3 連れて行く
「“ハナを手元に置き続ける”。当然、これは我が家の総意だ。誰一人、ハナのことを迷惑がってないし、何とかしてやりたいと思っている。……で、いいな?」
信昭の言葉に、皆が皆、強くうなずく。
何かが起きていると、悠司も感じ取っているのか、大人しく沙樹子の膝に収まっている。
「俺も含め、みんなハナのことを大事に、家族同然に思って過ごしてきた。ここにきて、ハナが高価な機械人形だったってことが、どう影響してくるのか。……残念ながら、あまり良い未来は見えてこない。例えこちらがいつも通りに過ごしたいと思っていても、流出してしまった謄本のせいで、日常が脅かされていくのは目に見えている。できる限り、子供達には普通の暮らしをさせてやりたい。お前達の命に関わるようなことだけは、起きて欲しくないと思っている。学校も、ある。悠司のことも、ある。近所に迷惑を掛けるわけにもいかない。となると、ある程度選択肢は決まってくる」
両手をダイニングテーブルに置いて立ったまま、信昭はグルッと、家族の顔を見回した。
気丈に振る舞ってはいるものの、家族のことを常に考え、自分を押し殺している妻の朋美。子供の身に危険が迫っていると知って、一番言いたいことがあるのは、彼女に違いない。
長男の慶一朗。思春期の盛りで、目の前のことしか見えない危なっかしさが目立つ。自分が何とかしなければという正義感は人一倍強いものの、まだまだ半人前。信昭自身がそうだったように、慶一朗は恐らく、ハナに家族以上の感情を抱きつつあるのを、父は気がついていた。
長女の凛々子。ハナのことを本当の姉のように慕っている。大きくなったようでもまだ中学生。誰かに頼りたいとき、ハナに悩みをぶちまけたり、長女の肩書きが嫌になったとき、ハナに泣きついたりしている。本人はこっそりやっているつもりなのかもしれないが、家族はみんな知っている。
次女の沙樹子。兄弟の真ん中で上の子らしくしっかりしなければならなかったり、下の子の仲間に入っておどけたり。小学生も高学年になってきたら、本当にしっかりしてきて、ハナと一緒に悠司の面倒もよく見てくれる。料理の手伝いも面白くなってきたようで、近頃はハナと並んで台所に立っている姿をよく見かける。
三女の菜弥子。弟ができて三年、やっとお姉ちゃんらしくなってきて、頼もしくなってきた。まだまだ甘えん坊。本当は母にべったりくっつきたいのを我慢して、ハナと遊んでいるのも、どうして五人も子供がいるのよと、愚痴って泣いているのも、両親は知っている。
次男の悠司。お喋りも遊びも、やっとみんなとみんなと同じようにできるようになったばかり。近所に同じ年頃の子供が居ないばかりに、日中はハナとずっと二人きり。ハナが機械人形だと知っているのかどうか。
家族の顔をひとしきり見たあとで、信昭はぎゅっと、唇を強く結んだ。
携帯電話を取りだし、例の番号に電話を掛ける。
その様子が、明らかに普段とは違うのを、家族みんなが気づいていた。
朋美は携帯電話の画面を覗き込み、そこに記された名前を見てハッと息を飲んだ。信昭の顔を見て何かを確信し、子供達を流し見て、グッと眉に力を入れた。
「……あ、川端調律事務所さんですか。え、ええ。そうです。三笠……はい、はい。輝良斗さんを。お願いします」
“川端”という名前を聞き、子供達は一斉に息を飲んだ。
ハナを造った会社、川端製作所……。
信昭はワザと子供達から目を逸らし、天井を仰ぎ見る格好で電話を掛けている。
「もしもし。あ、そうです。三笠です。孫の、信昭です。夜分遅くに恐縮です。とにかく早めに連絡しなければと思いまして。ビデオ通話、できますか。実はこっち、大人数で、できればみんなで一緒に話を聞きたいものですから。……大丈夫ですか。恐縮です」
一旦電話を耳元から離し、ダイニングテーブルの上に仰向けに置く。画面のボタンをタップして通話モードを切り替えると、立体画像が浮かび上がった。若い男性の上半身。短く切りそろえ、さっぱりとした顔つきの男は、何かに驚いたように半身を揺らした。
『うわ。子供だらけ。何人いるんだ』
「五人です。子沢山で通ってるので、人に言われるまで多いとは思わなくなってしまいましたが、やはり多いですか」
信昭はこっちに集まれと、携帯電話の角度を変え、カメラに収まり切れていなかった慶一朗と凛々子に席を立つよう促して、全員が撮影範囲内に収まるように指図した。子供達は手慣れた様子で椅子の配置を換え、立ち膝になったり、椅子と椅子の間から顔を出したりする。最前列に悠司と沙樹子、菜弥子。その後ろに凛々子とハナ、朋美。最後列に慶一朗と信昭が立って、これで全員が画面に収まっているはずだ。
