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4 危機

 夫と小中学生を送り出し、しばらくすると、インターホンが鳴った。

 南里(みなみざと)町に住む義理の姉、真紀(まき)が尋ねてきたのを確認し、朋美(ともみ)は足早に玄関へ急ぐ。

「おはよう。ハナは無事に行った?」

 恰幅の良い真紀は、玄関を開けるなりそう言って、不安げな顔を見せた。

「行きました……、あ、鍵、閉めてください。何があるかわからないので」

 朋美の言葉に、真紀は慌てて内鍵を閉める。

「まさかハナがね……。そんなことになってるなんて、全然知らなくて。昨日信昭(のぶあき)に電話貰って、びっくりしたわ。私ができることなら、何でもするから。遠慮しないでちょうだい」

「ありがとうございます……。悠司(ゆうじ)が今、リビングにいるんですけど、日中、面倒を見て貰いたくて。人見知りが心配なんですけど、多分大丈夫……かな? 悠ちゃん! おばさん来たよ!」

 真紀と悠司が会うのは、正月以来。そのときは恥ずかしそうに姉らの陰に隠れ、もじもじしていたが、今回はどうだろう。まして、ほぼ一日中一緒に居るとなったら、どんな反応をするだろう。

 朋美はそれが、気がかりだった。

 リビングでテレビを見ていた悠司は、真紀の姿を見つけるなり、表情を硬くした。

「おばちゃんに、『おはようございます』は?」

 が、挨拶などしない。恥ずかしそうに顔を隠し、朋美の足にしがみついた。

「こら! ちゃんとごあいさつしなさい!」

 言っても離れる様子はない。

「いいって、いいって。そのうち諦めるから。悠ちゃん。真紀おばちゃんだよ。今日からしばらく来るからね」

 ニコッと笑いかける真紀を見たくないとばかりに、悠司は母親の膝の裏に顔を(うず)めた。

「それよりさ、ここに来る途中も、妙な車や見かけない顔をやたら見たんだけど。それも、ハナが原因なの? さっき車を止めたときも、数軒先の生け垣の陰から、人影がこっち覗いてたし。何あれ?」

 真紀は言いながら、リビングのソファにどっしり腰を下ろした。

 太めの体がソファに包まれるように沈んでいくのを見て、悠司は目を大きくする。

「昨日からです。私も、仕事の帰りに見てゾッとして。見張られてるみたいでしょ? 警察には相談してるんだけど、動いてくれてるのかどうか」

 朋美の言葉を聞き、真紀はうーんと、足を組みながら唸った。

 母のよりも一回り太いパンツスタイルの足が、床を弾くようにくるんと回ったので、悠司はますます目を見開いた。

田所(たどころ)調律さんとこが被害に遭って、ウチのハナの謄本が盗まれてから、その情報がネットにアップされて、いつの間にか情報が拡散していて。慶一朗(けいいちろう)が始発で行ったのは、とにかく早めに行動しないと、もしかしたらこの家に直接、ハナを奪いに来る連中が居るかもしれないからなんだけど。杞憂に終わってくれないかなって」

「確かにね。何とか保存協会さんは一千万だっけ?」

「交渉次第では、もっと出しても良いって感じだったわ」

「そっか……。痛いところを突くわよね……」

 嫁いでいくまでの二十数年間、真紀もこの家で、ハナと一緒に過ごした一人。ハナに値段を付ける人が居る、ハナを奪おうとする人が居るという事実は、彼女には看過できなかった。だから、信昭からの助けには、無条件に応じたのだ。

「ハナが家を出たことも、もしかしたら筒抜けかもしれないって、信昭さん、ボソッと言ったのよ。慶一朗の方も、無事だと良いんだけど」

「そればかりは何とも……。慶ちゃんも、もう大人なんだし。信じるしかないわね」

「大人って……まだ高校生だけど」

「来年成人じゃない! 二十歳で成人の時代じゃないんだから、もう大人でしょ?」

「そうは言うけど」

 慶一朗はまだ、危なっかしい。朋美は思っていた言葉を、上手く口にできなかった。

 危なっかしいのにハナを任せ、行かせてしまったことを後悔していた。もっと別の方法があったのではないかと、慶一朗が出て行ってからずっと、一人で考えていた。

「こんな小さな子が居るんだから、それしかなかったって、納得するしかないと思うわ。ハナがここに居る間は、安心できない。具合も悪いんでしょ? 田所さん以外だと、メーカーさんにしか対応できないんだって言われたら、連れてくしかないわけよ。私たち人間だって、お医者さんにかかる。どうしようもないときは専門医。それが偶々遠いところにあっただけだって、思えば良いじゃないの」

