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2 快速電車の男

 慶一朗(けいいちろう)とハナが出かけたあとの三笠(みかさ)家は、戦争状態から戦闘最前線へと格上げされたような、凄まじい状態だった。

 早起きはしたものの、朝の支度やら朝の家事一通り、それから悠司(ゆうじ)の相手などを、母の朋美(ともみ)凛々子(りりこ)沙樹子(さきこ)菜弥子(なみこ)に指示し、分担してテキパキ行い、同時に今日から日中の留守番をする真紀(まき)に言付けをすべく、出社の準備をしながら父の信昭(のぶあき)がメモに起こしていた。

 ほとんどの家事をハナに任せていたこともあって、七人分の洗濯物や食器の後片付けには、特に時間がかかった。どれだけやっても終わらない。洗濯を任された凛々子は、家を出る時間とにらめっこしながら、サンルームで必死に洗濯物を干し続けた。

「大丈夫? 凛々子」

 朋美がたまらず助けに入ると、凛々子は既に、制服の中を汗で濡らしていた。

「ハナ、これ、毎日やってたんだね」

 朝とはいえ、南向きのサンルームには既に日が差し込んでいて、動くとじんわり汗が滲む。何度も立ったりしゃがんだりを繰り返しているウチに、凛々子の汗は、つうと垂れるまでになっていた。

「やっぱり、ハナが居ないって、大変だね。ずっと、おんぶにだっこしてたんだなって、今更のように思ったよ」

 息を切らしながら凛々子が言う。

「それは同感。いつも朝起きたら、ハナがご飯作ってくれてたでしょ。洗濯物も、掃除も、休日には一緒にやるけど、平日はハナがやってたじゃない。お嫁に来てからずっと、それが当たり前だったから、どんどん感覚が鈍ってったのね。ハナは家政婦じゃなくて、家族だって思ってるつもりだったのに、いざ居なくなるとこんなに大変だなんてね」

「お母さんも、そう思う?」

「そりゃ思うわよ。あんなに出来のいい、優しい機械人形(マシンドール)、他にはいないわ。どういう意味で高値を付けて買い取ろうとしているのか知らないけど、ハナに替わる機械人形なんて、そうそう簡単には現れないんじゃないかしら」

 二人で会話しながら洗濯物を干していると、台所からガチャンと皿の割れる音。

「沙樹子、大丈夫か」

 信昭が手を止め、カウンター越しに台所を覗く。

 皿を拭いていたはずの沙樹子の手が高く上がり、口を大きく開けて「やっちゃった……」朝食で使った陶器の平皿が数枚、見るも無惨な姿になっていた。

 大きな音に驚いて泣くかと思いきや、菜弥子の手をスルリと抜けて、悠司がそろそろと台所へ入っていこうとする。

「わ、ちょ、ちょっと待て。悠司。裸足じゃ怪我する」

 信昭はそそくさと悠司を抱き上げ、菜弥子に「掃除機、掃除機」と指示。二年生の菜弥子はポカンとして動こうとせず、どうしたらいいのと目を泳がせている。

「仕方ない。菜弥子、悠司のこと、台所に入ってこないよう見張って」

「あ、う、うん。悠ちゃん、ほら、こっちで絵本見てよう」

 菜弥子に悠司を任せようとするが、肝心の悠司は“ガチャン”が気になって台所から視線を離さない。

「忙しいときに限って……」

 信昭が愚痴りながら頭を掻きむしり、台所へ行くと、沙樹子が半分涙目で割れた皿の破片を集めていた。角っこで手を切らないよう、危なげな手つきで拾う欠片を見つめたまま、沙樹子はううっと、鳴き声を漏らす。

「お父さん……。やっぱり、ハナちゃんが居ないとダメだ……」

「ダメだって何が」

「ダメなものはダメだもん」

 普段朝はハナに任せっぱなしの食器洗い、後片付けを、まだ背の伸びきらない沙樹子が踏み台に上り、一人で頑張った結果が、これだった。ガクンと肩を落とす沙樹子を余所に、朋美が大慌てで掃除機を引っ張り出し、コンセントにプラグを差す。ギュイーンと凄い勢いで、小さな欠片がどんどん吸われていく。