『い、いやぁ。なんというか、この少子化時代にすごいなぁと。統率も取れてるみたいで……』
きっちり整列した子供達を見て、輝良斗はあっけにとられているようだったが、三笠家にとっては日常茶飯事。叔父叔母の世帯や、朋美方の祖父母との通話は、大抵こんな感じでやっているので、不思議がられる方が不思議なくらいだ。
「上は高校生から、下は三歳児までいますが、いろいろと言いたいこともあるようなので、同席させます。幾ら子供でも、同じ家族ですから、発言権はあるでしょう。……で、お話ですが、ハナのことは、売らずに、私たち家族が最後まで所有し続ける方向で……行きたいと思います。それがどういう事態を引き起こすのかは、大体想像は付いています。が、川端さんのおっしゃっていた言葉を思い出しまして」
『言葉、ですか?』
「ええ、“ウチで作った機械人形は、最後の一体が壊れて動かなくなるまで、ウチで面倒を見る”ってヤツです。それを聞いて、いろいろ考えたんです。私たちは、ハナを最後まで守るべきだと。このことに関しては、家族みんな、一致しています。あとは、その先どうしたら良いのか。修理のこともありますし、そのほかのことも。是非、相談したいのですが」
ポンと、ハナの肩を叩き、信昭は言った。
――“最後の一体が壊れて動かなくなるまで”。
慶一朗はドキリとして、父の横顔を確認してしまった。
緊張した面持ちではあるが、努めて落ち着いて話している信昭。額には、汗が滲んでいる。
『……そう、ですか。そういう決断を、なさいましたか。わかりました。わかりましたと言いたいところですが……、本当に良いんですか。06は狙われている。こんなに沢山お子さんたちがいらっしゃるのに……、06と一緒に過ごし、守っていくなんてこと、常識的に考えて、無理だ。悪いことは言わない。あなた方は、06を手放すべきです。なんなら、ぼくの方で保存協会に掛け合ってみましょうか。でなければ、06の代替え機を』
「いや。最後まで、ウチで面倒を見ますから」
『三笠さん……!』
電話の向こうで、川端輝良斗はたじろいでいる。
輝良斗の言い分はもっともだ。客観的に見れば、そういう提案が出るだろう。しかし、簡単に引き下がるわけにはいかないと、信昭も、他の家族達も思っていた。
『意思は、固まってしまったの、ですね。……こんな状況下にあると知っていれば、ぼくは最初から、06を修理するなんてこと、言わなかった。保存協会への売却を、勧めていた。ハァ……。参ったな……』
頭に手を当て、輝良斗は顔をしかめた。どうやら自分の発言に対して反省しているらしく、しばらく言葉を発することができない様子だ。
「大丈夫ですか」たまらず朋美が声をかけると、
『あー、大丈夫です。ちょっと、悪夢にうなされかかっただけで』輝良斗は自分の口から出た言葉に驚き、
『あ、いや、悪夢は失礼だな。言い過ぎました、すみません』と、苦し紛れに頭を下げた。
『ぼくがあなたたちの立場なら、絶対に06を手放すと思いますが。多分それは、三笠さんがおっしゃったように、ウチの社の理念と同じなんでしょう。“最後の一体まで……”ですか。仕方ないですね……』
輝良斗のそれは、本心らしかった。
唇を噛みしめ、腕を組み、短い溜め息。
『真ん中にいるのが06ですね……。一人だけ顔立ちが違うから、直ぐわかる。本当に、綺麗な機械人形だ。とても作り物とは思えないな。表情もあるし、家族の中に溶け込んでいる。こんなに……、こんなに大事にされている機械人形は初めてです。06でなくても、あなたたち家族なら、多分同じように扱ってくれていたんでしょう。でも……、いや。売らないと決めたなら、これ以上お話ししても無駄でしょうから、話を進めましょう。修理の件ですが、こちらから機材を』
「――それなんですが」
信昭が輝良斗の声を遮った。
「私がハナを連れて行く、というのは如何ですか」
――“ハナを、連れて行く”。
「な、何を言って」
「お父さん」
口々に驚きの声を上げ、信昭に視線を向ける。
「何考えてんだよ、父さん。会社は? 仕事はどうするの?」
慶一朗はあまりの衝撃に、頭の中が真っ白になっていた。普段の父からは想像も付かない提案だったのだ。
「会社ってヤツはな、一人くらい居なくても、きちんと回るようにできてるんだ。急な用事、親戚が亡くなったとでも言えば良い。そしてハナを川端さんとこで修理して貰ったあと、ほとぼりが冷めるまでの間、身を隠す。お前達はその間も、普通に生活をしていれば良い。最悪、会社を首になったとしても、何とかするさ。命より大切な物はないからな。仕事の一つや二つ失ったところで、惜しくはない」
きざったらしいセリフを流暢に喋るのは、大抵追い詰められているときと、相場が決まっている。立体画像の川端輝良斗を見つめたまま、一向に目を逸らそうとしない父の横顔を見ると、慶一朗は胸が張り裂けそうだった。