 真紀はニコッと、朋美に笑いかけた。

 柔らかく、どっしりとしたその表情に、朋美は少し、救われた気がする。

「悠ちゃん、そろそろおばちゃんのところにおいでよ。お母ちゃんはもう、お出かけの時間だよ」

 時計の針は、出発予定時刻まで十分を切っている。

 悠司は恥ずかしそうな顔を出したり隠したりはするが、まだまだ、朋美の膝裏から離れようとしない。

「最後は泣き喚くかもしれないけど、諦めて仕事行っていいからね。この時期特有よ。ウチの子達は保育園入れたけど、朝は泣かれるわ叫ばれるわ、酷いもんだったから。『捨てるわけじゃないのよ~』とか、『悲しいのは私も一緒~』とか、言いながら置いてきたもんだわ。今までハナと一緒だったから、どう反応するかわからないけど、子供だってちゃんと状況把握してるらしいし、気にしなくて大丈夫だからね」

 真紀には二人、娘と息子が居る。二人ともすっかり成人し、今は家から出て行ってしまったが、以前は共働きで、舅姑も早くに亡くし、かなり苦労したようだ。

 朋美にも姉妹が居るが、一番近くに住んでいて、一番頼りになるのは、義姉の真紀だった。

 何より、ハナとの生活がどんなか、理解してくれる。それが一番、ありがたかった。

「それじゃ……、お願いして良いですか。悠ちゃん、ごめんね。そろそろ行かないと」

「ママがいい……。ママがいい……」

 案の定ぐずりだす悠司。膝裏に顔を擦りつけ、より一層、足を強く抱きしめる。

「ママ……ママ……」

 いつもなら、『ハナちゃんとるすばんしてるね』とにこやかに送り出してくれる悠司が、こんなにぐずるなんて。朋美の胸はギュッと締め付けられていく。

「朋美さん、いいからいいから。ホラ、悠ちゃん。おいで。今日は何しようか」

 真紀が立ち上がって、悠司を朋美から剥がそうとする。

「やだ。おばちゃん、やだ。ママがいいの。ママぁー!」

 とうとう、悠司が泣き出してしまう。

 泣いちゃったかと、真紀は静かに笑って、

「泣かない泣かない。悠ちゃんのお顔、ふきふきしようね」

 ハンカチで顔を拭こうとするが、悠司は体を捻って必死にかわし、ぐるぐると朋美の足軸に回って、正面へ。大きく手を伸ばし、だっこしてだっこしてとアピールを始めてしまった。

 その時、不意にインターホンが鳴った。

「はーい、今行きますー」

 玄関へ出ようとする朋美を、悠司が力尽くで止めようとするので、

「私出るから。朋美さんは待ってて」

 真紀が代わりに応対する。インターホンの室内機には、制服を着た警官らしき人物が二人、映っている。チラとカメラに警察手帳を見せ、本物ですとアピールする。

『おはようございます。東永(とうえい)署の方から来ました。先日、被害に遭われた機械人形(マシンドール)の謄本の関係でお邪魔したのですが、お時間よろしいでしょうか』

 東永署と聞いて、朋美は対応しようと思ったが、まだまだ、悠司は離れそうにない。それどころか、泣き声を更に大きくして、母を引き留めようとする。

「今出ます」

 私が行くわよと、真紀がサインを出した。

 すみませんと頭を下げ、朋美はようやく、立ち膝になって悠司をギュッと抱きしめた。

「ゴメンね、悠ちゃん。寂しい思いさせるね」

 ハナが居なくなり、ずっと我慢していたのが噴き出したのだろう。悠司は泣きぐずって、朋美の胸から離れようとしない。仕方ない。ギリギリまで一緒に居よう。せめて、警察が帰るまで。思って朋美も、しゃくり上げる悠司を抱き上げて玄関へ向かった。

