していないハナの手をグンと引く。
鍵のかかっていないドアをバンと開けると、そこには年配の駅員。
「閉じこもりは禁止ですよ。どうしたんですか」
渋い声で、静かに聞いてくる。
「す、すみません……。具合が悪くなって……、横になってて……」
「話し声がしましたよ? 電話ですか?」
「あ……えっと……、どうやら、降りる駅を間違ってしまったので、知り合いに電話で確認を……」
適当に答えたが、駅員には話の内容まで聞こえていたのだろうか。
「ハナ、行くよ」
「はい、慶一朗様」
慶一朗は駅員に軽く頭を下げ、きびすを返した。
ハナの荷物を入れたカートの車輪が、カタカタと心地よく通路を転がっていく。振動が伝わって、持ち手から手が離れそうになるのを、慶一朗はギュッと握り直していた。