「ホラ、どいてどいて」

 あっちもこっちも、飛び散ったであろう所に掃除機を這わせ、やっと綺麗になると、朋美はさっさと掃除機を片付け、またサンルームへ。

 信昭は棚から取り出した紙袋に割れた陶器の破片を詰め、埋め立て用のゴミ袋に突っ込むと、

「沙樹子、もういいから、学校の支度」

 つっけんどんに言い放って、それ以上何も言わなかった。

 とてもじゃないが忙しすぎて、信昭も朋美も、ゆっくり話を聞くような余裕がない。

 菜弥子もそれを知って、悠司がみんなの邪魔にならないよう、登校時間ギリギリまで絵本を読み聞かせた。本当は、悲しくて、誰かに構って貰いたいのに。

「菜弥子、そろそろ時間だよ。学校行こう。帰ってきたら真紀おばさん来てるよ」

 しょんぼり顔の沙樹子が声をかけたのは、いつも家を出るのより数分遅くなってから。

「うん……。わかった。悠ちゃん、いい子にしてるんだよ。頑張って早く帰ってくるからね」

 おもむろに立ち上がる菜弥子の服を、悠司が掴んで離さない。

「なんじ?」

「うーんと、そうだな。今日は五時間上がりだから、3時のおやつまでには戻ってこれるかな」

「うん……。わかった……」

 幼い悠司でさえ我慢している。そう思うと、菜弥子はなかなか、自分の寂しさを口にはできなかった。



          * * * * *



 各停から快速に乗り換えると、車内は急に混雑しだした。通勤時間とあって、学生やサラリーマン、OLの姿が多い。荷物を抱えた旅行客の姿もあるが、少数派のようだ。自由席はほぼ満席で、何とか二人分の座席を確保するのがやっとだった。

 さっきまで乗っていた各停に比べ、快速の車内はそれなりに綺麗だ。掃除は行き届いているし、何より、オンボロ感がない。乗り心地も少しだけ良くなった。

 ハナは各停との差に感動し、早速楽しそうにお喋りしてくる。

「全部の駅に止まるのではないのですね。主要駅! それはやはり、人口や、都市の規模によって選ばれるのでしょうか」

 まぁそうだよねと適当に相づちを打つが、ハナの話は止まらない。

「慶一朗様のように、遠くの学校や職場に毎日通われている方がこんなにいらっしゃるとは思いませんでした。皆様、朝早くから本当にお疲れ様ですのね」

「わたくしは、さっきのガタンゴトンも好きですが、こちらの車両の揺れ具合ですとか、微妙な傾き加減も素敵だと思います。レールをこする音が少し違いますね」

「車両は何年式なのでしょう。わたくしよりも古いのでしょうか。いいえ、やっぱり新しいのでしょうね」

 着眼点が普通の女子と違う……。

 しかも興奮のあまり、声のトーンが大きくなっているハナをどう落ち着かせようかと、ハラハラする。

「ハナ、他の乗客の迷惑にならないようにしないと」

 しっと、人差し指を立てて注意するが、聞く耳を持っているのかどうか。今度は窓の外を眺め、指さしては、

「慶一朗様、あの信号はどのような意味ですか」

「向こう側に分岐が見えますね。ああ、なるほど、そうやって分岐を進む仕組みなのですね」

 これではまるで、鉄道女子である。

 各停の時は大人しかったのに、どこでスイッチが入ってしまったのだろう。

 思い出してみると、改札……。乗り換えの際に通った改札で、機械人形の駅員と話をしたのが間違いだったのだ。

 よりにもよって、駅員は三十前後のイケメン男性型機械人形だった。うっかり、ホームの場所を尋ねてしまったことで、ハナのテンションがおかしくなってしまった。

「仕事をしている機械人形の男性って、素敵ですね……」

 各停の車内で、『わたくしは、他の機械人形も、わたくしと同じ存在だと思っています』『全ての機械人形は、人間の暮らしをより豊かにするため、日々頑張って動いているのですよ』などと、かしこまったように機械人形について語っていたハナが、目鼻立ちの通った男性機械人形の顔を見た途端、恋する乙女になってしまったのだ。

「慶一朗様にはわからないのですよ。あの方、わたくしとは比べものにならないくらいハイスペックな頭脳を搭載している様子。羨ましいです。わたくしは、最新型に比べ、蓄積できるデータにかなりの制限があります。それに、元々愛玩用ですので、特化したスキルを持っていないのです。わたくしも、あのような職業特殊スキルを搭載していれば、もっと皆様のお役に立てましたでしょうに」

 恋する方向が人間とは違うようだが、浮き足だったようにニコニコし、慶一朗の話をなかなか聞いてくれないのは困りものだ。

 ハナだって、今まで自分以外の機械人形を見たことがないわけではない。いつも買い物に行くスーパーやコンビニ、銀行や役場、工事現場や交通整理など、町のあちこちで、それぞれの職種に合った機械人形が活躍している。人間とさほど見た目も変わらず、きちっと仕事をこなす機械人形は、今や、どの田舎町に行っても見られる、通常の光景だというのに。

