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骨董機械少女-アンティーク・マシンドール  作者: 天崎 剣
【1】三笠家の機械人形
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2 不審者

 悠司(ゆうじ)はハナの手を引っ張って、公園への道を急いでいた。

 両親と四人の兄姉がそれぞれ仕事や学校に行っている間は、幼い悠司がハナを独占できる貴重な時間。悠司は天気がよければ、毎日でも外に出たがった。

 公園までは比較的平坦な道が続くものの、目に見えないゆっくりとした下り坂になっていて、道路にできた小さな段差が幼い悠司を何度もつまずかせる。ちょっと前も、車道の直ぐ手前で転び、膝小僧をすりむいたばかりだ。

「悠司様、そんなに急がなくても大丈夫です。公園は逃げたりしません」

 牽制はするものの、ハナの言葉は全く耳に入らない様子。

「きょうはなにする? すべりだい? ジャングルジム?」

 まだ小さいのに、悠司はどんどん大きな遊具で遊びたがり、ハナは全く目が離せない。

「お待ちください。ゆっくり歩きましょう。また怪我をなさいますよ。この間擦りむいたお膝が直ったばかりじゃありませんか」

「えー、はやくいこうよ。はやくぅ~」

 最新式機械人形(マシンドール)に比べ、ハナは早く走れなかった。人間と同じように履いた靴も、長女の凛々子(りりこ)が見繕った丈の長いスカートも、風が吹けば飛んでしまいそうな、つばの広い帽子も、ハナを一層走りにくくしていた。

 街路樹の下、午前中の少しだけ涼しい風が、ハナと悠司を優しく撫でた。木々の葉を通した残暑の日差しが、チラチラと二人を照らす。太陽が一番高く上がるまで家に帰る約束で、ハナは悠司と外に出ていた。

 悠司の気に入りの公園は遊具が充実していて、遠方からもわざわざ遊びに来る人がいるくらいの、隠れた人気スポットだ。子供が少なくなってしまったこの時代に、きちんと整備された遊具があること自体、とても有り難い。例外なく三笠(みかさ)家の子供たちはこの公園でハナと遊び、大きくなった。昔から変わらない公園は、ハナにとっても大事な場所だ。

「きょうはおともだち、きてるかな?」

「どうでしょう。楽しみですね」

 悠司の言う“おともだち”は、知り合いの子ではなく、同年代の子のこと。三笠の家は子沢山だが、過疎化の進んだ東永町(とうえいまち)では、なかなか小さな子と出会うのは難しい。それもあって悠司は、公園で遊ぶのをことさら楽しみにしているのだった。

 青々と茂った公園の桜が視界に飛び込んでくると、悠司の気持ちは更に高鳴った。

「みえたよ、ハナちゃん! はやくはやく!」

 左右の確認もせず飛び出そうとする悠司を、ハナは必死に止める。

「わたくしは、そんなに速く走れませんよ」

 ゆっくり悠司を手元にたぐり寄せ、手首を掴み、横断歩道を渡って、公園へ。植栽の間を通って、中へと入っていく。

 既に公園には、何組かの親子連れの姿があった。以前悠司と一緒に遊んでくれた母子が手招きしている。

「ハナちゃん、こっちこっち」

「はい」と、ハナは軽く会釈し、悠司と一緒に、その母子のそばへ歩いて行った。

「おはようございます、加藤様」

 ハナは改めて丁寧にお辞儀し、「今日も一緒に遊んでくださいね」と、腰をかがめて、加藤の小さな息子に笑いかけた。

「うん、悠ちゃん、あそぼ!」

 悠司とその子が楽しそうに微笑みあいながら駆けていくのを見届けてから、加藤と呼ばれた母は、「ハナちゃん、あのね」と、小さな声で話し出した。

「近頃、変な人が公園に出入りしているのよ。知ってる?」

「変な人、ですか」

「公園の北側駐車場で、双眼鏡を持った変な女を見かけたって、ここ数日騒ぎになってるの。ハナちゃんはしばらく来てなかったから知らないかもしれないけど、気をつけた方がいいわよ。悠ちゃん、まだ小さいし。絶対に目を離しちゃダメよ」

「わかりました。ありがとうございます」

 大きな帽子を揺らして、ハナはまた、頭を下げる。と、不意に帽子がずれ落ち、髪の毛の隙間から耳が覗いた。

「あれ、ハナちゃん」

 加藤はハッと手で口元を隠し、

「機械人形……、だったの」

 知らなかったと目を丸くした。

「はい。旧式ですが」

 左右の耳に、機械人形の管理番号を記した銀色のカフスが一つずつ。自治体に登録している機械人形である証だ。

 ハナが作られたのよりももっと昔、機械人形が出始めたばかりの頃は、耳隠し(カバー)と呼ばれるものによって、人間かどうか即座にわかるようになっていた。ヘッドホン型だったり、耳の形をかたどったものだったり、形は様々だが、それがいわゆる“人間と機械人形の簡単な見分け方”だった。より人間らしさを追求した機械人形が開発されるようになってくると、機械人形所有は届出制になり、このカフスが機械人形かどうか見極める一つのポイントになっていた。