 玄関先ではドアを開け放して、真紀が早速、警官らと話をしていた。

「今日は留守番を頼まれたので、詳しくは」

 真紀が言うと、警官らは困ったような顔をする。

「何話してるの」

 悠司をだっこした朋美を見て、家人はこちらですと真紀が目配せ。警官は改めて朋美に、おはようございますと頭を下げた。

「こちらに『ハナ』という機械人形が居るはずなのですが、間違いありませんか」

 随分若い警官だ。二十代後半から三十代前半のひょろ長が一人と、もう一人は四十代手前頃の、普段は遊んでますとばかりの、緩さがある。

「はい。それが、何か」

調律(チューニング)工場から謄本が盗まれたことで、こちらの機械人形も狙われていると通報がありました。近頃、窃盗団による機械人形の盗難が相次いでいまして、狙われている可能性のある機械人形は保護する対策をとっているのですが、今、該当の機械人形はどちらに?」

「保護?」

「ええ、盗まれる前に、安全な施設に保護するのです。県警本部からの指示で、盗難の危険性が高い順に、保護することになっていまして」

 年上の方の警官が、にこやかに答える。

 保護……。そんな話、あるのだろうか。朋美は少し考えた。

「私が勤めている職場で、機械人形の盗難事件があったんですが、その時対応してくれた警察の方は、そんなことは全く……」

 確かに、保護して貰えば安心だろう。が、本当に保護してくれるなら、昨日信昭が電話したときに、そういう話になったはずだ。

 それに、信昭は昨日、被害届を出したと言った。メールとはいえ、所定のフォームから手続きしたはず。被害届の話もせず、いきなり保護の話を出してくる彼らは、本当に……。

「東永署の、何課ですか?」

 朋美は悠司をギュッと抱きしめ、警官らしき二人をギッと睨んだ。

「何課の方ですか? 何を根拠に保護だなんて。確認とってもよろしいですか? 先日対応してくださった警察官に、直接確認させていたいてもよろしいですか?」

 朋美の強い口調に、真紀はぎょっとしている。

 つまり、目の前に居る二人は。

 玄関口から数歩後ずさり、頃合いを見て、真紀はゆっくりと玄関から姿を消した。廊下に引っ込み、急いで、110番通報――しようとしたのを、若い方に見つかった。

「何をしてるんですか。どこに電話を?」

 玄関ドアがそっと閉まる。

 携帯電話のディスプレイに表示された数字を確認した若い警官が、表情を変えた。鼻息荒くし、寄越せとばかりに腕を伸ばしてくる。

 つんざく悲鳴。


「に、偽物――!!」


 朋美の怒鳴り声に、悠司が驚く。ギャンギャン大声で泣き出し、朋美の腕から落ちそうになる。

「っるさい! 黙れガキ!」

 年上の男が悠司の口を塞ごうと手を伸ばした。

「止めて! 止めて!」

 悠司を抱いたまま、朋美は肘で必死に男を払った。肘があごに当たり、男がよろけて土間に落ちる。

「何やってんだよ馬鹿!」

 若い方は真紀の電話を奪おうと揉みくちゃになる。

「助けて、誰か、誰か!」

 大声でドタンバタン暴れまわる真紀の巨体に押しつぶされそうなのを、若い方は必死に逃れ、それでも電話だけはどうにかして奪おうと手を伸ばしては蹴飛ばされ、手を伸ばしては蹴飛ばされして。