「ですから、鉄道会社の機械人形は、他とは違ったのですよ。慶一朗様にはその違いがわからないのです。人の命を運ぶお仕事ですから、通常のそれとは全く違う、次世代モデルの危険感知システムを搭載しているのだと、気づきませんでしたか?」

「いや、見た目では、流石に……」

「わたくしも、あのようなシステムを搭載していた方が、何かと便利だと思ったのですが、容量が足りませんから、難しいですよね。警備会社の機械人形も、同じようなシステムを搭載していると聞いたことがあります。周囲数十メートル内での危険を察知し、駆けつけるって……、聞いてらっしゃいますか?」

「い、いや……」

 ハナのテンションがおかしいのは、記憶系統の故障とやらと、関係があるのかどうか。

 何となく、自分たちの方に視線が集まっている気がする。慶一朗はそっと背を伸ばし、座席の周りを見渡した。一応は、皆、見て見ぬフリをしているようだ。じっと見つめられているよりは、その方が……、思った矢先。

「元気なお嬢さんですね」

 通路を挟んで隣の席にいたサラリーマンの中年男性が、慶一朗に声をかけた。

「あ、す、すみません。うるさくしてしまって」

 窓際に座ったハナは、そんなことには気づかず、独り言のように容量がどうたら、何製の何とかシステムがどうたら、マイペースに話を続けている。

「いえ。良い暇つぶしになります。気にせず、お話しなさっていてください。綺麗なお嬢さんが、可愛い声でお話ししているのを不快に思う輩はそうそう居ませんよ」

「すみません、ホントに……」

 ぺこぺこ頭を下げる慶一朗に、男性はニコッと笑いかけ、そのまま正面を向いて缶コーヒーを口にした。

 見るところ、四十代か、五十代に入ったばかりか。皺のクッキリ刻まれた、浅黒い肌の男性は、膝の上にタブレットを載っけて、何やら作業をしているようだ。仕事もできるが、スポーツも任せろと言わんばかりのガタイの良さ。最近腹が出て引っ込まなくなってしまった父の信昭(のぶあき)とは、全く逆のタイプのようだ。

「お嬢さんは、あまり旅慣れしていないようですね。だからかな、とっても楽しそうだ」

 男性は、ハナの顔を覗くようにしてそう言った。

「あ……、はい。初めてで……」

 そこまで言って、慶一朗はふと、ハナの耳のカフスが、髪の毛の間からすっかり見えるようになっていたのに気がついた。ぱっと見で機械人形か人間か判断するには、カフスが一番の判別方法。だから、長い髪の毛を下ろしたまま、なるべく周囲に気づかれぬようにと思っていたのに。

「機械人形、でしたか」

「え? あ、はい……」

 慶一朗はしまったと、目を泳がす。

 が、こんな状況で無理に髪の毛を撫でたりしたら、不自然だ。

「僕も、機械人形関係の会社に勤めてるんですよ。お嬢さんは随分精巧ですね。機械人形だなんて、直ぐには気づかなかった。ちなみに、何社(どこ)製ですか?」

 向こうは何気なしに言ったのだろうが、慶一朗はドキッと心臓が止まりそうな衝撃を受けた。“何社製”かを正直に答えてしまえば、業界の人間なら、その価値がどんなか、瞬時に判断できるだろう。嘘を吐いたとしても、何年産だの、何タイプだの、型番だの、聞いてきて話を広げようとするに違いない。ここは無難に。

「あんまり有名じゃない小さなメーカーの機械人形なので……」


「――“川端製作所”、だったりします?」


 ビクッと、体が大きく震えた。

 ま、まさか。

 恐る恐る、男の顔を確認する。相手は、見破ったりとばかりに、ニヤニヤと笑みをこぼし、「やっぱり」と呟いた。

「なんで、ですか。なんでそんなこと」

「わかりますよ。肌つや、色、顔のパーツバランス、髪の毛の具合なんかは、各メーカーで微妙に違うんです。川端製のはやっぱり、美しい。顔立ちは、きちんと黄金比とってますしね。これでも、技術者の端くれですから」

 しまった……!

 道中、まさか機械人形メーカーの技術者に会うなんて。

「ということは、ここ数日話題になっている“06(ゼロロク)”、愛称は“ハナ”……。なるほどね。君は、“三笠(みかさ)君”、というわけか」

 手にしていたタブレットを傾け、男性がそっと、慶一朗に画面を見せる。

 それは紛れもない、田所(たどころ)調律で見た、ハナの謄本だった。


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