「気がつかなかったわ。良くできてるわよね。旧式っていうけど、スーパーのレジ係より、よっぽど人間らしいもの」

 加藤は困惑の表情で、話すだけ話してから、「ゴメンね、本当に知らなかったから」と、眉間にシワを寄せた。

「いえ、わたくしも最初にお知らせすべきでした。見た目は人間に近づけて造られていますが、実際は旧式の機械人形なので、融通の利かないことが沢山あります。加藤様始め、この公園にいらっしゃる方々には、本当に感謝しています。やはり、子供の遊び相手は、血の通った人間が一番です」

 そう言って静かに笑うと、

「そのはにかみ笑いが、機械っぽくなくて、私てっきりハナちゃんのこと、普通の人間だと思っちゃったのよね。凄い技術だわ。本当に旧式なの?」

 加藤は不思議そうに腕を組んで、ハナの顔をジロジロと覗いてきた。

 まばたきもせず、「そうです」というハナの瞳は、確かに機械人形特有の赤茶色をしている。赤茶とオレンジが重なった、作り物の瞳。明るさで変化のない瞳孔は、人間のそれとは似ても似つかない。

「でも確かに、人手不足のこのご時世、機械人形に家事育児任せなきゃならないのは、よくわかるわ。ウチだって、私が仕事を辞めて子供の世話をしているから何とかなるものの、共働き世帯は大変だもの。少子化で保育園の数自体減ってるし、第一、東永町で一カ所だけでしょ。しかも、遠いしね」

「そうなのです。お二人とも帰りが遅いので、わたくしがお手伝いしないと。本当は、家事育児専用の機械人形ではないので、期待されるほど上手にはできないのですが」

 ハナはそう言って、帽子を被り直した。

 悠司は加藤の息子や他の子供たちと一緒に、鬼ごっこを始めていた。年の離れた兄姉が走り回ってまで遊んでくれないこともあって、公園での悠司は実に生き生きとしている。遊具の間をすいすい縫って、両手を後ろに下げて前屈みに走るのは、この時期の子供の特徴のようだ。まだ涼しい時間帯なのに、悠司はもう汗を掻いている。そのしずくが日に照らされ、キラキラと輝いて見えた。

 まだ一人できちんと乗れないブランコや、シーソーの手すり、届きもしない鉄棒も、やんちゃな悠司にとっては大切な遊び場だ。老朽化は進んでいるものの、メンテナンスがしっかりしている分、安心して遊べるのは、母親たちにとっても、もちろんハナにとっても、喜ばしい。

 悠司たちは走るだけ走ると、砂場に入り、靴を脱ぎ捨てて砂いじりを始めた。こうなるともう、その場からはほとんど動かないこともわかっているので、母親たちは自然に砂場の付近に集まり、井戸端会議を始めるのが常になっていた。

 専ら話題は、駐車場の不審者のことだった。

「私も見たわ。変な女の人でしょう」

「五十代くらいの品のいいマダムなんだけど、羽帽子にサングラスかけて、赤い口紅して」

「朝っぱらからワインレッドのイブニングドレス着てたでしょ。どう見ても変よね」

 どうやら不審者は比較的堂々と居座っているらしく、驚くほど目撃情報が多い。

 ハナはただ、主婦たちの言葉をふぅんと相づち打ちながら聞き、それとなく駐車場に視線を向けた。

 主婦たちが言うのはこうだ。

 公園の北側駐車場に、一週間ほど前から頻繁に、黒い高級車が駐まる。中には高貴な婦人が、場にそぐわぬ出で立ちで乗っている。彼女は公園の中を双眼鏡で覗き、何かを探しているように見えた。後部座席は窓が閉まっていて、それ以上の同乗者が居るのかはわからないが、運転手はヒゲを生やしたスキンヘッドの男。彼もまたサングラスをかけ、マダムと何やら話しているようだ。二人は決して公園内に入ることも車を降りることもなく、二時間ほどするとスッと居なくなる。

