4 想い
父親に迫られても、慶一朗は頑として、言葉を取り消そうとはしなかった。
下の子達は驚いて抱き合うし、電話の向こうで川端輝良斗も、困った顔をしている。だが、そんなの構いなしに、慶一朗は言いたかったことをぶちまけた。
「川端さんの言うとおりだ。大黒柱の父さんが居なくなったら、この家はお終いだ。これからどれだけお金がかかるかわからないのに、仕事を辞めることになったら、凛々子も沙樹子も菜弥子も悠司も、みんな、夢が絶たれることになる。俺だけぬくぬくやりたいことやって。いつも、申し訳ないと思ってた。ハナとずっと一緒に居られるようにと、機械人形調律の勉強をしているにも関わらず、なかなか役に立てなくて。……今回の件で、ものすごく、考えさせられた。俺はまだまだ未熟者だ。だからこそ、やらせて欲しいんだ。どうにかして、どうにかしてみんなの役に立ちたいんだよ」
胸ぐらを掴まれ、父の顔は眼前に迫っていた。
「ま、機械人形のことなら、俺にだってある程度わかる。全く何も知らないわけじゃない。せっかく勉強してるんだ。俺が、連れて行く」
何か言いたそうに、口元をごもごもさせている父。
次に出てくるセリフはわかっている。“お前に、できるのか?”――。
「学校は……学校はどうする気だ。資格を取って、卒業後は働くっていう約束で、隣町の学校に行かせたんだぞ」
……違った。
「ハナの修理が終わったら帰ってきて、ちゃんと通う。資格も取る。それは約束する。だから、俺がハナを連れてってる間、大人にしかできないことを、父さんにしかできないことを、やってよ。下の子達の不安を取り除いたり、あちこちの役所や機関に手配して、妙なヤツら追い払ったり。父さんが居なかったら、多分、無理だ。手続きとか、警察への相談とか、どうしたらいいか、全然わからない。そういうの、父さんじゃないと務まらないだろ」
信昭は少しの間、目を瞑り、何かを考えていた。
慶一朗の胸ぐらを掴む手の震えが次第に止まる。
スッと離した手が、だらんと垂れた。
頭を下げ、まだ何か言いたげに、信昭は慶一朗から目を逸らす。
「……川端さん、こんな馬鹿息子ですが……、いいですか」
『こっちは一向に構いません。ちなみに、おいくつですか』
「高二の十七です」
『なら、問題ないでしょう。長旅になりますが』
電話の向こうで、立体画像の川端は、やっと話が落ち着いたと安堵のため息を漏らしている。
三笠家も三笠家で、信昭と慶一朗の言い争いは小さい子らにとって、普段から寿命を縮めかねない大問題。終わったねと、沙樹子にしがみついた悠司を、菜弥子がいいこいいこする。
騒がしかったリビングがやっと静かになり、輝良斗は仕切り直しとばかりに、話題を少し戻した。
『一応、警告ですが、さっきもお話ししたとおり、必ず修理ができるとは限りません。田所さんからの情報だけじゃ、判断しきれなかったのですが、もし修理不能だった場合は、そのままお返しすることになります。それから、道中、何ともなければいいんですが、06狙いの何者かに狙われる可能性も考えなければならない。となると、本当は成人男性が一番ですが……、高校生なら、許容範囲ってことにします。それから、本来ならこっちから行く予定だったので、旅費はこっちで負担します。その他滞在費用や諸費用、修理費は自腹でお願いしますよ』
「わかってます。すみません……、わがままを言って……」
信昭は深々と頭を下げた。
『それだけ、その06が大切な存在になっている。そういうことでしょう。明日の朝までに、事務所までの詳しいルートや移動手段をメールでお知らせしますよ。アドレス、教えて貰えますか。あと息子さんの電話番号も』
* * * * *
――行くと、言ってしまった。
慶一朗は、自分の言葉を振り返り、頭を抱えていた。
軽々しく言ったのはいいが、本当は学校も遅刻続きで単位が怪しい教科もあること、実技は三年からだから、本当は機械人形の中身について何かあっても、対処しきれないことは、親には秘密だった。せっかく高い交通費払って毎日学校と家を往復しているのに、まさかそれが、ほとんど役に立ちそうにないだなんて、言うに言えない。
しかし、言ってしまったからには、どうにかしなくてはならない。