 そのうち110番にはしっかり繋がって、

『どうしましたか。事件ですか、事故ですか』

「事件、事件、事件です――!」

 廊下の隅まで走って逃げ、真紀は必至に電話口で訴える。

「早く、早く来てください! 偽警官が!」

「何通報してんだコラァ!」

 朋美の方にいた年上の偽警官も、標的を真紀に変えてぐるんと後ろに向き直る。

「悠司、あっち行って!」

 リビングに悠司を逃がし、朋美は近くにあった花瓶を持ち上げる。年上の男の後頭部に打ち付けようとして、失敗。ガシャンと床に水と花、陶器の欠片が飛び散った。

「殺す気かァ!」

 逆上した年上の男が朋美に向かってナイフをちらつかせ、それを見た若い方が、

「そんなことより人形(ドール)! 本物が来る前に人形探すんだ!」

 言われて年上は、

「機械人形はどこだ! この家のどっかに隠してるんだろう? 出せ! 早くしろォ!」

 刃先を朋美に向け、威嚇した。

 若い方が土足で家の中に入り込み、ドアというドアを開ける。茶の間だの座敷だの、リビングだの洗面だの、縦横無尽に歩き回り、どこもかしこも土だらけ。あまりの惨状に朋美も真紀も言葉が見つからず、口をカクカクさせて両手を挙げる。

 怯える悠司はカーテンの影に隠れ、泣き喚き、母の助けを呼んでいた。

 朋美も真紀も動けない。悠司に危害が及ばぬよう、ただ祈るしかない。

「居ない、機械人形なんて、居ない!」

 ナイフを突きつけられた朋美が半泣きで答える。廊下の壁を背にした朋美ののど元までナイフの刃が迫っていた。

「嘘吐くんじゃねぇ! 情報は掴んでるんだ。この家に特別仕様の“06(ゼロロク)”、最後の一体が居るってなあ!」

 相手は聞く耳など持っていない。

 ボロボロと涙をこぼしながら朋美が訴えると、年上は、鬼のような形相でギリリと奥歯を噛んだ。

「本当に、居ない、居ないんです!」

「正直に答えるんだ! ――あの坊ちゃんに、何かあったら困るだろ?」

 年上の男がギロッとリビングを睨む。

 カーテンの影に若い偽警官が迫った。むんずと伸ばした手に、悠司の幼い身体が捕らわれ、引きずり出される。

 悠司の泣き声が、一層高くなる。

 朋美の頭は、真っ白になった。平静を失い、――叫ぶ。

「本当に、居ない……居ないんです――! 助けて、助けてぇ! 悠司ィ――! 止めてぇ! 止めてぇ!」

 泣き崩れたところで、バンと玄関ドアが開いた。


「動くな!」


 拳銃を持った私服警官が数人。開いた玄関の向こうには、覆面パトカーも。

 本物だ。

 偽警官の手から、ポロッとナイフがこぼれた。

 途端にバタバタと警官が突入、あっという間に二人を拘束していた。

「早……早すぎるだろ。電話が繋がってから数分しか」

 年上の偽警官がガクッと肩を落とすと、本物の警官はカカと笑った。

「町内に潜んでたのは、この家の機械人形を狙っている者ばかりじゃなかったってことだ」

 つまり朝、真紀が道中に見たのは、窃盗目的の輩に混じった私服警官に覆面パトカー。パトロールしてくれているというのは本当の話だったというオチを聞き、朋美も真紀も、ホッと胸を撫で下ろした。

「大丈夫ですか、奥さん」

 声をかけてきたのは、スーパーの機械人形窃盗の際に対応してくれた警察官。「よかった……、無事で……」

 見覚えのある顔に、緊張の糸がプツッと切れた。

 そして全ての荷が下りたように、朋美は悠司を抱きしめて泣き崩れた。

「窃盗グループは今捕まえた二人だけじゃない、他にも数組いるようだが、踏み込んだことで、いくらか抑止力にはなったでしょう。ただ、必ずしも他のグループが狙ってこないという保障はない。しばらく我々警察も、付近のパトロールを強化しますから。そこは、安心してください」

 優しく声をかけられ、はいはいと、朋美は何度もうなずいた。

「坊ちゃんにも、怖い思いをさせたね。大丈夫、大丈夫だからね」

 子供達だけの時間じゃなくて、本当に良かった。

 もし、菜弥子(なみこ)沙樹子(さきこ)、悠司だけのときに彼らが現れていたら?

 もし、ハナが止まってしまったときのように、非力な子供達だけの時間に現れていたら?

 不幸中の幸いという言葉がある。今は正に、それだったのかもしれない。

 そう考えると、朋美は恐ろしくなって、また、ブルブルと震えだしていた。


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