「この公園に子供が集まるのを知っていて、誘拐でも企んでいたらどうしよう。ただでさえ遊び場が少ないのに、もう来られなくなっちゃうわ」

 加藤も困ったように主婦仲間にぼやいている。

「皆さん、警察には、話したのですか」

 ハナが冷静に言うと、主婦たちは一斉に口を閉ざし、首を横に振る。

 具体的に被害が出ているのではないからと、それが彼女たちの言い訳らしい。

「被害が出る前に相談した方がよろしいと思います。機械人形は通報することもできませんから。是非、皆様が」

 それまでワイワイと聞こえていた主婦たちの声がピタッと止まり、子供たちの楽しそうな遊び声だけが公園の中に響いてくる。チチチと空では小鳥が飛び交い、夏を惜しむように蝉がジリジリと鳴いている。

「……失礼しました。場の雰囲気を壊してしまいましたね」

 主婦たちの目線が自分に集まっているのを、ハナは知っていた。

 砂山に穴を空け、キャッキャと声を上げる悠司の肩を、ハナはそっと叩いた。

「悠司様。そろそろお帰りの時間です。おうちに帰って、おやつにいたしましょう」

「え、おやつ!」

 悠司は途端に遊びを止め、砂場の外に転がった靴を履き、ハナの足元に寄った。

「おやつ、なに? ねぇ、ハナちゃん」

 汚れた手でスカートの裾を引っ張るが、そんなことはハナにとってはどうでもよかった。

「それでは皆様、また。悠司様、皆様にお帰りのご挨拶を」

「またねー!」

 小さな悠司が険悪な雰囲気にのまれてはいけない。ハナは直ぐにでも、公園から出なければならないと判断した。

「おやつ、なに? ゼリー? アイス?」

「バナナではいけませんか?」

「バナナ……、アイスがいい!」

 悠司とハナが手を繋いで公園から出て行くのを、主婦たちが目で追っている。聞こえないと思ってか、遠ざかる背中に向かって、「機械人形はこれだから」「『通報することもできませんから』ですって。それって嫌味かしら」「ホント、空気読めないわよね」などと。会話は全部、ハナに届いているのに。

 公園を一度出て、ハナはふと、普段とは違う方向へ。右へと曲がって、北側駐車場へと足を運ぶ。

「ハナちゃん、こっちじゃないよ」

 悠司は慌てて自宅方向へ手を引っ張るが、

「アイスを買って帰りましょう。コンビニは、公園の駐車場のはす向かいです」

 ハナはニッコリして、悠司を引っ張り返した。

 不審者というのがどんなものか、ハナが興味を持ったわけではない。彼女は彼女なりの合理的な理由で、駐車場の不審者を確認しなければならなかったのだ。

 少し勾配のある道を、ハナと悠司はゆっくり歩いた。角を曲がってコンビニの看板が見えると、悠司は嬉しそうに歩調を速めた。

「アイス、アイス!」

 帽子を踊らせて、悠司は楽しそうにスキップする。

 その手を放さないように、ハナは注意深く、視界に入ってきた北側駐車場に目を向ける。

 主婦たちの軽自動車に混じって、確かに一台、不審な高級車。黒光りした、大きな車が目に入る。アレは確か、ドイツ製の高級車。何故こんな車がこんなところにと、その場にいた通行人らも口々に呟いている。

 と、そのドアが、ゆっくりと開いた。主婦らの証言では、降りることもなくずっとそこに駐まっていると、そういう話だったはずだ。

 大きな黒い羽帽子が、のっそりと動き出す。女だ。赤い魔女のような女が車から降り、軽自動車の屋根の奥に立っている。サングラスをかけ、表情はわからないが、右手で持った双眼鏡をそっと目にやり、口元で何かを呟いていた。


「“ ・ ・ ・ ・ ・ ”」


 魔女は言葉を発してはいなかったのかもしれない。

 が、ハナはその言葉をしっかりと聞いていて、――立ち止まった。

「ハナちゃん?」

 悠司が手を引っ張って、立ち止まったハナをコンビニへ連れて行こうとしても、ハナは動かなかった。

 動けなかった。

 ハナにとって、それは衝撃的な一言。

「ねぇ、ハナちゃんたら!」

 ハッと、ハナが気がついたときには、悠司は半分泣きじゃくって、ハナが壊れたどうしようと人目はばからず大声を出していた。

「ごめんなさい。悠司様。わたくしは……、わたくしに残された時間は、あと僅かかもしれません」

 膝を崩し、ハナは悠司をそっと抱き寄せた。

 ハナの体が被さって、ようやく悠司は泣くのを止める。

「ハナちゃん、アイス……」

 鼻水をすすりながら、まだ悠司はそんなことを。

「わかっています。行きましょう。悠司様の好きなのは、どんなアイスだったでしょう」

 悠司の背中を撫でるハナの手は、どこかぎこちなかった。


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