追い詰められたときに発揮できる力もあるはずだと、根拠のないことを考える。
自室にこもり、リュックに着替えや洗面具を詰めた。ついでに機械人形調律学の図解テキストも。細かな部位の説明や、回路の解説も載っている。この間池野が指導した緊急時の対応も、よく見たらテキストに載っていた。これがあれば、何とかなるかもしれない。
ハナの持ち物は、凛々子たちが用意してくれているはずだ。修理で一晩田所調律に泊まったとき、やたら大荷物だったのを思い出し、荷物を極力減らすよう忠告はした。が、今後どのくらいの期間不在になるかわからない。もしかしたら、アレより大荷物にはなっていないだろうなと、不安もよぎるが、そんなのは大した問題ではないのだ。
コンコンと部屋のドアを叩く音がし、顔を上げる。隙間から父の顔が覗いている。
「何?」
ぶっきらぼうに聞くと、
「順調か」
向こうもぶっきらぼうに聞いてくる。
「まあね。大体、終わったかな」
ドアを半分開けたまま、壁により掛かって、信昭はじっと、床に座って荷物を詰める慶一朗の様子を見ていた。
最近やっと片付けると言うことを覚えた慶一朗の部屋。四畳の狭い部屋だが、狭いなりに居心地が良く、集中もできる場所。今の書斎を引き継ぐまで、そこは信昭の部屋だった。
壁には古い画鋲の跡。ポスターやカレンダーをベタベタ貼り付け、壁紙がボロボロになった一角。ベッドと机、タンスだけで埋まってしまう、小さな空間。床に走った傷は、配置換えしようとして失敗したときに、信昭が付けた物だ。
よく、小さな慶一朗が仕事の邪魔をしようと入ってきて、使わなくなったベッドの上に寝転がり、おもちゃを広げていた。新幹線や、車、怪獣のフィギュア、小さなブロックやら紙くずやら。ハナが見つけては、拾って注意していた。ここではお遊びはいけませんよ、リビングへ参りましょう、などと。
「明日の朝、駅まで送ってく。始発でいいな?」
「うん」
いつも通学に使っている東永駅から、学校とは反対方向の電車に乗る予定だ。そこから新幹線駅のある県庁所在地へ向かい、東北新幹線へ。携帯電話で調べたところだと、その後、最寄りの駅についてからが、更に大変らしい。詳しいことは、朝までメールでと言われたが、信昭が探し出した保証書記載の住所通りならば、目的地は山の中、交通手段の限られた場所。川端輝良斗が“連れて行く”という提案を快諾しなかった理由は、どうやらそこにもあるようだ。
「学校には、適当に言っておく。できる限り早めに安全を確保できるよう、あちこち掛け合ってみるつもりだ」
「悠司は……、帰りの早い沙樹子や菜弥子は、どうするんだよ」
「南里の真紀おばさん、いるだろ? 専業主婦だし、子供も独立してるから、どうだろうと思って、さっき連絡した。明日の朝、母さんの出勤前には来てくれて、そのまんまウチで悠司の面倒を見てくれるってさ。夕方、凛々子が帰ってくる頃には帰らなくちゃならないらしいが、臨時で保育園探すよりはずっといい」
「へぇ。おばさん、よく引き受けたね」
「庭の野菜、好きに持ってっていいって言ったら、喜んで引き受けてくれたよ。真紀おばさんとこには庭がないし、近頃は野菜も高いからな」
「なるほどね。上手く釣れたってわけか」
他愛ない話をしながら荷物を詰めていた慶一朗の手が、ふと止まった。
チラッと信昭の方を見て、廊下に人の気配が他にないことを確認してから、慶一朗はずっと気になっていたことを、父に尋ねた。
「……父さんがさ、“ハナを連れて行く”って言ったのは、もしかして。……もしかして、俺と同じ理由だったり、……する?」
目を、合わせることはできなかった。
「同じ?」
「つまりさ、その……」
グシャグシャッと、髪の毛を掻きむしり、うーんと唸って、口をもごもごさせる。
「ハナのこと、す、好きだと思ってる、のかな、と」
信昭は、直ぐには答えなかった。
口に出したのを後悔して、小さな部屋で背中を丸める息子を見つめ、ゆっくりと、息を吐いた。
「それは、家族として? それとも、機械人形として?」
「いや、そうじゃなくて。その……」
「その?」
「一人の……、“女の子”として……」
膝を抱え、縮こまる慶一朗の耳は、真っ赤だった。
「――昔は、そうだったかもしれない」