「でもあなた」
朋美は何かを言いかけて、止めた。これだと決めたことを、簡単に覆すような性格ではないのを、よく知っていたからだ。
「……お父さんが居なくなったら、困る。非力な私たちだけで、どうやって立ち向かったら良いの」
そう言ったのは、凛々子。
「お父さんがハナを連れてっても、それを知らない人たちが、ハナを狙ってウチを襲うってこと、あり得るんでしょ? ダメだよ。お父さん。ハナも居ない、お父さんも居ないんじゃ、私たち、どうしたら」
ああっと、凛々子は両手で顔を覆って、そのまま泣き伏してしまう。
沙樹子も菜弥子も、そんなの嫌だとつられて泣き始める。状況の掴めない悠司も、ワンワンと声を上げる。
子供達の背中をさする朋美とハナ。電話中なのにと、必死に泣くのを止めさせようとするが、なかなか効果が表れない。やっと電話の声が聞こえるようになるまで、いくらか時間がかかった。
「情報拡散のスピードを考えたら、とにかく早いうちに家を出た方が良い。警察に相談したからって、直ぐに謄本の画像が全部削除されるわけじゃない。保存されてたり、別の方法で拡散されたりしてたら、作業に膨大な時間がかかる。標的が居ないと知れば、それだけでこの家に向けられた視線も逸れるだろう。だから、俺がハナを連れて行く。……いいな?」
いいなと言われて、納得できる者などいない。
わかっていて、信昭はそう言った。
「川端さん……例えばですが、そちらへ伺ったとして、修理にどれくらいかかりますか。中を見てみないとわからないのかもしれませんが、場合によっては、修理で済まないことも考えるべき、ですか?」
輝良斗は三笠家の様子をじっとみつめ、しばらく考えてから、
『そうですね。中身を開けてみたら、修理不可能、要するに、壊れるのを待つしかない状態だと判断することも、あるかもしれません』
暗い表情で、信昭に言い返す。
『06を生産していた当時と今とでは、流通している部品も資材も違います。何せ、70年以上前の代物です。もし仮に、生産中止の部品、入手困難な部品に不具合が生じているのだとしたら、お手上げです。つまり、あなた方がどんなに足掻こうが、06は壊れてしまうということ。幾ら半永久炉を搭載していたからって、万能じゃない。機械人形に関しては、他の家電製品と違って“ただ動けばいい”は通用しませんからね……』
機械人形が永遠の命を持っているというのは、あくまでSFの世界の話だと、機械人形調律学の池野が授業中に話していたのを、慶一朗はふと思い出していた。
彼らはあくまで電化製品の延長線にあって、心もなければ、人権もない。人の形をした、機械なのだ。
半永久炉搭載の機械人形は、充電により日々の消費エネルギーをまかなうが、炉の部分に不具合が出た場合、ユニット全体を取り替えるか、回路を切り替えるかしなければ、稼働し続けるのは難しい。
今回不具合が出たという記憶系統も、動力部と同じように、機械人形にとって重要な部分。ハナがハナであり続けるための“心”に相当するデータが詰まっている。ここが直らなければ、フォーマットか、部品交換しか道がない。田所の言うように、ハナがハナでなくなってしまうことも考えなければならない。
不具合が出ている状態で、ハナをやたらと動かすのは危険だ。
だが、それ以上に、そうしなければ家族みんなが危険な目にあってしまう。
信昭は苦しんだ末、自分が川端の元へハナを持っていくと、決断したのだ。
『正直、あまりお勧めできません……。記憶系統の不具合抱えた機械人形を、青森の奥地まで連れてくるなんて、どう考えても、無謀すぎる』
「青……森……? 青森まで行くつもりなの?」
朋美はハッとして、信昭に振り返った。
信昭は無言でこくりとうなずくが、目を合わせない。
「事情があって、川端さん本人でないと、修理ができないらしい。田所とやりとりして修理して貰う予定が、完全に狂ってしまったからな。どうにかして向こうまで行って、ハナを直して貰って。何ごともないように戻ってくるさ」
『無茶言わないでください。やっぱり、ぼくが行きますよ。一家の大黒柱に何かあったら、ぼくはとてもじゃないが、お子さん達に顔向けできない。多少時間はかかりますが、そっちへ行って』
「――俺が、行くよ」
慶一朗の声が、全てを遮った。
「俺が、行く。青森でもどこへでも、ハナを連れてって、修理して貰う」
とっさに、信昭は慶一朗の胸ぐらを掴んだ。
「慶一朗、お前何を……わかってるのか」
せっかく固めた意思を砕かれたからか、それとも、息子から思いも寄らぬ言葉が出たからか。
信昭は頭に血が上るのを、しっかり感じていた。