と、言いながら信昭は、パタンとドアを閉め、慶一朗の隣に屈み込んだ。息子の背をゆっくり撫で、
「ウチの男は、みんな、ハナに恋をしたんだから」
信昭の声は、何だかとても、寂しそうだ。
「最初は母のようで、温かく、柔らかい存在だったハナが、いつか自分と同じくらいになって、いつの間にか……、年下の、娘みたいになってしまった。死んだじいさんが、やっぱり同じようなことを言っていた。『ハナと自分たち人間は、生きる時間軸が違う』ってね。機械人形に永遠の命があるなんてことは思ってないが、そう錯覚してしまうほど、ハナはずっと変わらない。お前と同じような時期に――、俺は本気でハナに恋をした。叶わぬ、恋をな」
ビクッと、慶一朗は肩を震わせ、恐る恐る顔を上げる。
田所が言っていたのは、本当だったのだ。父も自分と同じ。同じように、ハナに、恋を。
信昭は隣で慶一朗を擦り続けたが、やはり、目を合わせず、遠くを見ていた。
「好きだという気持ちは、大切だと思う。それが支えになって、頑張った事実もある。が……、いずれ、気がついてしまったんだな。ハナが、“人間じゃない”ってことに」
父の横顔が、長く、息を吐いた。
「恋が冷めたのは、大学へ行ってからだったか。家を離れて一人暮らしして、戻って来たとき、じいさんが言っていた“時間軸の違い”を思い知った。数ヶ月離れただけで両親が随分老け込んでいて驚いた反面、ハナは何も変わらず、いや、むしろ相対的に若返って見えた。機械人形だとわかっていても、普通に接していた自分にとっては、かなりの驚きだった。同時に、ハナが“魔女”に見えた。“老いを知らない魔女”にな。俺は魔女と一緒に生きてきたのかと、一度思い始めたら……、一気に冷めた……。まぁ、魔女は言い過ぎだが、その変わらぬ容姿は、うらやましいようでもあり、悩ましいものでもあった。彼女は彼女で、“誰とも同じ時間を共有していない”ように、感じてしまったからな。機械人形には心がない。わかっていながらも、彼女の気持ちを考えてしまう。どうして人類は、こんな悩ましい存在を作ってしまったんだろう。どうして悩ましいとわかっていて、手放せないんだろうってな」
輝良斗と電話していたときの、荒々しい空気は、そこにはなかった。
一度は機械人形ハナに恋をしたという父の、苦しみや葛藤の末に生まれたのであろう哀愁が漂っていた。
「ハナを……売ってしまったら、スッキリするのかもしれないと思ったことがあるのは、否定しない。大金をふっかけられ、つい……、ハナとお前達の将来を天秤に掛けてしまった。どちらが大切なのかなんて、一目瞭然なのに。ハナを簡単に手放してしまったら、自分の人生そのものが否定されてしまうような気がして、……怖くなった。情けないな。何が“一家の大黒柱”。本当は空洞だらけの柱だよ。力を入れて押し倒されたら、一気に崩れてしまう。それを、意地とプライドで無理やり立たせているようなもんだ。その、張りぼてのような意地とプライドで、……俺なりに、ハナを守ろうと思ったわけだ。結局、それさえお前にお願いすることになったわけだが」
チラッと、ようやく信昭は、慶一朗の目を見た。
深く刻まれた目尻のシワが、ハナとの長い年月を物語る。
父も昔は、一人の少年だったのかと、慶一朗は当たり前のことを、今更のように痛感していた。むしろ、もっと長い時間を過ごしていた父の方が、ハナに思い入れがあるに決まっている。それを、無理やり奪い取ってしまった罪悪感が去来する。
「やっぱり……、父さんが、行く?」
「いや」
父は直ぐに否定した。
「反対押し切ってまで行くと決めたんだ。最後まで、やり通せ。俺は、ハナを連れて行くには、あまりにも年を取り過ぎたのかもしれない。家族を守る責任もあるしな。その点、お前はまだ、自由だ」
慶一朗の背中をさすっていた父の手が、肩まで伸びた。グッと、力一杯肩を掴み、信昭は慶一朗の、まだ成長過程にあるひょろ長い体を抱き寄せた。
「自由なお前にしか、できないこともある。ハナを……、ハナを頼む」
これから何が起きようとしているのか、不安でたまらなかった慶一朗の心を、父の太い腕が包み込んだ。
同時に、父の並々ならぬ覚悟が伝わってくる。
何が何でも。
慶一朗は深く、うなずいた。